イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 15/05/31

Fate/UBW:第21話『answer
アチャ男と志郎のイチャイチャパラダイス、ついに決着!!! というわけで、生身の殴り合いと根性論破が交互にやってきて、ガングロがデレたと思ったら死んだ回でした。
ラスボス担当ギルガメッシュ先生のよく分かる聖杯講座とか、ヒロイン担当わかめの増えるワカメとかもあった。
唐突に人類絶滅とか言い始めるギルのトチ狂い方は、結構好きだったりする。

志郎とアーチャーの理想合戦は、志郎が素の精神戦をふっかけて大勝利。
というか、アーチャーは負けるために状況を作ってたまであるわけで、当然の結果というかなんというか。
君ら最初から最後までイチャイチャしてたな……そら凛ちゃんさんも戦い終わってから来るわ。

前回地の文朗読演出を解禁したので、奈須汁溢れる長台詞でじゃれあっていた訳ですが、ぶっちゃけこの演出なかなか難しいよね。
ZEROの綺礼VS切嗣の時もそうなんだけど、アクションシーンの緊張感がぶつ切りになるのは否めないと思う。
武力ではなく思想力の比べ合いではあるんだけど、んじゃあ最初から話し合いにしとけよと思ってしまうというか。
ゲームや小説だと自分のテンポで進めるのであんま感じない所が、映像作品になって目立ってる感じかな。


しかしセイバーの心象風景を並列で見せれるのも映像ならではであり、志郎VSエミヤの理想合戦を見守ることで、自分の過去を肯定できるようになったアルトリアの姿は、とても良かった。
ここら辺の折り合いは、ゲームだと30時間位かけて踏破したFateルートにてタップリやっているので、UBWルートだと端折られる所。
3ルート全てで衛宮士郎の物語が完成するゲーム版とは違い、あくまでUBWで一つの物語であるアニメでは、このくらい叙情的に見せたほうがグッと来るね。

ああ、僕がUFO版セイバー好きだってのは横においておいてね……。
ほんとUBWは、志郎が人生踏み外す二度目の原因になった『綺麗なセイバーへの、圧倒的なあこがれ』が良く描けてると思う。
アチャ男が一生セバ子を横目で見ている描写も多かったので、この三人が同じ問題を共有している構造は絵の段階で強調されてたなぁ……。(暗に凛ちゃんさんの蚊帳の外感を指摘していくスタイル)

アニメ独特といえば、流れで囚われの哀れなヒロイン役をやることになったワカメがいかにして聖杯になったかも強化して描写されており、最後の最後まで美味しいやつだなこいつと思わざるをえない。
UBWのワカメは非常にフツーの小物悪役であり、ぶっちゃけ助ける理由はあんまないんだけど、今回アーチャーをぶっ飛ばして確立した『♪誰かの為に生きて この一瞬が全てで いいでしょう見せかけの自分は そっと 捨ててただ 在りのままで』という生き方を証明するには、ベストヒロインなんだよな。
……とか思ったが、ワカメとマッチアップするの凛だったわハハハ。

来週は最終決戦前の状況整理ということで、凛ちゃんさんのヒロインレース最終加速に期待がかかります。
提供絵から推測するに、『やったのか! 遠坂凛!』(美津代さん顔)とはなるようです。
無論ダイレクトに描写するわけがないので、どのくらい迂回した表現になるのか、個人的に楽しみなところであります。
……ここで迂回すると、UBWでいやらしシーンを担当したのは”美しき花瓶”セバ子のみってことにならねぇ……?

 

・プリパラ:第47話『あろまにはナイショなの♪』
そろそろプリパラ第4クールも終盤戦つーわけで、あろま&げどんを本格的に追い込む話前編。
あまりにも欲望に忠実すぎるみかんと、あまりにもみかん好き好きすぎるあろまの閉じた世界が、ドレッシングパフェとの交流で壊れていくお話でした。
まさに幼年期の終り……。


『仲良し六人組に、いらん波風起こす嫌なやつ』として登場したアロマゲドンですが、プリパラ得意の印象操作が巧く機能して、最近は好感度急上昇。
とは言うものプリパラは曲りなりともプリリズの血脈、完全なベビーターンまでに一波乱起こさねば納まりません。
というわけで、問題になるのはあろまのみかん依存と、みかんの過剰食欲。
森脇監督自らコンテを切ったキレッキレの映像で、両方が強調されていました。

