イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 15/02/17

・アルドノアゼロ:第18話『深い森を抜けて —The Rose and the Ring—』
火星のバカとバカと、地球の賢い子がお互いの道をひた走るアニメも十八話目。
中身の方は『イナホくんの生身でレーザー級3分クッキング』『スレインくんの前髪野郎ぶっ殺し祭り』『偽姫さまの面倒くさい恋路』と言った感じ。
一分でインコちゃんに埋まった地雷を撤去するイナホくんと、長尺で最悪手を打つスレインくんとの差に、各々のカルマを感じる。

今回のイナホ無双は戦場セッティングが凝っていて、イナホ以外の人間にも存在意義があって、見ていて楽しい戦闘だった。
地球VS火星戦闘は、小理屈くっついてくる所が対怪獣戦っぽくて好きです。
しかしライエは姫様不在の間に、ヒロインポイント荒稼ぎしまくりだな。

火星の人たちは相変わらず恋愛喜劇と内ゲバに忙しく、ついにスレイン帝国樹立ですわ。
偽姫さまが画面に映るたび『この子はどう足掻いても幸せになれない子なんですー!!』と力説されて、すんごいションボリした気分になる。
今回二号で妥協したことで、一号がイナホマンのところに行く道筋が立っている辺り、ホントスレインくんのやることは一時的に成功してトータル最悪だな!!
そういう星に生まれちゃったんだから、まぁしょうがねぇ。

姫様が起きたのか寝返りなのか、イマイチ判んないヒキでしたが、直近でないにせよそのうち目覚めるのは道理。
捻れた二人の男の運命が交錯するなら姫様が繋ぎになるのは確定なので、さてはてどうなることやら。
そしてマズゥールカ卿の楽しい地球旅行はどこまで続くのか……俺あの人好きだから、終戦まで旅してくれていいけど。

 

・幸腹グラフィティ:第6話『あつあつ、もちもち。』
『これが隠喩というのであれば、詩学というものは存在しない』とアリストテレスが墓場から復活して宣言してもおかしくないくらいに、直線的表現に塗れた欲望の回。
見ながら何回『ああ……○○ってそういう……』ってつぶやいたか判んないくらい、まー解りやすい性的モチーフに満ちた映像だった。
中身の方は『中坊二人が暑さにかまけて自堕落に過ごす』というだけで、特に言うことはねぇ。
あの二人は早う、籠目女学校に転校した方がいい。(少女セクトではきーちゃん×思信が好きマン)

今回は思うようにアクセル踏みまくったお話で、このぐらい本音剥き出しのほうがやっぱおもしれーなこのアニメ! と思った。
なんの前触れも躊躇いもなく風呂場で裸体を晒しあう欲望の落とし子どもにも驚くが、放埒なるオルギアが終わった後やって来て、布団を敷いて帰る椎名の都合のいい女っぷりにもビビる。
あの立ち位置を椎名が許容しているのは、便利な使われ方に文句をいうよりはるかに不健全だと思う。
リョウときりんの爛れた関係に入り込むには、あの位置しか無いのかもしれんが。

『風呂場で=本来食事を取る場所でなく』『裸で=本来食事を摂る服装でもなく』という二重の逸脱が発生していた白くて冷たい棒状の物体捕食シーンであるが、こっちの想像より二人はズブズブだって見せつける意味では、有効なシーンだったかもしれん。
あのまま放っておいたら際限なくダメになっていきそうな感じもあるので、まがりなりともゆる系日常という『ジャンルの殻』を守るためにも、椎名は必要なんだろうな。
その殻に甘えきって、演出でも脚本もやりたい放題し放題なのが、自分がこのアニメが好きな理由であります。

 

・夜ノヤッターマン:第6話『冬に咲く花』
4話はどん底、5話はギャグ回。
落差激しい夜ッターマンロードムービー編ですが、今回は優しいおじさん達が革命の狼煙を上げる回。
ドロンボー一味の継承者』というロールプレイの外側に出て、一個人として変革を求める流れを巧く演出していました。
同時に決意には犠牲が付きまとうことを、ラベンダーおじさんの死を通じて見せてもいて、甘いだけではないヒーロー物語だなと再確認。

