イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 14/08/10

 

・ ばらかもん
じっとりと見守ってきた、ガラスの二十代島の生活で人生洗い直しアニメも折り返し。
このアニメ、年齢的には半田先生のほうが上なんですが、人間力という意味では島の子らの方が高い位置にいて、先生は常時教えられ成長する立場。
なので今回、質の悪いヤンホモが出てきて下からグイグイ突き上げる話になったのは、島で先生が何を手に入れたかを浮かび上がらせる結果になって、なかなか良かったと思います。

成長譚は成長主体も成長を促すメンターも魅力的でなければ面白く無いのですが、萌え萌え男子である先生も、原涼子さんの快演が光るなるも、そして五島の開放的でおおらかな空気も、よく描けているアニメなんだなぁと再確認。
ゆったり系に見えて、"交流と成長"というテーマも、それをどう書いてどう見せるかというプラニングもしっかりしている、丁寧かつ堅牢な作品だよなぁ。
一話の嫌な奴描写がしっかりしてたという事、そこからの島の描写がゆったりした中確固たる成長を積み上げていたということを確認でき、シリーズ全体を見通す転換点として、よく出来た話でした。

 

・ アルドノア・ゼロ
前回政治的地雷を踏み抜いたスレインくんがソッコー火星サイドを飛び出し、その裏では姫様とイナホくんがスレインくんの勘違いをネタにラブコメイベントを立てていた。
そんな温度差に我慢できなくなったのか、スレインくんが華麗な横殴りデフレクションを決めたところで今回は次回に続く、と。
メイン三人以外では、トラウマおじさんのトラウマ描写が多かったですね。
今回のスレインくんみたいに、カッコイイ逆転ホームランの前振りだと思いたい所。

覚悟を決めたスレインくんがすさまじい大脱出を完遂してたのは、姫様恋しやの思いが強かったのか、火星人全員バカだからか。
今週のビックリドッキリメカこと火星カタクラフトを見るだに、後者の気も少しする。
ロケットパンチて……眷属て……君ぃ(火星ではよくあること)。

ベコベコ人の死ぬ戦争の中で、上っ面貴族主義と中二病をフル回転させる火星貴族はグロテスクで気持ち悪いが、多分狙ってやってるので大丈夫。
スレインくんの加入で、旗色の悪い地球サイドにも波が来るんでしょうか。
……まだ厳しい試合が続きそうだよなぁ、スレインくんだもんなぁ。
鞠戸大尉の今後もひっくるめて、VSロケットパンチ阿修羅後編が楽しみですね。

 

・ ハチャプリ
恋愛強化月間最終回!! ヒメのせいじLOVEは勘違いの吊り橋効果でした! 勘違いってことにしておかないともう収まりつかないからそうしておけ!! 本当にそうかなウフフ? という回でした。
思い返してみりゃもう半分終わってるわけで、この問題を引っ張ったらマジ尺足らないわな。
かなり力技に見えましたが、最後の胸に手を置くシーンの演出が叙情的であり、いい感じに含みをもたせた終わり方になっていたと思います。
アクションシーンの作画も良かったなぁ……せいじサイアークがきっちり空手の動きをしていて素晴らしかったですね。

ハチャプリは要素をたっぷり詰め込んでる話だと思いますが、その中でも大きい話である、だめっこどうぶつことヒメの成長譚。
恋愛強化月間の流れを思い返してみると、恋愛という重要な体験を経て、そこんトコロは大きく強化されたと思います。
むしろ未だ結論の出てないめぐみの方が、微妙に子供っぽいというかなんというか、初期状態と比べるとヒメもずいぶん変わって……という感慨を抱かざるをえない。
ヒメも色々判った上で「勘違いだったんだ! ということにしないとめぐみが傷つく……戯けて身を引いて、二人を応援する立場になろう……」という判断を、無意識にやったのかもしれず、そういう意味でも余韻のある終わり方をさせたのは良かったなぁ。

