イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

美男高校地球防衛部LOVE! LOVE!:第12話『愛は地球を救う』感想

さんざん逃げたりスカしたりしてきた今風ヒーロー物語、最後の決戦くらいはがっぷり四つのド根性だ!
てなわけで防衛部二期も最終回、溢れかえる感情と暴力が渦を巻き、寂しい子供が安住の地を見つけるまでしっかりやってくれました。
『終わり良ければ全て良し』じゃあないですが、別府兄弟の感情の泥をすべて吐き出させ、有基の危うい部分もちゃんと描いて、最後は胸襟を開いた裸の付き合いで〆る展開が、凄く真っ当にヒーローしていて気持ちが良かった。
強羅あんちゃんには本気になる所含めて、いい具合にシニカルさと熱血のバランスを取った最終回でした。

ここを逃せばもう心をぶつけ合う猶予がない最終話、流石の今時高校生集団も大本気になり、ガッツリ肉弾戦で魅せてくれました。
別府兄弟がアイドルという仕事の苦労や背負った闇を公開したタイミングで殴り合いになると、暴力に訴えるしかない気持ちの強さが拳に乗って、物語的必然のある見せ場になるから、凄く良いよね。
防衛部側も強羅さんへの恩義以外に、バカでC調ながら自分たちなりに必死にやってきたヒーロー稼業にツバ吐かれて、本気で受け止める体制ができていたのが良かった。
逆に言うと、ここで噛み合う気持ちよさを高めるために、今までさんざんスカして逃して来たんだろうしね。

殴り合いをセッティングすることで、心の奥底に隠してきたものが吹き出すエネルギーが生まれ、キャラクターの地金が見えてくるのも、戦闘を物語に組み込む大きな理由だと思います。
暴力に屈しないことは即ち、暴力に乗っかった相手の気持に負けないということなので、殴り合いと喋り合いを同時に進行させることで、お互いが抱えたものを引き出し合いながら、物語的な勝敗を白黒はっきり付けれるわけです。
今回で言えば、これまでさんざんキラキラ☆アイドルを演じてきた別府兄弟が、心に溜め込んだドロドロを吐き出す場所として、殴り合いがいい仕事してる。
強羅あんちゃんに成長した姿を見せるためだけにアイドルしてきたなら、そら色々貯まるわな……そして寂しい子供に付け込んでアイドル稼業させてきたダダチャの邪悪さが、一層際立つ展開だった……。


別府兄弟が防衛部に優越するための理屈として、『綺麗事より私利私欲のほうが強い』『理性より感情のほうが強い』というのを持ち出してきたのは、幼い彼ららしいなと思いました。
防衛部はヒーローに憧れを抱かない、思春期ちょっと超えた覚めた十代なわけで、まだ子供のままの別府兄弟よりもそら感情は弱かろう。
しかし綺麗事でやっていようが、巻き込まれた惰性でダラダラやっていようが、防衛部にとってヒーローが『自分の物語』になっているのもまた事実で。
そこには分かりにくいけども愛や感情がちゃんと篭っているわけですが、実はこれは別府兄弟がアイドルに対して抱く感情と似ていると思う。
敵だけではなく自分たちも攻撃する理屈が論破されたことで、アイドル稼業への愛に素直になって、心からステージ出来るようになる終わり方に繋がるのも含めて、敵として良い理屈つけたと思いました。

そしてそこから『感情で勝負するなら、有基には勝てない』という展開をするのが、なかなか凄くて。
言われてみれば防衛部で唯一、綺麗事を自分の感情込みで全部信じ込んで、ヒーローに必要なセリフを言ってきたのは全部有基です。
『綺麗事』と『感情』が一切遊離せず、現実と理想の間にギャップを感じていない有基が、別府兄弟とは別の形で子供であり、有基が『ヒーロー』を心から信じる子供だからこそ、シニカルな防衛部はギリギリ『ヒーロー』でい続けることが出来た。
その気持が暴走すれば、そりゃ兄弟二人きりの寂しい感情より激烈なものになるのにも、納得がいきます。

そういう気持ちが暴走し、兄恋しの『感情』が暴力に乗っかった時、シニカルだったはずの防衛部が悪しき力の行使を諌め、『ヒーロー』の本質を有基に問う流れは、俺本当に好きです。
防衛部のスカシた高校生共が心の奥底にアツい部分を持っていたというだけではなく、有基の子供っぽい『夢』や『愛』が一方通行なのではなく、仲間たちにもちゃんと伝わっていたのが最高でした。
話しを牽引してきた有基が道を間違えそうになった時、引っ張られていた側の防衛部がしっかりあるべき道に戻してくれるのは、真心をしっかりキャッチボールできる良い仲間なんだと感じられて、非常に良かった。
正直『ヒーロー』ものとしてみると、有基一人に負荷がかかりすぎる構造だったので、この土壇場でしっかり『ヒーロー』の証を立ててくれたこと、しかもそれが『敵を倒す』暴力ではなく、『暴力を制御する』『真実を伝える』愛の方向だったのは、見事な大逆転でした。

