イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルマスターシンデレラガールズ 12話感想

アイドルマスターシンデレラガールズ:第12話『The magic needed for a flower to bloom』

○全体の構成
1)はじめに
2)三つのグループ
3)New Generationの場合
4)Candy Islandの場合
5)凸レーションの場合
6)*の場合
7)ラブライカの場合
8)全体練習
9)レクリエーション
10)大団円


1)はじめに
前半の大トリを飾るアイドルフェスに向け、1~7話のNG編、8話以降のユニット編の資産を活用して、プロジェクト全体の今を見せる合宿回。
であると同時に、CP最年長ながらあまり目立たなかった新田美波を真ん中に据え、リーダーシップの意味を再確認していく回でもありました。
クライマックスへの繋ぎ回というにはあまりにも巧みな構成で、お話の輪っかを繋ぐジョイント部分でも一切ゆるがせにしない気合を感じましたね。

今回のお話もデレアニらしい多角的なテーマ描写が埋め込まれているのですが、その核になるのは『集団としてのシンデレラプロジェクト』という視点。
これまでのお話でCP全体として何かをしたことは実は少なく、3話でのバックダンサーはNG、6話のデビューステージはNGとラブライカ、8話以降は各ユニットと、全員が同じステージに登る展開は、今回はじめて切られたカードになります。
人数が増えればそれだけお話の舵取りは難しくなるわけで、秀逸なユニット回を繰り返し、物語的・キャラクター的な資産が溜まったこのタイミングだからこそ、触ることの出来るテーマといえるかもしれません。

14名の集団がいきなり纏まる展開は説得力が薄いですし、何よりカタルシスを与えるためのストレスを見逃すのは美味しくない。
集団の前に立ちふさがる困難として今回与えられるのは、全体曲という課題です。
振り付けを見れば、この曲が今まで何度も見てきたOP曲『Star!!』であるというのはすぐ判ります。
馴染みのある曲を使うことで、『巧く行ってほしいな』という期待感と、『巧く行くんだろうな』
という安心感を言外に与えているのは、なかなか巧妙なセレクトと言えます。

全体曲という新しい試みが出ると同時に、お話を牽引し調整してきたプロデューサーは舞台から下がります。
これにより問題解決をプロジェクトメンバーで行わなければいけなくなり、メンバーにかかる圧力も増加する。
プロデューさーの不在というストレスを早めに掛けることで、リーダーの選出と不破の解消というカタルシスも増大していて、巧い操作だと思います。
Pが残ってると、彼が魔法かけちゃって新田さんの話にならないからね。

 

2)三つのグループ
この全体曲を前にして、CPは3つのグループに別れます。
『出来る奴』と『出来ない奴』、『その他』の三つがそれであり、各ユニットがこの組み合わせで基本的に構成されます。

具体的な名前を上げると
○出来る奴  本田未央双葉杏諸星きらり前川みく新田美波
○出来ない奴 島村卯月、神崎蘭子緒方智絵里
○その他   渋谷凛、三村かな子多田李衣菜赤城みりあ城ヶ崎莉嘉、アナスタシア

となります。

一番最初の『出来る奴』グループは、これまでの話しの中で各ユニットを引っ張る原動力になったり、誰かが崩れそうになったタイミングで手を差し伸べてきたりした、リーダー的資質のあるキャラクターです。
新田さんは此処に入る描写が今までない、リーダー『らしくない』キャラクターなのですが、今回主役としてリーダー的資質を開花させ、お話を落着させる仕事を担当することになります。
今までの行動から見て、此処に位置するキャラクターが集団の問題点を解決し、物語を収めることを期待されるわけですが、今回のお話は『新田美波の武器はリーダーシップであるが、それはどう妥当なのか』という問題を掘り下げていく回。
過去のエピソードにおいて凹みそうになったお話の風船を膨らませ、引っ張ってきたキャラクターは、丁寧に後ろに下がることになります。

ニ番目の『出来ない奴』は文字通り、集団の中の一番弱い輪っかとして、問題点を浮き彫りにする立場です。
彼女たちの『出来ない』様子をしっかり描写することで、乗り越えるべき問題の深刻さ、そこを突破できるようCPを導いていく新田美波の能力が視聴者に伝わり、物語のカタルシスになる。
『出来ない』彼女たちに適切に対応できているか否かが、『出来る奴』グループの中で誰がリーダーとして最適なのか決める、重要な試金石になります。

三番目の『その他』グループは、大きな問題は抱えておらず、かと言って事態の解決を担当する資質もない、中間的な立場です。
彼女たちの仕事は『出来る奴』が何故リーダー足りえるのか(もしくは足り得ないのか)を強調したり、CP全体の問題点とその解決がストーリーの中でクリアに見えるよう、細かい調整を行うことにあります。
基本的に各ユニットでリーダー-相方-出来ない奴が構成されてるのですが、途中で凸レーションが分解されて、子供チーム+*ときらり&智絵里に組み直されています。

 

3)New Generationの場合
では、各まとまりごとに、今回のお話で果たしている物語的役割を考えていきます。
まずNGのダイナモ本田未央ですが、彼女は今回『間違える役』を担当しています。
本田さんが間違った方向に行き、それを新田さんが正していくことでリーダー新田の物語が形になっていく、重要な立場です。