しかし強引な落とし方に見えるのも確かで、相談を受け助言を授けることでこの着地点に落ち着くよう、常時修正し続けたゆうゆうの陰謀力にも感心。
「昔やった大失恋」って、アレせいじ相手だよなぁ……親友のことが好きな男の子を好きになった先輩として、ヒメに地獄は見せられなかったか。
ゆうゆうはしょっぱなから人格完成度の高いキャラでしたが、今回その背景が少し見えて、人間味とキャラの魅力が増したように思えました。

キャラの魅力という意味では、徹底的に真っ直ぐ行くせいじの好青年っぷりと、相変わらず「まぁ神だからね。恋とか禁止だからね」しか言わねぇブルーのバッドゴッドっぷりも光ってました。
ブルーの足踏みはそこを踏み越えで大団円に繋ぐポイントなので、煮え切らないのはしょうがない……しょうがないんだが、せいじというスーパー優良物件が隣においてあると、「とっとと事情を全部喋れや!」と言いたくなるネ。
それが出来ないならせめてキッチリ失恋させてやれと思うが、まぁ神だからね、人間の恋愛とか判んないよね。
……やっぱクタバレ。

 

・ プリパラ
"世界で一番中学生をダメに出来るアイドル"らぁらが、委員長のお家で両親に紹介される話だった。
冗談抜きに、そろそろ法規制を考えるべきタイミングだと思う。
「楽しいを伝えたい! 幸せを思い出す!!」というヒントで、小学生と遊園地デートするメイキングドラマを考えてくる辺り、委員長マジで手遅れ。
はー……いいなぁ……二歳年下のちっちゃくて純真な女の子の事しか考えられない脳みそに変化した、クールな委員長……すっごくいい……(ウットリ)
いや、「家族との楽しい思い出」があって「夢いっぱいの遊園地」でメイキングドラマってのは解ってるけどね……でもコーヒーカップのシーンでは、薄暗い欲望が見え隠れしてたと思うよお俺は。

今週もボケっぱなしの拾わないギャグが冴え渡り、ストレートで分かりやすいテーマを伝え、女児アニのお手本みたいな展開……ギャグ関係はちと違うかもしれんが。
同時に、みれぃの実家の描き方が問題の少ない穏やかなものだった辺り、菱田プリリズから森脇プリパラへの大きな変化を感じ取った。
プリリズだったら、確実に片親家庭だったと思うね、委員長の家族配置は。

しかしこれは明るく楽しいプリパラであり、アイドルという夢は抑圧されず認知と補助を受けているし、両親も「ああ……喧嘩の後は仲良くなっちゃうってそういう……」って感じだし、最初に下げることで上げる余地を作る菱田イズムと、徹底的に画面のテンションを上げて視聴者を"ツッコミ役"として画面に引き込む森脇イズムが、よく対比された回だと個人的には思った。
そして、ドラマとコメディはジャンルの違いであって、作品の優劣では勿論なく、明るく楽しいプリパラは最高に面白い。
同じである、趣旨を貫徹しているということは魅力的であり、同じように違うということ、作品や製作者によって表現されるテーマやその方法が変化するということもまた、魅力的なのだ。


それはさておき、六話目で課題曲のターンが終了して新曲でしたが、三重野瞳の電波曲アンテナフルスロットルという感じのキチガイ曲で素晴らしかったです。
プリパラになってからファンに対する目線の表現力(アイドル用語でいうところのいわゆる"爆レス"加減)が上がっているように思えて、「らぁらちゃんがいまこっち見た!」という感覚をライブシーンで与えられているのは、アイドルアニメーションの表現として重要なところだ。
そういう「ファンがドキッとするポイント」を説明ではなく描写出来ているのならば、今後らぁらとみれい(と多分そふぃ)が歩むアイドル成り上がりロードに、強い説得力が生まれるからだ。
台詞ではなく画面で積み上げられる映像作品は、何時でも強い。

