イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 15/05/29

俺物語!!:第8話『オレのトモダチ』
俺物語の新エピソードは、世界最強の超絶イケメンとして良い奴街道を突っ走る砂川ボーイのお話前編。
『身内の病気』というリアルにヘヴィな案件を抱えつつ、ダチ公の初恋を笑顔で応援し続けるスナのヒロイン力がマジやべぇんだ……。
気のおけない距離の描写とか、猛男のマジっぷりとか、あまりにも気持の良い魅力的な笑顔とか、描き方も本格的にヒロイン扱いだったしなぁ……スナなら許す。

自分は漫画版を先行して読んでしまっているので、思い出を語らいながらの笑顔の裏で一体何が起こっているのか、既に知ってしまっている立場。
スナの抱え込んでいる重荷と、舞い上がっている親友のために笑顔の仮面を崩さない健気さを考えると、あのシーンの爽やかさは刺さる。
同時に、リアルでヘヴィな状況でも猛男の存在さえあれば何とか頑張れてしまうという意思、スナの中での猛男の重たさも感じ取れて、外野のオッサンとしては『何も言えねぇ……頑張れスナ……』という気持ちになった。
あそこの健気さと爽やかさと重たさともどかしさが一体となった、どうにも言えない空気の出し方はほんと良かったなぁ。

今回点数が上がるのはスナだけではなく、猛男も株を落とさないよう、細心の注意を払って扱われていました。
これまで大和との絆を濃厚に描いてきたので、猛男が舞い上がるのもしょうがないというか、俺も舞い上がるわ! という気持ちに素直になる。
その上で、鈍感なりにスナの変化に気付いたり、色恋よりも親友の窮地を優先する男気を見せたり、その上でスナの気持ちを組んで本気で楽しむ宣言をしたり、とにかく猛男が正解を選び続ける展開で、とても良い。
お互いがお互いを認め合い、支えあい、思いやりながらも、どこかギクシャクとしたすれ違いが生まれてしまっている現状にも、納得の行く話運びでした。

今回のエピソードは前後編なので、お互いの真心が正面衝突した結果『いや解るけど……解るんだけど、なんかこう……』という印象を抱くのは、多分制作サイドの狙い通り。
猛男とスナの姿をこれまで見守っていれば、あいつらに喧嘩(ってわけでもないんだけど……『真心ゆえのすれ違い』かな)して欲しくないってのは素直な感想で、『どーにかしてくれ!』というもどかしさを解消すればこそ、視聴者の気分も最高に盛り上がる。
一旦『納得の行かない正解』を出した上で、全てが上手く収まる『完璧な解答』を見せてカタルシスを作る造りが現段階で予感できて、来週がとても楽しみです。

……それにしても、兄貴喫茶マッチョーズは色と動きと声が付いて、最高に性風俗っぽかったな。
普段着のサラリーマンとかいるのが、ホントに性風俗っぽくて……猛男そういう所全然判んないんだろうなぁ……。
『あざとさと媚を喫茶店で売る』という意味では、フィクションの中で誇張されるメイド喫茶の反転パロディなのかもなぁ、兄貴喫茶。

 

アイカツ!:第135話『世界の中心はここね!』
交換留学第二回は鎖国都市KOBEから! というわけで、アバン1分でユウちゃんを再び生贄に差し出し、ニューカマー栗栖ここねちゃんのデビューエピソード。
キャラの特性からアイドルを目指したオリジン、持っている欠点と長所に周囲との関係性まで、手際よく、かつ幅広く描写し切る見事なお話でした。
此処で四葉さんを使って話を広げてくるとは……このリハクの目を持ってしても……(アニメ節穴芸の天丼)


