イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ヴァイオレット・エヴァーガーデン:第6話『どこかの星空の下で』感想

美しき人形兵器の人生生き直し旅、今週はケーブルカーに揺られて、味も素っ気もない天文修道会への迷い込みであります。
200年に一度訪れる彗星を待ちつつ、普段の手紙とはまた違った趣の、太古の人々が星を見上げた記録を書き記す。
ヴァイオレットにとってはいつもの、掛け替えのない仕事のパートナーとして選ばれた青年は、美しい少女のかんばせに光を、失った母を、女を見る。
ヴァイオレットの胸にぶっとく突き刺さる少佐の思い出に、戦う前にぶっ倒されつつも、孤児故の共感で響き合った二人は、『寂しさ』の意味を教えて、笑顔でまた別れていく。
暗がりの中で母を待ち続けるのではなく、守るもののない光へと踏み出す勇気をくれた人へ、リングに上がることも許されず敗北した青年は、それでも感謝と再会を叫ぶ。
第2話に似た、人間の内部に潜んでいる真実を反射し、引っ張り出す素体としてのヴァイオレットを描きつつ、彼女が知らず放つ光を、三好一郎の圧倒的なセンスが、見事に輝かせていました。


さて、色んな仕事を果たしたヴァイオレットは、すっかり『良きドール』としての生き方が身についてきました。
最初は『任務』と思っていたドールの仕事も、幾多の出会いを繰り返す中で『特別で素晴らしい責務』へと認識が変わり、それをちゃんと言葉で伝えることも出来るようになっている。
前回国家間紛争を事前に回避せしめた大仕事と、高い山の閉鎖された天文台(あるいは私室)で展開する今回の仕事は、その規模も書きしるすモノも異なりますが、バイオレットが感じる価値において、差異はないわけです。

そんな自分を確立しつつ、先週ラストでディートフリート辺境伯に差し込まれた『戦争』の棘は、彼女の胸を刺しています。
第3話以来の登場となったかつての学友(ブルーベルもイベリスも、花の名前ですね)は、ヴァイオレットと同じようにしっかり『良きドール』へと成長していますが、あの場所で繋いだ心は損なわれていない。
ヴァイオレットの心に陰る『殺人者』というそしりを見抜いて、しっかり指摘しますが、ヴァイオレット自身がちゃんと認識できていない(し、先週ラストから断絶がある運びになって、視聴者にも開示されない)問題は、友人にも公開できない。
ドールの仕事を『戦争』のコードに支配された『任務』ではなく、『素晴らしい責務』として捉える『戦後』のコードに翻訳できてはいても、それに相応しい自分になれているかは、まだ自身がないわけです。

ディートフリートが差し込んだ棘は、余り目立つことはありませんが今回そこかしこに顔を出します。
差別主義者の同僚にリオンが侮辱されたとき、『私は大した女ではない』と跳ね除けたのは、彼女らしい真っ直ぐな反射……であると同時に、『素晴らしい責務』を果たせる『素晴らしい私』が、未だ内面化出来ていないからだと思います。
国を背負うような大恋愛を成立させても、失われていく人類の英知を文字に書き記しても、ヴァイオレットは『良きドール』としてではなく、『戦争の犬』として自分を認識し続けている。
そこを乗り越えるためには、対外的な成功や賞賛ではなく、内面的な納得……『愛している』や『寂しい』の意味を知って、人間としての自分を受け入れる必要がある。

そしてそれは、心の真実を相照らすような人々との出会いがあって初めて生まれることを、ここまでの物語でエリカやアイリスやルクリアやお兄ちゃんやローダンセやシャルロッテと出会ったヴァイオレットは、ちゃんと知っている。
ドールの仕事を続けること、果たすことで何を手に入れられるかを、ちゃんと実感できているからこそ、『ドールは任務ではなく、素晴らしい仕事です』とは即答出来るわけです。
そう胸を張って言えるヴァイオレットは、凄く大切なものを沢山旅路の中で回収してきたわけで、そう出来るのならもう『良きドール』なんだけども、そういう実感はまだ中佐と向き合えていない現在、とても遠い。
それくらい、ヴァイオレットにとって少佐は特別な存在なわけです。