本田未央の『いつも元気で明るい』というイメージの底には、生真面目かつ不器用な人格が秘められているというのは、例えば3話での追い込まれ方や6.7話での対応を覚えていれば、すぐに納得がいく所です。
今回彼女の生真面目さはあまり良い方向には進まず、人を思いやる視野も狭まってしまっている。
7話での『失敗』を気に病み、巻き返しに意気込むあまり、周囲への気遣いを置いてきてしまっている様子は、汗だくの島村さんを急かす出だしからして、既に見て取れます。
この『とにかく頑張ろう』という本田未央のやる気の押し付けは、『出来ない』グループにとってはプレッシャーになってしまっており、彼女が頑張れば頑張るほどメンバーからは笑顔が消えていく。
『笑顔』がこのアニメにおいてもっとも重要なアイドルの資質、成功の条件だというのは幾度も描写されてきたので、彼女の過剰なやる気は、あまり良いモノではありません。

無論真摯さはステージを成功させる上で絶対に必要なのですが、それに囚われすぎて誰かを追い詰めていく構図は、6~7話で本田さん自身が体験した状況と重なります。
これは過去の失敗から学んでいないというわけではなく、本田さんという人格が持っている根本的な傾向、キャラクター性が、苛烈な生真面目さにあるのだと思います。
同時に二度致命的な失敗をするのではなく、新田さんが提示した『生真面目な遊び』の効果を実感して己を鑑みるシーンを見れば、彼女が成長しているのも見て取れる。
このアニメにおける成長の描写は本当に地道で、簡単には覆せない各キャラクターのカルマに、真向から向かい合っている姿勢が見えますね。


その上で、新田さんの狙いを理解してからは生来の積極性がいい方向に作用し、メンバーを引っ張って行く前向きさが肯定的に描かれているのは、悪役だけを担当させない丁寧な取り回しです。
三人四脚で蘭子が出遅れた時、大縄跳びで智絵里が躓いた時、一番最初に声を出しているのは常に本田さんです。
これは今まで視聴者に見せてきた本田さんの資質を、新田さんも把握していた結果だと思います。
真摯さに凝り固まった視野が広がり、本田未央『らしく』サポート出来るようにするまでが新田さんの仕事であり、それが終わったら『いつもの様に』本田未央が前に立って周囲も見るスタイルに戻すというのが、新田さんの計算だったのではないでしょうか。

結果として今回見せた新たな資質、『らしくなさ』を買われ、新田さんは全体のリーダーに収まるわけですが、その流れの始点になるのも本田さんです。
集団の中で牽引役として認められている本田さんが切り出すからこそ、新田さんのリーダー就任は自然だし、納得の行くものになる。
今回最もカメラに収まり、自分の物語を展開していたのは新田美波ですが、彼女に反発し受け入れ変化することで、自身のキャラクターを見せていた本田未央もまた、今回の主役と言える扱いを受けていたと思います。


本田さんに対応する相方は渋谷さんになりますが、今回彼女は、本田さんの間違えを加速させていく仕事をしています。
『出来ない』島村さんに的確な助言をするでもなく、3話で見せた『らしからぬ』リーダーシップを発揮するでもない。
新田さんの提案に当惑しながら付いて行き、本田さんからのバトンを落とすことで、本田さんが振り回す『苛烈な生真面目さ』がこのエピソードにおける正解ではないことを強調するのが、今回の凛ちゃんのお仕事と言えます。
本田さんと凛ちゃんが間違えることで、新田さんの秘めたるリーダーシップが見えてくるので、損な役回りとはいえ、大事な立ち位置ですね。

NGの『出来ない』担当は島村さんで、これは今回だけではなく、シリーズ全体を通して強調される彼女のカルマです。
そもそも物語に初登場した時から、彼女はレッスンが上手く行かない、『出来ない』存在として努力し続けるキャラクターでした。
比較的スムーズに課題をこなしていく『出来る』本田さんが、『出来ない』彼女を理解できないことで、本田さんが今回リーダーたる資質を失っていることが見えてくる。

同じように『出来ない』状況でも、智絵里は「ごめんなさい」と謝り、蘭子は布団を被り、島村さんは「頑張ります!」と答える。
出来ないことへの三者三様にもキャラクターのカルマが見えるわけですが、島村さんのキャラクター性たる努力と折れない心は、もう頑張らなくてもいい状況、頑張ってもどうにもならない状況を想起させ、不安を増幅させていきます。
これは先のお話(もしかしたら二期)で回収される要素だと思うので、今回何かの結果を出さなければいけないという描写ではないのですが。
埋め込まれた不安の発露と解消は、いつか必ず来ることでしょう。

 

