イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 14/10/24

・ 柩姫のチャイカ:第3話『迷夢憶えし港』
二話使って状況説明を終えて、本筋開始という感じの第三話。
露骨にドクター・モローの島っぽい所にチャイカが集う、その下準備を行う回でした。
テキパキ話を先に進めつつ、細かく笑いとアクションを入れるチャイカらしい話でした。


複数主人公の運命が絡みあう姿がチャイカの魅力の一つだと思いますが、今回はすごい勢いでチームがシャッフルされており、今後の煮込みに期待が持てそう。
この状況を作るためにフレドリカがまた死んでて、お前は天膳殿かと突っ込みたくなるレベルの死に芸に、涙が止まらない。
ぜってぇ死んでない退場だった隊長もうっそり復活してて、さてはてどうなることやらですね。

 

・ 四月は君の嘘:第3話『春の中』
♪生き急げ生き急げ!  滑っても転んでも何とかさ 生き急げ生き急げ! 引っ掛けても崩れても何とかさ ネ!  と、オーケンも思わず『人生は大車輪』をがなり立てるくらい、ヒロインが主人公の横っ面を張り飛ばし、背中を突っつき続けて舞台に上げるまでのお話。
バスの描写と階段登りしんどそうな様子を見るに、かをりちゃんの背中を押しているのは死病かねぇ……。
友人Aと嘯きつつも、あそこまで過剰なプッシュを仕掛けるのは、才能は才能を知るということは、後先短い蝋燭は火の付いていないガソリンを見過ごせないのか、はたまた恋か。
かをりちゃんの異常な執着の理由は、色んな角度から取れる見せ方をしてくれていて、とても良いですね。


今回のお話、公生くんが『何故ピアノを弾かないか』の説明と、『それを突破する方法』の説明、そして何より『突破して世界はどう変わるのか』という、3つの要素で構成されているお話でした。
『何故ピアノを弾かないのか』はこれでもかとばかりに閉じた演出を多用して、ジグジグとうずく中学3年生の内面を濃い目に見せてました。
モノローグの多用で内面世界をゴリゴリと見せてくるのは、少年ハリウッドに似てる印象。
表現と青春をテーマにする時、繊細すぎるほど細やかに揺れる心のなかは、解りやすく見せんといけないんだろうなぁ。

『それを突破する方法』に関しては、ハイテンションかつコミカルにつっつき回すことで、弾かない理由の重苦しさを抜きつつ、かをりちゃんがメインで担当。
才能にまつわる話なので、「理屈はどうでもいい。お前は弾け。お前のために、私のために弾け」というゴリ押しは凄く正しいと思う。
かをりちゃんが理屈抜きに人を引きつける天才であるように、公正くんもまた、只の人間メトロノームではない才覚を持っているのだろうし。
それ故、かをりちゃんが異常な執着を見せているんだろうしなぁ。
そこら辺、情で動いてる凡人(と書くとなんかネガティブな印象ですが、それゆえに圧倒的に尊い)椿ちゃんが、「公正は弾かなくてもいい」と言っているのとは好対照ですな。

『突破して世界はどう変わるのか』については、第一話で”モノクロームの世界”を徹底的に印象づけていた成果が出て、非常に良く刺さるエンドカットだったと思います。
気になる女の子に出会い、一度捨てて捨てられたピアノを拾いなおして、世界に色がつく。
このアニメ、絵の作り方も引っくるめた叙情性のまとめ方が凄くスマートかつ効果的なので、素直で真っ直ぐな構成が効いてくる作りになってると思いますね。


そんなこんなで、中学3年生の人生に、もう一度アクセルを吹かす準備は整った。
次週本番の舞台なわけですが、さて一波乱あるのか無いのか……ここまで正統派青春絵巻だと、おもいっきり波被せた上で引っ張りあげるよね多分。
とても楽しみです。

 

・ 神撃のバハムート:第3話『Fog of Nebelville』
一話・二話とキャラ&世界観の紹介に尺を使ったので、実質初となるまとまったエピソード。
ハンマーヘッドことカイザルに焦点を当てつつ、ザッピングを駆使して各勢力の様子なんかも見せる回。
でもメインは、ゾンビと幼女と人情。
正しい三題噺だ。

