イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 15/05/15

血界戦線:第6話『Don't forget to Don't forget me』
魔界都市で化け物相手に超人組織がドンパチやるアニメの折り返しは、超人濃度抑えめの人情話。
差別と記憶を絡めた切なく綺麗なお話で、ヘルサレムズロットの地に足のついた日常(金属バットでのメガバイオレンス含む)を見事に切り取っていました。
失われる思い出と繰り返す日常が切なさを加速していくという意味では、記憶喪失モノとループモノって同じ構造なんだなぁ(あんま関係ない気付き)

普段は異界の超実力者と丁々発止やっているアニメなので忘れがちですが、異形化したNYにも日常があり、差別と不正と日常レベルの暴力があります。
今回取り上げたそれは、超常の力を持った吸血鬼や魂を賭ける異界の顔役とは異なり、派手な必殺技は使わないし、世界の理も曲げない。
しかし、それ故に生々しい嫌悪感があって、見ていてしんどくなる、限りなく下らない暴力でした。
あのゴミクズ二人組が、小市民なりに『いい人』に見える瞬間があるのが、本当にやり切れない。
例えヘルサレムズロットが魔界都市でも、そこには普通の人がいて普通に不正義を行っているのだという感覚は、親近感と卑近な嫌悪を同時に生み出す、良い切り口だったと思います。

僕らを取り巻く世界と同じレベルの、ひと束いくらで転がっている差別と暴力に徹底したからこそ、それを乗り越えて絆を作っていくネジとレオくんの繋がりは小さく、暖かく見える。
いつもは人類救済の切り札になってる神の義眼も事態をひっくり返す切り札にはならず、暴漢を逆上させる結果になったりしてて、世界を切り取る視点をコンパクトにまとめる方針が徹底されてました。
無論ライブラの面々も非人間的な超人集団ではなく、ていうか俗っぽい人間集団ではあるのですが、あえて得意のスタイリッシュな超常能力を封じて、地べたに足をつけて物語を展開させたのは、土の匂いのする暴力と友情を視聴者に伝えてきて、ヘルサレムズロットが(善なる意味でも悪い意味でも)身近に感じられる描き方だったように感じます。


地面に足を付けつつも、魔界都市らしいツイストはしっかり効いていて、今回で言えばヒロインたるネジの使い方が巧妙。
ストレスにより自分含めた記憶を奪ってしまう特異体質は、彼が異界の住人でなければ生まれない設定であり、そこから積み上げてきた思い出を喪失し、再び獲得する切ないドラマが生まれている。
ケレン味のあるチャンバラだけではなく、このような情感にも設定を使いこなせるのは、いいお話だなぁと感心しきりです。

ネジはトラックに引かれても死なない異形なのですが、それでも暴力と悪意には苦痛を感じ逃避もする。
形のない痛みを感じる心があればこそ、友との思い出を大事にして胞子の放出を一度は堪え、しかし友が傷ついて限界を超えてしまう展開にもなる。
外見の異質さにもかかわらず、もしくはだからこそ、ネジが見せた心第一主義は共感を生むし、ヒロインとしていい仕事もしている。
ここら辺は、シドニアのつむぎにも通じる所でしょうか。


個別回のヒロインがネジだとしたら、シリーズ全体のヒロインは勿論可愛い可愛いホワイトちゃんであり、今週もイチャコライチャコラしてました。
メインの話を原作から引っ張りつつ、そのエッセンスをホワイトと上手く絡めて違和感なく機能させる手腕は、『アニメオリジナルの要素』をどう機能させるかという問への一つの回答だと思います。
今回で言えば『異形と人間の友情・愛情は成立するか否か』『記憶』辺りのテーマを上手く拾わせて、ホワイトの持っているキャラクター要素を掘り下げつつ、またエピソードのテーマを反射させ強調させる形を取っています。
こうしてレオが経験し成長の糧としている個別のエピソードに、ホワイトがホワイトなりに関与することで、各話の描写も深まるしシリーズ全体でのホワイトの存在感も強調されるわけで、巧い使い方です。
巧妙に各話と絡めた見せ方以外にも、釘宮さんの好演も、ホワイト周りの描写がお話から浮かないでしっくりと馴染む理由の一つかなぁ。

