イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 15/03/19

神様はじめました◎:第10話『神様、告白される』
天狗編完結編つーわけで、次郎兄の恋が無残に散る話でした。
好きな女を守るために体は張るわ、負け戦は相手に負担をかけないうちに撤退するわ、『バスケの再来』という罵倒語(ブラコン見てた人しか通じない)使ったのが申し訳ないくらい、次郎兄は良いキャラだった。
このアニメど真ん中のあま甘ラブラブパートを食うのが主目的で見てるので、今回の古臭いくらい真っ直ぐなラブ演出は凄く良かった。
直球早いアニメ好き。

天狗編は奈々生様がゴッドとして成長した部分もたっぷり見れたし、次郎兄をアテに直球勝負の甘酸っぱいラブコメもあって、満腹な内容だったなぁ。
……自分の家の話なのに、鞍馬が全然目立ってねぇ気もするけど。
そろそろ放送期間も終わるけど、悪羅王周りに決着付けて最終話かしらね。

 

・幸腹グラフィティ:第10話『はもはも、みちちっ。』
そろそろ区切りが見えてきたし、食を武器に見知らぬ人とコミュニケーション、飯で繋がるいい話……と言いたいところだが、この作品に漂う不穏当なムードはそのままなのでどうしようもなく軋む回。
そしてこの軋みこそが、僕がこのアニメを好んで摂取している理由なので、素晴らしい回だった。
唐突に全てが不安になるきりんも、友達の不安に何ら有効なアシストを上げていないのに収まるべきところに収まった感じが出てるリョウも、中3に人生アシストされる社会人1年目というラブライカよりアウトな年齢差のゲストキャラも、全てがギシギシ言ってた。
素晴らしい。

このアニメ食事という物品それ自体が重要であって、誰がどう作りどういう味なのかという差異が結果に結びつかない辺り、食事を扱ったフィクションとしては凄い異質だと思います。
デリバリーのピザをリョウの部屋で食べることで、ゲストとの距離は確かに縮まってんだけど、ならリョウが料理得意っていう設定は何に使うの? という疑問がわく。
かと言って『気持ちがこもれば何でも大丈夫!』という結論に行きかけたきりん料理回以降、二人の作る-食べるという共依存に変化があった様子もなしで。

食事という物品が刹那の快楽をはらんでるのは分かんだけど、共食という行為が持続可能な関係の強化に繋がるのか、各回でかなりブレてる気がすんだよね。
飯をみんなで食う事で閉じていきたいのか、今回みたいに開いていきたいのか、それとも『両方の方向性を持ってる食事って可能性に満ちてるよね』って言いたいのか。
十話まで見てもやっぱり判んない。
独特の歪さを喜んで食ってる身としては、このブレもまた楽しみの一つなわけですけどもね。

 

ユリ熊嵐:第10話『ともだちの扉』
最終回を前に一話しっかり使って、るるちんを氷の世界に送り出すエピソード。
クマとユリの間を狡賢く立ち回っていた作中唯一の大人、ユリーカ先生が居なくなったからか、学生たちの透明な嵐は本格的な暴走を開始。
壁の内側に残ってしまった紅羽と銀子の運命や如何に、というところでしょうか。

今回は徹底的に紅るる回でして、細かく細かく少女の心が揺れて動いていく様を、たっぷり尺を使って描写していました。
おそらく今回がエピローグ前最後の出番となるるるちゃんは、キャラクターを総括するべく、丁寧に自分の心情を喋り、主人公に真心を残して去って行きました。
途中すんごい勢いで死亡フラグスカウターが数字を上げており、「おいィ? るる死亡は許されざるよマジ!!」とかなってましたが、死ななくて良かった……。
やっぱ可愛いし良い子だよなぁ、るるちん。
かなり好きっすね、ええ。

