イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 15/03/15

デュラララ!!×2:第10話『この親にしてこの子あり』
作画やお話が時々ヘロヘロしつつ進んでる池袋大混乱絵巻、更に混沌が深まる第10話。
事態は色んな人の思惑がクロスして意味分かんないところに来てるが、その始点であるキャラクターのモチベーションが見えてきたので、言わば『整理された混沌』みたいな絵が見えてきた。
複数のお話が同時進行で展開するアニメなので、このくらいの段階になってくるととても面白い。

今回は『初代嫌なやつ』こと臨也と、『二代目嫌』な奴こと青葉の腹黒合戦が衝突した結果混乱が加速してるわけで、糸の片方を持ってる臨也の描写が見えたので、絡まったお話がスッキリした感じを受けた。
安全圏から幼女を操作し、友情を踏みにじってやりたい放題し放題の臨也は相変わらずのクソ人間であり、ホント最悪にイイキャラしてるなぁと思う。
成り済ましと嘘に一切の躊躇いがない所が、本物のゴミクズ人間過ぎて逆に爽快。

発火点はだいたい判ったものの、それで点った水煙は相変わらずのゴチャゴチャっぷりで、まだ解法は見えない。
とは言うものの、ドタチンがTo羅丸の、森羅がヤクザの交渉窓口に立ち始めたので、入り口くらいは見えてきた感じもある。
こういう要素を出しているのも、今回感じた『整理された混沌』の原因だろうか。
デュラララはこの感覚こそが快楽だと思っているので、今後も縺れた糸の縺れ加減を見せつつ、同時にその解き方のヒントを映像に埋め込む難しい作り方を、頑張って維持して欲しいものだ。

 

・Go! プリンセスプリキュア:第7話『テニスで再会!いじわるな男の子!?』
男子生徒の存在価値はゼツボーグの苗床以外無しという、超女権主義(アマゾニズム)渦巻く私立ノーブル学園も革命の季節。
初のネームド男子生徒との出会いは、はかなげなトキメキをスパイスに、頑張る女の子を真正面から描いた両エピソードとなりました。
メイン二人だけではなく、少ない手番で的確にキャラを建てる見せ場の作り方も非常にグッド。

はるかは素直で優しい性格の持ち主なんですが、あまりにもネガティブな部分を見せないと、イイ子すぎて嘘っぽくなるキャラクターでもあると思います。
今回、適度に意地悪なゆうき君が登場したことで、彼の行動に腹を立て、マイナスの感情を表に出す彼女が見れて、なんかホッとしました。
まるでかーちゃんみたいにはるかの涙を受け止めてたみなみパイセンとか、モデルで忙しいのにテニス特訓付き合ってくれるきららとか、人間出来過ぎてて衝突起きないからね。
そう言う意味で、今まで見せなかった角度からはるかを掘り下げに行ったゆうき君は、なかなか優れたキャラクターだったと思います。

無論ただイヤな子な部分を見せられても嫌いになるだけであり、ネガティブな感情を覚えつつも、健全で正しい手段によってそれを解決しようと努力し続ける真っ当さこそ、はるかのキャラクターとしての強み。
ファンタジーな空間を生み出しつつも、努力の方向性は真っ当かつ泥臭い正攻法なところが、好感度高い主人公を生み出す秘訣なんでしょうかね。
自分的には「夢を踏みにじられる痛み、分かるから」という共感を、幼少期と現在、二度も夢を踏んだ当人に抱ける辺り、ホント聖人(エル・サント)だなとか思いました。
あそこで逡巡せず即座に助けることが、ヒーローの条件なのかしら。

ゆうき君もテニスが好きすぎてちょっと配慮が足りない程度に描かれていて、軽くムッとしつつも好感を抱けるキャラクター。
放課後特訓をはるかが見つめるシーンの叙情性が凄く高くて、『こういうラブコメの出だしある。こっから♪焦げかけのトーストかじったら なぜか不意に胸がときめいた 甘くて苦いママレード♪ってなるんでしょ?』とか思った。(ニチアサ繋がり)
エースをねらえ!』の宗像コーチをパロった『トップをねらえ!』のオオタコーチをパロったコーチという、サンプリング世代の多重屈折現象を感じるネタも好き。

