イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 15/04/10

・えとたま:第1話『猫娘揚々』
強烈なタイムスリップ感覚を与える、古きよき押しかけヒロイン暴力系アニメの第一話。
いちいち挟まれるシニカルでヒネたメタネタ、聖域のごとく描かれる秋葉原スナック感覚で破壊される家、キャラ付けに悩むメインヒロイン。
あらゆるパーツが10年前の鋭さを持っているが、3Dパートの仕上がり方はまさに最先端で、この奇妙なギャップが気持ちいい。
かなりヘンテコなアニメだ……SDケモが3Dアニメーションでガリガリ動くアニメが、クールに二つもあるなんて……ええなっ!!

お話の骨格はなんというか……懐かしい感じの、お仕掛け居候アニメでした。
『干支は十二匹いるから、番外も合わせて女の子は13人だそう』という数勝負の発想が、素晴らしく10年前で懐かしい油っこさ。
当然メインに絡ませる余裕はないので、主役んところには猫と猪と龍だけ派遣して、残りの10匹とは会話すらねぇ割り切り方はなかなか凄い。
常時ワーギャー煩いくせに、妙に後ろ向きでメタレイヤー由来の絡みとかも、すンごい懐かしい。
猫耳なのも相まって、やっぱでじこ思い出すね、にゅとか言ってたしね。

トンチキ居候と同居話は、詰め込んだ人口甘味キャラ記号に流されず、どんだけベタないい話成分を流し込めるかが勝負だと思います。
猫耳つけてようが、目からビームが出ようが、人間の形したパソコンだろうが、仙台弁で喋る鬼形宇宙人だろうが、万能猫型ロボットだろうが、視聴者の代理人たる主人公と如何に心を通じ合わせるかに、お話にシンクロする足場があるわけで。
今回は状況と設定を説明し、シニカルなスタンスを見せることに注力していたので、早くだる~い日常をトンチキ生物と過ごす回がみたいです。
萌え記号詰め込みすぎて歪んだ生命体と、何とか穏やかな交流をしていくお話は、個人的な好みにバッチリなので期待しちゃうわ。
シスプリも、実は無印が一番好きだったりする。

ただノスタルジーにふけるだけではなく、3Dで描かれるバトルシーンはめっちゃ動きめっちゃ周りめっちゃ壊れるすげー仕上がり。
ドラゴンボールめいたピンボールアクションが目立ちますが、打撃が交錯する所の細かい殺陣がしっかりしてて、とても良かったです。
まぁストーリー的には主人公に萌えてもらうための茶番だがな……次回もあるのかな、戦闘。
本筋とバトルシーンの落差が凄く気持ちが良いので、白組全力の3Dバトルはドコドコやって欲しいものです。

 

放課後のプレアデス:第1話『流星予報: 雨時々流れ星』
2011年にスバルの広告アニメとして世に出た、魔法少女が宇宙船のエンジンを集めるお話のリスタート、第一話。
どう考えても車と関係のない題材なのだが、海のように広いスポンサーの心意気により、直球勝負のガール・ミーツ・マジック、ガール・ミーツ・ボーイとしていい仕上がりのアニメでした。
魔法の杖の駆動音がエンジン直取りだったり、部室の鍵が車だったり、細かいスバル要素も無いわけじゃないけどね。

TV版はWeb版を輪郭としつつも、大幅に増えた尺を有効活用し、背景世界やキャラクター描写を太らせる気マンマン。
主人公すばると面倒くさい眼鏡あおいがすれ違う理由も変わってそうだし、何よりヒロインたるみなと君の描写が増えてる。
ミステリアスな美少年によくわからない態度を取られたい系男子としては、嬉しい限りです。
やっぱ桑島さんの美少年声はイイなぁ……ほんと素晴らしい。

Web版で強みだった所はそのまま、というか更に強化されていて、繊細で不思議な世界を担保する、細かい描画が素敵。
コンパスや金平糖、ティーカップに天体望遠鏡に蝶々という『とにかく素敵なもの』に拘りまくり、世界をみっしり埋めるマニアックな世界構築は、ちょっと賢治の諸作品と通じる所があります。
イカすエンジン音で飛び回る魔法の杖や、キラキラ眩しいお星様の描写なども、少し不思議な世界の魅力を後押ししていて、非常にグッド。
独特の世界観なんだけど、強いこだわりを芯にまとまりがあるのは、新規性と安心感が両立していて良い。

Web時代からの強みといえば、やっぱ女の子が可愛い所。
デザインもいいんだけど、芝居付けが繊細な所が好きです。
Web版ではあまり見せ場のなかったキャラの掛け合いも増えるだろうから、そこも楽しみですね。