今回のお話は、そういう彼女の複雑さ、今いる段階、少佐でなければ込み入った状況を動かすことが出来ない現状を、丁寧に紐解く話です。
運命的に出会ってしまったリオンが、母に捨てられた悲しさを投射して『女の仕事』であるドールを軽蔑し、強がり、向き合い、語り合い、デートに誘い、分かり合い、恋に敗れる話でもある。
リオンが失恋することで、ヴァイオレットには中佐しかいないことを確認する残酷な話なんだけども、でもリオンが『寂しい』の意味を紐解いてやらなければ、ヴァイオレットは絶対に少佐(と、そこに投影されているヴァイオレットの全て)の喪失へとたどり着けない。


ヴァイオレットは話の主体ではなく、あくまでリオンが見つける客体であり、視線と恋を反射することで彼を成長させる美しい鏡です。
この配置はヴァイオレットを、リオンの恋の敗戦に一切かかわらせないことで純粋でいさせ続ける、結構ズルい計算の産物だと思います。

しかしだからといって、この出会いが無駄なわけではない。
最初高い所から、『女の仕事』を軽蔑していたリオンは最後、用意されている柵を乗り越えて、危険と隣り合わせの崖に身を乗り出していく。
リオンはヴァイオレットと出会い、恋を知り、そして敗れる中で、『孤児』という共通点を持った仲間と語らい、世界中を旅するドールの誇り高さを至近距離を知る。
ヴァイオレットがリオンの解読(さすが写本部員)によって、胸の中にわだかまる感情に『寂しい』という名前を付けれたように。
リオンがヴァイオレットと出会い、暗がりから出ることを決意できたことは、けして無駄ではない。

200年周期の彗星のように、ヴァイオレットとリオンはもう出会うことはないのかもしれません。
母と父を尋ねるリオンの旅路が、幸福に終わるかどうかも解らない。
ただ、リオンはヴァイオレットと出会うことで柵を乗り越え、断崖に飛び込んでいく勇気、それを支える尊厳を学んだ。
胸の中に渦を巻く思慕の情を押し込んで、父母の愛を『バカのやること』と嘲笑っていた少年が、そこにある意味を知って自分も、荒野に飛び出す『バカ』にならんと決意できた。
恋の花が種のまましぼんでしまったとしても、その出会いは二人にとって幸福だったと思うわけです。


今回物語を切り取っていく主体は、ヴァイオレットではなくリオンにあります。
第2話でエリカが担当していたような、ヴァイオレットを見つめ、その銀の腕に反射する光に驚き、一歩ずつ近づきながら、自分の心を知っていく歩み。
石造りの天文台(職員の衣装、アーチが目立つ石造りといい、おそらくは元修道院)は、これまでとはうって変わって『花』が画面から排除されるわけですが、それはヴァイオレットという圧倒的な『花』に出会うリオンの主観に、エピソードの焦点が合わされているからでしょう。

元々『特別美しい娘』として描かれているヴァイオレットですが、今回は特に作画力をぎっしり割り振られ、圧倒的な『光』として描かれています。
ヴァイオレットに出会う前のリオンは常に影に向かい、卑しい生まれ(だと思い込まされ)で、母に捨てられた(と思いこんでいる)という自己卑下に包まれています。(それは『戦争の犬』という陰りから抜け出せないヴァイオレットと、実は実を同じくしているわけですが、恋に出会ってしまったリオンはそういう細かい陰影が見えません)
そんな彼は、ロマの旅芸人だった母と同じように『世界を回って、芸をひさぐ』ドールという存在、女という存在を軽蔑することで、自分を保っている。
職員に陰口を叩かれる対象なのに、よく知りもしない『女』を侮蔑することで、プライドと自己を保つ姿勢も、彼が陥っている『闇』なのでしょう。

冴えない男たちと、色彩豊かな女たち(『花』)が綺麗に真ん中で別れる、ホールでの出会い。
自分が陥っている影が、実はそんなに居心地のいいモノではなく、自己防衛のための欺瞞であると感づいているリオンは、ヴァイオレットの顔から視線を逃しています。
しかし、その視線は圧倒的な『光』に吸い寄せられ、美しい少女の美しい瞳が、彼の鎧を一発で撃ち抜く。
惚れちゃったほうが負けなわけで、この時点でリオンくんの敗北は約束されていた、といえます。


二人きりの仕事場に移っても、ヴァイオレットは光り輝く窓際に位置し、リオンは窓から遠い闇の中に身を置く。
強い口調を作り、大人を演じて強制的に指示を出してはいますが、彼の精神は母と別れた子供時代から成長できていない。
だからこそ、影の鎧、嘘の大人っぽさで自分を保とうとするわけですが、ヴァイオレットの銀の腕が晒されるなり、ナイーブで優しい内面がスッと顔を出して、彼はそこから目が離せない。
目の前のある光、あるいは傷を見落とせない繊細なな優しさという意味では、第4話のアイリス、あるいは第5話のシャルロッテに似た描写です。