おかんオーラ満載のみなみパイセンとか、日焼けを気にするプロ意識のきららとか、細かいネタの挟み方も非常にグッドでした。
あくまで接触編って感じの距離感でしたけども、今後もゆうき君は触っていくキャラクターなのか
、否か。
そこら辺は分かりませんが、青春の甘酸っぱい一コマとしても、気になる出会いのエピソードとしても、良く仕上がったお話でした。


・プリパラ:第36話『ファルル、目覚めるでちゅーっ!!』
ファルルが死んだ後の希望と絶望を、温度差激しく描写したクライマックス直前回。
ネタ入れないと死んじゃう病気のスタッフが、人が死んでる話にしては刺さりすぎるネタをやりつつも、死人を蘇らせる奇跡の値段は徹底的に高く描写する。
ギャグとシリアスの強引な詰め込み方がプリパラの特徴であり特長だと思うわけですが、それにしたって激しい回だった。

笑いの話をすると、話のシリアスさを強引に剥奪するというか、『寒いならガソリンかけてマッチ刷ろうぜ!』みたいな豪腕で、女児アニの枠をギリギリ維持させていた。
メガ兄の大暴走とか、唐突なルー語とか、頭おかしい特訓風景とか、不謹慎だから笑っちゃいけないんだけど笑わされる、火力のあるギャグを此処ぞとばかりにぶち込んできました。
ニコンの外見や口調もそうなんだけど、大真面目にやったら画面に写せない真摯さを宿しちゃうネタを、過剰な笑いというスパイスで強引に喰わせる手腕は、独特かつ的確だと思います。

例えばファルルにすがる泣きじゃくるユニコンのシーンは、彼女が人間で、ルー語ではなく大真面目に嘆き続けていたら、重すぎて苦しいシーンだったと思います。
遊んではいるものの、ユニコンのファルルに対する対応は子供を不慮の事故で失った親そのものであり、画面に封じ込められてる感情の細やかさは、笑いの奥に隠されて入るものの鋭い。
あくまで子供であるらぁらに対し、ふざけた口調ながらもユニコンは大人であり、それ故死んでしまったファルルを取り返すのではなく、その喪失にどう溺れていくのかに、描写が割かれています。
奇跡を信じる純朴な小学生が期待と自信に顔を輝かせているのと、取り返しの付かない現実に常時苛まれ続けるユニコンの差異は、今回のお話をただのお巫山戯にしない、重要なポイントです。


哀しみに溺れつづけるユニコンに対し、らぁらは初めて対面した死に怯え当惑しつつ、主人公として必要な不屈さを見せ、『信じればなんだって叶う』という子供の理屈を、心底信じきって行動します。
オッサンの立場からすると帰らない人の哀しみに『現実的に』対処しようとするユニコンの姿勢に一定以上の共感を覚えてしまうわけですが、この話はあくまで女児アニ。
『夢の国の魔法を使っても、死人は絶対に返ってきません。奇跡は起こりません』じゃあ、寂しすぎる結末なわけです。
なので、なんとか死者蘇生の奇跡が起こるよう、作品世界の都合の良さが全て動員され始める。
努力を積み重ね、仲間と力を合わせ、ファンの声援を味方につければ、ファルルも復活するという『お伽話』を、ユニコンが代表する『現実』と対比させつつ進行させます。

しかし、それは今回ではない。
人が死ぬという事実は絶対的に重たく、小学生一人の頑張り程度では覆らないほど、リアルな事実であると、今回のらぁらの失敗は見せています。
その重たさはこれから起こる奇跡の重さ、プリパラがひっくり返す現実の重さを意味しているわけで、それを担保するべく、ユニコンは道化た仕草を貫きつつも、過酷で真摯な現実性を、今回見せてたんだと、僕は思います。

らぁら一人ではこの現実の重たさをひっくり返せなかった所で今回のエピソードは終わりましたが、この話はらぁら一人のお話ではありません。
プリパラを貫いていたのは『みんな友達』という綺麗事であり、その嘘を成り立たせるために、今までたくさんの出会いと交流を積み上げてきた。
口やかましく注意してくる委員長とも、デカ女とも、喧嘩別れした友達とも、一人じゃ何も出来ないポンコツとも、口の悪いガキとも、男の子とも、頭のオカシイ囲碁女とも、夢を諦めてしまった大人とも、プリパラでなら友達になれるというのは、ずっと描かれてきた。