4)Candy Islandの場合
次に第9話でCandy Islandが晴れの舞台を走り抜ける原動力となった天才、双葉杏のリーダーシップを見てみましょう。
杏ちゃんは圧倒的に『出来る』女であり、同時に『出来ない』奴らの事情も分かっている。
周囲が見えているからこそ、14人いるメンバーの中で唯一全体を見渡して「全体曲をやる余裕が無いなら、やらないという選択肢もある」という発言が出てくる。
練習時間が少ない中での全体曲という課題は、双葉杏にとっては過大な負荷であり、そこで無理をしないのが、彼女のスタイルということになります。
CIの残り二人なら自分の才能で背負ったまま走りきれるけど、CPの12人全員を背負う器量はさすがに持ち合わせていない、という判断もあるでしょう。

杏は集団の輪を乱してでも本当のことを言う勇気も持ち合わせていて、未央の『とにかく頑張れ』路線を「エネルギーの無駄」と言い切り、ストップを掛ける冷静さが見えます。
『とにかく頑張れ』路線が三人の『出来ない』子達に大きなストレスを与えていたこと、未央がそのことに気付いていないことを考えると、この空気を読まない発言は、『失敗しない』という意味合いでの成功、消極的成功を見据えたクレバーな意見です。
CPは最終的に新田主導で団結を深めることに成功し、プロデューサーが提案していた『もう一歩、新しい階段を登る』積極的成功を手に入れるわけですが、新田さん自身もプロデューサーに強く推されるまで、『やりきる』積極的成功ではなく『やらない』消極的成功を見据えている節があります。
つまり、CP全体の状況認識、視野の広さにおいて杏ちゃんと新田さんは同じラインに立っているわけです。

その上で、なぜ杏ちゃんがリーダー足り得なかったかというのは最終的にはキャラ性に帰するところであり、『杏はそういう人間じゃないから』という答えになる。
ラブライカとしてデビューを果たし、『新しい階段を登る』体験を貴重なものとして記憶しているのは、極力働きたくないアイドルである杏ちゃんには無い体験です。
危うい賭けのために自分のキャラクターを曲げて、積極的成功を拾うためのモチベーションが、双葉杏というキャラクターが経験してきた物語には欠けている。
とは言うものの、第9話での完璧な仕事っぷりを見るだに杏ちゃんはCPにもCIにも愛着があるし、自分が可能な範囲で『らしくない』ことをする覚悟もある。
CPの事を真摯に考えていればこそ、『とにかく頑張る』状況に付いていけないメンバーの存在に気付き、問題点を指摘もしたのだと、僕は思います。


杏が持っているクレバーでクールな感性は皿洗いのシーンにも現れていて、智絵里とかな子がどん臭く仕事を続ける中、杏はとっとと自分の受け持ちを終わらせて着座している。
ペースが遅いとはいえ問題なく仕事が進んでいるのだから、隣り合って手伝うことはしない。
双葉杏の判断は、こう言うシーンでも合理的です。

この後智絵里が『失敗』という言葉をトリガーに皿を割り、「ごめんなさい」と謝る。
緒方智絵里の自己評価の低さと、失敗を強く恐れて縮こまる姿勢は、第4話や第9話でも描写されていた、彼女の根本です。
それは、CIで一定以上の成功を収めてもやはり、完全に克服はされない。
今回様々なキャラクターの欠損(欠点ではない)が描写されているのは、成長物語として現状、各キャラクターが何処にいるのかを再確認させる意味合いを感じます。

そして『色んな成功体験を積んでも、人格の根幹にある要素は簡単に変化しない』というのは、今回の描写に共通する通奏低音です。
本田未央の過剰な生真面目さも、双葉杏のクールさも、そうそう変わりはしない。
その事がキャラクターが物語の中で生きている感じを強く出し、視聴者の愛着や信頼を引き寄せてもいるわけで、簡単に変化させてはいけない部分でもあるわけです。
その上で、涙目になってる智絵里を前にして椅子を蹴って近寄り、「大丈夫?」と言葉を掛けるシーンを画面に移しているのは、クールで天才で怠けたがりという側面だけが、双葉杏の全てではないと示していて、とても良い描写だと思います。

ここで『CPのお母さん』きらりがやって来て、智絵里をケアする描写が入るのですが、CIで一緒の杏ちゃんが最後まで智絵里を背負わなかったのは、杏のクールさというよりも、きらりへの信頼の
描写だと思いたい所です。
今回杏ちゃんはいつもの自分から踏み出すことに少し臆病であり、それは新田さんを唯一の状況解決者として際だたせるためにも必要な動きです。
しかしそういう物語の都合以上の、キャラクターたちの繋がりを感じ取れる描写があればこそ、視聴者は彼女らに親近感を覚え、好きになっていく。
キャラのカルマと物語的役割を踏まえた上で、そこから少しはみ出した真心が見えてくる描写が、今回は多いと感じますね。

 

5)凸レーションの場合
『ユニットごとに出来る・出来ないの濃淡を作ることで、各キャラクターのリーダー適性を見せる』という今回の基本則に対し、凸レーションはかなり特殊な位置にいます。
莉嘉とみりあの子供部隊は今回、持ち前の直感で本当のこと言って、問題点や美点を表に引っ張りだす仕事を担当しています。
みりあの「振付全然合わないね」という言葉に衝撃を受けているのが、『出来ない』グループの三人であることを見れば、子どもという『無垢なる天才』こそがこの物語で二人が期待されている仕事(の一つ)であることが分かります。

