イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 15/03/31

蒼穹のファフナー EXODUS:第12話『戦場の子供たち』
インドも島も地獄絵図、息つく隙なしな一期終盤戦であります。
インドの方はままならない難民護衛と大量の犠牲、島の方は子供たちの変貌と、どっちの釜の中身も絶望で満たされててホント……ホント……。
フェストゥムの学習設定が単純に能力面だけではなく、闘いの意義にも影響を及ぼしてるってのが最高にシンドいですね。
悪意を学習したおかげで、同化せずに殺す描写が多くて、すげーイヤですね。

強化アザゼル型が強すぎだとか、弓子さん(偽)の珪素生命体的考え方が怖いとか、とにかく難民移動が難しすぎるとか、悪いことばっかなインド。
唯一の救いは苛烈な戦闘の中で、ビリーの冷静かつ真摯な態度が見えたこと、それにメディア担当である広登が理解を示しているところかなぁ。
暉にしてみりゃ、救いも何もねぇとは思うが……。

島の方も子供が代償に怯えるので、女二人が戦線復帰する羽目に。
作中でも言われてたけど、あれだけ人間止めるのが解りやすいと、そらチートも使いたくないわな。
こういう風に、作中の選択に『まぁしょうがねぇよ』と共感できるかどうかは、結構大事だと思います。
カノンと咲良に関しては、自発的モルモットという悪趣味極まる状況が、現状取れる唯一の手筋だという悲壮さがシンドい。

このアニメに関しては終盤になったからといってスカッと大逆転ということはなく、活劇の裏には不安が、勝利の陰には破滅が待ち構えているアニメです。
逆に言えば、ただストレスを掛けるだけではなく、苦しい歩みの先にある到達点も真剣に描いてくれるアニメですので、残り一話をどう使って2クール目につなげるのか。
こう云う展開の中でも期待できてしまうのは、やっぱ凄いアニメだなと思います。

 

神様はじめました◎:第12話『神様、求婚される』
めんどくさい狐が♪ごめんね素直じゃなくって 夢の中なら言える♪とばかりに、夢の中で求婚してしんみりと終わった最終回。
ホントあの狐はめんどくせぇな……面倒くさくなくなったらあっという間に終わるのが少女マンガラブコメなので、ある意味仕方がねぇが。
このアニメらしいゆるやかな本筋と、要所要所のギャグテンポは最後まで健在で、非常に健やかな気持ちで見れた。

僕は時々『素敵な女の子と面倒くさいイケメンがキャイキャイするアニメが見たい! 見ーたーいぃ!!!』と深夜に身悶えする趣向を持っていますので、クール1本くらいそう言う欲求を満たしてくれる作品が見たくなります。
ソフトで暖かな雰囲気、甘くて直球なラブコメ、テンポの良いギャグ、応援したくなる奈々生様、面倒くせぇ巴。
欲しいところに必要なパーツが全部集まり、癖なく楽しめるこのアニメはホント有り難いアニメでした。
二期は奈々生様が人神として成長した部分をしっかり見せてくれて、そこも嬉しかった。
最後も情感タップリで終わってくれたしなぁ……良いアニメだ。

って、悪羅王のお話全然決着ついてないじゃんッ!!!!
満足度高いアニメだったけど、そこんトコロだけは全く終わってねーので、いつか続きおねがいしますね。
……一期→二期のスパンを考えると、2018年か……オリンピックも近いな……。

 

・幸腹グラフィティ:第12話『しみじみ、むぎゅっ。』
あなたとわたしと料理とディストートなアニメも、ついに最終回。
高校に合格したり依存性恋愛が同棲に発展したり、色々起きてるっちゃあ起きてるのだが、根本的に二人の世界なので何も変わっていないといえば変わっていない。
いかにも、確かにこのアニメらしい終わり方だった。

このアニメにおける食事が如何にも『世界と繋がるための窓』であり、つねづねそれを追いかけ続けた爽やかで開かれたアニメみたいな面して終わってたが、そう言いたいのであれば、最後のシーンはきりんとリョウ二人で終わるべきではない。
最後の最後に対面の関係を持ってきたということは、やっぱりきりんとリョウの閉じた関係が食事と関係あるように見せておいて、それとは一切関係なくドライブしていく過程こそ、このアニメの核(本質ではない。多分このアニメに本質はない)だったということを見せつけていた。
いつものように二人の関係から切断されている椎名であるとか、作中ほぼ唯一食事が縁を取り持った内木先生との関係がすれ違いで終わる所とか、如何にもこのアニメらしい閉じ方だ。
『世界と繋がるための窓』は一種のエクスキューズであって、壁にかけられた絵でしかない。

健全なフリをしているのに、閉じていこうとする指向性があまりにバレバレで、薄皮一枚保たれている『青春コメディ』という外殻と、実態として描かれる二人の関係は常に軋んでいる。
素麺からカツ丼まで全て同じ切り取り方(湯気と汁気の強調、食感は柔らかさのみ重点、ハイレゾとスローモーションの多様。一般メディア化した『旨さ』の演出そのままであり、つまりポルノグラフィが使う映像言語の流用だ)をする食品描写、極端な色彩とレイアウト。
軋んでいるのは作品ジャンルと内実の差異だけではなく、映像の中の言語も、キャラクターたちのエゴも、全てがいびつなのに型の中に押し込まれ、窮屈そうに歪んでいる。

僕がこのアニメをグチグチ腐しつつ好きで見続けていたのは、その歪みに製作者側が自覚的だと感じたからだ。
静止してで死んだ欲望を、『飯なんてどうでもいいから目の前の女と閉じていきたい。時間を止めてしまいたい』という欲求を、否応なく僕たちはオタク的と言われる文化、ジャンル、諸作品に叩きつけて殺してしまっているわけだけど、自分たちが殺人者であると自覚し、今出しているのが葬式の写真だと認識し、それでもなおそこから見えるものがあるかも知れないと希望(もしくは欲望)するスタンスは、ひどく照れくさそうで回りくどく、好きだ。
このアニメは多分何処にも辿り着かないけれども、それを承知でやりたいようにやって、その癖倫理的であるふりをして、貼り付けた言い訳の内側から過剰なモノが染み出してしまっている捻れ方が、僕は好きだった。

主役二人が陥ってるグズグズの相互依存を身近に感じつつも、作品全体と製作者が置かれた奇っ怪な状況の方に愛着が湧いていくという、なかなかレアな視聴体験をさせてもらった。
つまるところこのアニメ、とてもヘンテコなアニメであり、僕はヘンテコなアニメが好きなのだ。
いいアニメでした。