イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 15/02/24

・幸腹グラフィティ:第7話『ジュー、プシーッ』
食欲と性欲が交錯する時物語は始まるアニメ、今回はさんまを焼いてリョウを休ませようというお話。
一見いい話風なのだが、この作品特有のねっとりした癒着感、ザラリとした緊張感は健在であり、歪んだアニメ好きとしては美味しいエピソードだった。
真剣をキティちゃんのキルト袋で包んでいるようなミスマッチが、僕個人の感じるこのアニメの魅力です。

今回のお話は、リョウときりんの癒着した関係性で始まり、それを剥がせないまま椎名が強引に杭を打ち込み、それとは関係ない所で露子が年上故のアドバンテージを握り、しこうして癒着した関係性に帰ってきて終わる。
椎名はどうにかして『3』の構図にしようと足掻いてるのに、どうやっても『2+1』の構図を崩せない辺りに、切なさと愛おしさを感じる。
椎名がどうやっても切り崩せない所を、部外者の気楽さと年長者の余裕でさらっと掻っ攫ってく露子の他人行儀さも、見てて気持ち悪くてイイ。
ゆる系四コマを楽しむ一般的な視点とは、もはやかけ離れた場所に足場を置いているけど、僕はすんごくこのアニメ楽しんでます。

 

・夜ノヤッターマン:第7話『夢の海』
キャラ紹介が終わってからはシリアスとコメディのラッシュを続けているヤッターマンリブート、今回はコメディのターン。
魚介フェチのドM超人というなんとも言いがたいゲストを迎え、頭の弱い展開でゴリゴリとゴリ押す展開。
今まで積んできたガッちゃん成長フラグを的確に回収して、シリアス……多分シリアスでいいんだと思うなシーンなど交えつつ、地味に初のディストピア脱出を成功させてました。

常時カメだのタコだのにリビドーを迸らせてる強烈なキャラに惑わされがちなんですが、あのマズヒスト思いの外超人で、それもあってか、結局死んじゃったラベンダーおじさんや、流刑地送りになった夫婦に比べると、確かな手応えのある関わりが出来てたと思います。
無力感→ギャグ→革命の自覚→エクソダス成功という個別回の流れを見ると、様式美に染まっているようにみえるドロンボー一味の活動も、地道な変化を見せてるのだなと確認できます。
いや、助けたカメがほんとに助けに来る流れとかドラッグキメてるとしか思えないけどさ……ウラシマンリスペクトだからしょうがねぇ。

フラグを積み立ててるのはガッちゃんも同じで、サイコロ任せの弱気な人生を送っていた二話辺りと比べると、メカ方面もバトル方面も、じわじわと成長を見せている。
こういう小さな積み重ねが、ディストピアをぶっ飛ばす逆転ホームランに繋がると思うと、地道な成長が嬉しい。
ウラシマン最後のひと踏ん張りを持ってきたのはガッちゃんとの約束なわけで、ただドロンボー一味に助けられる一般人から、ヒーローの兆しを宿した男に変化してきた……のかなぁ。
レパードちゃんが時折メスの顔してるので、ここら辺も今後掘り下げる要因なのかな?

ブッチギリのキチガイギャグのようで、じわじわとした変化を見せる回でした。
真ん中の個別エピソードとしてバランスが良く、笑いありフラグ積立ありキャラクターの変化ありで、楽しく見れました。
夜ッターマンの個別エピソードは、コンパクトなまとまりの良さと、奇妙に爽快な読了感があって、結構好きですね。

 

蒼穹のファフナーEXODUS:第7話『新次元戦闘』
七話なのに最終決戦のテンションで駆け抜ける、ほぼ一話まるまる竜宮島防衛戦。
いや、アバンで弓子さんが死んだりしたけどさ……。
色んな所で奇跡が起きてるんだけど、このアニメでは奇跡には必ず取り立てがあるので、熱い展開のはずなのに心の奥底が寒いという、戦争描写してるアニメとしては非常に誠実なスタンス。
そういうところが好き。