その後有基が別府兄弟のロジックを倒しにかかるシーンは、巧いこと『勝ったやつが偉い』という一番イズムを壊して、ゆるふわヒーローパロディだったこのお話全体を称揚してました。
大真面目に『ヒーロー』したくても、全てが宇宙TVの仕込みでしかない世界において、シニカルな態度でスカして逃げる防衛部のやり方は、その構造自体をひっくり返す愚者の妙案なわけです。
そういうやり方を続けつつも、一緒に風呂に入れるような気の置けない仲間たちと時間を共有し、自分たちなりに結構頑張って『ヒーロー』してきた(つまり、物語を積み上げ、視聴者と一緒に見守ってきた)を『大切なものだ』と断言するのは、お話が幕を閉じるこのタイミングでは、絶対必要な見せ場だったと思います。
やっぱ好きになったお話には、『俺たちもこのお話が好きだったし、良いものだったと思っている!!』と、堂々と大声で叫んでほしいもんだし、それに答えてくれた防衛部はいいアニメだ。


強羅あんちゃんが目覚めてから一気に対立構造が崩壊していったのは、まぁこれまでの描写を考えると納得というか、ここをスムーズに流すために別府兄弟が『ただの寂しい子供』だったと言うべきか。
強羅あんちゃんがやったのは、子供の成長を忘れず覚えておいて、ちゃんと褒めて抱きしめてあげるっていう、『ヒーロー』じゃなくても大人なら誰でもやるべき行為。
だけども、別府兄弟の周りにいたのは自分の都合を押し付ける嘘つき親父と、その隙間に滑り込んできたダダチャだけだからね……別府兄弟と強羅あんちゃんとの接触を、頑なに拒絶しながら話が進んだのも納得だ。

大団円でまとまったのは別府兄弟が究極的チョロ蔵だっただけではなく、事前の戦いで心の泥を全部吐き出していたからでしょう。
有基が『暴走』という弱さをちゃんと見せ、特権的な天使ではなかったことも含めて、最初で最後のガチンコバトルは、お話が収まるべき所に収まるための出口として、よく機能していました。
一回本気でバトルすれば感情が収まりどころを見つけてしまう話だから、逃してスカす必要があった、とも言えるか。
どっちにしても、感情がぶつかり合い行き場所を見つけるタイミングをしっかり測って、必要な頃合いで必要なシーンを持ってきた結果の、気持ちのいい終わり方だったと思います。

ラストがお風呂で終わるのも、このアニメを貫いてきた象徴の系譜をしっかり踏襲していて、とても良かったです。
温かいものに包まれ、心にたまったものを全て出しながら、一切の覆いなく、平らにお互いを見せ会える場所。
作中言葉でも説明していましたが、このアニメの『銭湯』というのはそういう象徴的意味を強く持っていて、だから第4話のシメでサルバトゥーレ兄弟は風呂に入ったわけです。
僕はあの話が特に好きなので、あのシーンを再話するように穏やかにこの話が終わったの、本当に良かったですね。


つーわけで、シニカルでポップでサービス満点のヒーローパロディアニメも、無事終わりました。
ゆるーっとした高校生たちのヌルい掛け合いを存分に詰め込むべく、ラスボスの攻略難度を下げ、その攻略方法をゲストに仮託して幾度も語る、構成の巧さ。
正面からぶつけたら話が終わってしまうので、ラスボスの問題をゲストに背負わせ、擬似的に答えを予言しておくエピソードの作り方。
『銭湯』を舞台にすることで合法的に男の裸体を乱舞させつつ、そこに安らぎのメタファーを仕込んでほっこり終わらせる巧妙さ。
メタネタやぶっちゃけ、シモネタを交えつつも、妙に軽妙で清潔な笑いの作り方。
好きになれる部分が沢山ある、いいアニメでした。
肩の力を抜いて楽しめるコメディを上質に仕上げるためには、どれだけ精密にお話を組み上げなきゃいけないかを確認する意味でも、見れてよかったなぁ。

斜めから切り込んでいるヒーロー・フィクションとしても、非常に独特のスタンスを感じられ、楽しめました。
強羅あんちゃんという圧倒的『大人』に見守られつつ、有基という『善き子供』、別府兄弟という『悪しき子供』を対比的に配置して、そこから少しずれた所に防衛部を置く作り方は、シニカルな空気を維持したままアツい話もできる良い見せ方だった。
ラスト一個前までは有基がとにかく引っ張って、最後の最後でその有基の暴走を防衛部の『ヒーロー』が止め、問い直すという構図も、これまでのシニカルさがアツさに変わる最高の仕掛けで、素晴らしかったです。
こういう斜めからの勝負は、まさにパロディだけが出来る戦法だったと思うので、期待していた所をしっかりやりきってくれた満足感があります。

キャラクターも不思議な存在感と手触りのある面白い奴らで、みんな好きになれました。
印象的な個別回があったんで、特に有基と強羅さんが刺さってるけども、これは二期しか見てないからだろうなぁ……そら一期で掘り下げるポイントだもんな、主役のキャラクター性って。
最終回で赤面している錦ちゃんが可愛かったので、『痴話喧嘩』らしい一期もちゃんと見ないとなぁ……。

そんなわけで、美少年たちにドキドキしたり、独自の『ヒーロー』語りに熱くなったり、ゆるい日常生活をまったり楽しんだり、色々な楽しさを与えてくれるアニメでした。
やっぱしっかり作ったエンターテインメントは、見てていい気分になるな……素晴らしい。
美男高校地球防衛部LOVE! LOVE!! いいアニメでした、ありがとうございました!