いちご時代とは異なり、キャラクターの身の丈を思い切って下げて地面に足のついた成長物語を展開しているあかりジェネレーション。
話しのエンジンになっているのは各々の天才性や長所ではなく、むしろ短所や欠点をどう個性として生かし、アイドル活動という名前の社会生活に適応させていくのかという、弱者の物語です。
ゲストキャラたるここねちゃんも例外ではなく、今回まず描かれたのは彼女の短所、『マイナーリーグの四番打者』という部分でした。

アイドルシーンを語る上でもはや外せないネタであるローカルアイドルネタに触りつつ、地方に密着しているがゆえの知名度の無さ、井の中の蛙っぷりが今回、これでもかと強調されます。
痛いキャッチコピーにレスポンスがない所や、どローカルな演歌調の持ち歌、さくら荘(また地味な名前だな三代目クイーン)にまつわる情報格差など、彼女がどれだけど田舎のどん百姓アイドルなのかというのは、効果的に見せてました。
あまりのアウェイっぷりに一瞬胃が痛くなりかけましたが、そこは善意だけで構築されているアイカツ!世界、道化のスベリっぷりを笑うのではなく可愛さを褒める方向に動いていて、相変わらず柔らかい世界だなと思いました。

自分の持っていた世界の狭さに打ちのめされたここねちゃんですが、アイカツ!世界の住人らしい前向きなガッツで立ち上がり、『メジャーリーグの無名選手』であることを受け入れて前進しだします。
家業のスイーツ造りでスターライトに溶け込んでいく展開は、両親から受け継いだものを強く感じさせ、『お菓子』というキャラ記号をただの記号として使わない、情動を伴った見せ方でした。
最初肥大化したエゴがひっくり返り、アイカツ!には珍しい当惑した表情を見せた辺りでは『ひょっとして嫌な子なのかなぁ……』と思わせておいて、後半怒涛のエピソードラッシュで綺麗にひっくり返す手腕は流石。


何よりも、アイドルカツドウへの強い情熱という、このアニメに存在を許されるためには絶対に持っていなければいけないモノをしっかり見せたのは、とても良かった。
四葉さんという意外な足場を巧く使い、パティシエという共通要素をジャンプ台にして、『熱いアイドルカツドウ(この言葉がこのアニメでどれだけ大事かは、物語の挨拶として135回繰り返してきたことからもわかると思います)』への想いを巧く見せていました。
此処でも母娘の絆を強調しているのは、テーマとムードの統一という意味で大事だと思います。
あかりジェネレーションは、家族関係(特に母娘)の描写が強い感じがしますね。

一見痛々しい『世界の中心はここね(だよねー)』というキャッチフレーズが持つイメージも、そのオリジンを母と強く結びつけることで、最初期のイメージと正反対の印象を抱かせることに成功していました。
ぱっと見凄まじくエゴマニアックに聞こえるキャッチコピーなのですが、母が娘を絶対的に肯定する愛を忘れず、どんな時でも自分を支える自信に変えているという見せ方は、凄まじいホッコリ力に満ち満ちてた。
無条件な母の愛情が曲がりかけていた娘の背筋を伸ばすという意味では、きぃちゃんのオリジンを開示した第55話『合言葉はオケオケオッケー☆』と共通する造りかな。
第一印象が『寒い』『痛い』『自意識過剰すぎ』だからこそ、スターライトに溶け込んだ象徴として自己紹介をあかりジェネレーションとともに完成させる終わり方は、印象的で綺麗です。


『キャッチフレーズ』『スイーツ』『四葉さん』と、キャラ記号を過不足無く配置した上で情動を詰め込んでしっかり描写し、栗栖ここねというキャラクターがどういう存在であり、どう変化したのかをしっかり見せるお話になっていました。
自意識過剰な井の中の蛙という低い状態から初めて、スターライトでの居場所を見つけるまで流れは、成長物語の起伏を丁寧に作っていて、安定した見応えがありました。
バラバラになれかねないキャラ記号を束ねる情動として、母娘の強い繋がりを利用し、一本筋の通ったテーマをしっかり入れ込んだのも、お話の背骨がまっすぐになってとても良かった。
まどかちゃんといいここねちゃんといい、今まで居なかったタイプのキャラを魅力的に描いていて、3年目後半は攻める姿勢を強く感じますね。

