イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

百合男子 2

倉田嘘一迅社百合姫の核弾頭、二巻目。百合業界に衝撃が走った一巻刊行から大体一年くらい、あの過剰な本気の男が帰ってきた。あいも変わらず全速力の空回りで、悩み倒す花寺くんの姿は腹痛いが、二巻になってキャラが増え、もしくは既存のキャラを掘り下げ、作品としての厚みが増してきた。ギャグの速度に負けず、しっかり構築するのは非常に凄い。
花寺くんの方は、百合男子連盟の籠目くんが花寺くんのアンチテーゼとして、きっちりとキャラを立ててきた。籠目くんはかなり理想形(というか一般形)の百合男子であり、憎まれ役として出したら共感されちゃったという巻末のエピソードにも納得の、バランスの良いキャラである。百合姫において「オス読者はどうあがこうが迷惑」と言い切る気概もいい。チャラ男な外見の割に、セクシャリズム関係の考察と知識が深すぎるのが、キャラの裏から倉田先生が顔を出している感じがしてとてもいい。
そして百合師匠こと、たっくんの登場。倉田先生は何で、可愛い女の子も濃いオッサンも両方上手いのだろうか。さておき、この人もうまく折り合いを付けた人で、可愛い奥さんも子供もいる。言うなれば、花寺くんのエンディング後の可能性の一つだといえる。それがベストエンドかどうかは、時折たっくんが吐き出すため息を見ると疑問が残るが。
花寺くんが失敗してる理由は現実/虚構の線引きと言うよりも、虚構の中の現実性や、現実に潜んでいる虚構性が(レズビアニズムを虚構として受け取る限りにおいて)相反的ではなく、相補的であるということに無自覚であることにあると思う。花寺くんは多分に理想の虚構に軸を置きすぎ(≒シチュ萌えしすぎ)ていて、自分の好きなものと自分自身の距離感が浮遊してしまっているのではないか。それ故、現実に虚構の好みを持ち込んで人を傷つけたり、反動で虚構から自分を消去しようとして悩んだりする。
「レズビアニズムの中の男性=自身」は「レズビアニズムを虚構として受容する行動」の中で否定できるものではないし、否定したところで存在が消えるわけではない。読者であり作者である私がなければ、「私が好きな百合」というテクスト自体が存在しなくなる。業、と言い換えてもいい。花寺くんが結局百合から逃れられないのは作中でも示されているとおりであり、上手く自分なりの結論を見つけてほしいものだ。(それ以前に、ナマモノ萌えはすっげー迷惑だからやめろ、とは言わない約束だ)
そして百合女子である宮鳥・松岡・藤ヶ谷の三角関係は、カメラ担当である花寺くんがやや歪んでいるため判りにくいが、きっちり百合姫連載っぽい動きで関係を深めてきた。この三人のお話は、オーソドックスな百合漫画の展開を丁寧に踏んでおり(それこそ花寺くんの妄想SSレベルで)、暴走するギャグや加速するジェンダー論にもまけず、この漫画の背骨だと思う。
松岡−藤ヶ谷ラインが順調に強化される中、不穏な動きが見え隠れする宮鳥。「マリーゴールド=嫉妬、濃厚な愛情」「パンジー=物思い、純愛」「ラベンダー=あなたを待っています」として花言葉を取ると、P147からの展開でだいたい見えてくるんじゃなかろうか、と思う。なにぶん百合男子なので、最後の最後で読者と花寺くんの梯子を外してくる可能性がないわけでもないが、今のところは正調に受け取って大丈夫だと思う。
そして今回も絶好調、ハイスピードハイパワーなギャグ。花寺くんのメガネ割芸は更に進化し、ついにセルフ眼鏡破壊の境地に開眼。個人的に一番笑ったのは、消火器で花寺くん殴るところ。まぁ百合なら凶器は消火器ですよね、少女セクト的な意味で。バトル漫画かと思うような大げさなキメゴマや、拳法っぽいポーズも大盤振る舞い。速度あるわー、相変わらず。一環で魅せたコメディ・シリアス・フィクションのバランスの良さ、扱いの巧さをさらに加速させた感じの二巻で、大満足でした。