インドで起こった奇跡の方は、新人類エスペラントが願った母の帰還……なのかもしんねぇけど、わざわざ結婚指輪を強調しまくる演出から、死体をああいう風に写した以上、人間としての弓子さんはあそこで死んだ……んだと思う。
世界樹フェストゥムの助力で『弓子さんと同じ姿をしていて、似た発言をする誰か』が帰ってきたことが、今後どう影響するかは、全然読めない。
『敵と味方の距離が近くなることが、祝福でもあり呪いでもある』ってのは、一期からずーっと描写されてたことではありますが、今回は特に強調されている感じがします。

芹ちゃんの死と復活も含めて、アバン三分の変奏曲を一話使ってやった、とも言えるのかな。
とすれば、『弓子さんに似た誰か』は、今回フェストゥムの力で強化された少年たちの姿なのかもしれない。
人間として死ぬのがいいのか、人間以外になって生き延びるのがいいのか、非常に重たくイヤーな選択問題を突きつける展開で、辛くて面白いですね。


敵のやり方で強くなってるのはファフナー部隊もそうで、各員個別のオカルト能力を手に入れ、『学習する猛獣』にも引かない力を手に入れた。
個別メタをバッチリ組み上げ、初陣であれだけ無双してた新人共をあっという間に追い込んだ辺り、アザゼル型もまた『敵に近づいている味方』なんだなぁ。
それと同じやり方で強くなって、OP二番をバックに大逆転カマしたけど、一切安心できない。
ロボットアニメが培ってきたテンションを上げるための王道を踏まえつつ、その先に進もうという意欲が見えるのは、凄く嬉しい事だと思います。

『敵ボスとの対決を控え、旧主人公が最強の機体にて海を割って出撃』つーアガるシチュエーションで引いた今回ですが、超カッケー描写に反比例して不安しかねぇ……インドの描写もまだ途中だし。
そうやって、『ロボット冒険活劇』だけではなく、『ロボットを用いた絶滅戦争』の不快、不安、焦燥を埋め込もうと努力してくれて、それを受け取ることも出来るこのアニメが、俺は好きです。
無論『ロボット冒険活劇』を『ロボット冒険活劇』として描き切って、楽しい物語にしてくれる諸作品も、同じように凄いことなんだけど、いろんな方向に可能性がある方が、やっぱ豊かだなと思うわけで。
一切の予断を許さぬ二分割進行、次回はどうなるんでしょうね。

 

・少年ハリウッド:第20話『僕たちの延命』
マッキー個別回でもあり、カケル個別回でもあり、第16話に続く非常にコアなアイドル話でもあり、少ハリ全体の話でもある。
少ハリの沢山ある武器の一つ、多用なテーマを同時に拾いつつ、爽やかな読後感と確かな満足を与える終わり方も冴えている、立派なエピソードでした。
少ハリの中でも主張の弱い二人を、センターという場所でぶつけることで剥き出しにさせたのは、確かに今後の少ハリにとって必要なことなんだろうなぁ。

マッキーはバカだけどスゲーいい奴で、責任感や包容力、リーダーに必要な資質をたくさん持ってる奴だってのは、少ハリ見てる輩には周知の事実です。
そういう人間が真ん中に座りっぱなしで安定し、ある程度の飛躍を果たした少ハリに、しかしシャチョウは満足しない。
地盤を崩してでも新鮮味を捏造し、マッキーやカケルに新しい視点を与えて、少ハリという表現集団に風を入れ続ける。
『サプライズは待つものではなく、起こすもの』というのは、リアルアイドル……というか、現実のエンターテインメントでも重要視される視座であり、ゴッドはホントプロデューサーとして優秀だなと感じます。

そしてマッキーはセンターの座を奪われ、初めてとんでもない愛着を持っていた自分に気付く。
今回表情変化の芝居が凄く細やかで、此処に凝ったからこそ、シャチョウが重視する揺らぎが視聴者に伝わった感じがあります。
画面に写っているものと、視聴者に見せたいものが一致してるアニメは強いやね。

『その感情の揺らぎこそアイドルの煌きと同義であり、観客の見たいものなのだ』というシャチョウのアイドル論は、残忍でいつもの様に正しい。
少ハリの爽やかな読後感は、常時正解を見続け、少年たちが答えにたどり着くために必要な行動しか取らないシャチョウという存在、彼が果たしているストレスコントローラーとしての役割が、スゲー大きいんだと思います。
冒険した要素に踏み込み、話の横幅を広げつつ、全体のトーンが規定値をはみ出さないよう調整する仕事を、一手に担っているというか。
俺はこういうキャラクターが居るお話、とても好きです。