そして、個別の出会いだけではなく、アイドルという夢だけが叶えることが出来る観客との繋がりも、時折激しい手のひら返しを織り交ぜつつ描写されていました。
それならば、最後に重たすぎる現実を弾き返し、このキレイ事に筋を通す力、『お伽話』をただの夢物語として嘲笑させないための原動力は、友情と声援しかない。
プリパラ一年目ラストステージが、これまでの集大成として描かれ、価値ある奇跡を引っ張ってくると、僕は強く願っています。

 


アイカツ!:第124話『クイーンの花』
三年目上半期もそろそろ終わりということで、さくらとおとめのラストエピソード。
SLQ杯の株を大幅に引き上げつつ、不遇の新星北王子さくらの物語に綺麗なエンドマークを付けた、立派なお話でした。
これまで常時主役を貼ってきたあかりジェネレーションを狂言回しに使うことで、新たなる『アイカツ!の天井』がクッキリ見える、今後につながる回でもあった。

成長を主題にした物語は、主人公が歩むべき道の最終地点と現在位置の差分が、そのまま物語的な伸び代になります。
つまり、ゴールがはっきり見えていて高いほど、主人公が成長する余地は多く、物語の発展性は高い。
アイカツ!一期・二期において『アイカツ!の天井』を担当したのは、言わずと知れた神崎美月です。

トップアイドルとしてたゆまぬ努力を続けるストイックさ、高いパフォーマンス、溢れるカリスマ、やり過ぎなくらいの実績。
神崎美月は星宮いちごが追いかけるべきゴールとして、最高の目標として、常に高みにあり続けました。
アイカツ!というアニメが大きく飛躍したことに、ゴール設定の巧みさ、神崎みつきというキャラクターの完成度があるのは、間違いないでしょう。

しかし、あまりにも偉大過ぎる『アイカツ!の天井』は同時に、多数の軋みを物語にもたらしました。
学園物語でもあるアイカツ! において、時として人間味を感じないほどに完成され、『アイカツ!の天井』という職務に忠実過ぎる神崎美月は、いうなればアイカツ!ロボットのような乾燥した人格を宿してしまったこと。
そして、『アイカツ!の天井にたどり着く』ことと『神崎美月に勝利する』ことがイコールで結ばれた結果、神崎美月が去った後の天井を担保する手段が無くなってしまうこと。
映画版において神崎美月を『アイカツ!の天井』から下ろすことに90分全てが使われていたのは、彼女をアイカツ!の象徴から只の人間に戻すというキャラクター・ドラマ的な観点だけではなく、
神崎美月に寄り掛かりすぎていたアイカツ!世界の高さ、強さの説得力を再構築し、神崎美月が存在しなくても成り立つアイカツ!を製造するためでもあったわけです。


翻って今回、SLQ杯が卒業の季節にその開催を移動させ、主題として取り上げられます。
SLQはスターライト学園最強の称号ですから、一見勝負論的な『誰が勝つのか』の物語が展開されそうですが、今回のお話の主眼はそこにはない。
一年組が絶対勝てない理由は早々に説明されますし、勝負のシーンは手早くすっ飛ばされる、重要ではない扱いを受けています。

今回の話で重要なのは、SLQの冠の価値を上げること、それにふさわしい人格とは如何なるものであるのかを、北王子さくらの人間的完成と同時に見せることなのです。
北王子さくらがいかなる人物であり、何を目指して進み、何処に辿り着いたのか。
それをしっかり見せることで、SLQを被る人間の価値を演出し、結果SLQが新たなる『アイカツ!の天井』になる素地を作ることが、今回の主眼となります。