るるに対応していくことで、紅羽も自分自身のテーマである『クマとユリの間の断絶にどう相対するのか』という問いに、答えを出していました。
るるを抱きしめる決断をすることで、クマである銀子を迷いなく愛する事前準備を済ませるという流れは、なかなかスムーズ。
最後すんごいストロングスタイルのツンデレでるるを追い出してましたけど、まぁ壁の中碌でもないからね……。


一見銀子を間に挟んでスキとキライで拗れているようにみえる間柄ですが、スキとキライ、ユリとクマ、過去と現在の間で面倒くさいことになってるのは、実は登場人物全員同じ。
真っ先に解決したのがるるだったというだけであって、三角関係だから複雑な関係だったというよりは、作品自体が複層的で相矛盾した感情を要求している、という感じですね。

王子様に奇跡を起こしてもらって、弟を失ってしまった自分を救いたい気持ち。
自分より紅羽がスキなのを知っていても、まだ銀子がスキな気持ち。
るるちゃんが抱え込んでいる気持ちはビューティーが指摘していたように、矛盾に満ちています。
その上で、断絶の壁を超えて触れ合った紅羽に、恋敵でも捕食対象でもない、友人としての感情を持ってしまっているのが、ここまで状況がこじれた理由の一つです。

感情と行動に矛盾が満ちているのは紅羽も同じで、『クマは殺す』という建前であり本音でもある気持ちと、クマであるるると友達でありたいという気持ちは、透明な嵐吹き荒れる壁の中では両立できない感情です。
今回透明な嵐が学園の外に飛び火し、魔女狩りめいた過激さを加速させていたのは、矛盾を矛盾のまま維持できるモラトリアム期を終わりにして、決断への圧力をかける意味もあるかと感じました。
いや、殺獣メーサー車とサイボーグゾンビクマ、出したかっただけかもしんないけどさぁ……。

似ている二人は、その矛盾を解決する糸口を既に掴んでいる、というところまで似ている。
るるは紅羽が銀子を撃つ状況を産んでしまった、己の発言への後悔。
紅羽は取り戻した過去の記憶と、母親の死の真相。
いま「それが正しいと思える」ことを貫くためには、過去と真っ向から向き合い、自分の起源を確認することが重要なわけです。

 

過去に向かい合うといえば、親世代の関係を現在の少女たちが再演していく構図は、事態がクライマックスに向かうにつれ強調されています。
今回で言えば、過去において澪愛-銀子が行った逃亡幇助が、紅羽-るるでリピートされている。
クマに戻ったるるが布で包まれているのは、露骨に赤ん坊のイメージ、無力さと無垢さの強調でしょう。
弱くて純粋な存在を逃した後、澪愛はユリーカに食べられたわけですが、紅羽もまた銀子に狙われた所で今回終わっています。

悲劇もまた再演されるのかなと悲観する局面ですが、過去とは類似もあれば合同もあるというのが、このアニメでの再演の法則。
今回で言うのなら、自分勝手で暴力的≒クマ的な愛情を乗り越え、恋敵とすら友達になれた紅羽とるるの関係性は、ユリーカ先生がついに手に入れられなかった夢だと言えます。
今回のエピソードは紅羽とるるのお話であると同時に、紅羽とクマ、紅羽と銀子とのお話でもあるわけで、そこで出た結論「私は、友達を排除させたりしない」もまた、るるだけではなく銀子にも適応できることでしょう。

同時に、蜜子≒クマ性と一体化した今の銀子は、最初から優しく理性的≒ユリ的なクマだったるるとは、全く別の存在でしょう。
絵本の結末のように、断絶の壁を超えた新しい世界へ歩み出せるか否かは、今回一つの答えに辿り着いた紅羽が、土壇場でいかなる決断をするかに賭かっています。
作品全ての価値が主人公の決断に集約していくこの流れ、まさにクライマックスというのに相応しい。
ユリ熊嵐最終盤、いったいどうなることか。
楽しみですね。

 