来週は薙刀小町みやびちゃんが久々に帰還し、ユニット編が更に一歩前進する模様。
既にズブズブなダンディバや、毎日違う貴方に気づいてるオーラがムンムン出てるハラペーニョはいいとして、skipsの間合いがビミョーに硬いんだよなぁ……。
そこに突っ込んでくる話になるのか、はたまたここねちゃんを更に掘り下げてくるのか。
どんなお話が飛び出すのか、今から楽しみですね。

 

放課後のプレアデス:第8話『ななこ13』
13歳の孤独な魂たちが寄り添うスターダスト・フェアリーテイルの八話目は、コスプレ部一の不思議ちゃん、宇宙語通訳ななこさんのお話。
ミステリアスな雰囲気を漂わせてきた彼女の家庭事情や内面に深く切り込みつつ、非常に敏い十三歳の柔らかな発見を時空を捻じ曲げながら描写する、立派なジュブナイルSFでした。
ななこさんの知能指数に引っ張られるように、語学にギリシャ神話、ウラシマ効果に縮退炉に観測による事象の収束と、インテリジェンスな空気満載でしたね。
神話から命名することになって、即座にアパテーが出てくる中1ってマジすげぇな……。


これまでのななこさんは不思議な存在感を漂わせつつ、プレアデス星人とのコンビ打ちで不思議な空気を醸造する、結構特殊な位置にいるキャラクターでした。
あまり感情を露わにせず、かと言って五人の関係が不愉快な素振りもなく、なぜここにいるかは分からないけど、此処に居たほうが皆にとって良いとは分かる、とても不思議な女の子。
そういう子供の内面に切り込んでいくにあたって、テーマになったのは『孤独』でした。

ほぼ光速の恒星間移動によって仲間とも、これまでセットだったプレアデス星人とも切り離された彼女は、圧倒的な孤独を当然のように受け止め、取り乱した様子もなくオールトの雲までの道程を進んでいきます。
それはこれまでのお話でチラホラ見せた精神的な早熟さだけではなく、母親不在という家庭環境が強く影響している。
別れて以来一度もあっていない母、不思議な愛娘を真向から受け止められている感じはしない父親。
今回明らかになったななこさんのホームは、愛着はあれど腰を落ち着けることは出来ない、不安定な家です。
家庭という場所に強い愛情を持って入るものの、素直に飛び込むことも出来ないアンビバレントは、ひかるやいつきとも共通するところでしょう。

しかしこの作品の女の子たちが全てそうであるように、ななこさんもまた瑞々しい感性と優しさを人格の根本に保っている思春期の子供であり、自身の現状を諦観するような口ぶりの裏には、複雑な感情が絡みついています。
本当の意味であきらめているのであれば、宇宙でたった一つ孤独に彷徨うアパテーにあそこまで感傷的な視線を投げかけることなど、絶対に有り得ないでしょう。
分かってほしいと願いつつも現実はその祈りを叶えず、虚しく木霊する言葉に諦観を装わないければ自分を守れないほど、繊細な感性。
今回ななこさんにカメラがクローズアップすることで見えてくるのは、賢さというよりも柔らかさだと思います。

諦観と希望、優しさと賢さの間で震えているななこさんの気持ちを、非常に巧く表現しているのが、『言語』へのこだわりです。
ななこさんは今回、様々な言語で挨拶を繰り返しますが、その行動はただの奇行でも彼女の知性の表現でもなく、孤独の根源たる離別した母と弟が手紙で伝えてくる外国の情景、心で推測するしかない家族のいる世界への、強い関心を意味する行動です。
『所詮人間は一人だ』と嘯いていても、様々な国の言葉で投げかける挨拶は、母と弟への届かない(とななこさんは思っている)叫びです。