オムニバスに近いこのアニメに一本の骨格を与えているのがホワイトなわけで、そんな彼女の謎も徐々に深まってきました。
兄と呼ぶブラックの見せ方は非常に胡散臭く、名前を名乗るときの一瞬の逡巡など、色々考えさせられる絶妙の間でした。
絶望王との関係とか一体どうなっておるのか、そもそもモロ偽名なブラックを何故名乗ったのか。
ホワイトを使って興味を引く謎を的確に見せることで、回を跨いだシリーズ全体での物語を上手く作っている感じを出しているのは、満足感があっていいですね。
ほんと良いヒロインだよなぁ、ホワイトちゃんは。

お話のレイヤーを下げつつも、爽快感は損なわず親近感を強化するという、見事なエピソーどでした。
この話を担保するネジと、シリーズ全体を支えるホワイトのWヒロイン描写も見事に決まっていて、グッと心を動かされる仕上がりだったと思います。
スタイリッシュアクション無しでもこういう見せ方が出来るっていうのは、作品全体として強いってことだと思いますね、マジ。

 

俺物語!!:第6話『俺のネガイ』
今季一番ピュアでパワフルな主人公が送る、純情ラブ・コメディ第3エピソード、その後編。
胸をキュンキュン疼かせる真っ向勝負のラブ描写あり、笑いのツボを押しまくるコメディ演出あり、相変わらず気持の良い24分間でした。
砂川姉を筆頭にキャラクターたちの行動も気持ちが良く、『見終わって爽快な気分になれるアニメは、やっぱ最高やな!』という感想を強くする。

前回から状況をかき回し、話しの起伏を作っていた砂姉ですが、今回は凛子へのトス上げと失恋の始末を担当。
姉さんはもっと小狡い立場になってもいいのに、恋敵に決定的なパスは出すわ、己の純情を守ったまま去って行くわ、好印象を与える要素しか無くて素晴らしい。
『自分の気持が巧く伝わるか恐ろしくて、二の足を踏んでいる』という状況が、メインヒロインであり凛子と被っているのが、キャラにも視聴者にも共感を生む要素なのだなぁ。
白い花のエピソードの純情っぷりといい、好感を抱いて欲しいキャラに好感を抱かせる手腕、そのために必要な物語を取捨選択する業前、その作為を感じさせない素直な感情の盛り上げと、面白く貼る要素タップリだなぁ砂姉周りは。

そんな彼女が持ち上げた凛子は、ガツガツ前に出る系女子であることが判明。
今までの話で『この子天使やんけ』と思わせておいて、肉の欲望を全面に押し出し『天使なんかじゃない』とキャラに言わせた上で、猛男の頼もしさ引っ括めて『やっぱ天使やんけこの子』と思わせる見せ方は、キャラに生々しさの上着を上手く着せていて流石。
受け入れられる程度のエゴイズムといいますか、人間なら当然の身勝手さみたいのをチラッと見せると、キャラがグッと身近になるわけで。
言うか言わないかの逡巡が、『猛男を好き』だという善い感情から出ているのもあって、思わず応援したくなるのも良いところ。
こういう気持ちにさせてるのも、砂姉のレスポンスが巧いからだよなぁ……ほんと良い脇役。

天下一負け犬こと砂姉と対照させることで、『グイグイ行けるから凛子が勝った』という物語内部の理屈をはっきり見せることにも成功していて、恋愛関係になった後のエピソードとしては、とても良く出来ていると思います。
見せ方の巧さで言うと、猛男が離れていく描写と自由になる猫を重ねて見せることで、失恋を何とか受け止める姉さんの気持ちが見えるのは、結構好きな演出。
心理的変化による状況の改善を、動物や天候のモティーフで見せる演出ラインが特異ですね、このアニメ。


ラブ部分は女が主に担当してましたが、コメは男が担ってました。
凛子の野獣告白に物理的に引いて戻ってくるスナ、猛男の全力疾走と社交ダンス、そしてラスト怒涛の練習。
作中人物たちが笑いを笑いだと指摘しないことで、あんまべったりした感じにならない見せ方になるのが巧いなぁと思います。