4年ぶりのリスタートということで、どうなるか不安げな出だしでしたが、Web版のいい所は一切殺さず、メディアが変化して生まれた強みを活かす第1話となりました。
Web版をとても楽しみつつも『もう少し見たいな』と願っていた身としては、望外の仕上がりであります。
……『世界中に飛び散った不思議アイテムを、仲間と協力しつついじわるボーイに邪魔されつつ集める』って超ストロングスタイルのニチアサアニメだと思うわけだけど、『Show by Rock!!』といい、12時間ほど放送時間を間違えるのが今期のはやりなのかしら(ぼんやりと終了)

 

パンチライン:第1話『パンツパニック』
『パンツを見たら人類滅亡!?』というキャッチコピーに偽りなく、パンチラと幽霊と悪の組織と世界滅亡が全部盛りなトンチキアニメ、その第1話。
『キルラキル』めいたオールド・スクールなビジュアル&演出や、わざわざランジェリーデザインを置いてある下着の描写に惑わされがちだけど、幽体化と時間遡行の合わせ技が物語の地盤を支えている、結構しっかりした話。
『凄く頭のいい人が、頑張ってIQ下げました!』という感じはガイナっぽくもあり(製作MANPAだけど、監督&キャラデザはガイナ出身)、如何にもノイタミナっぽくもあり。
『凄く頭のいい人が、頑張ってIQ下げた』アニメの頑なさが好きな人間としては、なかなか楽しい出だしでした。

『全体的に説明はなし! 笑いと勢いでガンッガン行くぞ!!』という方向なんですが、『パンツを見たら人類滅亡』のロジックであるとか、そもそもの発端になっている悪の組織であるとか、気になる伏線が大量のパンツとバカに紛れて埋め込まれております。
リトライSFという枠組みもあるので、表面にまぶしてある頭の弱さを通り越して、堅牢な構造がチラホラ見える。
小癪な光やら湯気やらに逃げないパンツより、よっぽどチラホラしておる。

僕は地球滅亡MADそのまんまな人類滅亡シーンで大笑いしてしまったので、『どうだ、気になるだろう? だが今は説明しない!!』という制作サイドの掌に綺麗に乗っかってる形です。
ウン、気になる。
幽体レベルの設定を活かして、今後出来る事が増えていって……という感じになるのかなぁ。

意匠として選んだ頭の弱さや、古臭い演出は結構扱いが難しい部品で、馬鹿をやるなら本気でバカにならないと、上滑りする題材であると思っています。
バスジャック犯との格闘シーンや、超カッチョいいバイクが沢山ある秘密基地、ヴィヴィッドな色彩などなど、ガジェットの新鮮味は魅力的。
掴みはOKだと思うので、古臭さと心中するつもりで貫いて欲しいものです。

話がドンドコ進む上に、主人公幽霊なので他キャラとの会話シーンがなくて、キャラクターを掴みかねている感じもあります。
『安アパートの同居人』というシチュエーション設定はコメディにしやすいと思うので、今後見れるだろうギアを下げたシーンで、ホッコリとした笑いを楽しみたい気持ち。
とりあえず、博士っぽい人の声を聞いて『釘宮さんは、ホントなんでも出来るなぁ……凄いなぁ』と、幸せな気分になった。
正義の味方チームみたいに、同居人たちには主人公の知らない顔があるなら、それを掘り下げていくのが今後の軸の一つになるんかな?

勢い重視の出だしながらも、今後のことを考えたくなる要素が沢山埋め込まれていて、なかなか面白いスタートだと思いました。
沢山乗っけた要素をどう結びつけ、魅力の相乗効果をどう産んでいくのか、気になるところです。
とりあえず、テンポが少し緩むだろう来週を楽しみに待つ。

 

・少年ハリウッド -HOLLY STAGE FOR 50-:第26話『HOLLY STAGE FOR YOU』
少ハリについて何を語ればいいのか、イマイチ見えないまま一週間が過ぎてしまったけれども、それは書きながら自分の気持に追いついていこうと思う。
最終話は大体予想と期待通りのまるごとクリスマスライブであり、一期最終回が想像の予知に任せた彼らの晴れ舞台が、ついに視聴者の目に見える形で提示される形になりました。
『やるからにはフルロトスコ、一切の手抜きなしで』という制作側の気概が強く感じられる、素晴らしいステージだったと思います。