このアニメ、分かりやすい説明を入れなくても動きと表情で大体の人となりが見えてくるつー、非常に贅沢なアニメなわけですが、言葉で説明したほうが早いところは台詞でやる。
今回で言えばカイザルの過去語りでして、その長口上が同時に、うんざり顔をしつつ最後まで聞いているリタの心情を写す鏡にもなっている。
一つのシーンに複数の仕事を任せることが出来ると映像は豊かな表現を宿すし、音響まで引っくるめた映像が豊かだと画面に練り込めた情報はグイッと胸に迫ってくる。
リタの心情を語らず、しかし想像できるヒントはこれでもかと出すことで、視聴者がキャラの心情に踏み込んでいく導線を引いているのはさすがとしか言いようが無いです。
創作物が目指すべき幸福な共犯関係が、非常にスマートな形でシーンに纏まっているつうのは、まぁ滅多にないことであり、サイゲームス様には足を向けて寝れません。

今までフォーカスされていたファバロ&アーミラコンビは、今回は話を展開させる脇に徹して……というには、身振り手振り視線仕草で見せる感情表現の量が多すぎる。
それはけして過分というわけではなく、どーでもいい仕草に凝りに凝るからこそ、キャラが活きて立ち上がってくる見せ方もあるわけで。
そして今回の二人に関して言えば、例えばボウガンを扱う仕草だとか、街に突入する準備の滑らかさだとか、ハンサを追いかけるアミーラ嬢の屈託の無さだとか、どーでもいい仕草に凝ったからこそ見えた部分が沢山あるわけです。
リタのほうが賞金高いはずなのに、手にかけずにカイザルに任せているトス上げの巧さとかね。
こういうのは深夜アニメに願っても滅多に叶わない(叶えるためのコストが高いので、ソッコー切り捨てられる)要素なんで、このアニメで見ることが出来るのは盲亀の浮木優曇華の花、有難い限りです。

アクションシーンもただワクワクするだけではなく、幻術解除のギミックを仕込んでいたり、ファバロの荒い邪剣と対比する形でカイザルの真っ当な剣術を見せていたり、キャラ表現として仕事をしていました。
そういうロジカルな部分だけではなく、”ただワクワクする”つー皮膚感覚的な部分の仕上がりがいいのが、このアニメのアクションの強さだよなぁ。
何も考えなくても面白いからスルッと入ってきて、画面に写ってるキャラがどういう奴なのかみてれば判るという、一見普通のように思える離れ業。

今回顔を見せたのは何もカイザルとその新しい相棒リタだけではなく、『ファンタジー股旅物』というお話全体の構図も、視聴者に提示された回だったと思います。
霧に包まれた怪しげな村、書物を抱えた年を取らない女、破綻と決断、そして再生。
24分に過不足なくドラマを収めつつ、ファバロ-アミーラ組と一緒にお話を支えるカイザル-リタ組を印象づけ、『この後、だいたいこんな感じのお話をやります』という教科書として、非常に優れた回でした。
いやー、面白くて手堅いなぁ、このアニメ。

 

・ アイカツ:第105話『はじけるヒラメキ☆』
新主人公三人組のお披露目が終わって、あかりちゃんの初仕事……と思わせておいて、その成功をひなきちゃんにトスする、変則ひなきちゃん回。
あかりちゃんは半年前から画面に映っていたわけで、熱いうちに叩かなきゃいけないひなきちゃんにお話を回したのは、なかなかグッドな判断だと思います。
しかしまぁ、相変わらずアイカツは飛ばせるタイミングではガンガン飛ばすな。

ポンクレのお仕事であかりちゃんの武器を、後半グロスのお仕事でひなきちゃんの欠落(とその充足)をそれぞれ見せる構成でしたが、仕事に対するそれぞれの熟練度もよく見れて、コンパクトでスマートな作りだったと思います。
あかりちゃんの武器は発想力と行動力、それと新鮮さ! というのは常々描写された部分であり、これを活かしてポスター撮りも大成功! とするのは、その結実として『クレープを食べちゃう』という茶目っ気の在る具体的な行動を見せたのもあって、説得力の在る流れになっていました。
そこに辿り着くまでのすみれ&ひなきサポートをしっかり見せているのは、いかにもアイカツらしい。
後ジョニーな……ホンマ、どこまでも信頼できる男やで別府……。

サポートという意味では、一期の美月さんを露骨に踏襲しつつ、友達では上げられないトスを師匠ポジからキッチリだしてくるいちごちゃんは、メンターとして美味しい位置にいるなぁ。
二年間の蓄積もあって、先輩風をガンガン吹かしてOKな空気あるし。
対峙するシーンでもいちごちゃんは体を怠けさせないように足踏み続けているのに対し、あかりちゃんは油断して足を止めちゃってるわけで、此処らへんでも演出の細かさは感じるね。