アイカツスターズ!:第24話『笑顔はなないろ☆』感想

アイドルの一番星は乙女の夢を吸って輝く妖星、笑顔の奥に残忍が宿るスターズ第24話。
お話しの表面だけなぞると次期S4の距離を詰めて、仲良し四人組の楽しい日常をスイーツと一緒に描きつつ、ちょっとした悩み事をみんなでクリアー!! っていうポジティブな展開。
なんだけども、どうにも額面通りに受け取れないぎこちなさが随所にあって、なかなか難しいお話と感じました。

今回感じるぎこちなさの最大のものは、やはり小春ちゃんの扱いでしょう。
ゆめ・ローラ・あこ・真昼の『仲良し四人組』を全面に押し出すあまり、逆にそこに小春がいない不自然さが際立ってしまっているのは、小春がどれだけ四人の間を繋いできたのかの証明でもあります。
組が同じなゆめとローラは様々な試練を共有する度絆が深まってきましたが、個性の強いあこと真昼はまだ時間の共有が薄く、そこまで馴染んでいない印象を受けていました。
そこを巧く埋め、人間関係の接着剤になってくれていたのが、自分を主張することが少なく、相手を受け入れつなぐキャラクターをした小春でした。

主役達が輝くのも、控えめな小春が必要なセリフを投げかけ、抱えている問題や気持ちを引き出してきたからこそ。
特にあこはそれほど大きなドラマをまだ達成していないのもあって、他三人に比べると真ん中で映ることに違和感があるというか、キャラを上手く掘りきれていない印象があります。
そんなあこがお話しの軸に絡む上で、どれだけ小春に頼っていたのかというのは、劇場版を見ればすぐさま判ることです。
小春が物語の中でしてくれたことに僕はありがたさを感じているし、控えめながら芯のある性格を好ましいと感じています。
ゆめを始めとしたキャラクターにも、お話を管理管轄する製作者にも、その献身に報いて欲しいと、常に思っています。


そんな小春は今回、不在にしがちな父親にくっつく形でゆめの家から離れ、話の中心から離れ、『未来のS4』を暗示するS4ごっこから離れていきます。
あのシーンは将来、あの四人がS4としてアイドルの一番星を掴む暗示ではあるんでしょうが、その予感に感動を覚えるより先に、そこに小春がいないことに違和感を感じてしまいました。
彼女もまた『S4になりたい』という夢は語っているだろうに、そこに想像力を伸ばす余地は一切なしか、と。
製作者サイドが受け取って欲しいシーン(エピソード)のイメージとしては、『無邪気で幼い夢が、何気ない日常を共有することで現実に近づいていく』と言うものなんだろうけども、不自然に小春に言及がないことで逆に、キャラが薄情に見えてしまったのは残念でした。

逆に言うと、小春という潤滑剤を抜いても『仲良し四人組』が円満に掛け合いできている様子を映像にして、小春の仕事を減らしていくってことなんでしょうけども……。
人数が多い割にスターズの捌き方はそこまで巧くないので、尖らず他人を受け入れて自然に回せる小春の仕事が、これまで多すぎたのかもしれません。
ぶっちゃけ主役ではない彼女に、主役級の物語的役割が与えられてきた不具合を是正し、本来の『仲良し四人組』を前面に押し出すことは、今のスターズにとって必要な訂正なのでしょう。

小春が人と人を繋ぐ『便利なキャラクター』として使われてきたのも、このタイミングで露骨に舞台から下げられようとしているのも、製作者の都合といえば都合です。
しかしそういう思惑や事情とは関係ない所で、描かれた物語は像を作って、視聴者は必ず何かを感じる。
献身的に友を支え友情を繋ぎ、アイドルという夢に一生懸命だった小春に感じる印象は、基本的にポジティブで前向きなものであり、製作者側の都合は横において、彼女は『報いて欲しい』と思えるキャラクターになってしまっていると、僕は思います。
そして今回の小春の使い方は、なまじっか『彼女がここにいないこと』『彼女がここからいなくなること』への言及を含んでいる分、これまでの献身に報いるものではないと、僕には感じられた。

この先スターズの物語がどう転がり、小春がどういう立場に置かれるにせよ、この違和感を抱え込んだまま『仲良し四人組』が手を取ってアイドル一番星まで登っていく話を、あんまり素直に見られはしないと思います。
退場させるならさせるで、都合に巻き込むなら巻き込むで、創作のキャラクターが与えてくれた感情にふさわしく報い、相応しい物語をちゃんと与えてあげて欲しい。
今回のお話を見て感じたのは、みんな仲良しでよかったねという平和な感情よりも、そういう薄曇り、ハッキリしないモヤモヤでした。
今後のエピソードが明瞭な話運びとテーマ性を持ってキャラを活かし、このもやもやをぶっ飛ばして小春に報いてくれることを、強く願っています。

(あんま無印と比べても意味ないんですが、しおんにしてもユウちゃんにしても、残忍な都合をキャラに押し付けつつ、無印はその身勝手さにとても自覚的で、遅れはしてもキャラクターたちに報いるエピソードを多数用意してくれました。
僕が好きになった女の子たちの善なる気持ちと行動が、けして無にはならずいつか報いてくれる物語だという信頼感が、アイカツが好きになる大きな足場だったのは、過去の自分を省みて間違いないと思います。
小春をどう扱っていくかは、この信頼感を作れるか、はたまた作品の足場を思いっきり切り崩すかの大事なポイントになると思うので、可能であれば誠実にやって欲しいところです。
この気持ちはキャラに誠実に報いてほしいって気持ちであると同時に、そこに愛着を感じた俺に誠実にやって欲しいってエゴイズムでもあるんだけども、ある程度以上そういうエゴに答えてもらえることこそが創作を好きになる土台ではあると思うんで、あえて押し出したい)