いや、ラストは全力で油っこかったけどさ……動きと色と声が付き、描写が強化されるとこんなにも破壊力が出るのかというシーンになってて、最高でした。
……てゆーかスナすまん、アニメになって初めて、君がどんだけ嫌だったかよくわかったよ……この世の終わりかっていうくらい大暴れだったね……。
表情と言いBGMと言い、全力でぶん殴るような笑いも巧いのが、コメディとしてのこのアニメの強みの一つだと思います。
正確に言うと、サラッとやる所とドッシリやる所の見極め、緩急の使いどころの巧さかなぁ。

無論笑いだけではなく、衒いなく女性を花に例える天性の気遣いだとか、恋人の全てを受け止める覚悟であるとか、猛男の恋愛偏差値の高さも強調されてた。
男っぽさを振り回すだけではなく、相手の顔色見る優しさもあるから、猛男は気持ちいいやつだよなぁ。
アニメオリジナルシーンとして少女漫画を貸される描写を太らせて、色んなスクールカーストから平等に愛されている姿を強調してくれたのは、とても嬉しかった。

雨降って地固まるといいますか、小さな波乱が大きな安心を産んだといいますか、爽やかな読後感のあるエピソードに仕上がっていたと思います。
兎にも角にも砂姉が良いサイドキックであり、その良さを最大限活かしたお話作りをしてくれたスタッフに、何度目になるか判んないけどマジ感謝。

ほんと良いアニメ、良いお話だなぁ……とか感慨に耽っていたら、もう来週柔道エピソードですよ。
あれも面白くて素敵で気分のいい話だからなぁ……。
見れば見るほど期待値高まって、それがほぼほぼ裏切られないって、控えめに言って最高っす。
俺物語!!、素晴らしいアニメだ。

 

アイカツ!:第133話『ハローニューワールド』
登場から約一ヶ月半、凛ちゃんメインで回してきた三期後半ですが、ついにピンクの腹黒のターンが来たッッ!! というわけで、まどか編序章。
『頭が良くてあざとくて、計算高いが凛のことは本気で好き』くらいしか判んなかったまどかちゃんの芯に、一体何があるのかよく見える回だったと思います。
想像してたより強く硬い芯を持っている根性キャラで、アイカツ!らしくないのにアイカツ!らしい、いいラインを取ってきたなぁという感想。
同時にユニット編が進行中でもあるので、相方であるあかりちゃんの描写も多めでした。


『天羽あすかの孫』というのは天羽まどかを構築する重要な要素であり、初登場時の履歴書にも無茶苦茶強調して描かれてました。
『芸能人はカードが命』なアイカツ!世界、デザイナーは強烈な権限を持っており、その血縁であるまどかちゃんは、ぶっちゃけ七光りキャラという印象を逃れられない。
実質的にまどかちゃんの物語一歩目となる今回、悪印象の原因になる『祖母のコネ』を真っ向から取り上げ、一気に掘り下げていったのは流石と言えます。

『お前はジョルノ・ジョバーナか。誇りある男の血脈か何かか』と言いたくなるくらいに覚悟覚悟言っていたまどかちゃんですが、アイカツ!の基本文法はスポ根。
一番の変化球に見えるキャラが、一番世界を律するルールに従順であると示すことで、お話に参加する資格とギャップによるキャラの掘り下げを見せていたのは、第1回目のキャラ紹介として見事でした。
過去回想、『こうして「甘羽まどか」は、お弁当屋さんにあこがれるよりも……『アイドルカツドウ』に、あこがれるようになったのだ!』って感じでしたもんね。

「あかり先輩、わかりやすい!」という台詞を見ても分かるように、まどかちゃんは小狡くて賢い
、他人の値段を常時測っている感じを受けるキャラクターです。
しかしアイカツ!世界は過剰な正しさを世界のルールとして選択しており、何かにガムシャラになる汗臭さを宿していないキャラクターは、画面に映る価値がない。
そこが『今までのアイカツ!っぽくなさ』にも繋がっていて、三年目後半のテコ入れとして機能してる側面もあるわけですが。

凛ちゃんが『ジ・アイカツ!』という感じの直球高速キャラなのと、ここら辺は好対照でしょう。
パフォーマンスと客へのアピールという二点で、アイドルとしての強みが真逆なのも意図的な対称性だろうし、それが今回のステージよく出てた。
小気味良い高速のカット割り、カットインやオブジェ変化なんかを使った変則的な見せ方、縦横に動きまわるカメラワークと、ゴージャスな感じのステージでした。
一回目のステージに比べると、客へのレスポンスという武器は更に磨き上げ、あかりとの特訓を活かしたパフォーマンスの向上も見せと、お話の展開に沿ったステージングだったと思います。

