イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

星川銀座四丁目 3

玄鉄絢芳文社。大人の女性と子供の女性がお互いを好きになって、社会に顔向けしたまま生きていく方法を探していく話だった百合っつーかレズビアン漫画の最終巻。本屋で見かけた時「分厚っ!」と思ったが、つぼみにかかってた期待とそれが終わっちゃった厚みと重量だと思うと、いろいろ感慨もある。まーWeb連載もあるし、悲観的要素ばかりでもないと思おう。
今回は乙女がめんどくせーレズに肉体を狙われるのと、二人の共同生活が別れてくっついて別れてまたくっついて幸せに暮らすまでのお話。巻末で玄鉄先生も言ってましたが、リアルの時間と乙女の成長が同期してたので、巻数が進むにつれて乙女の体はおとなになり、セックスも近づいていく。それは乙女と先生だけではなくて、他に好きな子がいる女の子を好きになっちゃった乙女と同い年の女の子も、そうである。
妙にトーン削りに気合の入った乳尻が印象的なあのシーンはまぁそういう事で、先生が延々自重してた今までの展開と合わせて、時間が移り変わっているのだ、という事だと思う。レズビアンだろうとヘテロだろうと肉体は時間を刻み、社会との立ち位置は変化していく。望みを通すのであれば、対処しなければならないことはある。そういうことに玄鉄先生が真っ向だったから、後半は延々行政手続きやキャリアメイキングと乙女/先生が戦う展開になったんであろう。
これは別に今回はじまった話ではなくて、星川銀座はずーっとそういう話ではあって、ただただそういう時が来た、という事なのでしょう。それを素直に飲み込める描写の蓄積も合ったし、ついにそういう時間が来たか、という感慨も合った。そして百合の文脈で読まれる物語の中でも一二を争う、堅牢な終わりが訪れた時、「ああ、良かったな」という実感がひっそりと湧き上がった。
百合はファンタジー、というのは間違ってもいないし害悪でもない。でもこういう風に、大量の行政書類と社会の枠組みに対応し、「性別を超えて愛し合ってる二人」に酔っ払うことなく、社会の中の彼女たちと、彼女たちにとっての社会を地道に描写し続けた漫画が、こうして終わることができたというのは、かなり豊かなことだと思う。それはレズビアン文学の意味でも漫画読みの文脈でもそうなんだろうけど、何よりも読者としての僕の満足という意味合いが一番大きい。
つまるところ、僕は乙女も先生もとても好きで、好きな人達の恋が上手く行ってほしいものだ、と願う思いそのままにこのお話がまとまって、とても嬉しいのだ。この話はすごく切実な作家性(ある種のエゴイズムと言ってもいいと思う)がまずあって、それを丁寧に丁寧にお話に仕上げつつ、読者の顔を見つつも媚びない位置で歩ききった、なかなか稀有で真面目なバランスの良さを持っている話だ。つまり、いい漫画だったということだ。玄鉄先生、お疲れ様でした。