イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 14/09/21

・ 残響のテロル
残響のテロルも終盤戦、表舞台からのスピンアウトレースに一番乗りしたのはハイブさん、つーかメリケンさんでした。
内ゲバした挙句なんか納得して自害されたけど、まぁハイブさんがいいならそれで。
共通の敵を作ることでW主人公とWヒロインの距離が縮むという仕事は、それなりにしていたと思うよ。
他の仕事の達成率はまァそのなんだ、キチ過ぎててよく判んねぇなと。

主人公の片割れナインは相変わらず柴崎さん好きすぎであり、なんであんなに全幅の信頼を置いているのかという最後の謎は、今回も解らずじまい。
今回打ち上げたアトミックバルーン以上に重要な謎だとは思うので、最後の最後で明かされるのだろう。
その信頼の一割位をハイブさんに与えてあげていれば……いいや、言うまい。

一方もう一人の主人公ツエルブは、心ポッキリ折れて女とデズニーランド行って、発破かけられたので結局男に走った。
ブレないナインに比べて、キミ無茶苦茶ゆらゆらだな。
ゆらゆら帝国だな。
そういう立場だからいいけど。
前回に引き続き"鍵"は日常の象徴として巧く使われていて、リサかナインか悩むところで玩弄していたのは、切なさがあって良かったネ。

どう見ても妖怪な政界の黒幕は出てくるし、原爆はTOKIOの空を泳ぐし、クライマックスフェイズは続行という感じ。
遂に死人出すのを躊躇わなくなったこと含めて、ああ終わるのですねという感じを受けます。
……こりゃスピンクス両方死ぬなぁ……柴崎さんも。

 

・ 普通の女子高生が【ろこどる】やってみた。
2014年7月期アニメ、最終回一番乗りはローカルアイドルに青春を賭けた女の子たちの物語でした。
目鼻立ちのクッキリした作りが特徴的な作品らしく、最終エピソードに三話使い、ゆったりとテーマを昇華してリッチな読後感とともに終わることが出来ました。
いやー素晴らしいアニメだった。

前回のタメを活用する形で、ほぼステージ&ステージ捌けにまるまる一話使う形で展開した最終回。
実は流川ガールズ、アクティングの回数自体はそんなに多くなく、結成直後にぶっつけで突っ込んだプールでのステージと、デパート屋上でのライブくらい。
作画もそんなに気合の入ったものではなく、むしろ不格好さを強調する形で演出されていました。

翻って、今までの集大成となる今回は曲は新曲、尺はフル、作画は回想静止画挟みつつも一番は完全に動かしたクオリティの高いモノでした。
彼女たちは流川市というローカルな場所に奉職する存在であり、同時に歌舞音曲で自己を表現するアイドルでもあるわけで、"普通の女子高生"が"ローカル"な"アイドル"として一端になる成長譚である以上、その成果物としてこのステージに全てぶっこむのは非常に正しい。
最終エピソードの出だしとなった前々回、完成なった新曲をぶった切ってこちらを焦らした効果が、最高のタイミングで発揮されていたと思います。

このお話は完璧超人(クソレズ、時々ポンコツ)なゆかり先輩に比べて、どうにも凡俗で"普通"な奈々子が如何にして人を引きつける"普通ではない"アイドルになるのか、というお話でもあったわけで、その成長の説得力としても、ラストステージの長回しで見せるしかない展開。
そこでしっかり欲しいモノが欲しいタイミングで出てくるというのはやはり一種の奇跡であり、感謝してもしきれないと思います。
クソマネジが「アイドルは可愛げ」というドル論できっちり纏めたところも引っ括めて、本当に収まりのいいお話でした。


ステージ自体の仕上がり・盛り上がりも素敵でしたが、このアニメが凄いと断言できるのは、ステージ捌け、本当の終わりのタイミングで、彼女たちを流川に帰還させた所です。
あんなに人情のある『とっとと帰れ』は初めて見たわけで、そういうフレッシュな瞬間を作れてるアニメは、やっぱ強いなと感心。
思い返せば一話からしてダダ滑りする奈々子に反応してくれた世界なので、優しい世界のまま終わってくれるのは、とても嬉しいものです。