ともあれ、アイカツ!のステージに立つためには、小悪魔キャラという個性は扱いが難しい。
器用に立ち回りつつもどこかで汗を流し、歯を食いしばっていかなきゃ世界からはじき出されてしまうわけですが、初のメイン回となった今回、そこら辺をしっかりやって来ました。
アイドルと自分のあこがれに本気だからこそ、生半な覚悟では対峙できないという強い気持ち。
それを反映しての特訓シーン。
ダンスに関してはピカイチである凛とセットで描写してきたことで、『特訓しないとパフォーマンスに隙がある』状態が巧く伝わっていたのが、まどかの覚悟を見せるいい土台になっていたと思います。


今回の話はまどか編序章であると同時に、ユニット編の1エピソードでもあるので、まどかの運命であるあかりちゃんの描写も強い。
持ち前の非才を背負い、それを徹底した努力で跳ね除けてきた主人公らしい、いい先輩ぶりだったと思います。
トランポリン特訓のシーンは、『落第寸前まで追い込まれたあかりちゃんが、ついに後輩を指導する側に立ったのだ』という感慨があった。
こうして頼りになる先輩っぽさを描写してこそ、まどかの気持ちが吸い寄せられていく動きに視聴者もシンクロできるわけで、大事な所です。

今回あかりちゃんがまどかと対峙する動因になるスミレちゃんの不在ですが、お話を進める要素だけではなく、現在の二人の関係描写にもなっていて面白いところでした。
アバンで強調されていたように、ダンディヴァという翼を得て大きく羽ばたいたスミレちゃんと、未だソロのあかりちゃんには距離がある。
それはアイドルとしての地位の距離であると同時に心の距離でもあるんですが、この2つは必ずしも一致していません。
アイカツ!世界に嫉妬という感情がないのをさておいても、先行するスミレちゃんと、取り残されたあかりちゃんの心は穏やかに寄り添っている。
それを示すのが、電話でまどかの面倒を頼むシーンだったと思います。

変化する環境と心の距離という話になると、三年目は『起床』がキーワードになってるかなという気がしています。
ルームメイトとして、親友として、アイドル活動のライバルとして、複雑なアスペクトを持っているあかスミが現在どういう位置にいて、お互いどう思っているのかは、ベッドを見るとよく分かる。
ルームシェアが始まったばかりの頃、『おおぞらお天気』という大きな仕事を手に入れた時、関係性が深まってからのオフタイム。
そして今回、『おおぞらお天気』の時は見送る側だったスミレちゃんが、圧倒的な成功を手に入れて先に行く描写。
あかりジェネレーションに取って大事なことは、寝起きに起きている印象です。


こうして積み上げられたまどかとあかり、二人の描写ですが、これが結実するのは今回ではなく、おそらく次回。
ユニットへの導火線として、主にまどかがあかりに惹きつけられていく描写は丁寧に積んでいましたが、最後のジャンプハグへの対応を見ても解る通り、まだあかりからまどかには距離がある。
飛び込んでくるまどかに一歩引いてしまうあかりが、彼女を正面から抱きしめる未来がどうやって来るのかは、今回丁寧にタメたからこそ楽しみな部分であります。
ユニット編の間合い描写は直接的かつ濃厚だからなぁ……当てられないように、今から気をつけなきゃ……。(百合解毒剤事前服用、大概効かない)

第3のユニットも見えてきて、ユニット編も佳境ですが、話しの起点が全てスミレちゃんなのは面白い。
『引っ込み思案だったスミレが接点のない凛を見初める→凛ちゃんが堕ちる→二人に刺激を受けて珠璃が相手を探す→ひなきという青い鳥は身近に居たと気付きユニット結成/ダンディヴァで忙しいのでまどかの面倒をあかりに頼む→頼もしい先輩にまどか胸キュン』という流れになるのかな、まとめると。
『どうしても欲しいものがある』と気付き、今まで引っ込めていた足を踏み出した波紋が色んな所に影響を及ぼす様子を見ていると、アイドルに必要な『格』を感じることが出来、キャラの成長とストーリーの土台作り両方につながる、巧い描写だなぁと思います。
出だしを低く取って『コミュ症の頷きマシーンじゃん!』と思わせておいたのが、半年経って凄く効いてる印象。