アイドル成り上がりストーリーとしては最初の山は「そふぃの加入」になると思うが、今回ライブ後の描写を見るだに、適切に進みそう。
主人公たちとそふぃがしっかり話すシーンはまだないのに、ナチュラルに干物な中身描写とクール&スパイシーなアイドル描写の落差とか、「お花さんや蜥蜴さんにも話しかけてしまう純真なそふぃ様を世間の荒波と燃料切れから守りたい!!」という親衛隊の熱意が、ちゃんと描写されている。
おかげで、既に視聴者がソフィに好感を持っているという巧さが、プリパラにはあると思ってます。
面白い奴は嫌いになれないからなぁ……こういう所、コメディの強さを感じる。
キチガイ部分だけじゃなくて、こういう土台がしっかりしてるからこそ面白いんだろうなぁ。
やっぱ面白いっすわ、プリパラ。


・ FREE
『県大会個人戦、もしくは橘真琴という名前の緑色の目をした怪物』という感じの回でした。
同じ所をグルグル回っているようで時間は行き過ぎ、あっという間に県大会。
個人戦でも県予選を突破させることで、岩鳶の面々の成長を見せる……話なのかなぁ。
とりあえず、各競技ごとに異なる身体操作法をシッカリ作画した水泳シーンは、もしかすっと二期で一番良かった。
平泳ぎの力強く水をキャッチする感じ、クロールのテンポの早い息継ぎ、中距離特有のラスト5メートルの酸素欠乏。
本当に、水泳シーンの作画は圧倒的に臨場感がある。

最初に演出の話をしますと、今回は"目線"を特に重点した演出が冴え渡っておりました。
にとりの成長を「アイツが頑張ったんです。俺は何もしていない」と言い切る凛を、頼もしそうに見つめる御子柴兄の信頼の目線。
前回のいいエピソードを引き継ぐ形で、初めて息子の晴れ舞台を見に来た両親に向ける渚の目線。
所々でねっとりと絡みつく、熱を秘めた宗介の凛への目線。
そして、夕焼けの中で「本気でやってくれ」と伝えた時には正面から交わっていて、それを伝えられて以降は逸らされ続ける、真琴と遥の目線。
元々濃厚な情念や人間関係を、セリフでは無しに身体表現で叩きつけてくるアニメではあるのですが、今回は特にその傾向が強かったように感じます。


そうやって"目線"の感情表現力をフルに回転させた上で、あのシーンがやってくるわけです。
己は天才に劣るとこれ以上ないほど痛感し、その背中を守り後をついていくことを最初から任じていた男が、それでも真剣勝負を申し込み、ぶつかり、負けた後のシーン。
一瞬伏せた目線から涙が流れ、満面の笑みで「負けたー!」と叫ぶシーンです。

あのシーンは大会前日の夕方から遥と真琴の目線が交わらない、ピリピリとした勝負の空気が宿っているからこそ成立する開放のシーンであり、同時に橘真琴というキャラクターの非常に複雑な内面がかいま見えるシーンです。
今回の緊張感の前提になっている「真剣勝負の申し込み」は、真琴から言い出したものであり、岩鳶水泳部での色々を経て少しは変化したとはいえ、現状に満足し変化を望まない遥からは、けして切りだされることのない申し出でした。
卒業という避け得ない変化を前にして、「何故か」真剣勝負を申し込んだ真琴にとって、この勝負はけして軽いものではなく、それは冒頭怜が言っていた「橘先輩は200に絞って~」という台詞からも伺える。
それにもかかわらず、彼は負けたことを喜ぶ。
もしくは、喜んでいるかのように己を装う。

この奇っ怪な行動はつまり『橘真琴にとって、七瀬遙は神である』ということなのだと思います。
その才能に惚れ込み、けして追い抜けないことに納得しつつ支え続けた、憧れそのもの。
まがりなりとも苦しい思いをしながら続けている、水泳という競技そのもの。
人間の姿をとった概念。
橘真琴にとって、恐らく七瀬遙という存在はそういう存在に近い。
そのことを、あの笑顔で僕は確信しました。
その上で、二人の距離感を狂信でも崇拝でもなく、「良い友人」に保てるところが、彼が怪物たる所以でもあると。
しかし七瀬遙はただの学生であり、卒業という社会的リミットに抗えず、世界レベルの水泳という競技的頂点に辿り着くことも出来ないかもしれない。