とまぁ一番気になった所を長々描きましたが、『未来のS4』初集合としては、結構良いエピソードだった気がします。
特にお姉ちゃんクエストを攻略してキャラに空白があった真昼は、思う存分抑えていたポンコツ力を発揮し、強く自分を主張していました。
いきなり瓦割ったり、スイーツの話になると早口になったり、残念な部分が多いほど、自分を抑圧しなくて良くなったんだなぁと微笑ましい気持ちになる。

あこもツンデレ不器用高飛車キャラを推してますが、真昼が夜空関係でキャラの地金を見せられたのに対し、いまいち彫り込みが足りない印象のままだなぁ。
ここら辺はスターズのキャラの多さと捌きのマズさが、正面からおッ被さっているところだと思う。
賑やかで可愛いのも良いんだけど、アイドルに対して絶対に譲れない何か、アイドルをテーマにした作品で絶対に必要な核を、まだあこには感じられないんだよな……。
それが見えてくるのは今回のようなオフ・エピソードではなく、アイドルとしてバチバチ鎬を削るキャラエピソードだと思うので、どっしりしたのがもう一つ欲しいね。

『笑顔を作る』という共通点でスイーツとアイドルを繋げて、ちょっとした学びを生む展開はまぁまぁ良かったんですが、ここも少々ぎこちなかった気がします。
依頼に来る子供の登場が急で、ダンドリ感が隠せなかったというか、もうちっと四人組と重ね合わせられる要素を持たせても良かったんじゃなかろうか。
まぁ特に障害もなくダラーっと過ごしても、エピソードの取れ高減るだけなんで難しいとは思うけども。


そんなわけで、『仲良し四人組』は仲良くなりつつ、そこから弾き出されるものの描き方に、モヤッとしたものが生まれるエピソードでした。
『仲良し四人組』の輝く未来を素直に受け取るためにも、小春に報いてやって欲しいと、彼女が好きな視聴者としては思います。
生まれつつある『見せたいもの』と『見えるもの』のギャップを埋められるかどうかは、実際に描かれる物語だけが証明してくれると思います。
来週以降もアイカツスターズ、楽しみです。

プレイレポート 16/09/22 コードレイヤード『Calamity Break』

昨日はFEARの完全新作、コードレイヤードのGMをしました。付属二本目だよ。

シナリオタイトル:Calamity Break システム:コードレイヤード GM:コバヤシ

シェンツさん:"コードC"蒔苗ユウ:16歳女性:ブレイカー/アームズ:名もなき剣豪 普通を煮固めたような境遇と性格のシンマイ。コードに選ばれ英雄になれると思っていたが、引いたのはコモンクラスの無銘英雄であり、夢見ていたレアクラスには程遠い。それでも腐らず自分のできることを精一杯やりきる、夢見る可能性の獣。

よねちょくん:"99バレット"徳永マコ:29歳女性:チェッカー=シャドウ:ビリー・ザ・キッド とあるエンフォーサーを追い求めつつ、私立探偵をしている妙齢の女性。コードは元警官の夫の遺品であり、復讐対象も夫を殺した相手である。復讐を果たした後、夫の言っていた『本当の自由』を見つけたいと願う渇かじのアヴェンジャー。

田中くん:倉無リディル:25歳女性:サポーター=センチネル:ファヴニール 大商人の家に生まれるものの、ヴェクターの襲撃で全てを失ったコード継承者。強欲さが響き合ったのか、伝説の邪竜を自在に行使する。銭の先にあるものを常に見つめる、冷静なるマモンの使徒。

新米くん:睦見ミミ:16歳女性:ブレイカー=センチネル:六耳狒猴 コード研究者の家に生まれ、死にそうになった所で秘蔵のコードを移植され生き残った。罪悪感からか、他人を護ることに強く固執している。コンプレックスの結果、発現しているのは移植された斉天大聖ではなく、そのミスコピー。

二次元くん:雁党アンジェリカ:30歳女性:チェッカー=ヴェール:カーミラ 世界をめぐりつつ、喪われた芸術の復興を志すディレッタント。ノーブルな気質と響き合うらしく、コードの発現たる”カーミラの聖衣”との相性は良い。

こういう女どもが、AIとの絶滅戦争を生き延びた人類を守護る英雄継承者だ!! っていうRPG、コードレイヤードを遊びました。いやー面白かった。

ルールブックの判型も世界観もデータもルールも、非常にたっぷりとしていて不足がないのに、実プレイしてみると重さがない。数字を処理する流れが非常によく考えられていて、スムーズにキャラを作り、ダイスを振り、判定を行えるようになってます。この不要なストレスの無さがあらゆる場所で徹底されているのは、本当に凄い。

スムーズさとスマートさはデータの処理だけではなく、ロールプレイ支援にも感じられます。色々キャラを作りたくなるPC共通の設定、やりがいと充実感のあるミッション設定、広がりとワクワクのある世界観。『コード』という共通要素への対処をキャラメイクの段階で盛り込むことで、それをやり取りして掛け合いが出来るよう仕上げられている所とか、本当に凄い。

実プレイの現場でどういうことが問題になり、どういうことが『楽しさ』を生み出すのか、よく考え実証しTRPGシステムとして実装する。ゲームを遊ぶ上で必要なんだけども、非常に実現が難しいことを凄く丁寧にやってくれていて、とにかく遊んでいて気持ちいい、楽しいシステムでした。