『親友だけどライバル』という人間関係は、いちあおで構想していたけど序盤で方向転換した部分。
いちご世代との対比を強くしたあかりジェネレーションでは、この関係を軸にしていくという強い意志を、最近のスミレちゃんの描写には感じます。
そして、ライバル関係は片方だけが強まってもしょうがないわけで、これだけスミレちゃんを上げているのも、その高さを利用してあかりちゃんを引っ張り上げる布石ではなかろうか。
凛ちゃん推しの時間が収まり、ようやく相棒まどかちゃんにカメラが移ってきたこの状況、あかりちゃんがどう飛躍するかも楽しみですね。

 

放課後のプレアデス:第6話『目覚めの花』
少女たちの並行世界童話もクール折り返しということで、かなりかっ飛ばして話が前に進みました。
『面倒くさいSF設定おじさん』ことプレアデス星人が一気に設定を流しこんできて、同時並列的に意地悪ボーイみなとくんのお話も進み、それに巻き込まれる形ですばるも決断していくので、内容が盛り沢山。
僕自身の物語消化を助ける意味も込めて、感想を書いていきましょう。


このお話、根本的には少女と妖精のお話であり、冒頭ですばるが言っているように『エンジンを追いかけている間は、皆と魔女でいられる』物語です。
つまり、エンジンが全て集まり物語が終焉する時、社会から観測されず自分たちの世界を社会に成約されることもない魔女たちの時間は終わる。
期限付きの妖精物語であるというのが、この一見幼年期への憧れの中に閉じこもってもいるように見える物語の、大きな前提になります。
一種怨念にも似た少女性・無垢性への憧憬がこのアニメは透けて見える訳ですが、それを自覚しているからこそ、終わること、終わったからこそ始められるモノへの強い意識が、このお話にはある。
このアニメが児童小説にも似た真っ直ぐな筋立てと感性を持っているのは、この『終わりの前提』が強く影響しているように思います。

これまでのお話は少女たちの小さな成長にクローズアップして『終わりの前提』について語ってきたわけですが、今回世界設定に強く関係したお話が展開されることで、カメラが大きく引き、複数人を同時にフレームに入れたお話が展開されます。
今回のエピソードは、プレアデス星人と五人の魔女(少女)、二人のみなとくんというメインキャラクター全てを『選択と観測から解き放たれた特異な状況は長く続かず、その変化は必ずしもネガティブなものではない』という主張が貫通していると示されるお話です。
つまり、『終わりの前提』というテーマはすべてのキャラクターに共通である、ということを見せるのが、今回のお話の目的(の一つ)になります。


今回公開された『可能性を拒絶し、選択と観測から遠ざけられた存在』というプレアデス星人の設定もまた、この『終わりの前提』を際だたせるためのものです。
世界に影響を及ぼさず、世界から影響を及ぼされることもない思春期の少女たちと、プレアデス星人たちは似ています。
しかし今まさに身体的・心理的変化の只中にいて、例えば距離を感じていた父母を肯定したり、何者でもない不良品の自分に思い悩んだり、かつてのお転婆な自分を取り戻したりと、様々な人生の決断を続けている少女たちと、すべての可能性を観測し、何処にも生存の可能性を観測できなかった結果世界の裏側に引きこもったプレアデス星人は、未来に対する希望の量が大きく異る。
この話がプレアデス星人ではなく、魔女の時間を終えつつある少女たちの物語である以上、変化と決断を肯定するべく物語は組み立てられているはず(もしくはべき)であり、今回プレアデス星人の設定を開示したのもまた、少女たちと似て非なる立場の彼らを表に出すことで、選択と観測の価値を高める意味合いを秘めているように思います。

宇宙船の壮大なスケールに惑わされがちなのですが、今回『終わりの前提』に目を向け、選択と変化に飛び込んでいったのはプレアデス星人ではありません。
彼らは選択と観測の無い世界、魔女たちの影響の及ばない世界に戻っていったのであり、いつもと違う出口から温室を出て、体を張って学校も部室もあおいも守ることを選択したすばるが影響を及ぼしているのは、あくまでみなと君です。
なので、空の半分を覆う巨大な宇宙船が顕になっても、プレアデス星人は今回の話の主役ではない。
今後少女たちの成長と対比させるため、少女たちの決断に影響を受け変化するためにまた出てくることはあるんでしょうが、彼らはあくまでキャラクターとしての決断も変化も伴わない遠景です。