グイグイくるひなきちゃんが目立ってはいるんだけど、スミレちゃんも熟慮の上でコンパクトな言葉を使っているだけで、しっかり友達を支えている。
しかしまぁ、一時期蘭ちゃんさんやセイラが頷きマシーンと化していた時代もあっただけに、自分を引っ込めてしまう優しさは、劇作の上では危険物なんだろうなぁ。
今回で言うと「ひなきちゃん、なんて言おうとしたのかな」とか「見て、風が気持ちよさそう」とか好きなんスけどね。
いきなり投げつけられたポエム全開の寝言を、「(風……? 行き詰まってる私を気にして、気分転換してこいってことかな……)」と、正しく受け取るあかりちゃんも引っ括めて。

アイカツ三期は万能の天才を作らないよう、キャラの能力上限を結構厳しく守っている感じがあって、ぶっちゃけあかりちゃんはバカで周りが見えないように(そしてそれ故、何かを手に入れられるように)描写されている。
しかしそれではお話が壁にぶつかってしまうので、スミレちゃんが知恵担当として何かに気づき、ひっそりあかりちゃんの方向修正をしている印象です。
「見てみたいな、そういうひなきちゃん」とかね。
万能の天才星宮いちごが(時々壁にぶつかりつつも基本)自力で全てを踏破してきた一年目とは違う話を、それぞれ欠けた部分のある三主人公で展開していく感じなのかなぁ。

とは言うもののぶっちゃけもっと目立って欲しいのも事実なので、ひなきちゃんとスミレちゃんが仲良くなる話が早く欲しい。
いやね……あの『友達の友達』の生々しい距離感、好きだけどちょっとだけシンドいんよ。


一方先達としてトスを上げまくっていたひなきちゃん、後半はトスを受ける立場に。
前半から細かく表情の変化をつけて、自分にはないあかりちゃんの光に魅入られている様子をしっかり描いていました。
今回のCGステージもそうなんですが、ひなきちゃんのチャームポイントは、クルクル変化する表情だと感じます。
それは必ずしもポジティブな意味合いだけを持っているのではなく、例えば「王道のチョイスですよね、安心します」と言われた時の苦笑いみたいな、微妙な苦さも含んでいる。
そういう顔をする女の子が描けているのは、とても豊かなアニメだと思うわけです。

ひなきちゃんのトラウマたる事故は、誰も悪くないのに結果としてひなきちゃんの才能に蓋をする結果になるという、なんとも生々しいもの。
事故それ自体ではなく、それをキッカケに周囲の大人に心配させないよう立ち回り始めたというのは、ひなきちゃんが持ってる感受性と優しさを表す、良い演出でした。
彼女の持ってる徳目は非常にプロデューサーに向いていて、その片鱗はED曲の良い点を語る口調のロジカルさに出ていたと思います。
ショートカットに活発な印象、くるくる変わる表情という記号に、思慮深い分析系の内面載せてるのは面白いキャラですよね、ひなきちゃん。

彼女が持っている長所を描いた上で、時にはその徳目を思い切って踏み越えてでも、自分の願いを伝えたほうが良い結果が出るという落とし所は、常時感性のままに突っ走るあかりちゃんを持ち上げる効果もあって非常にグッド。
ウッカリすると松岡修造が控室の扉を蹴破って「どーしてそこで踏みとどまる! どーしてそこで自分を出さない!! やりたいんだろ! じゃあやればいいだろ!! やれば絶対出来るんだから、やってみろよ!!!」と説教を始めかねない抑えこみ加減でしたが、スミレちゃんのアシストもあって、自発的行動へとスムーズに導けていました。
ここら辺、あかりちゃんの我武者羅イズムが形を結ばない苦難を、事前に見せている(第96&97話)から出る説得力だと思います。

ひなきちゃんの『周りに迷惑がかかるから、思いつきをやらない』というのは大人の発想で、あかりちゃんの『とにかく思いついたことは全部やる』というのは、子供の特権。
彼女らはアイドルとして大人に囲まれて仕事をしつつ、同時に学生でもある。
中学1年生という年齢から言っても大人と子供の中間地点にいるわけで、今回ひなきちゃんが選んだ道は、『無理くり大人になろうとしている自分を、子供に戻す』という意味合いもあったのかなぁ。