ACNという共通リソースが適度に強く、強すぎないバランスであること。特技の共通デザインに『使用制限』が既に組み込まれていること。キャラメイクの際に数字が行ったり来たりしないこと。非常に細かい部分が適切にブラッシュアップされていて、それが軽快な心地よさに繋がっているのが、非常に『しっかり作ったなぁ……』と唸らされるポイントです。ここらへんの改良は『やってる』デザイナーにしか出来ないし、『やってる』やつが一番偉くくて強い。

一回遊んで楽しいだけではなく、世界観やキャラクターの広がりが豊かであり、プレイがストレス無く楽しいので、『次』をやりたくなるのが本当に凄くて。俺は今回GMだったけども、俺の考えたスゲー英雄をスゲーデータで再現して、思う存分破滅世界を駆け回りたいもん、今。初プレイでそういう気持ちになれるの、凄く良いことだと思います。

今回は付属シナリオ二本目を遊んだわけですが、一本目で『チーム導入・シンプルな構成・巨大ボス』というパターンを見せ、二本目で『個別導入・ドラマティックなシナリオ・独立ボス』という別パターンを提供して、『んで、このゲームはどういうシナリオ作ればいいの?』という疑問にしっかり答え、想定されるバリエーションを見せているのが素晴らしい。

シナリオ単品としての出来も非常に良くて、シンプルながらモティベーションの生成に無理がなく、素直に盛り上がり楽しく遊ぶことが出来ました。ミドルフェイズの構成をマップ化し、『いつ終わるのか』を明確化して処理できるのは、凄く楽だし楽しいね。

公式NPCヒロインの使い方も非常に巧くて、『テメーでやれよ』という超NPC様でも、『何もしねーのかよ』と言いたくなるヒメヒメヒロインでもない、『精一杯やってるんだけども、PCが助けないと不幸になる』という、非常にいい塩梅でした。

彼女が持っている特別さが世界設定とPCの行く末(つまり実プレイで積み上がっていく、このゲームの行く末)に強く関係しているので、付属シナリオでPCと絆を作ることで『俺のヒロイン』になる作りは、ほんと良く出来てるなぁ。このシナリオやると、あの子の事好きになるし、好きになると確実にこのシステムが面白くなるNPCだからなぁ……。良く出来てるなぁ……。(昨日からこれしか言わないマン)

そんな優れたシステムに乗っかって、卓の方も非常に面白く盛り上がりました。クセのある女たちがそれぞれの事情を抱えたまま、事件解決のためのチームを組み上げる過程がまず面白いし、それぞれのキャラシートを見ながらトスを上げレシーブを返す掛け合いの楽しさも、たっぷり堪能してました。

やっぱ数字のやり取りや世界観に無駄なストレスがないと、ロールプレイや目の前の困難に対処する方に集中力を回すことが出来て、実プレイの密度と速度がグンッと上がる気がします。『巧いシステムは楽しいシステム』という格言が事実だったなぁ……今思いついたけども。

強いポテンシャルを感じる、『今』やって面白く『次』もやりたくなるような、良いシステム、良いシナリオでした。は~遊ッびてぇなマジ!! 良いセッションでした。同卓していただいた方、ありがとうございました。

ラブライブ! サンシャイン!!:第12話『はばたきのとき』感想

女神たちの伝説が終わった荒野を、己の足で走る少女たちの黙示録、今週はさよならμ's。
これまでメンバー間の濃厚な感情を軸に話を組み立ててきたサンシャインですが、今回はグッとカメラを引いて、μ'sとAqoursの差異と反復についてのお話となりました。
キャラクターが己の青春を生きる物語的視点だけではなく、サンシャインという作品それ自体が己をどう定義し、歴史の中でどう進んでいくか、メタ的に考えるエピソードともなりました。

元々サンシャインは無印の後継作として始まり、作品内部でも、その外側にある物語的構成としても、前作を強く意識して進んできました。
千歌がAqoursを結成しようと思うのは、既に伝説となったμ'sに憧れてですし、そこから始まるストーリーはμ'sの物語、無印のエピソードを縦横無尽に引用し、巧く重なり合わせながら進んできた。
μ'sが引き起こした『現象』はフィクションとしての作品内部でも、メタ・フィクションとしての現実世界でもあまりに大きく、その衣鉢を継ぐ形になったサンシャインは、μ'sの長い影から自分たちの物語を始めることを、必然的に余儀なくされた作品だったといえます。

『完敗からのスタート』『スクールアイドルの光に誘われ集まる一年生』『素直になれない三年生たちの桎梏』などなど、μ'sも経験した魅力的なモティーフを再話しつつ、Aqoursの物語は段々とAqours独自の魅力を積み上げてきました。
どれだけμ'sに憧れていても、μ'sが切り開いた歴史の先にAqoursが立っているとしても、Aqoursには独特の命があり、物語が展開する舞台も、背負うべき課題も、立ち向かうべき物語も、全て違う。
何よりも、物語の主体となるキャラクターがそれぞれ別の顔と望みを持っている以上、そしてラブライブが常に少女たちそれぞれの青春の物語である以上、その夢をかなえるお話は、どうやったって別々の物語にならざるを得ない性質を持っています。

それと同時に、千歌達作中のキャラクターたちも、現実世界でそれを見つめる僕達視聴者も、Aqoursがμ'sの後にやってきた存在であることを、けして無視はできない。
どれだけサンシャインが無印とは別の物語だと理解していても無意識に比べてしまうものだし、タイトルに『ラブライブ』を背負う以上、それは当然の反応だといえます。
『綺麗サッパリ昔のことは忘れて、別の話を楽しんでね!』というのも世代交代の一つの形だとは思いますが、意識してμ'sの辿った轍をAqoursに踏ませながら進んできたこの物語は、μ'sとの複雑な距離感に強く意識的だったし、リスペクトと愛情を込めて前作の物語を見つめ、語り続けてきました。

