イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 15/06/19

・響け! ユーフォニアム:第11話『おかえりオーディション』
まっすぐに空を行く思春期弾頭、青春野原に只今着弾!! という感じで、先週積み重ねた関係性が再オーディションで爆発するお話。
であると同時に、これまで触られなかったキャラクター同士の関係性が、深く掘り下げられる話でもありました。
いやー、濃い……濃すぎる。

今回真ん中にあるのはもちろん、直接再オーディションを戦う高坂さんと香織なのですが、実は彼女たち自身はサッパリした間柄にあります。
すでに先週の時点でお互いの立場を受け入れているし、そこに遺恨はない。
むしろ濃厚な人間関係を見せているのはそれぞれが繋がる少女たち、高坂さんなら久美子、香織ならば吉川とあすかとの間合いなのです。

久美子と高坂さんはいつも通りといえばいつも通りの、しかし特濃な青春の匂いのする至近距離のつながり方です。
やはり特別な気合を入れて描かれただけあって、第9話以降の二人の特別性、思春期特有の視野の狭さで『この人だけ』と思いつめた異常な温度は、長く長く尾を引いています。
あの二人の間に流れる危うい湿度は、同性愛ともまた違う危険さと、思春期が持っている共通の思い込みが入り交じっていて、見応えがありますね。

『特別である』ことを目指して、迷いなく進んでいる高坂さんではありますが、同時に彼女も高校1年生の少女であり、嫌われるのは怖い。
その恐怖は生意気な仮面の奥に隠すのが彼女のスタイルであり、特別な友達になった久美子以外には見せなくても良いものです。
逆に言えば、思春期のハラワタを見せることができる久美子を手に入れたからこそ、高坂さんは『特別である』ことを残忍に選別する今回の最オーディションに、香織先輩ほど揺れずに向かい合えたのかもしれません。
心が不安になると即座に至近距離で久美子粒子を摂取する高坂さんは、やっぱ見てておもろいな。


これまで10話使って描写された16歳二人のじゃれあいに対し、再オーディション編で一気に存在感をましたのが、リボン吉川です。
今回はかなりの時間を使って、北宇治吹奏楽部の空気を乱し、香織を土壇場に追い込むことになった暴走が、何故生まれたかを描いていました。
腐りに腐りきった過去の北宇治において、他人のことを考え矢面に立った香織は、吉川にとって非常に特別な存在です。
そんな彼女に報われて欲しい、晴れの舞台を踏んでほしいというエゴイズムは、実は主役二人の特別な関係と、同じ故郷から生まれているように、僕には思えます。

青春期特有の思いつめた行動、狭い視野が生み出す熱と勢いに満ちた躍動は、この話の中心に位置するキャラクター、皆が持っている情動です。
心の震えを親友の胸で吐露する高坂さんと、その高坂さんに頭を下げる吉川のバックボーンは、やはり彼女たちが身をおく思春期の不安定さにある。
多様な価値観と関係性を持つ別々の個人が、しかし共有の地盤を持っているという見せ方は、群像劇としての巧さを再確認できます。

今回吉川の見せ方で巧いのは、崇拝にすら似た香織への感情だけではなく、現実的に自分の暴走を見つめる視点を、同学年の中川とぶつかり合う中で見せたことです。
自分の暴走がどれだけ身勝手で、無謀で、あらゆる人を引っ掻き回す行動なのか、吉川には分かっている。
それを認識する冷静な自分がいればこそ、それでも突き進んでしまう過剰な自意識が際立ってくるわけです。

中川の吉川に対する受け止め方が、例えば部長が香織を受け止めるように物分かりのいいものではない所も、二人の関係を埋没させずに見せてくれる、良い切り口でした。
衝突しつつも求め、一瞬背中を預けても憧れの方に見を投げだしてしまう、矛盾した内面と関係性が、吉川というキャラクターにはあります。
その内破として、最後の号泣シーンがあるのかなと、僕は思ったりしました。