いつも一緒のドロンボー一味ですが、今回はかなり強引にバラバラにして、『三人が一緒にいることの意味』を再確認する展開。
離れてみて初めて見えるものはあるわけで、折り返しのタイミングで再定義を行うのは、とてもいいと思いました。
新生ドロンジョ一味は、レパード・ヴォルト・エレパントゥスという無力な個人が、何とか無理くり強がっているヒーローなわけで、命が関わってくると本名呼びになる所とか良かった。
やっぱ俺は優しいおじさん二人が好きだなぁ、このアニメ。
トンズラーがずーっとアル背負ってるのがね、好き。

再定義したのは一味が戦う理由もそうで、此処に『お約束』に関係ないラベンダーおじさんが関与しているのが、主人公たちの戦いが世界の問題だという感じがして、とても良い。
おじさんの死はレパードちゃんの反逆が呼び起こした結果でもあり、しかし他の群衆のように石を握らず生き延びる道もあった以上、おじさん個人の決定の結果でもある。
ドロンジョ一味はこの世界の真ん中であり、彼女らが動けば世界が動く起因になる。
その結果として手に入れるものもあるし、失われるものもある。
ラベンダーおじさんは物語の力学をよく見せてくれた、いいキャラクターだったと思います。
『ラベンダーの花言葉』というモチーフの詩情が、グイグイ話を引っ張るのがイイすね。

憎々しい悪役として仕事しまくってるゴロー将軍も、背負っている物語をチラホラ見せてきました。
犬を連れていることといい、記憶の惑乱といい、ガッちゃん&アリエットの家族なのは間違いない。
タツノコアニメで敵味方に別れた家族とは、またキツイ一発が腹に入りそうな要素ですが、上手く使ってくれるといいな。

状況の再定義、逆境からの勝利、新たなる目標。
今までの話で見せてきたお話全体を綺麗に整備しなおし、新しい場所に旅立つ気概を満たすという、整ったエピソードでした。
革命的悪役集団として立ち上がったドロンボー一味、その反撃に期待大です。

 

アイドルマスターシンデレラガールズ:第6話『Finally, our day has come!』
六話目にしてやって来た、跨ぎ前提で下がったまま終わる回。
とは言うものの、上がる兆しはそこかしこに在るという、相変わらずなストレスコントロールの巧さが見える回でもある。
前後編になるので最終的な判断は次回を見てから、となりますが、この段階で感じたことをつらつらと書いていきます。

今回の話は本田未央が『アイドル辞める!』と言う回であり、次回『やっぱアイドル続ける!』となるべく、その兆しを色々バラ撒く回でもあります。
お話を大雑把に分けると『ニュージェネレーションが失敗する話』『プロデューサーが失敗する話』そして『ラブライカが成功する話』の3つに分割でき、それぞれをよく見ると別に失敗はしていないということも、分かってくる作りだと思います。
本田さんが受けているダメージ、彼女の言葉でプロデューサーが受けたダメージ、その姿を見て凛ちゃんが受けたダメージ、それぞれの連鎖と表現が上手いので、なかなか胸に刺さる終わり方をしていて、それに目を取られがちではあるのですが。


本田さんは今回、出だしからニュージェネレーションのリーダーを自認し、積極的に活動し、浮かれ、抱いていたイメージと現実との差に打ちのめされて『アイドル辞める!』と宣言します。
常に自信がなく、頑張る以外のやり方を知らない島村卯月。
自分のペースを崩さず、まだアツくなれるものを探している途中の渋谷凛。
それぞれ異なった理由ではありますが、ニュージェネレーションの内二人は、あまり前に出る人物ではない。
フロントに立ってムードを盛り上げ、前進する勢いを付けるのは自然、本田未央の仕事になります。
『いつも元気な、物語の牽引役』という仕事は、彼女が登場した瞬間からずーっと担当しているロールです。

しかし『いつも元気な、物語の牽引役』は三話で一度崩れかかり、普段の陽気さの内側にある空疎さを見せています。
何も知らないが故に自然体で事態を受け入れている凛とも、アイドルという夢に溺死しつつソロレッスンをこなす強さを持っている卯月とも違う、心理的重圧に耐えられない軽さ。
習っていないダンスも結構上手くこなせるし、友人との人間関係も適切に泳ぎ切る、それなりになんでも出来てしまう本田未央は、それ故に脆い。