物語的な決着はやはり第25話、というよりもシーマ三部作でしっかり付いていて、彼らが何を目指し、何処に辿り着いたかを言葉で説明する段階は終わっている。
彼らが25話積み上げてきた成長が一体何なのか、彼らが辿り着いたアイドル像とはどんなものなのかを、非言語的な表現で見せる最終回は、演劇舞台・音楽番組・TVドラマと、創作世界の中での少年ハリウッドをまるごと切り出すという意欲的な演出の系譜に乗っかったものであり、如何にも少ハリらしい終わり方だ。
『劇中劇を、舞台裏の描写一切なしで24分出しきる』という意欲的な演出プランを4回も繰り返したことで、何者でもない少年たちが寄り集まって生まれた二代目少年ハリウッドが、具体的にどのような弱点を克服し、魅力を見せることで観客の支持を得るアクターになっていくのか、強くクローズアップされたように思う。
形式と内実の両立、突飛に見える方法論と伝えるべきテーマの奇妙なマッチアップというのは、少ハリ全体を貫く一つの強力な武器であり、最終話まで見終わった今では、それは十分以上に機能していたのだと、感慨深く思い返す。

二代目少年ハリウッドの五人は非常に生々しい存在感を持っていて、それは非アイドル的な10代の少年としての生々しさでもあり、同時にファンに見守れられつつ厳しく峻別され、ステージに対し悩みながら挑んでいった本気のアイドルとしての生々しさでもある。
前者を担保していたのが『部室パート』、アイドルをしていない時の等身大の台詞の掛け合い、気持ちのよい青年たちの爽快な繋がりの描写だとしたら、後者を担保していたのが劇中劇だったと言える。
彼らがそこにいて、そしてただいるだけではなく、一つ一つ変化を積み重ねているという実感が、くだらない言い合いと、ヘンテコで鮮烈な劇中劇から生まれていた。

その感覚は、待ちに待ったホームたるハリウッド東京でのライブが最終回に待ち構えているという構成の妙で、最高潮まで高まった。
僕らはずっと、少ハリの五人と、テッシーと、社長とその他色んな人が出会い、語り合い、ぶつかり合ったハリウッド東京で、少年ハリウッドがアイドルとして輝く瞬間を見たくて見たくて仕方がなかった。
ずっと見たかった『一番輝いてる少ハリ』を、『劇場でのアイドルライブ』という形式をよく研究した演出と、最後の最後で作画力を爆発させた生々しい作画(ダンスのズレが特に凄い)で届けてくれた最終回には、感慨と感謝しかなかった。


少ハリはどんなアニメだったのだろうか。
一応のエンドマークが付いて振り返ると、アイドルのアニメだったように思う。
今は世間的にもアイドル戦国時代で、アイドルを題材にした物語は多い。
しかし、ここまで直球に『アイドルであることとは何か』『アイドルがもたらしてくれる喜びとは何か』『アイドルで在り続けることの価値は何か』という問、主人公をアイドルにすることでしか問い極めることが出来ないテーマを掘り下げたアニメは、無かったように思う。

アイドルとはその商業規模に反比例して、それを読み解く文法を手に入れてる人数が少ない要素だと思う。
自然、アイドルを扱うアニメはアイドルを知らなくても判るよう、例えば美男美女であったり、部活モノとしてのガッツストーリーであったり、多人数が相互に影響し成長していく群像劇であったり、何らかの牽引力を創作物に盛り込む。
これはアイドルをテーマにした時に繰り込みやすいテーマではあり、描いていれば自然に内包していく要素ではある。
しかしやはり、あくまで『アイドルである』ことと『アイドルになる』ことを話しの軸に据え続け、結果として上記のフックを手に入れてしまう描き方は、少ハリ独特のものだった気がする。

その証拠に、少ハリは誤解を恐れない。
握手会やセンターの資質といった、凄くコアで繊細で微妙な問題に踏み込み、しっかりと答えを出す姿勢は、やはりアイドル第一主義の反映だと思う。
アイドルの文法に対する興味がない人にはピンと来ない問題を切り捨てないで、むしろ真っ直ぐに丁寧に描くことで、そういう人の心をこそ捕まえてやるという気概。
間口を広く取るのではなく、深く広く物語の視野を取ることで、微細な問題にも気づけば飛びついてしまっているように視聴者を引きずり込むパワー。
それが、沢山ある賞針の魅力の一つだ。


もう一つ、アイドルアニメとして少ハリが特異なのは、大前提として『アイドルは終わる』ことを、作品の背骨に入れていることだ。
ほぼ自動的に青春期を扱うことになるアイドルアニメでは、視聴者の無垢な欲望を裏切らないように、アイドルをしている時間が永遠に続くよう物語を構築していく。
現実が熱力学第二法則に支配されているからこそ、モニターの中のアイドルたちは永遠であるという願いを裏切らず、彼らの青春期は永遠に続くよう、物語は続き、終わっていく。