アイドルを扱った創作においてゴールとされるのは『一番』であることが多いわけですが、ローカルアイドルという角度からアイドルを切り取ったこのアニメにおいて、「勝ちより大事なものがある」というテーマを明確に打ち出したステージ後の展開は、自分たちが何を作っているか圧倒的に解りすぎているクリアな作りで、とても良かったです。
そもそもにおいて勝負論から外れたアニメではあるのですが、最終イベントの熱気に流されず、自分たちのホームに作品をしっかり戻して終わるというのは、とても豊かで、大切なことだと思います。
そういう構成が出来るのも、作品全体で何を画面に写すべきか、圧倒的に明確かつ的確だった証明だといえるでしょう。

"アイドル"の部分でも"ローカル"の部分でもはっきりと答えを出したこのアニメ、"女子高生"の部分でもブレずにやりきっていたと思います。
クソレズことゆかり先輩が菜々子の思わぬ反撃でアワアワするのはいつもの事として、気持ちのいい人格をした女の子たちが、ろこどるという活動の中に全力で飛び込み、お互い支えあって"何か"になるという軸は、非常に強靭でした。
このアニメが強いのは「この子たちは気持ちのよい子ですよ」「この子たちはろこどるに真剣ですよ」「この子たちの活動は実を結んでいますよ」というサインを、言葉ではなく描写でしっかりやっていることなのですが、最終回でもそこは怠けておらず、本番前にお互いの心音を聴き合うところだとか、ステージ上で手をつなぐ描写だとか、「ゆにこお前……ほんま有難う!」と言わざるを得なかった。
イヤ、ゆにこ先生だけでこのアニメ作ってるわけじゃないけどさ……でも流川市がアファーマティブ・アクションに積極的な街(政治的に正しい言い回し)になったのは、確実にゆにこ先生の働きだと思う。


振り返ってみると、『"普通"の"女子高生"が【"ろこ""どる"】やってみた。』というタイトルに含まれる要素、全てに手を抜くことなく、丁寧に走りきった名作だと思います。
他作品を引き合いに出すのもアレですけど、WUGがやるべき(そしてやらなかった)ことの半分は、ろこどるが完全にやり切っていたと思います。(もう半分は少ハリがやります)
作品で面白いところは何で、それを見せるためには何を画面に写し、何を喋らせ、何を起こすべきなのか。
それがはっきり見えていて、しっかりとアニメに出来る作品は、やはりとても好きです。
とても良く出来たアニメーションであり、こう言うアニメが見れることは幸せだと思います。
ろこどる、良いアニメでした。

 

・ アイカツ
100話続いてきた星宮いちご主人公のアイカツ、その最終話。
……なんですが、正直なんか色々頭ン中でグルグルしちゃって、単純な評価ができない感じ。
書きつつまとめていく感じで、今回のお話を振り返ってみたいと思います。

"星宮いちご主人公のアイカツ、その最終話"と出だしで書いておいて何なんですが、今回その物語を終えたのはどう考えても美月さんで、いろんなキャラクターにスポットライトを降った回ではあったけど、やはり神崎美月のための回だったなぁ、というのが個人的な感想です。
最後の演説でマイク貰った時の会場の空気の変わり方が露骨すぎるとか、アンタがトロフィー渡すんかい! いやアンタ以外ないけど!! とか、個別のシーンでも美味しい所を貰ってましたけど、どちらかと言うと勝敗のレトリックそれ自体が神崎美月を軸にした展開だったなぁ、と。

美月さんはいちごちゃんがアイドルに憧れる起因として作中に登場し、以来百話負けなし、アイカツ世界の天井として常時君臨し続けた、まさに無敵無敗の存在です。
丁度一年前の一期最終話に於いても、結局いちごちゃんは美月さんに勝てないという結末を迎えていました。
いちごちゃんほど成功した主人公が一年間の説得力を積んでも、なお勝てない存在としての神崎美月を、しかし二年目は負けさせなければならない。
その為には、ある程度以上のロジックが必要になります。