三話では仲間と先輩、そして今回本田さんを傷つける結果になったプロデューサーの支援で踏ん張り、夢の様な舞台に立つことが出来たわけですが、その成功体験が仇になるのは、非常に皮肉かつ巧い作りです。
あのシーンに感動し夢を見たのは視聴者も同じはずで、本田さんが見ていた『大きすぎる成功のイメージ』は、少なからず僕らのイメージでもある。
三話視聴後に甘く夢見た『全てが順当で、バンバン成功しまくるサクセスストーリー』という夢想は、五話の前川さんの獅子吼でヒビが入り、今回の本田さんの絶叫で大きくダメージを追うわけです。
『この話を、そうそう甘く創るつもりもないよ』という製作者のパンチは、本田さんがそうであるように、三話の成功があるからこそ効くわけです。

更に言えば、ステージが持っている魔力に幻惑され、魅了されたが故に今回の『失敗』があるという描き方は、ステージアクティングを扱う作品としてとても重要です。
『この世界には、アイドルしか存在を許されていない』というのは、第1話からずっと続くこのアニメの世界律ですが、それを成り立たせるためには『アイドルが目指す場所』は魔的なまでの引力を持った、圧倒的に特別な場所でなければならない。
そこに引き寄せられて輝くと同時に、手痛い火傷もするという描き方は、表現のために/中で成長していく少女のお話として、絶対に必要でしょう。

ニュージェネレーションの人間関係の中で、自分が担当するべき役割を見据える賢さと、必要とされるロールモデルを受け入れる優しさを、本田未央は持っているのだと、僕は思います。
それは、「今日の結果は当然のものです」とプロデューサーに言われ、ステージが失敗しニュージェネレーションが失敗し、本田未央が失敗した(と彼女が思い込んだ)時、一番最初に出た言葉が「私がリーダーだったから?」というものだったことからも、見て取れます。
心に傷を負い失敗の理由を探す時、もしリーダーという自分の立場を当然視しているのなら、この言葉は出てこないでしょう。
彼女は、おそらく三角形の先頭に立って走る自分に、常に疑問を感じ不安を覚えつつ、『それが自分に出来る事だから』『それを自分がやるべきだから』と言い聞かせながら、リーダーを担当してきたんじゃないでしょうか。

 

このようにして本田未央は『失敗』するわけですが、しかし疑問が2つほど出てきます。
一つは、この『失敗』は本田さんだけのものなのか、というもの。
もう一つは、そもそもこれは『失敗』なのか、というもの。
この2つの疑問は、アナスタシアと新田美波のユニット『ラブライカ』に焦点を合わすことで、ある程度の答えが見えてきます。
先取りしてしまえば、この疑問への答えは両方共『否』です。

過大な成功のイメージを先取りする形で、今回のニュージェネレーションは『ステージの先』『ステージの外側』について語り続けます。
今回のステージが成功して、アイドルとして有名になったその『先』を夢見たからこそ、等身大のステージとの落差に傷つき、本田さんは『アイドル辞める!』と叫ぶ。
これを成立させるべく、例えば私服のシーンであるとか、私室の描写であるとか、『ステージの外側』の描写が、ニュージェネレーションには非常に多かったです。
これには無論、群像劇の中でも特別な役割、主人公格たる三人の描写を深めていく目的もあるんでしょうが、本田さんをリーダーにして『ステージの外側』を見てしまっているニュージェネレーションの視点を、カメラがトレースする目的も大きいように思えます。


これに対して、ラブライカの二人は、徹底して『私』の領域がない。
彼女らが画面に映るのはラジオの収録、ダンスレッスン、衣装合わせ。
ジャージかステージ衣装という戦闘服での登場がとても多く、私的な会話もタイトに切り詰められています。
彼女たちの視界には『ステージの先』『ステージの外側』はなく、「ちゃんと気持ちを伝えたかった」からラジオ用の受け答え練習をする。
三昧境にも似た真っ直ぐかつ視野の狭い入り方で、彼女たちは初めてのステージに向かいます。

その狭い視界には、しかしお互いの姿がしっかり写っている。
ステージを前に緊張する新田さんに、年下のアナスタシアが声をかける姿は、4年という歳の差を気にしない、戦友のような繋がりが彼女たちの中にあることを感じさせる描写です。
彼女たちの初舞台は少しの不安と目いっぱいの期待を宿して始まり、高い集中力を感じさせる描写で進みます。
曲が始まるなり挨拶の時とは全く違った表情を見せ、キビキビとした大きい振付で踊る彼女たちは、立派にステージアクトを遂行しています。


それは、けして『失敗』ではない。
本田未央にとっては少なすぎると思えた観客の数も、彼女たちにはマイナスにはならないわけです。
観客の姿が眼に入っていないわけではなく、精一杯準備をし三昧に取り組んだ結果として、自分たちに出来る最高のパフォーマンスを完遂したのならば、今の自分達を、それを見てくれる観客たちを、素直に祝福できるのです。
それ故、彼女たちはバックステージで感極まり、満足した表情でお互いを言祝ぐわけです。
それはやはり、『成功』の姿だと言えます