うわっ付いた様子でおとめ御殿の敷居をまたいだあかりジェネレーションと、最初から勝つことを念頭に己を律し、SLQを実力で強奪する勝負師の目線を持っているさくらとの対比は、一年と三年という年齢差以上に、駆け出しアイドルとSLQ最右翼の差を強調する演出に為っていました。
この対比にはあかりジェネレーションがいま立っている位置を再確認し、これからの伸び代を見せる意味合いもあるので、かなり強引な大会規約の改変が行われていました。
個人的な妄想では、強圧的ではない凡人女王有栖川おとめの意向が強く働いて、門戸が広く取られたんじゃないかなとか思ってますが。

おとめと食事をしながら、さくらはかなりわかり易い言葉で、自分の出発点と歩んできた道のり、これから目指す目標について語ります。
過去と現在と未来が一直線に並ぶことで、北王子さくらとはどのような人物であったのか、これからどうなっていくのかがまとめ上げられ、彼女が到達した高みが強調される。
あかりジェネレーションのように完全な新体制に移行するでもなく、星宮いちごという世界の中心に強く関与するでもなく、ドリームアカデミーの面々のように正面切ってのライバルにもなれない、中途半端な立場の彼女でしたが、この三分間で一気に物語を完成させるわけです。
直前でみやびちゃんのエピソードがあったことが、結構急なこのまとめ方に、説得力を足しているように思いますね。


販促の都合と、劇作の狙い。
危うい両天秤を何とか吊り合わせながら展開するのがアイカツ! の物語ですが、それに翻弄されたのはさくらだけではなく、現SLQ有栖川おとめも同じです。
物語の中心であるいちごが渡米していた一年の間に、サラッと流される形でSLQを獲得してしまったおとめにも、物語の分厚さは足りていない。
それを補填し、女王としての一年間で彼女が何を手に入れたのか見せるのも、今回のエピソードでは重要になります。
栄冠を奪い取る側だけではなく、王冠を保持していた側にも重みがなければ、SLQの称号が『アイカツ!の天井』(の少なくとも一部分)を担う説得力は生まれないからです。

有栖川おとめは凡人です。
圧倒的なカリスマで背中を見せながら走り抜ける神崎美月とも、天性の才能で頂点に駈け上がった星宮いちごとも、違う速度で歩きながらSLQを一年半続けてきました。
ドリアカに支配された世界で唯一気を吐いていたぽわプリも、スキマ産業からのし上がっていった変則的ユニット。
才気を迸らせ、後輩の尊敬を集めながらひた走るタイプの女王では、けして無かったはずです。

しかし、凡人にこそ見える景色があり、非才故に走れる道がある。
気さくに人の輪に混じり、前に立つのではなく横に並びながら人を導いていくおとめの姿は、一年生のひなきとも交流していることから、良く判ります。
SLQ戴冠後の数少ない個別エピソード、第83話『おとめRAINBOW!』でも、人の気持ちに寄り添い同じ目線で共に努力する彼女のスタイルは、しっかり描写されていました。
今回もあかりジェネレーションの、そして新SLQ北王子さくらの焦りと願いをしっかり受け止め、夢が羽ばたくための助走路を的確に引いて上げる姿が描写され、先輩として人を導く立場に成長した有栖川おとめが、どんな人間かは良く見えたと思います。

無論彼女は親しみやすいだけではなく、アイカツ!世界の住人に相応しい、苛烈なストイックさを持っています。
今回で言えば美月さんが残したアイカツ!少林寺の床をそのままにし背筋を伸ばしている所だとか、第41話『夏色ミラクル☆』ならスターアニス初ステージが停電した時に真っ先に『ライブやれますよね』と聞く所だとか、ぽわぽわプリリンしつつもシメる所キッチリ〆ているわけです。
その上でストイックさを前面に押し出すのではなく、とにかく親しみやすく、他人とのコミュニケーションの敷居を下げて下げて歩んできたSLQ、有栖川おとめの治世は、そう悪くないものではなかった。
今回の話を見ていると、そう言う気持ちになれるわけです。


ステークスホルダーであるおとめの格、SLQを強奪していくさくらの格。
両者の格をしっかりと描いたことで、SLQ杯という象徴に『アイカツ!の天井』たるべき説得力が生まれたエピソードであったと思います。
キャラクターから象徴に『アイカツ!の天井』が移行したのは、今回追われる側でも追う側でもなく、ただ見守る存在として画面に登場していたかつての『アイカツ!の天井』、神崎美月の姿を見ても、十分わかるのではないでしょうか。
あの映画を経てなお、美月さんに『アイカツ!の天井』を担当させるのは、流石に酷薄に過ぎるってのもありますけどね。