二人は同時に、*の対話役となって、彼女たちの発言を引き出す仕事もしている。
年齢だけを成否の基準とするならば、最年少の二人は真っ先に『出来ない』立場を担当しそうなものですが、リーダーには無論なれないにしても、ウィークポイントでもない立場にいます。
年上でもストレスに弱ることがあり、年下でも弱った仲間を支えることが出来ると言う描写は、凸レーションユニット回である第10話でも色濃く描かれたポイントです。
みりあと莉嘉がそれなりに『出来る』けど、不穏な状況を突破する先頭に立つわけではないポジショニングは、シリーズを通した集団の描き方に則った、理由のある描写だと言えます。
最年長の新田さんがこの話までリーダーシップを取らなかったこともそうなのですが、このアニメーションにおいて年齢は、能力や状況への適応性、集団内部の役割と無条件に直結する要素ではないようです。


皿を割った智絵里に寄り添い、安心させる言葉をかけていたきらりが縁側でブルーになっている描写も、この基本線の上にあります。
後に借り物競争で示されるように、実年齢以上に大人びた『CPのお母さん』としてメンバーを常時気にかけ、ケアし続けているきらりですが、智絵里に見えない所でずっしり沈んでいる。
集団の最後尾を常に守っているきらりを凹ますことで、現在CPが陥っている状況の重たさを見せ、重荷を引き受けるきらりを更に背負うことで、新田さんのリーダーシップの片鱗を見せるシーンでもあります。
床に据えたカメラで、椅子とすりガラスを挟んで二人を描写するレイアウトが、非常に神戸守的ですね。

諸星きらりという少女にとって、集団全員が良い気持ちであること、『ハピハピ』できる事が重要だというのは、彼女が画面に映るシーンの演出全てを貫く、強烈なカルマです。
3話で憎まれ口を叩こうとした前川の発言を、空気読んで空気読まずに潰しにかかるのも、李衣菜や蘭子といった孤立しがちな子に、集団としての空気が出来る前から積極的に声をかけていたのも、ソファカバーという、みんなが使って楽しい気持ちになれるものを私物として持ってくるのも、彼女の根本にある『ハピハピ』のためです。

常に笑顔を忘れず、デカい長身折りたたんで他人の視線に立っている彼女はしかし、誰かが『ハピハピ』出来ない状況、自分の中の『ハピハピ』と他人の『ハピハピ』がズレている状況には、極端に弱い。
第10話で彼女がついに折れかかるのも、プロデュサーとはぐれるという不安な状況で子どもたちを守るべく無理をして、結果莉嘉が肉体的ダメージを負うという『ハピハピ』のズレが原因でした。
諸星きらりは関係する人間みんなが幸せになるためなら、どんな労苦もいとわない強さを持つと同時に、『ハピハピ』を保つための努力が誰かを傷つけてしまった時、上手く対応できない脆さを持っているわけです。

今回もまた、『ハピハピ』のズレがきらりを苦しめています。
『みんなで楽しい』ということを何より重視するきらりにとって、全体曲はとても『ハピハピ』になれる、挑戦しがいのある課題です。
であるのですが、能力や適性が咬み合わず巧く出来ないメンバーがいること、全体曲が必ずしも『ハピハピ』を呼び込まないかもしれない事に、智絵里とかな子の様子を見るうちに気付いてしまう。

そして、そのズレを解消する具体的な方策を思いつかないからこそ、きらりは縁側で一人塞ぎこむ。
杏ちゃんがクールに全体を見渡しつつ全体曲に強い意欲を持たないのとは反対に、きらりは全体曲に高いモチベーションを持ちつつ、解決策を見失っている。
全体曲への強い意欲と、『出来る・出来ない』のギャップを上手く解決する方策を両立させていることが、今回の物語を完成に導き、CPのリーダーに相応しい人物の条件だというのが、きらりの細やかな心情を見つめることで分かってきます。

そんなきらりを新田さん発見し、相談にのるシーンはただ感情的に有り難いだけではなく、今まできらりが見せていた包容力が今回は機能しないこと、諸星きらりはお話全体を纏めるリーダー足り得ないことを、視聴者と新田さんに教えるシーンでもあるわけです。
いや、仮にあのまま放置とかされてたらあまりにも居たたまれなさ過ぎて俺死んでるから、新田さんのインタラプトは非常に有り難いわけですけどね。
智絵里の前では笑顔を維持して、縁側で体を折りたたんでショボくれてる女の子が放ったらかしとかね、ホント許されざるよ。
後のレクリエーションで智絵里に『お母さん』の札を引かせ、きらりが不当にも感じていた罪悪感をしっかり払っているのも、完璧なケアでした。

 

6)*の場合
*の二人は第11話でも見た通り、お互い対立しながら共通点を見つけて前に進んでいくコンビであり、『出来る奴』と『その他』の区分が曖昧です。
年下ながら前川が全体的な調整役をやっているので『出来る奴』として分類していますが、ユニットとしての意見は二人が共有し、両方が主導権を分割しているような状態です。
リレーのスタートコールが「ロックンロール!」「にゃー!」でバラバラなところから、「「ロックンロール!」」で統一されてる所からも、前川が李衣菜に合わせる*のスタイルが透けて見えます。