そして、『成功』したラブライカが常にニュージェネレーションと並列して描写されており、新田美波とアナスタシアが積み上げた努力を、同じようにニュージェネレーションも蓄積してきたのだと見せている以上、同じように彼女たちも『成功』する要素はあった。
ステージの場所も同じ、観客の入りに差があるわけでもない。
同じものを準備し、同じ場所に立って『成功』と『失敗』を分けるものがあるのならば、それはやはり受け取る側の心の差なのでしょう。

と言うか、むしろ本田さんが今まで積み上げてきた真心の果実としてあの横断幕があるとするのならば、本田未央個人を見てもらえているニュージェネレーションの方が『成功』しているとすら言える。
しかし、それに気づかず過大な夢ばかり追いかけるのであれば、その『成功』は存在しないことになってしまう。
ということは、本田未央の『失敗』を『成功』に変えるためには、自分が『成功』していたのだと気づけば良い、ということになります。
それを気づかせるのが誰かは、第7話を待つことになりますが。

 

とは言うものの、カットバックを駆使して徹底的に"Memories"と比較された"できたてEvo!Revo!Generation!"の仕上がりは、集中力に欠けミスも多い。
これはリーダー本田未央の不調に引っ張られる形で、他の二人も実力を発揮できなかったのだと思います。
ロールモデルを読み取った延長だとしても、不安に満ちた立場だとしても、リーダー本田未央という形はニュージェネレーションに強い影響力を持っているということです。
結果として『本田コケればみなコケる』という不安定さを、今のニュージェネレーションは持っているわけです。
それは、明るく賢く状況をまとめ上げ、ムードメイカーとして状況を牽引する本田さんの『便利さ』に、二人が依存している結果です。

今回、島村卯月はずーっと不安定な姿を見せています。
本田未央は、賢さと優しさと脆さを持っている子なんですよ』と画面が囁き続けたように、今回の演出は島村卯月がどれだけ自己評価が低く、それを『頑張る』ことでしか解消できない不器用な心象を捉え続けます。
その不安定さもまた、第1話からずっと描写されてきた、彼女のパーソナリティです。

そして、本田未央と渋谷凛は、表面的には島村卯月を支えているようで、彼女の不安を理解しきれていない。
アイドルに憧れ、同期が全員諦め一人きりになっても諦めきれず、レッスンにレッスンを重ねて、それでもガラスの靴が届かない日々を過ごしてきた島村卯月。
彼女の不安を、『才能のあるド素人』渋谷凛も、『いつも元気なムードメーカー』本田未央も、表面的な繋がりとは裏腹に、理解できてはいないわけです。
それは『いつも元気なムードメーカー』本田未央の内側にある脆さと虚しさに気づかず、リーダーとして牽引されるまま『失敗』まで走らせてしまった渋谷・島村と、全く同じ間合いです。
お互いの人間的な脆さに分け入らないまま、素裸の仲間を知らないままステージに挑んだことが、結果として『失敗』を産んだのなら、それは本田未央の『失敗』ではなく、ニュージェネレーションの『失敗』でしょう。

そして、既に述べたようにニュージェネレーションの『失敗』は、ニュージェネレーションの『成功』を内包している。
本田未央の過度の『便利さ』に寄りかかっていた二人。
島村卯月の不器用な不安と『頑張り』に気づけ無い二人。
フロントが出っ張りすぎた不安定な三角形を、お互いがお互いの欠損を理解し、支えあう正三角形に直せれば、『失敗』が『成功』でもあったと気づくのは容易でしょう。
彼女たちがお互いを思いやっているのは、アイドルという舞台から退場しようとする本田未央を迷わず追いかけた二人を見れば、すぐさま判ることですから。


本田さんを追いかける直前、渋谷さんは凄まじい表情でプロデューサーを睨みつけます。
そこには失望がある。
『あの時私に魔法をかけてくれたのに、未央には言葉一つかけれないのか』という非難があるわけです。
でもそれは、ニュージェネレーションの仲間に対して持っているのと同じ、『寡黙だけど、必要なときは魔法を使って解決してくれる立派なオトナ』という表面的な理解です。