母が何処か別の国にいて、毎回非常に凝った手紙を送って来ている状況は、ななこさんの私室を見れば見て取れます。
あの手紙の群れと、それに対するななこさんの視線を見えば、離れた状況でも幾ばくか以上の愛が三人(不器用なお父さんも入れれば、多分四人)の間にはあって、しかしそれが簡単には取り戻せない、素直に受け取ることも出来ない感情だというのは、すぐに分かります。
『所詮人間は一人だ』という寂しい諦観で遠ざけようとしているのは、離婚による家族の不在という、子供にはどうにもならない現実です。
しかしたとえ不在だったとしても母との関係は消滅すること無く、複雑に捻れたまま不在の存在という形で、ななこさんの心に長い影を伸ばしています。
その発露の一つが、彼女が繰り返す様々な言語への強い関心なわけです。


この言語へのこだわりを、家族間のアンビバレントな力学を表現する手段としてだけではなく、より物語の根源に近い位置に引っ張りこんでいるのが、今回の話しの見事なところです。
これまでの描写を見ていると、ななこさんのキャラクター表現の中で最も目立つのは、プレアデス星人の『通訳』としての存在感です。(藤田咲さんの力演が光ります)
ななこさんが居なければ、五人を引きあわせ、高速を超えて時間まで歪ませ星を産みさえする力を授けたプレアデス星人は、物語的に意味を持たない存在になってしまう。
ななこ不在の半年間でひかるが言っていたように、『ななこが居ないと何言ってるか全然わからない』キャラクターに変質してしまうわけです。
(トンチキな行動を繰り返すななこモドキVerの会長も、毛並みの良いコメディとして、小動物観察日記として、それはそれでとても良かったわけですけどね)

今回開示されたプレアデス星人との出会いを見ると、彼女の持つ言語と理解への強い衝動(それはつまり、彼女が現実への盾として使っている『所詮人間は一人だ』という言葉と真っ向から矛盾するわけですが)が、プレアデス星人との交流を可能にしているのが分かります。
ななこさんが母と弟に抱く複雑な感情、近づきたいのに近づくことを許されず、『所詮人間は一人だ』と諦めたふりをしなければいけない状況への対処として選んだ『言語』は、宇宙人の声を聞きその意志を理解するという奇跡を呼びこむくらい、素敵なものなのです。
彼女が『言語』への関心を持たなければ、プレアデス星人の声が届くことはなく、物語は始まってすらいないのであり、母と弟の声を聞こうとする強い意志は、強い意味を持つ重要な決意なのです。

プレアデス星人との出会いのシーンはこのアニメ全体のテーマ、『観測』も掘り下げているシーンです。
今の半透明のタコクラゲの姿はななこさんが見た(いと思った)プレアデス星人であり、意思と祈りを込めた観測が現実の世界を規定して行くという描写は、例えば前回のみなと君であったり、世界の裏側に引っ込んでいるプレアデス星人のあり方であったり、この作品の至るところで見られます。
そして、ななこさんが規定したプレアデス星人の姿は、かつて弟と語り合った他愛のない夢、『宇宙人とすら意思を疎通できる言語』という願いそのものなわけです。
この時、エピソード個別のテーマである『言語』と、作品全体のテーマである『観測』は一体として描写されています。
それはとても豊かな立体感だと、僕は思うわけです。


ななこさんにとっては半日、残されたモノにとっては半年というウラシマ効果は、無論SFというジャンルゆえに取り扱われるものでもあるのですが、同時にななこさんが見ている世界と、ななこさんを見ている人々の世界の差異を表現する、とても感情的な描写でもあります。
賢く、強く、醒めた視線で世界を認識している(ふりを続けている)ななこさんにとって、オールトの雲までの道程は耐え難い孤独ではなく、5人や父親との離別も受け入れられる(ということにしておかないと、自分を維持できない)出来事です。