そんな彼女たちはデビュー最後発という事情を鑑みて、ユニットと全体曲を天秤にかけた上でユニット曲を取る、現実的な対応を取ります。
第11話のドタバタから彼女たちも、そして視聴者も日が立っていないので、*が感じている不安や焦りには、確かな説得力がある。
いがみ合いながら何とか初ステージに辿り着いた日々が記憶に新しい上に、『お好み焼き性の違いで、ユニット解散』という一笑を見せることで『いがみ合いつつも、お互いの個性を尊重する』*
らしさが強調され、余裕のない彼女らの現実的な選択には、素直に頷ける流れです。
ここら辺の事情を吐き出させるための壁を担当しているのが子どもコンビであり、凸レーション結成以前は前川とキャイキャイしていたのもあって、2-2のスムーズな会話を作れています。

彼女たちの余裕の無さは『出来ない奴』である蘭子への対応に良く現れていて、唯一ソロユニットとしてデビューし、独特の言語センスもあってコミュニケーションに不安を感じる蘭子を、同室ながらフォローしきれてません。
というか、ユニット練習で力尽きてグースカ寝てます。
これまでの描写が、悪戦苦闘こそ*『らしさ』として認識させている以上、その選択はとても正しい。

第5話での喫茶店占拠を見ても、余裕が無い時に余裕を作れるほど、前川みくは大人ではない。
自分だけユニットメンバーではないから、全体曲が上手く行かないんだと思い悩む蘭子は、*の手には余る存在です。
『出来ない奴』への対応でリーダーシップの有無が見える今回のルールからすれば、前川は他のリーダー候補と同じく、リーダー足り得る条件を満たしてはいないわけです。

 

7)ラブライカの場合
こうして丁寧に、リーダーをやる資質のあるキャラクターが、如何に今回頼りにならないかを描いた上で、新田美波にお話の主導権が移ります。
本田未央双葉杏諸星きらり前川みくも頼りにならない以上、新田さんがやらなければならない状況です。
が、第6話で見せたように、もしくは今回全ての困難が克服されお話が落ち着いた後告白するように、新田さんは最年長だからといって、CP全体の舵を取る資質に優れているわけでも、集団の和を維持しようという、強いモチベーションがあるわけでもない。

彼女が持っているのは思いがけずアイドルの世界に飛び込み体験した、プロデューサー言うところの『もう一歩、新しい階段を登る』楽しさだけです。
これをもう一度達成するためには全体曲を成功させる必要があり、そのためには未央が提示している『苛烈な生真面目さ』でも、杏や前川が主張する『消極的な成功』でもない、第三の道を見つけなければいけません。
しかしCP全体を統括するリーダーシップは新田美波『らしからぬ』資質であり、布団の中での煩悶は、彼女のやりたい事とやれる事の対立を、そのまま反映しています。


ここで手を差し伸べるのがアナスタシアです。
今回他のリーダー候補は、同じユニットメンバーから的確な支援を得られていない。
凛は未央が振り回す『苛烈な生真面目さ』を適度に留めることが出来ていないし、かな子は智絵里と一緒に『出来ない』ラインに留まっているし、凹んだきらりをフォローするのも、*の不安を影で聞くのも新田さんの役目です。
逆に言えば、相方の的確なアシストを受け、事態を収拾する勇気を振り絞ることが出来たことが、新田さんが今回リーダーとしての資質を開放する大きな前提条件になります。
アナスタシアが15歳であり、19歳の新田さんより4つ下である所は、年齢差がそのままキャラクターの能力に直結しない基本則の現れでしょうか。

アナスタシアのここでの仕事はただのサポートだけではなく、プロデューサーが全体曲に込めた意味、『もう一歩、新しい階段を登る』ことへのモチベーションを、新田さんに思い出させる意味合いもあります。
事態が全て収束した後述懐しているように、新田さんにとってアイドルであることそれ自体が『もう一歩、新しい階段を登る』体験であり、CP内部の不和を解決し全体曲を成功させるという『積極的成功』は、彼女がアイドルの世界に飛び込んで手に入れた『アイドルであることの理由』と強く結びつく。
つまり、新田美波にとって全体曲は、やらないという『消極的成功』で済まされない、強いモチベーションを抱くに足りる根源的な対象であることを、アナスタシアの手は思い出させるわけです。

アナスタシアが差し伸べる手は第6話のリフレインであり、。あのシーンは視聴者にも鮮烈な印象を与えるシーンです。
あの時のように『差し伸べられる手』をもう一度画面に写すことで、『全体曲をCP全員で成功させる体験が、あの時のように大きな喜びになるに違いない』という新田さんの再発見と、それを見ている視聴者を一つに結びつける演出でもあります。
過去シーンをこのように使うには『このシーンは、視聴者に刺さっているに違いない』という確信が必要であり、スタッフのそれと視聴者の実感がズレると演出糸が明後日に飛んで行くハメになるわけですが、的確に演出された『差し伸べられる手』は、一回目も二回目も狙い通りの刺さり方をしています。
過去の成功体験と、どんなに不安でも手を差し伸べてくれる相方の存在を思い出すことで、新田さんは逡巡を辞め、リーダーとして前に出て事態を収拾する勇気を手に入れるわけです。