みかんの過剰食欲はアクセル踏みまくりな描写で笑いになってますが、笑いの装飾を剥ぎ取ると『自分にはどうしようもない、生来の業』とどう付き合うのか、という話になります。
あれだけケーキがあろまとの絆を繋ぐ大事なアイテムだと理解しつつも、どうしても食わずにはいられない業というのは、無茶苦茶愉快に描写はされているものの、彼女にとってはシリアスです。
振り返ってみれば姉の愛情という檻に閉じ込められていたそふぃ、強すぎる愛が憎しみに変わっていた校長、無垢なる人形を愛しすぎていたユニコン
クール終わりになると、笑いのヴェールに覆い隠して、濃厚な愛のカルマを見せてくるのは、恒例行事とも言えますね。

『お腹がすいたら、誰からでももらうなのー!』という台詞は、ネタが大食いだからギリギリ笑いになってますが、例えば薬物依存とかニンフォマニアとか構造的な貧困問題に置き換えることも可能な、己ではどうにも出来ない業の告白です。。
それにショックを受けるあろまは、幼稚園からずっと一緒にいながら、みかんが抱え込んでいるカルマの大きさを把握していなかった、と言えます。
もしかしたら、その大きさを把握したくないからこそ、彼女の食欲を常に満たし続け財布に七円しか残らない所まで追い込まれていたのかもしれません。
ネタとして使われていた七円ですが、みかんのカルマをあろま一人で支えていた結果経済基盤に大きなダメージが入っている描写と考えると、二人の閉じた関係が限界であることを示す描写と取れますね。
こういうところも、ちゃんとガチですな。


あろまがみかんに対し持っている、幼く閉じた感情のうねりもまた、あろまの持つカルマと言えます。
カーテンで閉ざされた図書館を出てから、一切世界に溶け込まずみかんを探し続ける長回しは、彼女の閉じた世界を見事に描写する、いいシーンでした。
前回明かされたアロマゲドンのオリジンが非常に魅力的だったからこそ、今回開示されたあろまからみかんへの閉じた関係性を、一概に否定しにくい作りになっているのは巧い所ですね。
一見暴走特急としてコンビを引っ張っているあろまが、その実みかんのさりげないコントロール下にある描写も多かったので、今回の稚気の暴走も納得の行く所です。

同時に彼女たちの問題を顕在化させ、改善に導くために必要な地ならしも、黒歴史ノートの読解という形で、てきぱきと行っておきました。
みれぃは色々面倒くさいキャラなのですが、逆に言えば彼女さえあろまを受け入れれば、アロマゲドンを『友達』として受け入れる準備はOK。
『アイドルに対する愛情、熱意、研究姿勢』という、みれぃと共通する部分を確認することで、尺をとりがちな会話シーン抜きで一気に状況を平らにしていたのは、見事な手際でした。

一見献身的にみかんの世話をしているあろまですが、あろまが他人から食事を貰う≒他人と強い絆を結ぶことに強い拒絶反応を示した所を見ると、『カルマを抱え込んだみかんを世話する自分』というセルフイメージを二人の関係に見るという、エゴイスティックな欲望が感じ取れます。
他者と関係性を結ぶという意味では、お好み焼きの作り方をドレパに教えてもらっているあろまも同じことなのですが、自分の行動はみかんの食欲を維持するためだから是認されて、あろまは自分だけを頼り続けなければいけないという二重基準が、そこには存在しています。
今回示されたアロマゲドンのカルマは、どちらが悪いという類のものではなく、濃厚な感情が狭い関係の中で凝縮された結果、必然的に生まれたものだと言えます。
このようなエゴを頭ごなしに否定するわけではなく、かと言ってその不都合な側面を描写しないわけでもなく、いかに他者と社会(プリパラにおいては『友達』)との関係性の中でより良い方向に制御していくのかというのが、幾度も繰り返されている『プリパラ的』な描き方だと、今回再確認させられました。


みかんの破壊的な食欲が、必然として二人の関係を壊してしまった以上、綺麗な箱庭は戻ってきません。
顕在化してしまったみかんのカルマを受け止めるには、あろまの心は幼すぎ、それ故衝動的なコンビ解消となりました。
逆に言えば、簡単にはどうにもならない業を一旦受け入れ、社会関係・人間関係の中でより有用な発露が可能なように、対応を考える余裕が必要な局面と言えます。
らぁらの大声、そふぃの虚弱体質、レオナの性別に対し、これまでこのアニメが取り組んできたメソッドと同じですね。