そのために用意されたのが『アイカツの未来』であり、これから先を常に語り続ける2WingSの二人、負けてなお新しい夢のその先を見つけたみくるに対し、美月さんの夢は「星宮次第」なわけです。
ステージを終えてなお周囲に気を配る余力を残したWMと、すべてを出し切って完全燃焼した2WingSの対比は分かりやすく、『アイカツの未来』に辿り着くために今此処を走りきったチームが勝つ理由を見せています。
つまり、今まで神崎美月という無敵の存在を見てきた僕らが最初に考える「みくるがいたから負けた」というロジックではなく、終わることを求め追いつかれることを望み続けた美月さんこそが、今回の初の敗北の理由である、ということです。
いちごちゃんに『アイカツの未来』というテーマを与えたのは美月さん自身であり、それを自らは手にすることなく、それを手に入れた2wingSによって背中を刺されるというこの展開は、皮肉でもあり綺麗な構図でもあると思います。
一期から星宮いちごが自分に並び立つ求め続け、しかし霧矢あおいという比翼の鳥がいちごには存在し、それ故けして二人は並び立つことがなく、夏樹みくるという異質の存在を手に入れて初めて己の欠損を埋めたという、神崎美月の歴編を含めて。

さらに言えば『憧れていたマスカレードを超える』という夢を自分のステージで達成してしまった美月さんは、夢のその先、自分にとっての『アイカツの未来』が無かったということなのかもしれません。
いちごちゃんが美月さんに憧れてアイドルになり、美月さんの先を探してアメリカに向かい、セイラとともに美月さんを超えた運動の総量を考えると、二年間前進を続けてようやく、亀がウサギに追いついたという形でしょうか。
改めて、神崎美月というキャラクターの重力を感じます。


二期終盤の美月さんにはどこか悲壮感というか、追いつかれ終わることを望む気配が漂っていたように感じていました。
それは今回の敗北を導くための伏線でもあり、そういうムードをしっかり作ることできっちりとエンドマークを付ける、物語のコントロール手法でもあるでしょう。
しかしながら、未だ16歳の少女でありながらアイカツそのものを目指して自分を追い込み、アイカツ! という概念へと変化せんという気概すら感じさせる彼女に、一時の休息を与える目的があったのではないかと、僕は妄想するわけです。

この形でしか神崎美月は負けることが出来なかっただろうし、もし美月さんが「ああ、追いつかれてもいいや」と思えたのなら、それはやはり夏樹みくるという人間との交流があってこその事だとは思います。
そういう意味合いにおいて、神崎美月は夏樹みくるを知って弱くなったのであり、人間に戻ったのだとも言えるでしょう。
そして、それは神崎美月という少女にとってはとても良いことだし、アイドルとしての神崎美月にとっても善いことかなと、何だかんだ美月さんが好きな僕は思います。
本当に前回・今回とWMの関係性描写は急速に肌理の細かさを増しており、神崎美月はトライスターでは得ることの出来なかった距離感をようやく手に入れたのだ、と納得できる間合いがドシドシ出てきて、死ぬかと思いました。

 

さて、"神崎美月が負ける理由"に関しては納得行ったのですが、"2Wingsが勝つ理由"については、どうにも完全燃焼とは言いかねる気持ちが、僕の中にあります。
これには色々理由があると思いますが、一つは彼女らが勝った理由である『アイカツの未来』がイマイチ姿の見えないものであるということ。
あかりちゃんが『アイカツの未来』を象徴するだけの存在として使えればまた話は別なのですが、彼女はアイカツ!というIPを背負って三年目の主役を果たす大任があるので、背負わせる訳にはいかなかったのでしょう。
何より、最終決戦は2WingSのステージであり、『アイカツの未来』とは即ちいちごとセイラの未来にほかならない以上、あかりちゃんに代返してもらってOKとはならないわけです。

ここら辺は切れ味の良い個別エピソードをほとんど手に入れられず、結果としてキャラの掘り下げが足らなかったのが大きな理由かと思います。
95話『夢の咲く場所』はドリアカの存在理由まで俎上に載せた名エピソードなのですが、惜しむべきはやはり遅かった。
あの話で描かれた『音城セイラを此処まで連れてきたモノ』に最大限のリスペクトを払ったインタビューは、本当に素晴らしいものだと思いますが、それはあくまで過去に続いている道。
アイカツの未来』が音城セイラの先に続く物語である以上、それを生み出す現在のセイラを掘り下げきれなかった構成は、長い影を落としてると言わざるを得ません。

