イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 15/06/08

・SHOW BY ROCK!!:第10話『ウラハラなRhapsody』
憎きライバル……というほど悪いこともしていないクリティクリスタを生贄に、クライマックスまで真っ直ぐ突っ走るロックファンタジー。
最終決戦に向けてさらに燃料を継ぎ足すべく、ついに身内から悪堕ちだ!!
エレベーターに乗っかって悪堕ちつーと、どうしても根室記念館を思い出すオッサンです。
そしてあまりにもシアンさんのロック力(ちから)が強すぎたおかげで、演奏一本で善堕ち返しし、一撃でクリアだ!!
ストレスを次回に引きずらず、展開を早くする手法で素晴らしい。

今回のお話、全体的な位置取りとしてはロックフェスという最終ステージに向けて状況を整える回でして、チュチュの悪堕ちもその一環といえます。
ある種の膿み出しをラストステージ前に済ましてしまって、万全の状態で最終決戦を迎えよう! という発想といいますか。
SB69は『困難が成長を生む』という劇作の基本にとても忠実なアニメなので、ここでプラズマジカが抱え込んだ爆弾をしっかり解除し、勝利への説得力をさらに積み上げるのは、凄く良いと思います。

そんなこんなで、バンドマンのエゴを一心に背負う形になったチュチュ。
ロージアちゃんの神煽り、社長のヘイトアーツ『猫なで声で悪事に誘う』、ダークエナジーによる悪感情の増幅などなど、各種ブーストがなければ巧くやっていたんでしょうが、同時に『チヤホヤされてぇ、ソロで目立ちてぇ』という感情はチュチュ自身の心のなかにあるもの。
全否定されるべきというよりも、それを認めた上でより良い方向を探っていくほうが、より発展性のある解決と言えます。

それに完全に答えたのが、合宿回でさんざんバンドを振り回したレトリーだというのは、中々胸に迫る展開です。
かつて自分の感情に振り回され、激しく衝突した過去を糧に変えて、自分を見失っているチュチュを認め、受け入れる立場になる。
この一連の流れには人格的な成長や、仲間たちとの熱い絆を強く感じることが出来て、王道ゆえの確かな強さを感じることが出来ました。
やっぱ弱いやつと強い奴が場合によって入れ替わり、お互い支え合って前に進んでいく展開、『弱い奴が弱いままではなく、強い奴だって弱みを見せて構わない』お話ってのは、基本にして至高ですね。

そしてチュチュの曇りを吹き飛ばす一撃が、あの合宿を経てみんなで創りだした『流星ドリームライン』だというのは、このアニメが音楽と青春のアニメである以上、絶対必要なポイント。
チョロかろうがあっという間だろうが、あそこは世界全てを律するルールである音楽で克服しなければいけない所で、欲しいところに欲しい球が来る気持ち良さが、一連の流れにあるシーンでした。
各員の言葉とソロが重なり、気合の入った(ギターとベースの弦の太さの違いが判る!)2D作画で描かれる演奏シーンの説得力は相当でした。

無論『音楽一本で悪の洗脳が解けました!』だけでは茶番感が濃いわけで、その後チュチュのエゴが渾身の作画と演技で吐露され、バンドの仲間たちに受け入れられるシーンがあってこそ、今回のカタルシスがあります。
チュチュがもっているエゴは同時にバンド活動に勤しむ原動力でもあって、重要なのは取り扱い。
レトリーを筆頭に、チュチュ(と彼女が抱えているエゴイズム)を肯定し、認めたあのシーンがあってこそ、プラズマジカが最終決戦に挑む強さの説得力が生まれるわけです。
イベントをこなすだけではなく、そこにしっかりと感情と価値観の上がり下がりを入れ込み、視聴者が共感できる盛り上がりと説得力を生んでいるのは、ホント丁寧で力強い劇作ですね。


プラズマジカから視点を外すと、やはり最終決戦に向けての状況整理が目立つ回でした。
強キャラオーラムンムンなダル太夫を仲間に引き込み、ラストバトルでの助っ人展開の準備をしたり、ストロベリーハートのからくりを説明しつつ、世界最強のミュージシャンであるキングのピンチを演出したりと、細かくタスクを消化する手際の良さがグッド。
キングを凹ませておくと、主人公が事件を解決する必然性が生まれるし、敵の強大さも演出できるしで一石二鳥やね。
本筋を熱量高く演出すると同時に、側道の整備をしっかり行って、クライマックスが盛り上がる準備をしっかりしていたと思います。