そしてこれまでそうであったように、あろまの世界も、みかんの世界も、プリパラでの出会いを通じて小学六年生という年齢にふさわしい広がりを見せているはじめている。
『み~んなアイドル、み~んな友達!』がプリパラのモットーである以上、アロマゲドンの閉じた世界を一度開放し、より開けた関係性に向かって前進することが、アロマゲドン編の〆には相応しい展開でしょう。
今回の悲しい離別は、より良い状況のために必要な破壊だったとまとめることが出来ます。
プリパラというシステムが要求した五人ユニットが、ソラミドレッシングの六人との交流を促進し、結果としてアロマゲドンの幼い閉鎖性が一度崩壊する素地を作っていたのは、こうして振り返ってみるとなかなか面白いですね。


『個人が抱え込んだカルマは簡単には解決できず、かつ必ずしも欠点と断じることは出来ない個性である』
『個性を他者との関係の中で、より実害が少なく、実りの大きい方向に導いていくことが重要である』
『そのためには、周囲の理解と働きかけ、当事者の変化への強い意志が必要である』

プリパラで幾度も繰り返されているモチーフ(と言うか哲学)がかいま見える、アロマゲドンの最終戦争・出題編でした。
プリパラは各人の個性=問題点=カルマに対し、社会(≒友達)の助けと本人の努力の相乗作用で改善(解決や克服ではない)していくという、ソーシャルウェルフェア・ケア的な視点が存在していると、僕は感じています。
つまり、アロマゲドンの問題は彼女たち個人の問題であると同時に、彼女を取り巻く友達たちの問題でもあり、その手助けがなければ絶対に改善できない難問でもある。
そして友達たちが手を差し伸べる描写は、出題編である今回既に幾度も示されていました。
解決の糸口は既に見えているという安心感と、一体どんな感動と狂気が飛び出してくるのかというワクワク。
両方大事に抱えて、来週を待ちたいと思います。

 

・GO!プリンセスプリキュア『絵本のヒミツ! プリンセスってなぁに?』
来るべき夏商戦に向けて大きなイベントを起こすべく、トワイライトがついに秘めた牙を剥き出しにし、はるかが己のクエストをはっきりと認識するお話でした。
『自分がなぜ夢を目指すようになったのか』『その夢は何処につながっているのか』という、ヒーローフィクション一番の勘所を的確にえぐった、非常にヒロイックなお話。
『漠然としたあこがれを持った主人公』『憧れすら抱く魅力的なライバルに、偽物として否定される』『戦いの中で歪んでしまった理想を克服する「』『固有結界の中での覚醒』と、Fateと被るシーンが多すぎる……Fateプリキュアだった……?(トワイライト諏訪部説)


トワイライトはライバルキャラとして登場し、常にはるかが持っている夢(はるかが主人公である以上、それはお話が前に進む原動力でもあるのですが)に疑問を突きつける仕事をしてきました。
闇の聖母の祝福を受け、己の血統に強い誇りを抱くトワイライトのプリンセス像とは、すなわち血筋。
生まれのみがプリンセスを規定するという、不可逆的な定義です。

これに対し、凡人家庭で育ちあこがれのみを抱いてノーブル学園に飛び込んできたはるかは、今回まで明確なプリンセスの定義を持ちません。
幼いころに出会った童話に感銘を受け、具体的に何をすればいいのかわからないまま、人に胸を張って言えない恥ずかしい夢として、プリンセスを目指してきたはるか。
トワイライトの定義に従えば、彼女はプリンセスになれるはずもない存在です。

しかし今回、彼女の迷いにヒントを与えるメンターとして、初期衝動のきっかけを作った望月先生が登場します。
結末のない物語に込めた、若い可能性を無限に開花させてほしいという願い。
彼女のもう一つの顔が教育者であることを考えると、中々奥行きのある助言です。

トワイライトの暴力による否定に対し、はるかは今回自分の夢の形をはっきりと掴み、それが何処にたどり着くのか自覚します。
プリンセスとは固着的な生まれで決まるのはなく、心と行いによって前進していく運動によって定義されるというはるかの答えは、自分のものであると同時に作品全体のものでもあります。
この答えに必然性が生まれるよう、様々な可能性にチャレンジし、持ち前の素直さと前向きさ(+否定出来ない才能)で成長していくはるかの姿は、しっかり描写されてきました。