そして、今回プレミアムドレスを引っさげて一回戦敗退という結果に終わったあかりジェネレーションたちは、一年後のSLQ、新たなる『アイカツ!の天井』に向かってひた走っていくことになるわけです。
少なくとも、新SLQ北王子さくらの妥協しない姿勢が、あかりジェネレーションに何かを与えていたことは、間違いがないでしょう。(あそこで道化役を真っ先に担当する辺り、俺ホントひなきちゃん好き)
先発キャラクターの物語的完結だけでも、新体制への移行だけでもなく、今の主人公たちが目指すべきラインを巧みに構築する、欲張りなエピソードでもあったなぁと思います。
アイカツ!三年目、やっぱ凄いっすよ。

 

アイドルマスターシンデレラガールズ:第9話『“Sweet” is a magical word to make you happy!』
モバマスアニメ第二章、個人回ラッシュの二回目は愉快な凸凹コンビことCANDY ISLANDのユニット回でした。
ユニット発足までの出会いや研鑽に重点が置かれていた今までの流れに比べて、オープニング時点でユニットは結成されてたり、アイドルバラエティー本番という勝負の場がメインになったり、かなり毛色の違うお話。
アイドルバラエティーをよく研究した展開に、ファンサービスをてんこ盛りにして、杏と智絵里を掘り下げる展開になっていました。


今回のエピソードは半劇中劇、半バックステージという感じのバランスで作られており、キャラクターたちがあの世界の中で出演する番組を流して没入を促しつつ、結成間もないユニットが関係を深めていく様子を追いかける構成。
番組部分の作りは現実の女性アイドルバラエティー(特に『AKBINGO!』)を研究した作りで、推しが出てこない限りあまりの低俗さに血管切れそうになる感じが、非常に良く出来てました。
徹底してセックスのメタファーと、失敗を笑う姿勢が盛り込まれ続ける過剰な感じは、女性アイドルを切り取る視線の中でも非常に強力なモノなので、此処にタッチするとアイドルフィクションは生々しくなると思います。
バラエティの笑い(というか笑い自体)がふんだんに差別を扱っているので、『アイドルを性商品として切り取る視点』『アイドルが失敗し無様な姿を晒すことを笑い飛ばす視点』を盛り込むことは、リアリティと生臭さを同時に取り込む、扱いの難しいネタです。

この『アイドルを性商品として切り取る視点』『アイドルが失敗し無様な姿を晒すことを笑い飛ばす視点』は、このアニメの前作に当たる無印アイマス第4話『自分を変えるということ』でも丁寧に埋め込まれていて、カメラは春香のスカートを執拗に追いかけ続けます。
あのエピソードでは、カメラに埋め込まれたセクシズムと、仲間と自分に浴びせられる嘲笑に千早が反発して場が凍りつくシーン(「何が面白いんですか?」)と、仲間の手助けを得て、アイドルという存在に必然的に向けられる、下向きで薄暗い視線にある程度の適応を示すシーン(「と、取ったゲロー!」)が描かれてました。
これを見た時に自分は『このアニメはアイドルというものを高くて綺麗なものとして描きつつも、それを貶めて悦に入りたい薄暗い欲望を切り捨ててもいなくて、なかなかしっかりしたアニメだな』と感じたものです。