ストロベリーハートがプラズマジカの四人を呼びつけるシーンは、『この話がどうなったら終わるのか』のルールを説明する、地味に大事なシーンだったと思います。
要するにヘイトアーツを巧みに使ってラスボス力を上げているダガー社長をぶっ飛ばせばいいわけですが、そのためにはとにかく音楽だ!! という基本ルールが強調されていました。
シンガン回で一回ヴァイオレンスによる解決を見せた上で、今回『それは根本的な解決にはならない』と否定することで、ジーザス・クライスト・スーパースターたるシアンの唯一性と、音楽を世界律にしているMIDICITYのルールが、より強調された感じがします。
やっぱ音楽が世界全てのルールである以上、暴力ではなく演奏で勝たないとダメだ!! という無茶苦茶なセッティングは、ちゃんと用意しないと嘘だもんなぁ。
そういう準備をちゃんとやってくれるのは、気持ちを画面の中に素直に投げ込むことが出来て、見ている側としてもありがたい限りです。

『ロックンロール青春絵巻』というジャンルに望まれる展開を、これ以上なく完璧に見せてくれた上で、クライマックスへの準備をしっかり整える回でした。
シリーズ構成の持田さんが完全に脚本を握りこんでいることが、各回で何を見せて全体をどうコントロールするのか、はっきりと意識した構成に繋がっているように思います。
不安要素を完全に吹き飛ばし、クライマックスに向かって万全の準備を整えたプラズマジカ(とアニメ自体)が、どのような最高潮を乗りこなすのか。
すごく楽しみですね。

 

放課後のプレアデス:第9話『プラネタリウムランデブー』
そろそろ終わりが近づきつつある13歳の幼きコズミック・マイソロジー、今回はみなと君とすばるの甘酸っぱい恋模様。
文化祭! プラネタリウム!! 二人っきりの準備!! 宇宙を股にかけるデート!!! 甦る記憶と幼い時の約束!!! 積み上げた叙情性で今すぐ死ね!!!! とばかりに、全力投球で積み上げられるムードにおじさん失神寸前。
かくしてすばるとみなと君は気持ちを確かめ合ったわけですが、同時に宿命が二人を分かつことにもなってしまいました。
うむう、一体どうなってしまうのか。


今回はメインヒロインであるみなと君と主人公すばるの距離が縮まっていくお話です。
いうなればこれまでやってきた四人の個別回を、メイン二人に拡大する話でもあり、となれば『過去に立ち返って現在を救済する』という基本的な構図もまた、共通のものです。
ひかるの場合は書き加えた楽譜を、いつきの場合はお転婆な自分を、あおいの場合は見捨てられた過去を、ななこの場合は見切りをつけた孤独を、それぞれすばるの幼い真っ直ぐさを鏡にして、再度獲得することで現在を真っ直ぐにするというのが、このアニメにおいて個別にキャラクターを発掘する手腕でした。

今回もまた、相対性理論の外側に飛び出すSF的手法によってですが、二人は時間と空間を飛び越えたデートに飛び出し、それ故過去の記憶を思い出します。
それはプレアデス星人の導きによって時には敵として、そして時には恋人として出会ったように見えた二人が、実は過去に運命の出会いを果たしていたという思い出になります。
すばるの根幹をなす天文に対する強い興味が、おそらくは病院で出会った見知らぬ少年によって目覚めたことを考えると、すばるの根幹はみなと君によって形作られていた、ということも出来るでしょう。
こうして記憶と運命の輪が閉じることで、偶然のように見えていた恋の芽生えは必然に変わり、非常にロマンチックな形に落ち着く。
これまでじわじわと進んできた拙く素敵な二人の恋が、一気に前進するお話として、綺麗なまとめ方だったと思います。

一件一番幼く見える(そして幼い存在として描かれてきたが故に、他のキャラクターの過剰な成長を修正する手助けができた)すばるが、男女の恋という成熟した現象に一番乗りするのは、なかなか面白い逆転現象であると同時に、どこか納得の行く展開でもあります。
それは無論、みなと君に甘酸っぱい気持ちを抱くすばるの姿が、丁寧に描写され続けてきたからなのですが、同時に何か、物語的テクニックの範疇を超えたより広範な真理みたいなものを、少し感じるわけです。
他の四人が主に家族(あおいのみ友人であるすばる)との関係を過去に立ち戻ることで解決してきたのに対し、その全てに関わってきたすばる自身は家族という最も身近な共同体を一歩超えて、男性という異者とのコミュニケーションを達成するというのも、面白い捻り方かと思います。