 

8)全体練習
こうして各キャラクター・各ユニットが抱えている美点と問題点を確認し、新田美波だけが今回の物語を解決する資質を有していることを見せた上で、全体練習のシーンが挟まります。
このシーンで注目したいのは、参加者の誰も笑っていないことと、『出来ない奴』がこの練習で受けているダメージ表現です。

『笑顔でいること』がこの物語において成功のための条件であることは幾度も描写されています。チグハグなダンス、どこか不安げな表情、咬み合わない主張に幽かな返事と、不穏な空気漂う練習には、元気が空回りしている未央もひっくるめて、一切笑顔がない。
その事が『このままでは成功しない』という印象を強めていて、これから新田さんが起こす逆転劇のカタルシスを高めています。
不穏な空気を入れ替えるように、新田さんが休憩を提案するシーンは、メンバーのみならず視聴者も息を吐けるタイミングです。

卯月・智絵里・蘭子の『出来ない奴』三人は、今回のお話における一種のトロフィーであり、彼女たちが上手く行かない間は全体曲は絶対うまく行かないし、プロデューサーと新田さんが目指す『もう一歩、新しい階段を登る』楽しさも手に入らないよう構築されています。
この練習でも、彼女たち三人が上手く行かない描写はしっかり挿入され、視聴者にも意識される。
曲が終わった後のやり取りの中で、卯月はいつもの明るさが失われ、智絵里は失敗に怯え、蘭子はみくの「バラバラ」という言葉に過剰反応する。

ユニット単位で映していた時もそうなのですが、『出来ない奴』の問題点は実際のパフォーマンスというよりは、集団の中で気後れする心理面に重きが置かれ描写されています。
問題の解決がレクリエーションを通じて気持ちが切り替わり、ユニット間でのわだかまりが解消することで行われることを考えると、実務的問題よりも心理的問題を強調したほうが、スムースに処理できるということでしょう。
気持ちを切り替え見方を変えることで、失敗に見える事象を成功と捉えることが可能というのは、例えば第7話での未央の説得であるとか、第11話で*が到達した「噛み合わないのがユニットの持ち味」という境地に通じる所があって、シリーズ全体の価値観なのかもしれません。

このシーンでも、未央は『誤ったリーダーシップを取る』というお話上の仕事を完遂しています。
頑張ることしか出来ない島村さんに「へばっている場合じゃない」と声をかけ、自分を責める傾向にある智絵里に「もっと頑張らないと」と言ってしまう未央の空回りは、新田さんを立てるためとはいえ、露骨かつ残酷です。
未央が間違えることで新田さんの正しさが強調されるだけではなく、まとめのシーンで自分の誤りに気付き、新しい視座を得る成長の描写も出来るので、大事な描写と言えます。


休憩をとった後、新田さんは笑顔を作って気合を入れ、水滴に濡れた手を見つめます。
全体練習の不穏な空気を感じ取り、ついにリーダーとして立ち上がる決意を固めるシーンです。
この瞬間まで新田さんは、昨夜布団の中で煩悶していた矛盾、曲を成功させたいという気持ちと、それを可能にする資質が自分にはないという気持ちの間で揺れているわけですが、笑顔を作り顔を叩くことで、矛盾を止揚させます。
つまり、リーダーに向いてない自分を一度引っ込め、年上らしくみんなを引っ張る新田美波を演じることで、全体曲が成功する条件をCPに生み出そうという決意のシーンなわけです。

『笑顔のない所に成功なし』はこのアニメの基本則なので、第10話EDで見せた口角を釣り上げる無理くりな笑みを、新田さんも作ります。
アナスタシアに引っ張ってもらわなければ、不安でステージにも立てない新田さんにとって、この状況での笑顔は強がりです。
しかしモチベーションと広い視野を兼ね備えた誰かが笑顔を捏造し、それをメンバー全員に広げなければ、全体曲は頓挫してしまう。
そして、これまでユニット単位で描写され、全体練習で再強調されたように、今回の話を解決に導くリーダーは、新田美波しかいないわけです。
だから、新田さんは笑顔を作る。
弱さを受け入れているがゆえに手に入れられる強さを、表情の変化でしっかりと見せた素晴らしいシーンだと思います。

今回の話では、このシーン以降台詞で説明しない描写が、かなり入れ込まれます。
最初は怪訝に思っていたレクリエーションに、気づけばのめり込んでいる未央と凛の描写もそうですし、彼女たちをノセるためにあえて挑発的な態度を取る新田さんもそうです。
この後行われる解決手段が、全員参加のレクリエーションという身体的なものであることも考えると、このシーンでじっくりと見せた無言の決意は、非言語的な変化や解決を視聴者に受け入れさせる、呼び水の役割も果たしていると言えます。

 