写本が始まり、400年前の人々が彗星に託した物語を紐解いていくうちに、リオンは『妖精王ラインハルトの嫁取り』と出会います。
母と子を切り離す、残酷な運命に対し、過去の人は妖精物語を添えることで、悲しさを別の意味に読解し、より尊い意味を見つけようとした。
大きな天文台をしつらえ、あるいは人殺しの大砲を作れるようになった現在、それはただのお伽話なのだけども、そこに込められている人間の情、愛別離苦の思いというのは、消えてなくならない。
すくい上げ、書き残す意味が十分にある物語なわけです。
これはリオンがヴァイオレットと交流するうちに母との離別に別の意味を見つけられたこと、あるいはヴァイオレットがリオンと交流するうちに『寂しい』の実感を手に入れられたことと、面白い共鳴をしています。

400年の時間を超えて、人は同じ星を見て、現実の中から物語を解釈する。
それが可能なのは、星を見上げ、消え行く物語をすくい上げる『写本家』という職業に、リオンが付いていたおかげかなと感じると、なかなか面白いですね。
艱難辛苦を乗り越え、旅の果てに言葉を紡ぐドールの責務の中に、旅芸人でありまた、愛の為に旅立っていった母への愛情を重ねて、自分の真意を読み直す。
そういう目の良さと素直さは、たとえ自己卑下と閉鎖性の『闇』で覆われていたとしてもリオンの中にあって、ヴァイオレットという『光』と出会うことで再発見されていく。
そういう『読む主体』『成長する主体』がリオンであることも、今回のエピソードがリオンの一人称で綴られる大きな理由なのかもしれません。


薄暗い夜の中でヴァイオレットと語らい、ドールの尊厳を確認することで、リオンはどんどん『闇』から離れていく。
しかしそれは消えてなくなったわけではなく、図書館で同僚の悪罵を耳にすることで、再び目の前に立ちふさがります。
圧倒的な美術力を背景に、縦の断絶を強調するレイアウトでリオンの孤独、ヴァイオレットとの共鳴を描く構図が、緊張感があって素晴らしいですね。

ヴァイオレットはここでも『光』から一歩も逃げず、同僚のダブル・スタンダードを跳ね返していきます。
ドール……『女の仕事』を性の弄れに接近させてしまう、(たぶん今でもバリバリ健在な)男の視線を前にして一切怯まず、ただただ素直に真実と理論を反射していく。
今回は『女の仕事』と聞いて即座に性を連想してしまう(僕含めた)男たちの浅ましさを、皮肉げな調子で上手く切り取ってきていて、その偏見が女たちの見事な仕事ぶりを通じて弾き返される様子も、細やかに描かれています。
こういう態度が顕になる舞台が、ギリシャの正義の女神である『ユースティーティア(英語で言えばjustice)』なのは、ちょっとおもしろいな。

男たちはヴァイオレットに反射される自分たちの差別意識、理論の破綻をまともに見ることが出来なくて、『話が通じない』と背中を向けてしまいます。
しかしリオンは出会ってしまった『光(あるいは『花』)』に向かって進み、柵を乗り越えます。
ラストシーンで強調される、柵のない断崖への跳躍を準備するように、安全圏から飛び出し、闇に背中を向ける描写は今回、幾重にも重なっていますね。

そこで彼らは、親のいない孤児という立場、そこに寄せられる視線への『怒り』を、相互に反射し合う。
ヴァイオレットの認識としては、いつもどおり感情のない人形として相手の言葉を反射しただけなんだけども、ドールの仕事を立派に果たし続けた彼女には、もう豊かな内面が備わっている。
気づいていないうちに感じ取った怒りを、リオンは指摘するわけだけども、それはリオンもまた感じている怒りなわけで、二人は合わせ鏡の存在として、怒りを『こういう顔だ』と言い合うわけです。