二人の恋を彩っているのがみなと君の魔法でして、恋人の名前の源である昴星を見に行ったり、球形化して飛び散る美しい涙を流してみたり、超新星爆発の真ん中でキスをしてみたり、非常にムーディかつスペキュラティブなシーンセッティングが光っておりました。
ていうかみなと君のロマンティシズムがあまりにも素敵すぎて、俺の乙女回路は常時ギシギシ行ってた……最高すぎる……。
みなと君好き過ぎな個人的感想は横において、あのシーンが面白いのは、魔法によって実際に経験するか技術によって擬似的に吸い込まれるかの差異はあれど、『星の世界を全経験的に追体験する』というプラネタリウムの理念と、見事に一致している所です。
星を見上げるという通常の天文体験に比べ、暗闇の中360度を星に囲まれるプラネタリウムの迫真性というのは特筆するべきものがあり、どこか現実感の薄いみなと君の語り口もまた、プラネタリウムのナレーションに似ています。
言うなれば、ベッドライトと天球儀で二人が作り上げた文化祭の展示の、発展形としてあのデートは存在しているのではないでしょうか。

もちろん、今回二人が体験するのは現在の僕達も体験可能な間接的宇宙体験ではなく、物理を飛び越えた超越的な宇宙へのダイビングです。
神様の望遠鏡で宇宙に飛び込むようなその体験がしかし、中学1年生の文化祭という手のひらのサイズの中にあり、その精神もまた、少し背伸びをした子供特有の拙さとかけがいのなさに満ちているという事。
これまでのお話における宇宙的事柄全てに言えますが、それこそ天文学的規模の事象を身近に感じさせることが出来たのは、超常的な出来事の中に、登場人物の気持ちがしっかりと入り込んでいたからです。
SF的事象のスケールはとんでもなく大きくなっていながら、そこにある心はあくまで等身大である、という取り扱い方は、彼と彼女の恋を見守っている僕達の視聴体験を、物語の内部に強く接近させる、大事なトリックだったと思います。


無論お話はまだ終わっていないので、『王子様とお姫様は末永く幸せに暮らしました』で終わるには早い。
世界の理の外側に出ることで手に入れた神の視点は、人間であるすばるとみなと君には過ぎたるものであり、魔法のプラネタリウムで起こったことは記憶できない。
一見寂しい結論ですが、幼い病院の記憶が蘇ったように、運命が導けばまた甦る記憶だとも思えます。
夢か幻だと思っていたのに、それはたしかに起こったことで、とても嬉しく素晴らしいこととして再起する未来を、今回のお話は見せていたように思います。

それは暗室の中の記憶だけではなく、物語全体にも伸びているような気が、僕にはしてなりません。
『世界の理の外側に出て、光速を超えて飛翔し、酸素もない宇宙空間を自在に飛び回る』今回の体験は、そのまま五人の魔女の物語にも適応できる。
多重世界すべての可能性から召喚され、奇跡のように出会った魔女たちの物語もまた、今回の二人の恋のように、夢のように過ぎ去ってしまう危ういものであると、今回のみなと君の言葉は語っているように、僕には思えました。

その上で、かつて温室に残された花がみなと君との永遠の離別を意味しなかったように、今回の別れもこれまでのお話も、どこかに繋がっていくのではないかと、僕は安心しています。
このお話が『終わるお話』であるというのは、過剰なノスタルジーに自家中毒しないための用心として常に語られているテーマであり、同時に終わることでまた始めることが出来るというロジックも、個人回を筆頭に幾度も繰り返される重要な手法になります。
『過去に戻り喪失をしっかりと観測することで、停止していた現在が動き出す』というのは、幾度も繰り返されたこのアニメのもっとも重要な物語類型に他なりません。
であるとすれば、今回の素敵な恋も、これまで五人の魔女たちが積み上げてきた冒険と成長も、たとえ世界法則の絶対的な修正を受けたとしても消えることはなく、何らかの意味を持って人生に名残るという予測は、僕にとっては無理のあるものではありません。

それは今回の終わり方、『敵』である角みなと君と『仲間』であるみなと君との一体化が、物語を悲しく寂しい方向に導くものではないという、一種の安心感と確信にも繋がる。
エンジンのかけらを『敵』に奪われるという大きな変化が起きた今回のお話、その続きがどうなるのか。
僕は安心して待ちたいと思います。
とても良いアニメです。