9)レクリエーション
休憩が終わり、覚悟を決めた新田さんはメンバー総動員のレクリエーションを提案します。
今回『苛烈な生真面目さ』を徹底している未央は、自身の信条と反する『遊び』には勿論反対する。
しかし笑顔が抜け落ちている現在のCPには楽しさが必要であり、未央が全体練習で見せたような『とにかく頑張る』スタイルでは、それは戻ってこないわけです。
なので、最年長の権威とプロデューサー指名の権威両方を使って、新田さんは小狡く未央を黙らせます。

このシーンに見えるように、覚悟を決めた後の新田さんはとにかくクレバーに、CPの不穏な状況を打破するために必要な行動を取り続けます。
『遊び』の効果に懐疑的な未央と凛をレクにのめり込ませるために、一番最初に競技性のあるリレーを置く。
そのためには3×4のチーム分けが必要なので、*が第11話で見せたMCの巧さを褒めて司会進行役を快く受けさせる。
ソロユニットとして団結した経験が少なく、その事が心に引っかかっている蘭子は、自分たちで引き受ける。
出だしからして、新田さんの行動はみんなで真剣に『遊ぶ』ことで、集団の中のまとまりを経験させること、楽しさを思い出すことという目的に向かって、最短距離で進んでいきます。
結果、レクが始まるとメンバーに笑顔が戻り始める。

未央と凛は最初レクに乗り気ではないのですが、新田さんの挑発が巧く機能して、稚気溢れる負けん気がだんだんむき出しに為っています。
飴玉探しで新田さんに勝った未央がドヤ顔し、笑顔で受け止めるシーンは、二人の年齢差、このレクリエーションで目指すものの差、今回の話におけるリーダーの資質の差が良く見えるシーンだと言えます。
勝つ楽しさに価値を見出す未央は、彼女『遊び』に夢中にさせる事を狙っている新田さんの掌の上です。
リレーでのバトンミスも、飴玉探しでの最下位も、実は計算のうちなんじゃないかなぁと思わせる巧妙さがあります。

的確な判断はレク種目の選択にも現れていて、対立する楽しさ・チーム内で協力する楽しさに重点が置かれるリレーの後は、競技を離れた楽しさがある飴玉探しをやらせ、三人四脚では勝ち負けではなく仲間を思いやる姿勢、みんなで真剣に遊ぶ楽しさが目的になっている。
この辺りになると、怪訝な態度も勝ち負けを気にする姿勢も未央からは抜け落ちていて、一番最初に「ふぁ、ファイトー!」という声をかけるのは未央になります。
蘭子が『出来ない奴』であることを考えると、彼女らを苦しめていた『苛烈な生真面目さ』が抜け落ち、本田未央『らしい』視野の広さ、仲間を思いやって行動する優しさと積極性が再獲得されているわけです。
未央はこの話の裏の主役でもあるので、こうして『遊び』の中で自分『らしさ』を取り戻し、NGのみならずCP全体の牽引役にふさわしい個性を取り戻すことは、とても大事でしょう。


『ススメ☆オトメ』が流れることで雰囲気も明るく希望に満ちたものに変わり、掴みかけた勝機を逃さないように、新田さんの巧妙な組み立ては続きます。
借り物競争では直接相談を受けているきらり-智絵里の間のわだかまりを解消し、水鉄砲によるサバイバルゲームには、進行役だった*の二人も『遊び』に混じっています。
水鉄砲にしても枕投げにしても、『柔らかい投擲物を向け合う状況』は、三次元・二次元問わずアイドルフィクションだとよく見られる気がします。(AKB48ヘビーローテーション』MVや、プリパラのメイキングドラマ『みんなで遊ぼうプリパラヒルズ』など)
害意も敵意も悪意もない、穏やかな競争関係を象徴化出来るのが、女の子たちのじゃれ合いを魅力的に見せたいジャンルの欲求にうまく合致しているのかもしれませんね。

知略が問われるサバイバルゲームで杏が勝つのは予測がつくところであり、フィジカル面で恵まれていない杏にとって、この種目が初めての成功体験になっていると思われます。
この後巧緻性が重要なバランスランを組み込んでいることからしても、新田さんはメンバー全員がどこかで勝てる組み立てを、強く意図しているように見えます。
未央がレクに引きずり込まれた勝つ楽しさを否定せず、巧妙な種目配分でメンバー全員に分配しつつ、真剣に種目に打ち込む楽しさ、協力する楽しさ、応援する楽しさなど、『遊び』が持っている多角的な楽しさを引き出す種目設定は、非常に見事なものです。
TRPGという『遊び』を趣味にしているものとしては、『遊び』が持っている多角的な魅力と楽しさ、強さを引き出してくれたこれらの描写は、個人的に感じ入るものがありました。

全体練習では失われていた満面の笑顔が、メンバー全員に戻った辺りで日も暮れ、最後は大縄跳び。
ユニット単位での勝敗ではなく、みんなで何かを達成する楽しさを重視した種目です。
新田さんが目指している『積極的成功』、全体曲を成功させることの気持ちよさを先取りするような種目選択であり、最後のツメまで抜かりがない。

