イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

乙嫁語り 4

森薫エンターブレイン。十九世紀くらいのトルキスタン風土記、四巻目。読者にとっての"目"であるスミスの移動に合わせて、中央アジアの風俗を、「嫁」をキーワードに追いかけていく漫画なんだなと、四巻にしてようやく得心。今回はアラル海周辺、今のウズベキスタンカザフスタンあたりのお嫁さんの話。酪農に続き、今回は漁業ですよ。
民族博物学の視座を持ったイギリス人を"目"にするこの漫画は、その舞台・時代選択と合間ってどうしてもオリエンタリズムと無縁ではいられないと思います。が、僕ら読者(と森先生)にとってはエマやシャーリーが示しているように、ヴィクトリアンもまた等しく異国趣味的なフェティッシュの対象であり、称揚と異化よりももっとねっとりとした視点が、この漫画には満ちていると、もう一度感じました。
それはまぁこれが漫画であり、漫画の中でも特に異質な書き込みが行われている漫画であることと無関係ではないと思います。森先生のフェティシズムが、ページの隅々から滲んでいること(そして、四巻までこの漫画を楽しんでいる読者が、それを喜んでいること)は見りゃ解る。描かれたもの、森先生の技量で切り取られたものとしての「漁業ができるアラル海」には、政治的な視座よりもむしろ、ノスタルジーに満ちた窃視の匂いが、濃く漂っています。
今回の双子も「嫁」と言うよりはまずいきいきと「子供」であり、みずみずしい稚気に満ちた可愛らしい仕草の数々は、森先生が「子供であること」をよく観察していることの証左です。その上で、当時の風俗を踏まえて「子供」でありながら彼女らは「嫁」になる。結納金でもめ、愛情以前の価値で取引され、かつ当時の婚姻システムが取りこぼす愛着や感情がそこにはある。そうでないと、二十二話の完成度は生まれない。
そこら辺を取りこぼさないフェティッシュな視点が、やはりこの漫画の一番のパワーではないかと思います。この時代のこの地域を待っている未来はけして明るいものではなく、ロシアを筆頭に植民地主義の足音は聞こえてくるし、戦争の気配もある。そういう暗さも、この漫画の中にはちゃんと写し取られている。そういう誠実さは、しかしながら森先生(と僕等読者)が、己の時間的・性別的・経済的特権に自覚的であることではなく、何よりもまず「描きたい」という欲望に支えられている。(もちろん、森先生はクレバーなので、そのことに自覚的だとは思う。漫画の中でガチャガチャ語らないだけで)
森先生のインクが描き込んでいるのは絨毯の柄や、動物や、漁り船の細やかな描写だけではなくて、そういう部分もひっくるめてだと思います。僕の勝手な読み込みであるかもしれませんが、同時に、こういう前のめりな読み方のできる漫画というのはなかなか稀有で、やっぱり自分はこの漫画がとても好きだなと思います。