イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

基底材を猛り狂わせる

ジャック・デリダみすず書房。画家、アルトナン・アルトーのデッサン集において、デリダが書き残したテキスト。さて、いかにしてこの本について語ればいいのか。僕はとても幻惑されたし、正直困惑している。この本は浮遊している。哲学のやりかたで芸術し、芸術のやりかたで精神分析を行い、精神分析の方法で思想を語り、思想の方法論で詩想し……。
このくらいでいいだろう。とにかく、この本にはジャンルがない。永劫に流転するデリダ独特の言語遊びが、ドイツ語→フランス語→日本語という翻訳の過程で踊り狂い、その上でなお、アルトーに関して、そしてアルトーを介して、デリダは的確に語る。基底材について。ひどく浮遊していながら徹底的に確かな存在感を持ち、どのジャンルにも属さない言説ながらけして無視できない力を持つ。
そんなこの本を、どう語るべきなのだろうか。出来の悪い英語読者であり、日本語読者であり、日本語話者であり、そしてフランス語読者でもフランス語話者でもない僕は、この、フランス語という構造に徹底的に依存しながら日本語に翻訳された本について、どう語るべきなのだろうか。
語る必要はない、というのが一つの答えだろう。僕はこの本を読んだのだ。浮遊し、定着し、彷徨い、指し示す、存在そのものが大いなる矛盾である徹底論理を。それだけで十分なのではないかな、とも思う。
何かを語るべきだろう、というが一つの答えだろう。デリダという哲学者について、もしくはアルトーという画家について。しかしここは多分その場所ではないし、僕はそれにふさわしい読者でも筆者でもない。だから、この本について少しだけ語ろう。
この本は詩のように論理的で、哲学のように浮遊していた。それは豊かな読書の経験だった。解らない、と正直にここに書き残しておこう。僕にはこの本が(もしかしたら息をするのを止めるまで)解らない。だが、同時に読み終えたとき、そして何より読み進めているとき、デリダの圧倒的に豊かな、そしてひどく切実な文字達に、確かな興奮を感じたのだ。この本は、面白かったのだ。
無知な僕が語ることが出来るのはこれぐらいであろうから、ここでキーボードを叩く指を止めよう。一つ蛇足を付け加えるなら、デリダは確かな足取りで空を泳ぐことの出来る、稀有な思想家である。そして、この本はデリダの書物だ。