そういうふうに、新しい物語を求めつつ、終わってしまった物語に消せない愛着を抱く僕達(と、製作者自身)を大事にしながら、サンシャインの物語は進んできました。
しかし話数はもはや12話、歴史への愛着と尊敬を踏まえた上で、己の物語に向かい合い、白紙のページをめくる覚悟を示すには、少し遅いかもしれないタイミングです。
今回こういう話が来たのは、偉大な先達にどうやっても包まれてしまう自分をしっかり見つめ直し、そこから何を受け取り、何を捨て去るべきなのか、己の足でどこに向かって走り出すべきなのか、胸を張って宣言するのに、一期ラスト直前というのはベストでありラストの頃合いだと、製作者が考えたからでしょう。
ラブライブ』を継ぐものとして、『サンシャイン』という個別の名前を持つものとして、一つの明白な線を引き、真実己の物語へと『はばたきのとき』を迎えるまでの物語が、今回は展開されます。


今回の話はAqours二度目の東京行を追いかけることで、視聴者もキャラクターたちも『μ'sとは何だったのか』を追体験する、客観的な要素を強く持っています。
Aqoursの現実を思い知る主観的な要素が強かった第7話では、向かい合えなかった音ノ木坂やμ'sをもう一度体験し、自分たちが置かれた場所を距離をおいた視点で確認すること。
千歌が色々悩んで、みんなを巻き込んで選んだ楽しい旅は、ただのお気楽観光旅行ではなく、μ'sとAqoursの距離を冷静に測るための巡礼でもあるわけです。

それと同時に今回は、とにかくサンシャインの主人公・高海千歌が真ん中にいる主観的な話でもある。
いつもは友人と悩みや思いを共有している千歌ですが、今回は『一人で考えてみる!』と距離を開け、μ'sが成し遂げてきた物語をAqoursが達成できていない事実に悩み、自分なりの解決策として東京行きを提案してみる。
千歌の意思に引っ張られる形で訪れた東京、そして運命的に途中下車した国府津の海で、千歌は自分なりの答えを見つけ、それをAqoursと共有し、自分の(そして自分たちの)道を決めていきます。
それはとても一人称的な物語であり、とにかく千歌にカメラを寄せながら勧めたからこそ、より客観的で共有可能な結論を、キャラクターたちのみならず視聴者も共有できるという、結構不思議な構造を持っています。

この客観と主観が融合した語り口により、千歌が語る言葉は作中世界のμ'sだけではなく、その外側にあるμ's、『ラブライブ』というアニメを総括する冷静さと、視聴者の心を揺さぶる説得力を兼ね備えてきます。
今回千歌が出した『μ'sの形を追いかけるのではなく、Aqours自身の実感に基づき、己の物語を己の足で追いかけることだけが、μ'sがたどり着いた青春に追いつく方策なんだ』という結論は、非常にバランスが良い、いわば『まぁ、そうなるしかないよな』という結論です。
しかし最初からその答えにたどり着くのではなく、μ'sゆかりの場所を訪ね、かつて伝説となる前の彼女たちの物語がどんな体温を持っているか体験(僕らにとっては再確認)すること、運命の道をしっかり迷うことで、その客観的な答えには一種の体温が宿るようになっています。
その体温が冷静で誠実な決意としっかり繋がることで、彼女たち(つまり彼女たちの物語であるサンシャインそのもの)がμ'sを愛しつつμ'sを離れていく結論にも、心の底から頷くことが出来るわけです。


客観と主観、フィクションとメタ・フィクションにまたがる複雑な話を飲み込ませるもう一つの手法として、説話/神話的な語り口が上げられます。
これは劇場版で顕著だったのですが、ラブライブは元々現実的なロジックではなく、感情や物語的な物語が現実を捻じ曲げ、ドラマを引っ張り込むシーンが多めです。
穂乃果が叫べば天が泣き、あるいは晴れ、運命の祝福は羽根となって降臨し、感情の起伏は常に画面に反映される。
ここらへんは京極監督の演出方針も強く影響していると思いますが、心の強さがそのまま現実に反映される印象主義で、無印は動いていたきらいがあります。

今回のエピソードはは特に色濃くその傾向を受け継ぎ、偶然が運命と結びつき、意思が祝福を引き寄せ、世界が予兆に満ちる不思議なシーンが多かったです。
どこかμ'sメンバーの面影を残す、不思議な音ノ木坂生徒との会話。
幼く転生した穂乃果のような少女が行う、第一期第1話ラスト『階段滑り』の再演。
μ'sが終わることを決めたあの海岸で、Aqoursが己の道を見つけ出し始まるシンクロニシティ
目に映る様々なものが『ああ、いつか見たなぁ』というノスタルジーに満ちつつ、同時に移り変わっていく時間を反映して、日々新なる実相を宿す、不思議な空間でした。

今回起きたことは、音ノ木坂学院で生徒に出会ったり、子供が手すりを滑り降りたり、Aqoursが夕日の海を見つめたりという現象以上の必然が、たっぷりと込められています。
世界を物理的に写っている以上に、意味と物語と必然を込めた神秘として見つめる視点。
それは説話/神話的な語り口であり、作中の客観的状況としても、千歌の主観的認識としても、作品街の現象面からも一種の『神話』になってしまったμ'sを語る上で、必要かつ適切な見方だったと思います。