今回プロデューサーは、多くの『失敗』をします。
本田未央が抱えている過大な夢に気づかず、『本田コケれば、みなコケる』というニュージェネレーションの歪な三角形を見過ごし、傷ついた本田さんにあまりに真っ直ぐな言葉をかけます。
そしてその『失敗』全てが、気付くか気付かないかギリギリのラインとして演出されています。

ステージを成功させるために必要な準備は誠実にこなし、順当に進行する中で出される、微かなヒント。
本田さんがグイグイ引っ張ることで、前向きに前進しているようにみえる三人の関係。
仕事としてアイドルを扱い、その成長サイクルを熟知している自分と、ただのお調子者な15歳との認識の差。
さり気なく処理される失敗の火種は、初見ではそれとなく見過ごされるように描写されている。
見逃しても仕方がないような細かい要素を、大人であるプロデューサーはことごとく見逃し、『アイドル辞める!』と言わせてしまう結果にたどり着きます。

それが『失敗』になるかどうかは、来週本田未央が『やっぱアイドル続ける!』というかどうかにかかっています。
そして、そう言わせる要素は、やはりプロデューサーは既に手に入れている。
本田未央の失望が過大な希望から生まれている以上、等身大のニュージェネレーションがどのようなもので、それが望める『成功』とはどこにあるのか、誰かが教えてあげなければならない。
必要以上に膨らんだ夢の風船を、現実という針で破裂させてあげなければいけない。
それが出来るのは、あまりに不器用で真っ直ぐな言葉だったとしても、「当然の結果です」という真実を既に告げている彼以外には、無いんじゃないかと思います。

 

本田未央は、『ニュージェネレーションのリーダーとして、舞台を成功させなきゃ』という義務感、綺麗な願いが破綻しただけで、あそこまで傷付いたのではないと思います。
友達に情けないステージを見せたという、恥の意識。
もう一度全身が震えるような成功をして、承認欲求を満たしたいという欲望。
有名になってチヤホヤされたいという、身勝手な夢の崩壊。
そういう手前勝手でエゴ剥き出しの自意識が血を流したからこそ、本田未央は吠えたわけです。

そして、今回血を流していたのは本田さんだけじゃあない。
不安に押し流されるように『頑張り』続ける島村卯月も、失望を込めた視線を大人に投げかけた渋谷凛も、不器用さを極めて言わせてはいけない言葉を引き出してしまったプロデューサーも、みんな血を流し、苦しんだままお話は終わった。
それはつまり『このお話に出てくる人間は、苦しみも哀しみもしない、血も涙も流さないお人形じゃないよ』という製作者からの表明だと、僕は受け取りました。
このお話が才能と夢、成長と蹉跌のお話であるなら、僕はその方がいい。
あらゆる失敗の可能性を先回りして潰す、完全なお人形の話より、全然その方がいい。

そして、この話が『失敗』の話ではないということは、ラブライカが鮮烈に表現した『成功』を見れば、信じられるところだとも思います。
ラブライカが先取りした『成功』に、血塗れの少女達(と目付きの悪い不器用な青年)はどう辿り着くのか。
次週、見届けようと思います。

 

・追記
前回『失敗』を経験して人格的成長を遂げた前川を、『仕事だから』ということでシーンから切り離したのは、今回の問題を簡単に解決させないためには必要、かつ重要な処理だったと思います。
あの場に前川がいたらバーンとビンタなり何なりして、本田さんに『やっぱアイドル続ける!』て言わせちゃうだろうし。
ニュージェネレーションの腸を見せて、彼女らをより人間らしく感じさせるためには、この話は跨がないといけないわけで。

前回の話が胸に刺さる作りなので、正直『本田さんさー、あの前川見てなお、客がこねぇの反響が薄いので文句言うの、贅沢っていうか残酷じゃね? 色々忘れすぎじゃね?』と思わなくもない。
でも、今回の本田さんは視聴者から見てもどこが『失敗』していて、何を思い出せば『成功』出来るのか解りやすい作りにする必要があり、あえて前川の咆哮に水ぶっかけるような動きになったんだと思う。
前川の話が前景になって、本田さんの『失敗』がクッキリ見える作りでもあるし。
本田さん自身「みんなの代表として、道を作る」という趣旨の発言はしているわけで、『アイドル辞める!』は15才らしい動揺が言わせた迷いだと思うことにする。
そもそも、前川の喫茶店占拠も15歳の迷走だしな。
何が言いたいかというと、すっかり11歳と13歳のお姉ちゃん役が板についてきた前川を見れて、非常にグッドだったということです。