では近景として心を変化させ、決断によって世界を前進させていくのが誰かといえば、主人公すばるとヒロインみなとになります。
角マントのみなと君の奸計により出口のない迷宮に閉じ込められたすばるは、彼とよく似た温室のみなと君に決断を要求され、病身のみなと君よりも、親友と彼女たちが属する世界を選びます。
結果、静止していた温室の時間は動き出し、花は枯れ、みなと君は何処かに行ってしまう。
世界を終わらせる決断は、必ずしも美しい変化だけを持ってくるわけではなく、哀しい結論を導くこともあるわけです。

(無論この話はペシミスティックなお話ではないし、現実の重さとやらを持ちだしてリアリティを担保する劇作でもないわけで、温室の終焉はより善い終わりのための一段階にすぎないとは思いますが。
だからこそ、地球上には存在しない奇妙で美しい花が、みなと君がそこにいた事の証明として残されているわけで。
俺みなと君の事すげー好きなので、これで出てこねーとか絶対許さんという気持ちがあるのは事実ですよ、エエ。)

では、今回の冬枯れは全てが哀しいことであったのでしょうか。
温室の崩壊は停止していた時間の外側に出て、結果がどうなるにせよ前に進む決断でもあるはずです。
それを導いたのはすばるとの交流であり、小さな悩みをいくども打ち明けてすばるがより良い方向に変わっていったように、みなと君もまた、すばるとの語らいの中で変化していった。
その結果として温室を出て、花が枯れたのであれば、それは必ずしも、哀しむべき終わりではない気もします。
今回語られたのはみなと君の出発のみであり、彼が何処にいて何処に辿り着くのかというのは今後のお話になります。
今回の一つの終わりをスタートラインとして、みなと君の物語がより良く進むことを望まずにはいられません。


一方、すばるとの交流をしていないもう一人のみなと君、角マントのみなと君は、世界を代償にしても己の願いを叶えようとする、結構暴虐な性格の持ち主です。
彼の望みの具体的な所も今回断言はされなかったので、なかなか扱いが難しいところですが、少なくとも温室のみなと君と対比的な存在であることが、描写からも設定からも解ります。
みなと君(温室)がすばるの決断、すばるによる観測によって変化し前進したのであれば、その対となるみなと君(角)が観測と交流を拒絶し、変化もしない存在、『終わりの前提』を拒絶する存在であろうということは、無理くりな推測ではないはずです。
頑なな心の持ち主だというのは、今回の対峙でよく見えるしね。

崩壊する温室での二人のみなと君の出会いは結論部分がカットされており、一体あの二人がどういう関係なのか、その出会いがどういう変化を生み出したかは、明示的には語られていません。
それを語っていくことが変化するみなと君と、決断を拒むみなと君、ふたりのみなと君の物語の軸になっていくのだとは思います。
五人の魔女が多重世界の可能性の中から選別されていること、プレアデス星人が観測と決断から逃れた存在であることなどを鑑みると、二人のみなと君もまた、何者でもない可能性の中から選ばれた存在ということなのかなぁ。
ここら辺の疑問もまた、今後のお話の中で明らかになっていくでしょう。

こうして思い返すと、今回のお話、これからのお話を進展させていくための燃料注入回であったように思います。
これまで人目に触れず世界に傷を負わせることもなかった魔女たちのエンジン探しが、宇宙船の実体化によりあわや地球崩壊という危機に接近したことも、彼女たちの物語が変質してきたことを示していると、僕は思います。
同時にみなと君(角)の巨大な暴力に向こうを張るすばるの決断は、プレアデスの妖精がまとめあげた可能性と、それによって集まった五人の交流が無ければ生まれなかった成長なわけで、始まりを準備すると同時に、一つの終わりをしっかり見せるクライマックスでもあった。
始まりと終わりが同居するエピソードだったのかな、と思います。

それは物語の基本的な形であると同時に、健全で強い物語を語る足場にもなるはずです。
これからのプレアデスの物語が、どう進んでいくのか。
僕はとても気になっています。