それは不当な差別に対する正当な反応であり、しかしリオンが上手く向き合えなかった感情でもある。
差別を正当に反射するためには、陰りのない『光』を胸に宿す必要があるわけで、それを可能とする自尊心(それはよく知らない『女』を侮辱しないことから生まれる)を獲得する意味でも、ヴァイオレットとの出会いは大事なのでしょう。
綺麗な女、尊敬できる女と出会うことで、そんな彼女を好きになった自分を、リオンもだんだん好きになっていったんじゃないかなぁ……。
それってまぁ、恋の一番素敵な効用でしょう。


『孤児』と『怒り』を共有することで、『闇』は『光』にどんどん近づいていきます。
相変わらず人間と『食事』を共有することを拒むヴァイオレットですが、そのパンは小鳥たちに分け与えられ、弱い者の命を繋いでいる。
さりげない描写なんですが、ここまでの物語、ドールとしての仕事が彼女に何を教えたかを上手く見せてくれていて、とても好きなシーンです。
当然、このシーンでもヴァイオレットは、バリッバリに『光』り輝いてます。

ヴァイオレットは自分を軍人……『戦争』のコードに属する存在として認識しますが、リオンの『読む目』はその陰りを引き剥がして、『ただの女』と言い切ります。
実際、辺境伯がどんな過去を持ち出そうと、ヴァイオレットが『ただの女』(この言い回しが、リオンが『母』に支配されている状況をうまく言い表していて好きです)になり得ていること、そのことが多くの幸福を持ってきていることは、客観的な事実です。
ルクリアが『公開恋文、素晴らしかったわ』と口にするのは、同窓の贔屓目ではなく、社会的に公平な評価……なんですが、やっぱりヴァイオレットは自分を支配する陰りから、なかなか抜け出せない。
自分自身も『闇』に支配されつつ、優秀な『読解者』の目を父から受け継いだリオンは、そういう偏見(それは自己防衛のために、リオン自身が持ち出したものでもある)を乗り越え、真実を見抜けるわけです。

リオンはもう一つの真実……『恋』にも向き合うべく、パンを握ってヴァイオレットを星読に誘います。
握りしめられたパンが膨れ上がり、炸裂する様子が彼の必死さを上手く暗喩していて、非常に巧い(そしてちょっと怒張を思わせて、エロティックでもある)演出です。
必死の誘いは同時に、約束された敗北への十三階段でもあるわけですが、踏み込んで結果を見なければ、旅立つことだって出来やしない。
そういう道に、自分の思いで突き進んでいる感じがあって、コミカルで良いシーンです。

必死の告白の熱さと重たさを、無垢に反射して雲海を見るヴァイオレット。
既にドールとして旅路にある彼女の前には、自由を遮り安全を保証する柵はないし、それを受け取ったリオンもまた、両手を水平方向に大きく広げ、窓際(『光の側』)に近づく。
あのシーンの、ホリゾンタルな雲海の残光を引き継いでいく構成は本当に見事で、『あ、三好一郎』って感じだった。


ルームメイトの恋の惚気を、ぼんやりと聞き流し、あっという間に三日がすぎる。
あの『光』の中の物思いは、彼の脳内がヴァイオレット一色に染まってしまっている状況、このエピソードにおける『ヴァイオレット=光=女=母』という図式を決定的に印象づける、いい絵でした。
時間経過の表現が非常に凝っているこのアニメ、『闇』の中でシャキッと動いては、『光』に包まれ恋に遊ぶリオンの姿も、かなり凝った表現になっていました。
ここまで時の流れを可視化する演出にカロリー入れてるのは、ヴァイオレットを取り巻く世界を時間で満たして、それがヴァイオレットに与えるものを大事にしたいから……だと僕は思うんですが、どうなんでしょうかねぇ。

かくして時がやってきて、夜闇の中で二人は星を見上げる。
ここでリオンがケープをかけていること、ヴァイオレットがスープを受け取っていることは、自分的にはすごく大事なイベントでした。
衣食住を通じて人間の真心を描く演出も、このアニメの中で幾度もリフレインしていますが、リオンはヴァイオレットと触れ合うことで『女』を気遣う優しさを再獲得できているし、手負いの獣だったヴァイオレットもまた、ヒトの手から温かい食事を受け取る程に、人間性を快復させている。
ここまで『他人と食事を取らない』キャラクターだったヴァイオレットが、リオンの手から『温かいスープ』を受け取っただけでも、この二人の出会いは大したものだったのだと、僕は思わされるわけです。