あの時スタジオを律していた司会者と同じカエルの意匠を、プロデューサーに再演させていることからも、今回のお話はあのエピソードに対する目配せが、結構盛り込まれていると思います。
とは言うものの、モバマスアイマスは別のアニメですし、今回の番組は『ゲロゲロキッチン』では勿論無い。
『自分を変えるということ』で千早が反発し適応することで成長を見せたセクシズムと差別は、今回話の中心に据えられているわけではなく、『アイドルバラエティーっぽさ』を出すためのスパイスとして、的確に触られる程度です。
作品世界が宿すべきちょっとした生っぽさとして、苦い液体を飲み込んでえづく少女のアップだとか、ショートパンツから伸びる白い足だとか、『アイドルバラエティーっぽい』絵をしっかり撮り、見せる。
それにより、三次元でも二次元でもアイドルという存在が(女性という存在が、かも知れないですけど)常時晒されている無意識的で、それ故暴力的な視線がこの世界にももちろん存在しているのだと、暗に知らせる使い方が、今回はされていました。
例えばWake Up, Girls!第2話『ステージを踏む少女たち』では、この視線に過度に踏み込むことで、過剰な生々しさと、夢のお話を展開するには致死量の嫌な感じを生んでいました。
そう言う例を鑑みると、今回のスパイス的な扱いは、必要なだけのリアリティを劇中劇に持ち込みつつ、それに引っ張られすぎない丁寧な立ち回りだったと思います。


今回の話で一番目立っていたのは、シンデレラプロジェクトのジョーカー、『働きたくないアイドル』双葉杏です。
彼女はスタジオに立ち込めるセクシズムと差別の視線を、圧倒的なアイドルへの適正と能力で泳ぎきり、初めてのTV仕事に溺れそうになるユニットの仲間を救いすらします。
アイドルに求められる笑顔と愛嬌を常時振りまき、私服ファッションショーでは『働きたくないアイドル』という素の自分を電波に乗せることで今後のキャラクターを確定させ、負けること前提で陰鬱になっているユニットの発送を逆転させ、アップダウンクイズでは持ち前の知性で状況を好転させ、罰ゲームのバンジーも自分で飛んでしまう。
今回杏が見せた『アイドル世界の泳ぎ方』は圧倒的にスマートであり、これまでの描写でははっきり見えなかったプロジェクトメンバーへの愛着もはっきり感じられました。
スタジオに満ち溢れている下向きの視線は、作中世界のリアリティを製造するだけではなく、ねっとりと絡みつくプレッシャーを華麗に交わし、状況をどんどん好転させていく杏の姿を、より輝かせる仕事もしているわけです。
今まできらりに支えられ、怠ける姿をメインで捉え続けられた彼女への印象を、綺麗に反転させる見事な一手です。
この印象は視聴者だけではなく、作中のアイドルファン達にも刺さるもののはずなので、今後CIが躍進しても納得できる下地になっているのが、なかなか巧妙なところですね。

杏が華麗な泳ぎ方でCIを牽引する中、緒方智絵里は彼女にぶら下がりつつ、這い上がる姿を見せていました。
とにかく自分に自信がなく、バンジージャンプのことを考えると立ちくらみを起こしてしまう彼女は、プロデューサーの「笑顔で、出来ますか」という問いに、すぐにイエスとは言えない。(『アイドルと笑顔』はプロデューサーが幾度も言っていることで、彼にとって重要な要素なんだなと判りますね)
しかし5話で前川みくに「私もこのままは嫌だなって思ったよ」と語りかけたように、共感を示す能力に長けたかな子が今回も手を差し伸べ、自信がないままなんとか立ち向かおうという意志を見せます。
この楽屋のシーンは、CIに漂ってたネガティブな空気を反転させるシーン、上向きのベクトルを発生させ勝ちムードを漂わせる起点であり、番組OPの挨拶のようにバラバラだったCIがひとつになるシーンでもあります。
このシーンがあるからこそ、杏が落ちかけた時智絵里が手を差し伸べ、白詰草というクイズの答えにたどり着き、アピールタイムで一つに揃った挨拶をこなす説得力、成長と融和のカタルシスが生まれています。

(『杏は白詰草を本当に知らなかったのか?』というのは答えが出ない問で、智絵里を信頼してトスを上げたようにも取れるし、歴史は天才児でも専門外だったとも受け取れる描写に為っています。
モバマスアニメは過剰な情報を映像の中に埋め込み、それを視聴者が発掘していくことで深く没入していく仕掛けをあらゆるシーンに張り巡らせていますが、この描写もその一つだと思います。
過剰な謎を埋め込み消費者に自問自答させることで自発的な物語生成を促し、どんどん深みにハマらせる手筋は例えばプロレスだとか、もしくは三次元のアイドルでも多用される手法で、此処らへんの重ね合わせが個人的には面白いところです。
なお、僕個人の回答は『知ってたけど智絵里にトス上げした』です。
ソッチの方が杏ちゃんの株が上がるし、ホッコリするからね。)