今回ひなきが進めた一歩は『自分のベストを、周りの大人に提案してみる』という、言ってみれば小さなもの。
でも、彼女が表情を曇らすのが常に内面の問題である以上、こうして小さな成功を積み上げて突破していくしか無い問題でもある。
アイカツ三年目、意識して全体的なスケールを小さくして、細やかな問題に取り組んでいくのかなぁと感じたお話でした。
繊細で優しくてアイカツらしくて、とても良かったです。

 

・ アイカツ:『オズの魔法使い』と絡めた妄想
アイカツ三年目はメルヒェンモチーフということで、童話や昔話が衣装に取り入れられてるわけですが。
主人公三人組はオズの魔法使いなのかなぁ、とか思ったりした。
とは言っても、ドロシーでもトトでもなく、三人のお付の方。

・ 思慮や知識が足らないまま、天性の勢いと新鮮さを武器に走り続けるカカシ
・ 周囲を笑顔にしたいと願いつつ、そのやり方が解らないブリキの木こり
・ 周りが見えるからこそ、自分を出していく勇気が持てない金髪のライオン
という並びは、まんま主人公三人なのかな、と。

オズ本編においてお付が抱えているコンプレックスはしかし、その実本人の隠された資質によって既に解消されている問題でもあります。
「心がない」と嘆く木こりはカナブンを踏んづけた程度で顎が錆びるほど泣くし、巨大な崖を飛び越えたのは勇気がないはずのライオンだし、様々な困難で知恵を思いつくのは頭がないはずのカカシです。
つまり、内的な問題解決の糸口は常に既に用意されているのであって、空から唐突に何かが降ってきて事態が変化する(それこそ、ドロシーが魔女を殺した時のように)わけではない。
おうちがいちばん」という結語には、そういう意味も含まれていると思います。

これまでの四話で見えてきたアイカツ三年目の主人公たちは、星宮いちごという完璧すぎる天才の物語を終え、それとは違うアプローチでシリーズを掘り下げていくためか、明確な欠損が与えられています。
同時にそれを乗り越えるための糸口は常に彼女らの中にあり、しかしそれは一人では気付くことが出来ない。
スミレちゃんもひなきちゃんも、あかりちゃんと接触することで自分の中にある徳目に気づき、なりたい自分に一歩ずつ近づいているわけです。
そういうアプローチの仕方も引っ括めて、オズっぽいなぁと思いました。
そこら辺は、お互い優れたお伽話であるが故共通するところかなぁ。


とは言うものの、全く異なるポイントも当然在るわけで、アイカツ世界に帰るべきカンサスはないわけです。
オズ本編において”帰還”というのは物語全体を貫く強烈なモティベーションですが、スターライト学園は全寮制であり、家族は必要に応じて画面に出てくるものの、常時側にいる存在ではない。
正月や夏休みの帰郷も本来あるべき場所への"帰還"ではけしてなく、帰るべきなのは永遠につづく御伽の国、アイカツ!という夢を追いかけるスターライト学園なわけです。

ドロシーが主役足りえるのは彼女がカンサスから来た客人だからなわけですが、その立場にいたいちごちゃんは、二年目最終話で魔女に勝って、自分自身魔女になってしまった。
少女が魔女になれた。もしくはならざるを得なかったのは、アイカツ!世界がアイドルの外側をあまり意識しない世界であり、(ガーデニングというもう一つの魔法を、迷わず選択した夏樹みくるという例外はあれど)非常に丁寧に構築された夢の国だからでしょう。
灰色で面白くもないカンサスに帰らなければいけないのは、アイカツ!世界を一時楽しんで活力を貰い浮世を泳いでいる僕達というのは、ちと歪み過ぎた視線でしょうが。

特に理由もなく魔女の祝福を受け、瑕疵なくアイドルとして完成した星宮いちごに対し、三年目の主役たちは傷だらけで、魔法の国を走り抜けるドロシー足り得ないようにも思えます。
しかし星宮いちご自身が二年間の時間を使って魔法使いに変化したように、己に眠っている徳目に気づき、もしくは友人の助けによって気付かされることで、三人の主人公もまた、アイドルとして完成していく。
自分たちが欠損だけを持ったお付ではなく、主人公たるドロシーでもあり、観客を魔法にかける魔女でもあること、そしてそれが既に備わった徳目であることを再発見していく。
三年目のアイカツは、そういうお話になるんじゃないかなぁ(もしくは、なって欲しいなぁ)と思っています。
そういえば、原作のオズでも三人のお付は全員、各々の王国を手に入れる終わり方でしたね。

さてはてこの妄想、伸るか反るか。
それは、これからのアイカツを見ていれば判ることであります。