冷たい夜気と星の光に照らされて、二人はお互いの身の上を共有し、心を更に通わせていく。
母に捨てられたと思い込み、『女』を遠ざけ『恋』をバカにしててきたリオンは、恋に恋する『バカ』そのものになって、ヴァイオレットに引き寄せられている。
だから、隠していた身の上を話して共有し、『光』と『闇』が実は双子で、自分の中にも『光』があることを思い出せる。

一見ヴァイオレットだけが『寂しい』の意味を与えられているように見えて、彼女の中の寂しさを精査することで、リオンもまた母に捨てられた『寂しい』とちゃんと向き合い、名前を付けられたのではないか。
あの対話を見ていると、そんなことを考えます。
誰かの思いは、似た誰かの『光』によって照らされ、あるいは反射されることでその真実を明らかにし、向き合うことが可能な形になる。
それは常に双方向であり、相互侵食的であり、光に引き寄せら得れる『男』の一人称で進みつつも、『女』の中に潜む陰りを見落とさない筆が、見事に切り取るところです。

世界と愛との両天秤(ユースティーティアは正義の女神で、天秤を持っています)を問いかけることで、リオンは約束された敗北へと見を躍らせることになります。
それはヴァイオレットにとっては悩むまでもない問いで、彼女の中の愛は、当然世界よりも重い。
ヴァイオレットが『少佐のもの』として探している『愛しているの意味』は、実は既に彼女のものであって、彼女もまた『愛している』の当事者である(から、自分と向き合いさえできれば答えにたどり着ける)ことに、リオンは気づく。
……んだけども、最悪で最高の乱入者で、その真実を伝える瞬間は保留になってしまうのが、リオンくんの悲しいところです。

『寂しい』に出会ったヴァイオレットを見ることで、リオンは彼女の運命ではない自分と同時に、父を運命の人と見込んだ母の思いも、見つけることが出来た。
その瞬間、自分を捨てた母を理解できた(できてしまった)青年は、自分を縛り付ける過去の『闇』から抜け出て、柵を超えて未来に身を投げる覚悟を、固めることが出来たのだと思います。
ヴァイオレットの口から再度語らえる、妖精王の逸話。
別れは悲しみの中ではなく、新たなる祝福の現れであるという、ある種の嘘であり優しさでもある言葉が、その決意を祝福しているようで、とても綺麗です。
ストーリーとドラマもまたある種の『光』なんだと考えると、今回かなりディープな物語論が展開してる感じですね……修道院なシチュエーションと合わせて、"薔薇の名前"みたい。

幾度も繰り返された、『闇』の中で真実の『光』に出会う描写。
この物語のクライマックスを飾るこのシーンでは、世界全てを覆う夜の『闇』を、彗星とオーロラが真っ二つに割る形で、ドラマティックに演出されます。
一つしかない望遠鏡を、ヴァイオレットに譲っているリオンの侠気が、なんとも泣ける……偉い、すげー偉い。


200年周期の彗星のように、もう二度と会えない(かもしれない)二人は、来たときと同じように別れていきます。(ある種偏執狂的に、エピソードの『入る始まり』と『出ていく終わり』を繋げるメソッドは、このアニメの最も特徴的な部分だと思います)
ゴンドラは『闇』から『光』へ、未来の方向へと流れていって、ヴァイオレットは最後まで圧倒的な『光』……その凝集体としての美しい笑顔とともに、リオンの前から去っていく。
リオンもまた、ヴァイオレットが教えてくれた『光』の方へ、断崖を恐れることなく突き進み、飛び込んでいく。

『闇』に覆われていた母への迷妄を抜け出して、母や数多のドール達……旅し、尊厳を持って仕事を果たす『女』への経緯を取り戻して、新しい願いへ漕ぎ出していくだろうリオンの表情は、とても晴れやかです。
そこには恋に負けた悔しさ、自分がヴァイオレットの運命ではなかった切なさが、確かにある。
でもやっぱり、人里離れたこの天文台で二人が出会い、お互いを照らしあえたことが、無意味なものだと僕には思えないのです。

少佐との『成功するロマンス』の前段階として、『失敗するロマンス』をリオン視点で切り取るエピソードとなりました。
それだけだとリオンの哀れさ、純情を利する作者の計算が臭ってしまうわけですが、リオンが『光』に惹きつけられる視線の強烈さ、それが反射することで見えるヴァイオレットの新たな真実が、非常に瑞々しいために。
作品全体を貫く縦軸である『ロマンス』を離れた関係を通じても、男女は非常に美しいものを交換し合えるのだと見せてくれた、とても良いお話でした。
お父さんもお母さんも生きていて、旅路の果てに再開してくれマジ……エピローグで、出会った人すべてのその後描かねぇかなぁ……。