ついでで言っておくと、いちごちゃんは逆に一期で物語的な要素を完遂しきってしまった感すらあり、第一話で見せた「神崎美月のようなアイドルになる」という未来を達成しきってしまったが故に、なかなか『アイドルの未来』が見えてこないという贅沢な悩みを抱えていたと思います。
二期は本当に、あまりに完璧に自身の物語を終えてしまった星宮いちごという少女の、惑星のような存在重力に囚われた話であり、その影響が色んな所で歪を呼んだなぁと言わざるをえない。
そういう意味でも、"持っていない"あかりちゃんにバトンタッチするのはベストな選択だと思います。


これはキャラクターの話から離れますが、ステージ自体の説得力が薄めだったのも、"勝つ"理由付けとしては弱い部分だったかと思います。
無論アイカツのステージ表現は最高峰に美麗かつ挑戦的ですし、例えば89話『あこがれは永遠に』においてエピソードの要素全てを使い切ったステージングなど、個別のエピソードを表現するメディアとして申し分のない仕上がりを誇っています。
が、例えばプリティーリズムRLにおける『Sevendays Love, Sevendays Friend』の圧倒的な「勝てない」感じだとか、ラブライブ!二期における『Snow halationの圧倒的な「勝つ」説得力を、今回のステージは持っていなかった。
これはステージそれ自体のクオリティではなく、物語的な盛り上がりとステージの説得力を重ねあわせるシンクロニシティの問題です。

人間のネガティブな側面を軽やかに回避し続けることで、その魅力を保っているアイカツ!世界では、泥臭く薄暗い勝負に賭ける執念はなかなか描写できません。
それ故にあかりちゃんの各エピソード(80話、96話、97話)が異彩を放つわけですが、逆に言えば、正統派競技エピソードと言えるあかりちゃんのお話が浮いて見えるほど、アイカツは泥臭い要素を丁寧に除去し、スマートな話作りに徹していたということです。
そして、そのスマートさ、汗を描くときも必ず綺麗な汗、涙を書くときは苦い涙を畫かないストレスコントロールの圧倒的な巧さが、土壇場で背中を刺したのかな、と思いました。

あくまで絵であるアニメのステージ表現は身体性に欠け、どんなに美麗に繊細に丁寧に仕上げても、単品では物語的説得力に欠けてしまう特性を持っていると、僕は考えています。
背中を炙られるような焦燥、出来ないことへの焦りと薄暗い感情はネガティブだからこそ、丁寧に描写することで達成の快感を視聴者に与えることが出来、達成の場としてのステージに画面に移っている以上の説得力を与える。
2wingSのラストステージには、涙と汗で作られた滑走路が足らないように感じました。
これは劇作のスタイルの問題であり、アイカツ!の徹底的かつ巧妙なストレスコントロールが引っ張ってくる利点と、背中合わせの弱さなんだろうと思います。
そういう意味では、美月さんとの決着を敗北で終わらせ勝負論のステージを廃棄し、あくまであおい姐さんとの心の距離感一本に絞って、その切迫感と痛みと甘さを描くことに注力しきった一期最終話の"やり切った感じ"は、アイカツの強さだけで作られた最終回だったのかもしれません。


あおい姐さんの話が出たので書いておきますが、今回懇親の作画で描かれたあおい姐さん泣き笑いのシーンを見て、ようやく答えが出た一つの疑問があります。
「なんでソレイユ復活させて負けさせたん?」「なんであおい姐さんではなくてセイラなん?」という疑問です。
いちごとあおいがあまりに完成されたキャラクターだからこそ、あの二人の絆が万能すぎて、物語を解決するならまずあの二人からというのが、アイカツを見続けた視聴者が考える素直な感想だと思います。
しかし、それは作中の流れで否定され、結局2WingSという解決策で物語は終局したわけです。