そんな神秘的豊かさに包まれつつ、千歌達が出した結論は『μ'sもラブライブも追いかけない』という、『今が最高』な考え方でした。
μ's(そして無印アニメ)の物語は常にありのままの自分に素直に向かい合い、今感じる心の真実だけに突き動かされながら、今しかできない衝動に素直に進んだ物語だった。
その本質だけを受け継いで、Aqoursにしか出来ないAqoursだけの物語を、Aqoursの言葉で語っていくことこそが、μ'sではないAqoursがμ'sの志("ラブライブ"というタイトル)を受け継ぐ上で唯一、誠実な姿勢である。
この結論にも、千歌とAqoursが共に迷ったからこそたどり着ける、客観性と主観性、冷静さと体温の同居が感じ取れます。
μ'sが終わった場所でAqoursが始まるという、『終りと始まりの接合』も、あの結論の親和性/必然性/運命性を高めている印象だな。

そしてμ'sを離れAqoursだけの結論に辿り着いた千歌を祝福するように、天から降りてくる羽根。
二期EDラストカットでμ'sメンバーが拾い上げ、劇場版"僕たちはひとつの光"ラストカットで未来に託したそれが、サンシャインの主人公に禅定されるシーンは、穂乃果とμ'sへの思いを明確に言語化した私室のシーンよりも強く、千歌とサンシャインがどこにたどり着いたかを視聴者に教えてくれます。
それはμ'sの形骸ではなく内実を、過去作の外面ではなくエッセンスを受け継ぎ、己の物語を精一杯語りきろうという決意にたどり着いたからこそ許される、継承の証なのでしょう。


こうしてAqoursはμ'sに近づき、μ'sを感じ、μ'sから離れることでμ'sの後継者となったわけですが、その対比物として"Saint Snow"が再登場しています。
強気な表情を崩さず、『本戦では勝つ』『勝って、A-RISEやμ'sが見た景色が見たい』と言い放った彼女たちは、Aqoursとは違う道を歩く、相当スクールアイドルが好きな女の子たちだと判りました。
初登場時の高飛車な印象が薄れ、余裕のない必死さが真剣さの証明のように見えてくるのは、時間が立って彼女たちを好きになれたからなのか、はたまたAqoursが実力をつけて彼女たちに親しい位置に来たからなのか、なかなか難しいところです。

どっちにしても彼女たちが、自分たちなりの理想を追い求めながら、真剣にスクールアイドルに勤行している女の子たちなのだと分かったのは、凄く良かったです。
まさかの『姉さま』呼びとか、わざわざA-RISEの聖地UDXカフェでお話するミーハーな所とか、細かい隙を的確に見せてくるのがズルいよなぁ……あえて少し見せることで視聴者は想像力を働かせるし、想像するってことは共感するってことだもんな。
ここら辺はストレスの掛かる描写(もしくは描写の不足)を使いこなし、後のカタルシスを何倍にも高めてきたサンシャインの話運びが生きているポイントだと思います。

Aqoursが勝ち自体を求めない路線に言ったので、一見Saint Snowの『勝ちたい』路線は否定されるためのテーゼに感じられます。
しかし彼女たちも勝ちそれ自体ではなく、勝つこと、同じ立場に立つことで見えてくる景色を共有して、憧れに近づきたいという気持ちから、方針を決めています。
そこにあるのはμ'sを理解しようと東京にやってきたAqoursと同じ、凄く純粋で青春まっしぐらな気持ちだと思うわけで、今後ライバルとして立ちふさがるだろうSaint Snowも、彼女たちが選んだ価値も、愛おしく描写してほしいなぁと願ってしまいます。


そんなわけで、フィクションとメタ・フィクション、μ'sとAqoursを行ったり来たりしながら、愛おしきものに近づき離れ、背中を押されるまでの物語でした。
あまりにも多くの思いを寄せられる『ラブライブ』という現象を引き受けたサンシャインが、一体これからどこに行くべきなのか、どこへ行きたいのかというメタな宣言。
それと並列して語られる、千歌のμ'sへの愛、μ'sを追いかけることで見えてくる己の姿と、これからの道。
様々な領域を豊かに捉えつつ、冷静な分析と感情の体温を同居させた、非常にスマートなエピソードだったと思います。

今回無印アニメとサンシャインの関係を語りきり、AqoursAqoursの物語を語ると宣言したことで、サンシャインはようやく始まった、といえます。
しかし一期の放送分は残り一話、全てを語るには当然時間が足らない。
終わるには短く、始めるにはもっと短い最終話をどう使い、何を語ってくるのか。
これまでも僕の想像力を遥かに超えた物語を綴ってきたこのお話、来週語られるひとまずの休符に、あまりにも期待大です。

チア男子!!:第11話『ビタースイート・バレンタイン』感想

最後のいただきに向けてきっちり積み上げていく王道スポ根群像劇、今週は甘くて苦い青春の味。
バレンタインというイベントを軸に、主人公ハルが恋に盛り上がったり人知れず失恋したり姉と和解したり、人生の妙味をたっぷり味わう回でした。
比較的話のペースがゆっくり目で、BREAKERSがどういう日常を共有してここまで来たのか、じっくり感じ取れる語り口が良かったですね。

