イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

パラケルススからニュートンへ

チャールズ・ウェブスター、平凡社ルネサンス期からの百年期に関する科学史の本。サブタイトルは「魔術と科学のはざま」であるが、この本は連続体に関する書物である。パラケルスス「から」ニュートンの本であって、パラケルスス「と」ニュートンの本ではないのだ。この本が扱うのは個別のエピソードとしての魔術師ニュートン、医学者・天文学者パラケルススではなく、その中間に多数存在する、新プラトン主義とオカルト、神智学と正当教理主義、科学と魔術の連続体に関する本である。
つまりそれは、個人名を上げればケプラー、ティコ・ブラーエ、デラ・ミランデラ、ウェブスター、ロジャーとフランシス二人のベーコンなどなどが、いかに科学的=/魔術的思考を共有していたかということであり、彼らが所属する知性集合体としての産声を上げたばかりの「科学」がいかに魔術的思考の元に育まれたかということであり、それを許容する社会がいかに第七王国、新たなるエルサレムという末世的発想に強い影響を受けていたかということである。
これら、ともすれば論証を放棄し無条件に切り捨てるか信仰するかというまさに「魔術」的な諸問題を、この本は徹底的な資料提示、一次資料の相互比較による徹底した読解、そして鋭く輝く言語選択という、「科学」的方法論により記述、分析していく。それは科学と魔術を対立のうちに見るのではなく、現在の我々の思考の枠組みそのものを異化し、教皇権が衰退していく中での神聖/妖霊魔術が実際的な力、魔女を火刑にする力を有していた時代へと我々を連れて行く。
この離れ業は何故に可能なのだろうか。簡単なことである。この本が学術書として優れているからだ。大量の資料提示と的確な分析、曇らない視座と政治的圧力の無い透明な言辞。科学的言論の基礎をしっかりと踏みしめて、この本は魔術と科学のはざまの、混沌とした領域へと切り込んでいく。その切断面は、圧倒的な知性を持って見事で滑らかである。
「科学史においては、プトレマイオス主義とコペルニクス主義の対立よりも早く、ガノレス主義とパラケルスス主義の対立が起こっていた」という卓見を序文に残すこの本は、予言・神聖魔術・妖霊魔術の三章にわたって徹底的に科学と魔術の滑らかな切断面(=接続面)を扱う。この二つの言葉に切断をどうしても感じてしまう我々の脳髄を、徹底的に正式な手続きを以って揺さぶり、強烈にページをめくらせる興奮を生み出させるこの本は、やはり名著というべきだろう。