しかし少ハリは常にアイドルの賞味期限が有限であり、彼らが消費物であり、自主的なコントロール権限を有しないという視点を強調してきた。
初代少年ハリウッドのメンバーで、現在もアイドルをしている者はいない。
見られる自分と自意識を有する自分、夢と現実、生贄と神様の間でふらつきながら、いつか終わってしまう存在としてのアイドルをとらえ続ける生々しい視点は、非常に独特なものだ。
それはとても現実的な前提であり、地に足の着いた安定感を、作品に与える。

その上で、有限であり終わるものだからこそ、使い捨てにされる神様だからこそ、アイドルが永遠であってほしいと願う欲求は強く、それを叶えようとする捨て身の努力は尊いということも、少ハリは言い続けてきた。
夢を叶えられなかった初代の『今』は、しかしそれぞれのカタチで圧倒的に正しく輝いているのであり、それは確実に、少年ハリウッドとして永遠のど真ん中に存在していた過去があってこその『今』でもある。
それはとても理想的な夢への処方箋であり、現実的な前提を置きつつも、そこに飲み込まれるでも露悪的になるでもなく、あくまで夢と理想を追い続ける舵取りがあればこそ、少ハリは素敵なお話として輝き出すのだ。

こうした複層的で矛盾に満ちた、魅力的な夢の認識は初代だけに影響しているのではなく、まさにアイドルとしての『今』を走り続けている二代目にこそ、強く影響する。
様々な人と関わり合いながら変化していく彼らの物語において、様々にやりきれない、矛盾に満ちた問題がぶつかってくる。
それを時には誰か(特にシャチョウ)の助言で、時には素直な彼ら自身の感性で止揚し、人間としての、そしてアイドルとしての糧に変えて前に進み続ける姿は、『アイドルの話をしていたはずなのに、気づけば人間と青春の話もしていた』というフックを物語に与える。
少年ハリウッドの物語がアイドルに興味のない大多数の人々を捉えるとしたら、『はじめにアイドルあり』という極端な姿勢を貫いた結果、物語としての基本的で強烈な魅力を獲得してしまっている、その不器用で真っ向勝負な姿勢が、強く影響していると思う。


こうした特異性を活かすべく、少ハリは表現手段として様々な強さを持っていた。
小気味の良いダイアログ、大仰な装置に頼らずとも興味を引くプロット、細かく上品な笑い、印象的なレイアウトとアイテムの配置、要所要所で勝負してくる作画。
テーマと実際の表現は物語の両輪であり、特異で魅力的なテーマを視聴者に届けるべく、しっかりと考えられた表現の武器を、少ハリは沢山持っていたように思う。

個々の表現だけではなく、それぞれの表現が噛みあった時の爆発力もこの作品の魅力であり、特に遠回しで象徴的な台詞の中にテーマを入れ込み、それをキャラクターが発見して前に進むという構造は、物語を支えた屋台骨だ。
意味が分からないようでいて確信を捉える会話は、緊張感を抜きつつ集中力を高めるという矛盾した仕事をしていて、風通しの良さと中身の濃さを両立させていた。
楽屋で、社長室で、ステージの上で、電車の中で。
様々な場所で繰り返される、意味深なようでいてどうでもいい会話が、後々の展開の中で光を放ってくる構造の魅力、それを発見できる視聴者の喜びというのは、作品としてとても基本的で、強烈な魅力に為っていたと思う。

テーマと描写だけが作品を構築するのではなく、そこに血肉を生むのはキャラクター達だ。
魅力的な欠点を付与され、それを埋めようとあがく少年五人はとても可愛くて、生き生きしていて、『こいつらを見ていたいな』と思わせる魅力に満ちていた。
だからこそアイドルとして少年ハリウッドが成功することを視聴者は望むようになり、その望みを叶えるように物語はジワジワと前進していく。
視聴者の願望と、与えられる展開が重なりあう瞬間は、作品と読者が共犯関係になる、とても素晴らしい瞬間だ。
そして、このアニメにはそれがあった。
それを生み出すだけのキャラクターの魅力と、描写の確かさと、テーマの太さがあった。

少年ハリウッドは魅力的なアニメで、アイドルのアニメで、ヘンテコなアニメだった。
僕の好きな、好きになれる、とても良いアニメだった。
書いてみてまとまった今の気持ちはとても普通で、陳腐なのかもしれないけど、とても大切なアニメに出会えることはやっぱり希少で貴重で、素敵なことだ。
ありがとうございました。