しかし置いて行かれる側にとってななこの不在は大きく、切なく、虚しい。
それはななこが嘯く『所詮人間は一人』という言葉が、嘘だからです。
五人は多元宇宙を飛び越えて出会い、プレアデス星人によって魔法をかけられ、
これまでのお話の中で培った信頼関係があればこそ、手製のパンフレットを作って送り出すことの出来る離別ではあるけど、さりとて無条件に受け入れられるほど簡単な別れでもありません。
ななこには会いたいけど、エンジンの欠片を集めるというミッションのためには、会えない。
今回気持ちと現実の間のアンビバレントに悩むのは、ななこ以外の四人も同じことなのです。
ななこさんが身をおく無機質な赤方偏移世界と、花が咲き雪が降る叙情的な残されたものの世界をクッキリ対比させたのは、残されたものの世界が魅力的であればあるほどそこにななこさんがいない寂しさが際立つ、詩情に溢れた見せ方でした。

この寂寥感と巧く付き合えることが大人の条件であるのなら、五人の中で一番幼いすばるが一番最初にななこの声を聞いたのはむしろ必然であり、いつか置き去りにしてしまった純粋さをすばるを通して再獲得する構図は、彼女が主人公の資格を強く持っていることを、僕達に思い出させてくれます。
ひかるやいつきの個別エピソードと同じように、今回ななこさんの心を成長させ、より良い方向に導いていくのは『何時しかぎこちなく接することしか出来なくなっていた過去と、素直に向き合う』という、一種のタイムスリップです。
家族が分断される前の世界、暖かく一体で優しかった世界が実は今も続いていて、いつでもそこに帰ることが出来るのだとななこに教えてくれるのは、一人ぼっちのアパテーであり、時間も空間も飛び越えて会いに来てくれる仲間です。
そして、真っ先にななこの寂しい本心を感じ取ったのは、幼さと素直さを未だ残しているすばるでした。

ななこさんの『所詮人間は一人だ』というのは自分を守る哀しい嘘であり、たとえ今すぐ家族が元には戻らなくても、何らかの形で反論しなければいけない考えです。
今回のお話はかけらが見つかることでも、母と弟から誕生日プレゼントが届くことでもなく、ななこさんが自分の矛盾する気持ちを肯定し、家族の分断という現実に対し実効性のある心構えを獲得すること、思春期らしい自我の確立を以って成長することで完成するわけです。
アパテーとの出会いで自分の気持と向き合ったななこさんは、声を発した段階で既にこの虚偽を克服しつつあるわけですが、それを確固たるものとしたのはすばるがななこさんの声を聞き、時間も空間も飛び越える奇跡で、『所詮人間は一人』ではないと身を持って証明したことに依拠します。
お話の感性に強い影響力を持つことが主人公の証明だというなら、今回のすばるほど主人公しているキャラクターは、そうもいないでしょう。


『分断された家族』『孤独な魂』『言語』『観測と決意』
13歳のななこが大人の仮面を捨てて、内面の痛みを肯定する成長物語の中に、沢山のモティーフとテーマを盛り込み、それらを有機的に連結した上で効果的に演出してみせた、素晴らしいエピソードでした。
これまで見せていたミステリアスな魅力を減じることなく、傷を負い苦しみ、それを乗り越えていくななこさんの魅力を引き出していて、本当に良かったです。

これで個別エピソードはだいたい終わったわけですが、本筋が何処に転がっていくのかはまだまだ読めない所。
みなと君が鍵になるのは間違いなく、アバンですばるとすっげーキャイキャイしてて俺の乙女エンジンがフルで回転を始めたりしたが、今回の話はあくまでななこさんの個別エピソードだったからなぁ。
そろっそろみなと君の不思議な立場を掘り下げ始めるような気もするが、さてはてどうなることやら。
楽しみだなぁ本当に……。