アイカツ!:第125話『あこがれの向こう側』
不出生の主人公、星宮いちご二年半の物語、そのエンドマークでした。
第50話『思い出は未来のなかに』、第100話『夢への翼』、そして劇場版に続く、四度目の最終回。
四回も物語を終えなければならないほど沢山のものを背負えたのは、星宮いちごという女の子の器の大きさ故、となりますかね。

今回のお話は徹底的に『夢』にまつわる話なのですが、ソレイユの三人組、特に星宮いちごは、アイドルという『夢』を追いかけ続ける物語に居座るには、『夢』を叶え過ぎてしまっているわけです。
憧れだった神崎美月に追い付き、追い越し、『アイドルの天井』という苦しすぎる立場を引き継ぐ夢。
仲間と一緒に輝ける場所が何処か探し、そこに辿り着き、アイドルで在り続ける夢。
名実両面において、星宮いちごは物語の中で最も充実し、それ故最も変化のない位置に辿り着いてしまった。
だから、今回の本当の最終回がやってきたわけです。

今回ソレイユが語る『ソレイユを続けていく』という夢は、とても立派で、かつ困難な夢です。
しかし同時に、物語の内部で語っていくには、あまりにも進行が見えにくい夢でもあります。
例えば、神崎美月に勝つ。
例えば、アイドルランキング一位になる。
そう言うわかりやすい指標をすべて達成してしまった現在、ソレイユに残されている物語は如何にしてピークを維持し、頂点に奢らず昂らない精神的成熟を見せるかという、わかりにくい物語しかありません。
頂点に到達した後も人生という物語は当然続くのですが、10代の少女の成長物語というフレームは、成熟しきった彼女たちの、リアルで地道な夢の物語を受け入れるには、窮屈に過ぎるわけです。
サブタイトルを借りて言うなら、『あこがれの向こう側』に辿り着いてしまったソレイユは、あこがれに向かって走り続けるアイカツ! でやることが、もう残っていないのです。

その上で、『夢を叶えた後の夢』というものは意味のあるものだし、そう言う物語性の薄い人生の物語を、これからあの子達は生きていくのだよと語りかけてくれた今回のお話は、125話見てきた僕には、これ以上無く突き刺さるお話でした。
映画『SUPER!』で言われた表現を借りるのであれば、スターライト学園という世界から旅だった彼女たちの物語、ソレイユを続けていくという夢は『コマとコマの間で起きている』物語です。
カメラが回り、映像の中に捉えられていなくても、星宮いちごと霧矢あおいと紫吹蘭の『コマとコマの間』の人生は続いている。
それは、劇的ではない瞬間もまた生き続けなければいけない僕達の人生と、同じような生き方を彼女たちがしていくのだ、という宣言ではないのでしょうか。
そう言う退場を、キャラクターに対して用意できる物語というのは、豊かだし優しいと思います。


今回、第50話『思い出は未来の中に』をリフレインする演出が、随所に見られました。
EDテーマをフルで流しつつ、別れの準備をオーバーレイして行く演出は、星宮いちごが最後のステージを終えアメリカに旅立って行く時のシーケンスに被ります。
バスの中で今まで歩んできた道を振り返るカットも、空港までの道のりに似ている。

しかし類似とは差異を強調するためにも使われるわけで、星宮いちごの物語が一度終わった第50話に比べると、いちごは一人で物語から旅立っていくのではありません。
別れの準備は三人でするし、涙をこらえながらの旅路だったバスは、お菓子を食べて笑顔でいられる空間になっている。
それは、あまりにも偉大な主人公だった星宮いちごを、本当の意味で退場させる素地がようやく整った、ということなのでしょう。

一年間の成長すべてを詰め込んだ第50話の直後、第51話『ロックなあの娘はドリーム☆ガール』ラストで、星宮いちごは北米から帰還します。
一年目で既に成長物語的な要素をほぼ使いきってなお、星宮いちごは主人公でいなければいけなかったわけです。
そして、彼女がスターライトという場所に帰ってくるためには、霧矢あおいは一緒に旅立つわけには行かなかった。
星宮いちごを無事物語に帰還させるためのビーコンとして、第50話において霧矢あおいは置き去りにされたのです。