高いところで周りを引っ張る杏と、低いところから這い上がった智絵里に比べると、かな子はあまり目立っていない印象も受けます。
ただ、他者に対する高い共感性を持ち、それを表明する勇気も持っているという特性は、例えば5話でも描写されているかな子の明確な美点で、それが智絵里を引っ張りあげるファインプレーにつながっています。
三人組でお話を回転させる時、『良い子・悪い子・普通の子』という古典的類型は非常に有効であり、『普通の子』は自動的に目立てない、ということなのかもしれません。


三人組といえば、第一章で主役を貼っていたニュージェネレーションは、第二章では傍観者的立ち位置にいます。
自然、積極的で物語を牽引しやすい本田さんが目立つ展開になるのですが、今回はちょっとボール持ち過ぎかなぁ、などとも思いました。
感想で幾度も述べているように、物語の進行に強く寄与している本田さんのことを僕は好きですし、評価もしているんですが、もうちょっと他の二人にもセリフまわしていいかも、と今回は感じました。

「爪痕残した」というドルヲタ的言語選択から見て取れるように、本田さんはアイドルに親しみ知識も多い、解説役を担当しやすいキャラです。
しかしそれは島村さんも同じはずで、二話でそうだったようにアイドル関係の知識を島村さんから描写したりしても良かったかなぁ、と感じました。
八話で見せた『凛ちゃんの馬の蹄鉄ウンチク』みたいな感じで、巧く発話機会を取り回せると、見せ場が分散して個人的な好みには合います。(ここら辺、有限の時間を巧く分配して全体の満足度向上を目指す、TRPGという遊びを好んでる資質が反映してるかも)
アイドルバラエティーにおいて何が正解で、何が失敗なのかという基準点は本田さんのリアクション一本にかかっているので、絶対必要な立場ではあるのですが。


個人的な気がかりの話を続けると、今回杏の躍進の陰画として目立っていたのは、諸星きらりの不在だと思います。
今までずっと一緒だと描写され、ともすれば集団から浮きがちな杏の特性を、プロジェクトに馴染ませる役割をになっていたきらりが、今回はいない。
これはきらりという巨大な庇護者を外すことで、『働きたくないアイドル』双葉杏が気弱な智絵里と頼りないかな子に挟まれる状況を作り、自発的に動かざるをえない状況を作る目的があったと思います。
結果として彼女のもう一つの特性『働く時はすごい切れ味で働くアイドル』が浮き彫りになり、仲間への責任感や愛情をしっかり持っている子なのだということも、視聴者に届いた。
あんきらの切断という選択は、今までイマイチ物語的存在価値がわかりにくかった双葉杏の株が、ぐんと上がる妙手だったわけです。

しかし、その姿は今まで見せていた『きらりにいつも寄りかかっている杏』というイメージと大きく異なります。
『きらりがいなくても華麗に泳げる双葉杏』という今回のイメージは、自動的に『双葉杏がいなくても、諸星きらりは立っていられるのか』という疑問を生み出す。
そして、今回諸星きらりは一度も画面に映りません。
今回意図的に演出された杏の反転が、今回描かれなかったきらりの姿への興味に繋がってるライン取りは、なかなか面白いと思います。
まぁ僕が個人的にきらりのことスッゲー好きだってのもありますけどね。
あの子いっつも後ろに控えて、誰かが道から外れそうだったらさらっと手を引いて、自分の力で立てそうになったらまた後ろに戻るんよ。
そう言う優しさってなかなか出来ることではないし、なんとか生き延びていく上でとても大事だと思うんよ。

僕のキャラ萌えはさておき、今まで掘り下げられなかったCIのメンバー、特に双葉杏の鮮烈な掘り下げをするだけではなく、今まで積み上げられたコンビ打ちを崩すことで次回以降への興味もかきたてる、見事な手腕でした。
過剰な読みによる妄想かもしれないですが、それは次回以降のこのアニメを追いかけることで、答えの出ることでしょう。
アイドルマスターシンデレラガールズ、のめり込まされるアニメです。