と言うわけで、いろんなことに悩んできたハルが上がったり下がったり上がったりする回でした。
いやー、千裕ちゃん絡みのミスリードには綺麗にやられてしまって、ハルと同じ顔になってしまった……。
トンのリア充ネタはこれまでも細かく積んできたし、千裕ちゃんがイマイチ踏み込んでこない違和感も、こう利用されると唸るしかない。
前回翔の恋バナを巧く成立させて、んじゃあハルもか!! という機運を盛り上げておいたのも、今回の失恋が心地よいショックを与える、良い土台になってました。
やられてみると結構典型的な展開なんだけども、各要素が凄く納得できる位置に配置されているので、『やられたっ!』っていう驚きと気持ちよさがある、良い見せ方でした。

『好きになった子が、ダチの彼女だった』というのは、ともすればBREAKERSがブレークされるヤバいネタなんですが、チア男子らしい穏やかな着地に落ち着いたのも、凄く良かった。
トンが良いやつだってのはここまで見てれば知ってるし、思い返せばハルの一人相撲だったという描写はあったし、クソ童貞仲間の泥臭い励ましも暖かいし、嫌味なく『これもいい経験、人生の一コマ』として描けるのは、このアニメの強さだなと思います。
何よりハルが真実を知った時の反応の描き方が凄くスマートなコメディになってて、こっちも笑うしかないというか、自然と気持ちが動かされたというか。
正直作画がリッチなアニメではないんだが、勝負して演出意図を伝えないといけないところではパワーのある絵持ってこれるのが、凄く良いと思います。


人生谷あれば山があるもので、メインヒロインだった姉ちゃんとの関係も気持ち良く収まりました。
ハルのシスターコンプレックスは長い時間をかけて丁寧に描写されてきたので、拗れていた関係がまとまるべき所に収まり、お互いがお互いの顔を真っ直ぐ見れるようになった展開には、じんわりとした充実感を覚えました。
これは言いたいんだけども言えないもどかしさ、その奥にある真心を何度も描いてきたからこそ生まれるもんなので、このアニメが持っている『人の良さ』が生み出した、このアニメらしい楽しさだなと思います。

このお話は姉への後ろめたさが最大の問題として描かれ続けてきた、いわば『姉ちゃん、俺はチアをやってるんだよ』と堂々といえるようになるまでの物語です。
全国大会優勝という明確な目標を次回に残しつつ、人格的な成長のピークを非常に判りやすく、爽やかな形で今回に持ってきたのは、凄く心地よい構成でした。
ずーっと言ってほしかった言葉が、しっかり言うべきタイミングを作った上で出てくるのは、やっぱ見てて気持ちいいわ。
そういう真っ直ぐをスカさない強さが、いわゆる『王道』を恥ずかしがらずに走りきっているこのアニメらしいなと思います。

姉弟+カズのわだかまりが溶けたことを、『柔道』という過去に立ち返って見せるシーンも、ベタながら好きなシーンで。
大抵の青春野郎はキラキラした過去に戻りたいと思いつつ、しかし何かが邪魔をして帰れない不自由さに常に悩んでいるわけで、それが取っ払われた後は無邪気な子供のように過去を再演するシーンが来るのは、シンプルで力強い作りだと思います。
これで『姉ちゃんが大事にしているもの』にカズハルが寄り添うシーンは見せたので、後は『弟が大事にしているもの』であるチアの現場に、姉ちゃんが来ると完璧だなぁ。
そしておそらく、このアニメはそういうベタで美味しい見せ場は外さないだろうという信頼感。


主人公の抱え込んだクエストを色々解消していく今回、『兄弟』という接点で鍋島弟やサクの掘り下げも出来たのが、非常に良かったです。
なにぶん人数が多いんで個別に濃いエピソードを与えられなくても、こういう感じでキャラの顔が見えると、気持ち良く話を見れるというか。
カズや翔のエピソードのように真っ正面からぶつかり合う解決もいいけども、今回のようになんとなく時間と場所と志を共有し、隣り合うことで気持ちを落ち着けられる関係ってのも、それはそれで尊いなと思いました。

ゆったりとした展開の中で、メンバー全員がチアで手に入れたものを回想する食事のシーンも、穏やかな温もりがあって良かった。
特にミゾが格言キャラを乗り越え、新しい自分になろうとするのは、『この青年たちに、この物語が何を与えたのか』が非常に分かりやすくて、胸にグッとくる。
最終決戦一個前にこうやって各々が己を振り返るシーンをちゃんと入れると、視聴者も物語を振り返る呼吸を掴むことが出来て、巧く展開にシンクロできますね。

そして最後の最後で、乙女力全開アピールしてキャラを立てたサク。
トンにしてもミゾにしても、『出来ないやつが出来るようになる』カタルシスが気持ちいいアニメなので、コンパクトでもサクが乗り越えるべき課題と、それを乗り越えた後の世界に時間を使ってくれたのは、なかなか良かったです。
他の連中もしみじみと過去を振り返って乗り越えていて、最終回一個前に相応しい空気だったなぁ。


そーんなわけで、クライマックスに向けて少し話のトーンを落とし、しっとりと進める回でした。
ハルの失恋周りは非常に巧妙に組み立てられていて、最高のタイミングで横っ面を殴られる気持ちよさがあったし、そこで少し下げてからの姉との問題を解決するまとめ方も、蓄積を活かしていてよかった。
作品が持ついい意味での泥臭さを最大限発揮して、『らしく』まとめ上げるラス前話だったと思います。

これで主人公が抱えた心残りも解消され、後は一番高い頂に挑むだけとなりました。
BREAKERSが青春をつぎ込んだ成果を、どれだけの説得力で描けるのか。
この青春の一幕を気持ち良く収めるためにも、ステージング表現に注目したいところですね。