しかし、三人とも自分の物語を終えた今回は、みんな一緒に旅立つことが出来る。
125話の旅路を終えて、紫吹蘭も、霧矢あおいも、そして星宮いちごも、圧倒的に『大人』なアイドルになりました。
それは、ソレイユツアーの準備をするプロジェクトルームの描写を見ていれば判る。
『大人』に混じって、というか『大人』として自分の仕事に邁進し、『大人』を引き連れさえする彼女たちは、やはりもう『子供』の成長物語の主体としては、完成しすぎているのです。
だから、みんな一緒に人生の物語に旅立っていく今回は、ソレイユの最終回にせざるを得ないわけです。

物語的な推進力を使いきっても、キャラ人気という残骸だけで物語を飛び続けることは、多分可能でしょう。
しかし、それは星宮いちごという少女がここまで愛された理由、彼女がキラキラし続けていた原動力に、作り手側から背中を向ける行為に他なりません。
『コマの内側』、成長物語という形態でやれることをやり切ったキャラクターが、過去の後悔を取り戻すように揃って退場していく終わり方は、本当に見事でした。


終わりを完全に描ききった上で、そこに成長の物語に接合する貪欲さが、アイカツ! らしさと言えます。
前回、神崎美月も星宮いちごもいない世界で『アイカツ世界の天井』を担うべく、SLQ杯がその価値を高められていました。
冒頭で貴重な時間を割いて描写されていたさくらちゃんの雄飛も、その一環といえます。

そして、そのSLQ杯を大空あかりが狙うと宣言する。
ソレイユが完璧な形で終えた『アイドルを目指す少女の、成長物語』という物語形態を、星宮いちごに成り代わって邁進していくと声高に叫ぶ。
大空あかりが第76話『びっくり☆フレッシュガール!』で登場してからの49話は、このシーンをやるために存在していたと言っても過言ではないでしょう。

今回あかりジェネレーションの三人は、ソレイユが達成した『夢』、これから維持していく『夢』を、己のものとしては実感していません。
それは当たり前のことで、これからのアイカツ! は、あかりジェネレーションが今回のソレイユの位置、『夢』に到達してなお、人生の物語を歩める境地にまで、全力で駆け上がっていく物語になるからです。
『あこがれの向こう側』がどんな景色なのか、見ていないからこそ見てみたいと願う気持ち。
それこそが、アイカツ!を125話引っ張ってきて、これからのアイカツ!を引っ張るべきエンジンでしょう。

山の頂上に立つ前から、眺望絶佳を体験できるわけがないように、ソレイユが辿り着いた『夢』は当然、あかりジェネレーションの『夢』とは違う景色です。
その上で、先達が辿り着いた景色に憧れ、その高みを目指して走り続ける姿勢こそが、アイカツ! を圧倒的に魅力的な成長物語として輝かせる原動力になります。
サブタイトルにある『あこがれの向こう側』に辿り着いたソレイユを目指し、今後あかりジェネレーションは憧れに向かって走り続けます。
その構図を鮮烈に確認すること、4月以降まだ続かなければいけないアイカツ! が何を目指して走り続けるかを見せることが、今回のエピソード、2つ目の狙いなのです。

アイカツ! が二年目の真ん中から丁寧に続けてきた世代交代、その終点として、一切文句のないエピソードでした。
星宮いちごがなにゆえアイカツ!世界の真ん中たり得ていたのか。
これから大空あかりがアイカツ!世界の真ん中を目指す上で、何を大事にするべきか。
お話の根本的な土台を再確認する、素晴らしいエピソードでした。
四月からのアイカツ!新章、心から期待しています。

そしていちごちゃん、あおい姐さん、蘭ちゃんさん。
本当にお疲れ様。