シャチョウが言った『賭け』というのは、事なかれ主義のカケルと良い人すぎるマッキーが、隠していた気持ちを圧力で吐き出してくれるか、どうしても読みきれないということだと思います。
シャチョウが捏造した圧力に応え、『この瞬間しかできないステージ』をモノにし、二代目センター・カケルに重要な疑問を与えたマッキーは、もう立派なステージアクターだなと胸が熱くなります。
個別のエピソードで積み重ねた成長を忘れることなく、人間として表現者として、どんどん大きくなる少年の姿をしっかり切り取ってるのは、やっぱ良い。

『センターは隙があった方がいい』というシャチョウの論を聞くと、個人的にはやっぱ前田敦子さんを思い出します。
あの人ほんと危うい真ん中だったからな。
真ん中の資質はドルヲタなら一回は考えるテーマだと思いますが、ドル文化へのリテラシーが薄い視聴者にとって、『これは大事な話だ』と思えるのかわからん。
これは16話での握手会論でも感じたところで、少ハリのコアな部分が取っ付きにくさになってるのは、まぁ否定できねぇなと思ってます。
個人的な嗜好の話をすりゃ、そこが最高なんだけどさ。

個人的な嗜好といえば、『アイドルは全てが捏造であり、その嘘は本気の本当からしか生まれない』という少ハリの基本哲学は、自分の考えとピッタリシンクロしてます。
お客が騙されたい見事な嘘、アイドルというあやふやで曖昧な存在でしか切り取れない瞬間は、巧妙に考えられた負荷と導きを、素養と人格のある青年たちに与えること、与えられたものに当事者が本気で答えることでしか生まれないという構造は、少ハリ始まってからずーっと続いています。
今回のマッキーの涙も、カケルの疑念も、『本気で嘘をつく』アイドルという仕事を、真っ向で捉えてる少ハリ故の到達点かな、とか思いました。

センター交代という事件を経て、また一つ前に進んだ少ハリ。
ほんと個別エピでの掘り下げと落とし所が巧すぎて、見てて楽しいアニメです。
残る個別回はキラ様ですが、来週来るかしら?

 

ユリ熊嵐:第8話『箱の花嫁』
愛と激情のフェミニズムサスペンス、八話目はユリーカ先生のオリジン暴露と、四人の臨界点。
現状見せられてるカードを全て使って、屋上での四すくみを成立させてるお話運びは、疾走感と緊張感があって非常に良い。
この盛り上がりであと四話もあるのだから、一体どうなってしまうのか、期待大ですね。

Aパートを使って語られたユリーカ先生の過去は、見事なまでに『失敗した主人公』だった。
銀子と同じように要らないクマとして生まれ、人と触れ合ってスキを知り、しかしスキを諦めて己を匣に変えた女。
紅羽と同じように友情を育み、それを支えに孤独を癒して、しかし自分自身のスキを自分の手で破壊してしまった女。
屋上でのセリフが全て、自分自身に帰ってくる作りも当然という、綺麗で歪なシンメトリーでした。


ユリーカの歴史には二つの目配せがあって、一つは先述した『今の世代』との重ねあわせ。
愛する人と百合を育て土に汚れたのは純花/紅羽と同じだし、クマとしての欲望と人への愛情の狭間で擦り切れていたのは銀子/るると同じ。
同じ部分を強調することで、違う部分も強調されるという演出が良く効いていて、醜くも切ない『親の世代』の愚行がスルッと入ってくる。
これは、『今の世代』が魅力的なキャラクターとして描写を積み上げてきた、という証明でもある。

『百合の摘み取り』という行為が『今の世代』と『親の世代』で全く異なる行動になっているのは、個人的に面白い。
『今の世代』に取っては守りたくても透明な嵐によって強制的に摘み取られてしまうもので、『親の世代』は箱に閉じ込めて永遠にするために自分から行う行為。
『今の世代』が萎れた百合を一切描写しなかったのに対し、今回の回想では箱に閉じ込められ、精気を失っていく花の死体が、大量に描写されている。
思い込みと憎悪で作った箱に百合を入れても、その美しさは醜く変質してしまい、手と顔を泥に汚し、雨に立ち向かいながら根っこ付きで育てることでしか、百合を咲かせ続けることは出来ないというのは、示唆的な描写だ。
ユリーカも、スキの相手とともに百合を愛でることをしていたはずなのに、結果は異なってしまっている。
つくづく、呪いは恐ろしい。