リオンの思いを反射するだけの人形のように見えて、その実写本製作者の確かな目で『寂しさ』(と『愛』)を解読してもらったヴァイオレット。
『男女』だからこそ生まれる偏見の『闇』を超えて、お互いの『光』が乱反射する物語を終えた彼女が、『良きドール』としての自分を心底受け入れる日は、もう遠くない気がします。
そういう幸福を掴み取るために必要な階段を、彼女自身が旅の中で、そこで出会った人との交錯の中で見つけ、積み上げる。
そういう物語の太い芯を、再確認できるエピソードでした。
とても面白かったです、来週も楽しみですね。

スロウスタート:第7話『ぐるぐるのてくび』感想ツイートまとめ

スロウスタート第7話を見る。 シェンツ先生が『見てないやつは”モグリ”』と言ってきた(誇張)ので取り急ぎ見たが、見てないやつはモグリだわ。 前のお話を抑えていないのでざっくりとしか言えないが、舛成コンテとリッチな作画が最高の噛合を見せて、重い話を支える湿度と存在感を作ってきた。

色々凄いんだが、単純な画の作り、重たい象徴を細やかな作画力、綺麗な光の使い方でサラッと見せる料理法の妙味が、まず目につく。 キレイな女たちの、キレイな感情にふさわしく、キレイなアニメを24分仕上げる。凄まじい。画の下支えがあって、陰影の深い感情の重なり合いがどっしり映える。

先生とえーこの分厚い感情(作者が咲部キャプの偉い人だと知って、色々得心がいった)が目立つし、実際その描画の解像度はとんでもないことになってる(コーヒー飲むシーンの、ストールが造る細い影、そこを乗り越える瞬間)が、かむりやはなへの感情投射も見事に果たしていた。

ヘアピンはモテるえーこの撃墜マークであり、彼女の強さ、豊かさの象徴だ。あらゆる人が愛を捧げ、えーこはそれを誇る。 そこから出れる特権は、指輪を選んだかむりと、そっけないクリップを差し出した先生にある。

クリップはハートマークに折りたたまれ、えーこの特別な恋心を反映した特別な象徴になる。しかし、先生はあくまで『ヘアピンの一種』を送った。 かむりは『ヘアピン』から唯一出る。えーこが何を与えられ、何に飽きているかを把握し、そこから一緒に抜け出たいと思っているのは、彼女なのだ。

かむりにとってはエンゲージリング、えーこにとっては小指を飾るアクセサリ。指のサイズは、相互の愛情がいかにすれ違っているかを反映する。 えーこが欲しいアクセサリ、自分の真心を込めた装飾品は、先生の旨を飾るネックレスである。それは赤心を映して青い。

Aパートの細やかな作画から感じ取れる、圧倒的強者としてのえーこ。高校生とは思えない対応で酔っ払いを処理し、適度に距離を取ってプライベートに踏み込める余裕。 それが、最後の最後で決壊する。その瞬間を際だたせるために、あのヌルヌル作画はある。

余裕を壊して、素っ裸の自分のまま駆け寄ってしまうような。撃墜マークを飾る百合のエース・オブ・エースから、撃墜されるただの獲物になってしまう、特別な相手。 そういう無防備さを目撃してしまう特権も、はなにはある。秘密の告白は、完全にアウティングの文法だ。

そこで交換されたのが、恋なのか自己実現の喜びなのか相互理解の歓喜なのか、このアニメは区別しない。 ヘアピンで飾られていない弱いえーこを、全ての感情を飲み込んで共有してくれる距離感を、はなは与えらてしまう、また受け止めもする。それは友情の喜びに満ちている。

そういう感じの話であった。 OPで垣間見える肌触り、こう言って良ければ『いかにもきらら』な仕上がりとは異質な解像度が、多方面に放射される感情を丁寧に受け止め、操作し、一つの大きなうねりを作っていた。巧すぎる。 一話だけ摘んだので不誠実で的外れな感想だが、まぁ凄い。圧倒的だ。

あ、カウンターでの緊張感のある戯れを切り取る時、一切BGMを外して『ナマの女と女』がむき出しで殴り合う感情を『音』で見せてくる演出、マジで二億兆点です。 戯れが終わった瞬間、『いかにもきらら』な音入れて緊張感抜くあたり、完全に掌の上。巧すぎる。

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