ここで智絵里が最初に引っかかって「ごめんなさい」という言葉が出るわけですが、レクを通して硬さがとれたメンバーは『出来ない奴』をケアする余裕が生まれている。
リーダーの資質だった視野の広さは、新田さんの見事な差配により、メンバー全員に共通する美点に変化しているわけです。
智絵里も周囲に頼ることを学習し、自分を『出来ない奴』に放り込んでいた失敗への恐れへ、どう対処するべきなのか判ってきている。
レクリエーションも終わりに近づいてきて、『出来る奴』『出来ない奴』の区分が薄くなっているわけです。

同じく『出来ない奴』だった蘭子も、ソロユニットとしての気後れを解消し、「みんなで心を一つにすれば……」という言葉を口にする所まで来ます。
本心を素直に口にする『らしくない』蘭子に驚く四人の仕草がシンクロしていることが、レクを通じて一つになったCPの状態をよく見せている演出です。
大縄跳び、と言うよりもレクリエーション全体を通して、協力して何かを成し遂げる達成感を先取りしたメンバーの中には、全体曲の成功という『積極的成功』への強いモチベーションが共有されている。
此処でもまた、『出来る奴』と『出来ない奴』の距離は無化されつつあるわけです。

大縄のシーンで久々にきらりが杏を触っていますが、凸レーションを結成した辺りから、杏はきらりにぶら下がる描写が減ったように思います。
これはきらりとの関係以外に足場を持たなかった杏が、CPに愛着を持ち、メンバーとも交流できるようになった現れだと、僕は思っています。
結果杏の持つクールさが言いにくい問題点を顕在化させ、解決の糸口を作っているわけで、あんきらの解体とCIでの活躍はやっぱり喜ばしいことなのでしょう。
でも個人的にはあんきらはキャイキャイしていて欲しいわけで、今回久々に身体接触があって、凄く素晴らしかったです。
(個人的な妄想としては、お互いユニットを持ってリーダー的立ち位置になり、ある程度の目処が立つまで、きらりは杏依存を控えていたんじゃないかな、と思ってます。
今回大きなストレスを乗り越え、強い開放感を感じたきらりは、思わず杏ちゃん可愛がりを再開させたのかなぁ、と。
責任感と欲望の同居する女、諸星きらり。素晴らしい)

 

10)大団円
お話が収まる所に収まり、凛と未央が今回のお話の構図を台詞で纏めるシーンが挟まります。
これが実際の活動の前に置かれるのならば、あまりに説明的で不自然な台詞だと思いますが、無言の表情をやり取りすることで心の変化、状況の変化を丁寧に演出した後だと、テーマを伝えるためのダメ押しとして機能しています。
これを受けての新田さんの独白も合わせて、台詞で説明するべき部分と、台詞以外で演出するべき部分をはっきり捉えた、見事な演出プランがエピソードを貫通している回ですね。

今回は合宿回なのに食事を共にするシーンが殆ど無いわけですが、縁側の奥では凸レーション+杏がスイカを準備しています。
CIが食事の後片付けをしているシーンとは対照的に、此処でのスイカは『これから食べるもの』です。
食事を一緒にする行動は、気安さや団結を意味するシーンとして取り扱われるので、それがまだ生まれていないタイミングでは、画面に写せないアイテムだと言えます。

新田さんの独白をメンバーが聞くことで、彼女が似合わないリーダーを担当した理由、アイドルの世界に飛び込み、第6話での初舞台で感じた『もう一歩、新しい階段を登る』楽しさをメンバーが共有し、全体曲の成功、『積極的成功』への強いモチベーションを揺るぎないものにした所で、今回の物語は終わります。
『Nation Blue』が流れるエンディングは、準備を済ませた後の景色、アイドルフェス本番に向けて高まる期待を映しています。
全員が同じ衣装を着、同じ方向を見るこの景色は、新田さんがリーダーとして周囲の問題点を認識し、強いモチベーションでメンバーをまとめ上げなければ、到達できなかった風景でしょう。
苦労をしっかり見せた分だけ、到達した場所の高みが感じられる、素晴らしい終わり方と言えます。


あくまでNGの物語であった1~7話の間にユニットを結成し、目立つ所が少なかった新田美波が、その才能を開花させる話でした。
ユニット単位でのお話が続き、NG全体での統一性が欠けている状態をしっかり見せ、その補填を行う回とも言えます。
キャラの持つ『らしさ』と『らしくなさ』を活かした劇作は健在で、色々な側面があるキャラクターを魅力的に見せる意味でも、『らしくなさ』を『らしさ』に変えていく変化のダイナミズムという意味でも、とても良かった。。
お話全体の流れの中で此処でやっておくべきお話、此処でしか出来ないお話になっており、素晴らしい完成度でした。

今後との繋がりを考えると、島村卯月があまりにも頑張ってしまうことの強調と、そのことに感じる不安は、今後(もしかすると次回)生きてくるところかと思います。
また、各キャラクター美点だけではなく欠点をしっかり見せることで、まだまだ成長途中であること、成長の余地がありそれを埋めていく物語として、このアニメが設計されていることを意識させることも、今回の狙いかなと感じました。
次回でシンデレラガールズのお話は一つの区切りを迎えますが、三ヶ月の休みを取って、今回見せた空白をどう埋めていくのか。
そもそも、これまでの物語を次回どう解決してくのか。
シンデレラガールズ、ますます楽しみです。