避けようのない時間的限界が迫る中、神様と人間の間で不安定に揺れ続ける橘真琴の中の七瀬遙に、一つの定位を与えること。
それが今回、真琴が真剣勝負を挑んだ理由だったのではないでしょうか。
仮に自分が負けた場合、作中でも描かれたように、遥は今までそうであったように、けして自分の手の届かない永遠の憧れであり、崇拝可能な概念でもある。
今まで通り、狂信を秘めたまま「良い友人」として付き合い続けることが出来る。

そして、神様に勝ってしまった場合の付き合い方も、真琴の中では覚悟が決まっていたんじゃないかなぁ、と僕は思います。
神様に勝つということ、憧れを自分の手で地面に叩き落とすということは、恐らく無いだろうが競技である以上あり得る、そして起こし得る事象として、真琴の中では定義されていたはずです。

そうでなければ、形の上だけ勝負を挑んで確実に負ければ良い。
「200に絞って」練習し続け、曲りなりとも地方予選レベルまで自由形を仕上げる必要など、何処にもない。
勝つつもりはないが、負けてしまうことも出来ない。
橘真琴の今回の立場は、彼の中の七瀬遙と同じように、2つの極を行ったり来たりする非常に不安定なものだった。
だから、彼自身も理由がわからない(もしくは、理由がわからないと外的に演じ続けた)まま、勝負を挑む形になったのだと、僕は思います。

もし仮に真琴が勝っていた場合、彼は「良い友人」を続けるだけだとおもいます。
彼が今回真剣勝負を挑んだ理由が、不安定な状況を定位することならば、勝っても負けても、七瀬遙が神に落ち着いても人間に落ち着いても、2つの極の内どちらに落ちても、目的は達成される。
恐らく、凡人・橘真琴程度に負ける七瀬遙を人間として受け止め、それに必要な立ち回りをするでしょう。
それが可能な程度には、彼は頭が良すぎる。
そこも、橘真琴の怪物性の発露だと思っています。

そういう非常に複層的な経緯を経てでも勝負を挑まなければならない存在として七瀬遙を認識し、実際に最後までやり切る橘真琴は怪物ですが、同時に非常に誠実な怪物でもある。
もう少し彼が狡い存在(もしくは大人)ならば、この複雑さに決着を付けず飲み込んで便利に生きていくことも出来るのでしょうが、彼は勝負を挑んだ。
それはやっぱり、Free! という物語が青春の季節を舞台にしている理由、青春の季節が舞台でならなければならない必然性の、一つの証明なんじゃないかと思います。


そして、二極の中間でフラフラし、天才を信じつつも苛立ち追いかけ続けている存在はこのアニメにもう一人います。
山崎宗介もまた緑色の瞳を持っている所に、Free! 製作陣の実力と意地の悪さを勝手に感じていますが、彼の物語は当然まだまだ安定しない。
既に物語の要素を使ってしまった一期メンバーの代わりに、お話の原動力になることを期待され、舞台に上がったのだから当然です。
今回非常に複雑な切断面を見せ付け、鮮烈に己の中の葛藤に勝手にけりを付けた真琴の物語を見てしまうと、彼の抱え込んでいる葛藤もまた、美しい物語として提示されることを期待してしまいます。

いやほんと今回、真琴というキャラクターの奥が何層にも描写されてて、死ぬほど悔しいというか認めたくねぇけどこのアニメすげぇわと思った。
素直に「俺……やっぱFree!京アニ好きじゃんよ……」と言えりゃいいんですが、何だかんだ一期終盤のインパクトはあまりに大きく、素直に諸手を挙げて萌え萌え出来ねぇ! しねぇ!! という意固地な部分がどうしても無くなってくれません。
そういう面倒くささを撤回する気がなくても、今回は重たくねっとりとしていて、それでいて誠実な今回、凄く良かったです。