もう一つは監督の過去作への目配せで、ガラガラの音とともに回る天蓋はピングドラムを、イノセンスを閉じ込める箱としての学園はウテナを、それぞれ強烈に思い出させる。
死人が出るたびに描写されていたロッカーもウテナの間宮編を思い出させていたが、今回その中身が語られたことで、更に印象を強くしている。
ユーリカが捨て子であることも考えると、『コインロッカー・ベイビーズ』への目配せでもあるのかな。

歪みきった無垢への渇望をその身に受け、傷つけられる役をピングドラムで演じていた能登麻美子が、今回は傷つける側に回っているのは、非常に印象的だ。
『既に終わってしまった青春期を懐かしみ、永遠に年老いないまま、現役の少年少女を玩弄する邪悪な男』というモチーフは幾原作品にはバンバン出ていて、ウテナの暁夫なり、ピングドラムの眞悧なり、枚挙にいとまがない。
"彼"もまたそういう亡霊の系譜に連なる存在だとは思うのだが、その妄執はユーリカに受け継がれ、学園という百合の箱庭も継承される。
ユリにしろクマにしろ男という存在がほとんど見受けられない世界で、"彼"と明言されている男が世界を歪めているのは、個人的に面白いポイントだ。

クマが人を喰う存在であり、ユーリカにとって捕食とは「スキを体内にし、空疎を満たす」行為である以上、失われるとはいえスキをくれた"彼"をおそらく、ユーリカは食しているのだろう。
既に"彼"の肉でみっしりと埋まってしまっていた結果、澪愛を食しても空疎は満たされなかったのか。
それとも捕食という行為それ自体が間違いなのか、既に間違えてしまったユリーカには一生わからない。
同じ立場にあった銀子も紅羽も正しい選択をしているのは、育てていた親の違いなのかもしれない。


仮面の告白が終わり、物語は屋上での対峙に向かって一気に滑り落ちていく。
未完成の童話が示唆するように、鏡を割って見えた本当の姿……怪物に銃弾を撃ちぬいたところで、今回の話は終わった。
メタファーに満ちたこの物語が、ただ寓意譚として進むのではなく、お話としての上がり下がりを兼ね備えたサスペンスに仕上がっているのは、個人的には驚きであり、嬉しい事でもある。

クマである罪を許し綺麗にまとまろうとしたところで、るるちゃんが出てきたのは嫉妬半分、正義半分といったところだろう。
今回、銀子は明確に紅羽へのスキを選択し、るるを切り捨てる。
自分るる好きなんで『もうちょっとその、なんというか手加減を……』とか思ったりもしたが、あそこは選択しなければいけないタイミングだというのはよく分かる。
判るんだが、何とか銀子が傷つかないように行動し続けるるるの姿が、愛しくて切なくてどうにもできなくて(唐突な言い訳Maybe

Aパートでユリーカの過去を見せておいたことで、紅羽を誘導しかつて自分がたどり着いた間違いに落とし込もうとする彼女の言葉が、全て自身に帰ってくる構造は巧い。
彼女の空々しい嘘はただ嘘であるというわけではなく、『親の世代』と『今の世代』の差異を強調する反響材になっている。
更に言えば、自分のスキを自分で滅茶苦茶にしてなお生き残ってしまうユリーカの性と、その結果犯した親殺し、恋人殺しの罪への裁きを求める心理も、彼女の嘘の中に見えてくる。
澪愛を食い殺した時泣いていたのを見ても、ユリーカは死にたくて死にたくてしょうがないのに、生き延びてしまうクマなのだと思う。

雷の音で台詞=過程=真相を省略し、銃声という結果が先に届いて引いた今回。
見事なクリフハンガーであり、次回が非常に気になります。
『あなたの箱を開けて』つーのはcome out of the closet(隠していた性的嗜好をオープンにする)とかけてんのかなとか、井上喜久子短時間ならまだまだ萌声行けるなとか、色んな事を考える回でした。