望月先生の言葉がきっかけになったとはいえ、はるかがたどり着いた『強く、優しく、美しい』プリンセスの姿は、プリンセスの定義をはっきりことこ場にできなかった時代からずっと続けていた、はるか自身の生き方が証明する夢なのです。
こういう見せ方で物語のコアを演出すればこそ、唐突さが一切ないまま素直に物語の高潮に乗り、気分が盛り上がるというものですね。
その夢が物語全体のクライマックスであろう『グランプリンセスの達成』に繋がるのも、お話の終わりとキャラクターの完成がリンクする、巧い目標設定だと思います。


一つ注目したいのは、はるかはトワイが自分の理想を否定することを拒絶はしていても、彼女がプリンセスであること自体を否定してはいません。
生来の高貴さには強い憧れを抱いているし、凛とした美しさに惹かれてもいることは、今回彼女自身の口から語られています。
心性と生まれ、多様性と単一性、運動と固着、変化と停滞。
お互いの定義は真逆ですが、プリンセスに必要な能力や気品、立ち居振る舞いに関してはるかはトワイを肯定している。
『優しい』ことがはるかのプリンセスの定義ですから、相手を頭ごなしに否定するのではなく、肯定するべきポイントはしっかり認めるのが春野流ということかもしれません。
まぁメタ的な読み方をすると、プリキュアターンがほぼ確定してるトワイの良いところを早めに指摘しておかないと、スムーズな善落ちに支障をきたすってのもあると思うけどさ。

トワイ自身の行動を見ても、母から受け継いだ高貴な血を唯一の拠り所とし、孤高に立つ支えとしているのは見て取れます。
はるかのオリジンである絵本を焼こうとしたのも、(彼女の価値観の中では)けして報われないあこがれを抱いてしまった庶民を、分不相応な願いから解き放つ高貴な義務としてです。
無論それは他者を踏みつけにする歪んだ価値観ではあるのですが、プリンセスというものの一側面ではある。
能力と定義に否定しきれないプリンセス性を持ったライバルを鏡にして、はるかがたどり着いた境地を分かりやすい形で見せ、その価値を高めていく豊かな見せ方だと思います。

今回高みの見物をやめ、魂の底からぶつかり合い本音をむき出しにしたことで、トワイの純粋な価値観が少し見えました。
おそらくは母から言われ続けたであろう、純血の王族としての誇りを疑うことなどせず、母以外の誰も受け入れようとしない頑なさは、一見孤高にして強健ですが、その実柔軟性がなくもろい印象を受けます。
杖を砕かれた時に激しく動揺していたのも、一つには挫折を知らない恵まれたエリートの足場が揺らいだというのもあるのでしょうが、もう一つは杖が母から移譲された王権の象徴であり、ディスピアとの繋がりを示すフェティッシュでもあるというのが、理由ではないでしょうか。
敗北を知ったトワイがその衝撃にどう対処していくかは、今後楽しみな所です。


主人公が己のクエストを言葉にする重要な回だけあって、作画クオリティもひっくるめた演出は冴えに冴えていました。
望月先生と出会うシーンのリッチで詩的な演出は、はるかにとってあの瞬間がどれだけ特別かを明確にし、魔法のような時間を視聴者にも体験させる意図が感じ取れました。
大仰かつちょっと使い古された見せ方ではあるんですが、真っ当でいい部分は照れずに真っ当にやるプリプリらしさが全面に出ていて、僕はとても好きです。

余裕綽々だったトワイが本気になり、その実力を見せるバトルシーンは殺陣・アクション作画ともに鬼気迫るものがあり、強敵としての凄みがよく表現されていました。
防御の時の余裕の態度、コンパクトで的確な打撃、十字架を利用したクレバーな立ち回りと、アクションの説得力が随所に見えて、とても良かったです。
黒い炎を自在に変化させる演出もアクションに起伏を生んでいて、見栄え良く画面を彩っていました。
自由時間の出来があまりに良くて、バンダイ様の販促ノルマをこなす所で一気に空気が変わってしまうのは、贅沢といえば贅沢な悩みかな。


ライバルの本心を探る回として、主人公が自分の夢を明確にする回として、今後の展開の布石として。
さまざまな要素をぎゅっと濃縮して手際よく見せつつ、決意と詩情を散りばめた、見事な回だったと思います。
トワイが今後どうなっていくかを示唆する描写も多数あったので、夏の商戦までにどこまでチョロく交流していくのか、すげー楽しみですね。
三人目のはるキチ誕生か……(期待に満ちた目でエンド)