「一期と同じことやってもしょうが無いから」というのが一つの答えだと思うのですが、では二期特有の答えとはなにか。
友達でも幼馴染では絶対に獲得できない、別の学校のライバルだからこそお互いを高め合える関係性。
それが神崎美月に勝利する鍵であり、二期が出したアイドルの答えなのでしょう。
それに合致しない、いちごと仲の良すぎるあおい姐さんは、解決のための補佐役にはなれても、物語終末の当事者にはなれない。
これはきぃちゃんも同じです。

「友達ではなくライバルとだからこそ、辿り着ける場所がある」「私と違うアナタだからこそ、お互い高め合える」というのは思い返してみれば、二期作中で何度も台詞で言われていたテーマではあります。
がしかし、そういう関係性を画面で描写できていたのかなぁと思い返すと、僕個人の胸にはあまり届かなかった題目だなぁと言わざるを得ません。
二期前半のVSドリアカ戦で多発した引き分けの『大人の事情』感や、早々に"スターライト学園人工島分校"になってしまったドリアカの物語的立場などを考えると、『ドリアカ=ライバル=友達ではたどり着けない場所に引っ張り上げる仲間』という構図は、どうしても描けなかった。
スターライトのアイドル達とドリアカの子達は、何度セイラが「あなたがドなら私はレ!」と言っても、どう見ても仲の良い友達でしかなく、質的な差異は感じられませんでした。

ここら辺は、先程述べたストレスコントロールの徹底と、その反動としての泥臭さの欠如が生んでいる感覚なのかもしれません。
ライバルというなら妬みや怒り、憎悪といった負の感情を抱いてしかるべきなのかもしれませんが、アイカツにそれは似合わないし、基本的に存在は許されません。
アイカツが気持ちよく見れる番組なのは、負の感情が全て自分に向かい、他者を蔑することがほぼないという部分にあるわけで、それを維持するための引き分けであり、友達感覚が最優先するライバル関係だったのかなぁ、と。


こうして見返すと"一期でいちごとあおいを筆頭とする親愛に満ちた友情関係を描き切った(描き切ってしまった)が故に、二期では別の答えを探す必要があり、それをライバル関係に求めつつ、作品世界が抱え込む泥臭さの欠如でテーマへの説得力に欠けてしまった"という印象になります。
親愛が世界する美しくて優しい世界、『私と似ているアナタ』を描く作品としてアイカツは圧倒的に優れていると思いますが、その延長線上で『私とは違うアナタ』を描いてしまったことで、色々な齟齬が起きたのかなぁ、と。
『私と似ているアナタ』の描き方は相変わらず優しく的確であるが故に、正直な感想を言えば「惜しい、そして難しい」というところです。
一期と同じテーマをもう一年続けても意味が無いと僕自身も思いますし、意図的にテーマを切り替えた勇気は賞賛されるべきだとも感じます。

ただでさえキャラクターが増え、ゲームとの連動要素も増え、少ない尺で的確にキャラクターを描写した上で一期キャラクターとの掛け合いも入れる。
IPとして昇竜の如く飛び抜けたが故に、非常にタフな要請が二期アイカツには課せられていたと思います。
しかし二期の個別エピソードは、一期で見せた圧倒的な仕上がりを維持しているわけで、奇跡の持続を僕は望んでしまうわけです。
それが高望みであり、奇跡はめったに起きないから奇跡だということを僕は知っていますが、想定される仕上がりに無責任に甘えたくなる強さを、アイカツというアニメは持っていると思います。
ここら辺は、一視聴者の勝手な思い入れなわけですけどね。


作中何度も繰り返されたように、アイカツは終わりません。
あかりちゃんに主人公を変えて、三年目が放送されます。
しかし、神崎美月と星宮いちごの物語は、やはり今回のエピソードで終わった。
様々な困難を抱え続けた音城セイラの物語も、少ない話数ながら己のテーマを完遂した夏樹みくるの物語も、今回で終わったのです。

残り一話は、その始末であり、アイカツを終わらせないための引き継ぎ作業でもあるでしょう。
エンドマークのその先を、僕は楽しみにしています。
アイカツの二年間は、その最後の24分間、何が画面に映るかで完成すると思うので。