吉川の崇拝の視線をありがたく受け止めつつも、香織が身を投げ出したい相手は下級生ではなく、同輩にいます。
ここでまさかあすかとの関係性がグッと彫りを増してくるとは、意外でしたが嬉しい一発でした。
『その女だけはやめろ! ぜってぇ報われねぇ!!』と思わず呻いてしまうような、香織からあすかに伸びる視線。
それは彼女自身が言葉にしたように、『特別であること』に対して、彼女なりに納得を付けたいという願いが生み出している、切なくも純粋な眼差しです。

しかしこれまでも描かれてきたように、あすかはどうしようもなく余裕がなく、他人の気持ちを背負えるほど器用な女ではない。
救いを求める手を払いのけても気持ちは傷まない(という風に自己を規定できるか、そういうう風に自己を規定しないと人生を踏破できない)し、音楽以外はどうでもいい。
部長の指摘もいつもの様に受け流して、他人に踏み込まず踏み込ませもしない、賢い田中あすかを維持し続けます。

あすかのおどけた態度は、今回も描写されます。
物語の序盤では楽しく頼もしく思えたそれは、その鎧が拒絶しているものの重さがたっぷり描写された終盤においては、その意味を変えている。
高坂さんが久美子に、吉川が中川に求めたものを香織もあすかに求めていながら、叶うことはない。
その辛さであすかを責めれればいいんですが、このお話がキャラクターに乗っけている人間臭さを考えると、一概に罵倒できない気持ちになります。
いやそれにしたってヒデェけどさ、あすかさんよ。


誰かが選ばれて、誰かが選ばれないオーディションの正しさが、すくい取りきれない気持ちを、大切な誰かに受け止めてもらうこと。
三人三様の衝突を経て、時間は残忍に進んでオーディションとなります。
素人耳にも『悪くはない』香織の演奏と、『図抜けて良い』高坂さんの演奏が対比されていたのは、音で説得力を作るという難しい演出が成功していた証拠だと思います。
音の伸びをカメラのレンジとシンクロして見せる演出が、上手く機能していたと思います。

演奏それ自体も印象的でしたが、それを受けての吹奏楽部の面々のリアクションもまた、多種多様かつ生々しく素晴らしかった。
とにかく自分の信じた相手を支え続ける吉川と久美子、久美子の動きを見てから拍手する葉月、かねてから見せていたドライな側面を前面に押し出して動かないみどり。
そして、我関せずとばかりに安全圏にとどまるほとんどの部員。

吉川が投げた不信感の爆弾に煽られ、さんざんうわさ話に興じていた女の子たちは、今回もまた『特別であること』に背中を向け動きません。
彼らの卑怯さはしかし同時に、僕を含めたほぼすべての人が持つありふれた態度でもあって、『特別であること』に向かい合った英雄の姿を印象的に見せると同時に、衆愚の凡俗さを画面に写すバランス感覚は、とても好きです。
まぁ、拍手して嫌われたくもないし、自分には関係ないことだよね……。

その上で、『特別であること』から逃げなかった香織は、滝顧問の手によって自分の首を切り落とす質問を浴びせられ、自分で自分の位置を定めます。
場が収まるためにはこうなるしかない手筋であると同時に、10代の子供にやらせるには残酷極まる行動でもあります。
事ここに至って号泣した吉川のように感情を爆発もさせず、恥と敗北を飲み込んで立っていた香織は、やっぱ北宇治で一番成熟した人格を持っていると思います。
正直、尊敬します。


思春期の感情という液体爆薬が、どういう化学反応をしているかを、三者三様しっかりと見せた上で、爆心地に導くお話でした。
切なる痛みを伴った柔らかい心の描写が非常に丁寧で、横っ面を叩かれたような楽しさがありました。
高坂さんが湿度高いのは予想していたのでなんとか耐えれたのですが、まさか二年生&三年生があそこまで熟成した感情を溜め込んでいたとは……有り難い……。

こうしてまた一つの山を乗り越えた北宇治、そろそろ府大会かなぁッて感じですが……残り話数は何話だ……。
お話が進行するダイナミズムと、青春群像劇の肌理を掘り下げる丁寧さを両立させた結果、タイムコントロールが難しくなってきました。
収まるのか、収まらないのか。
そういう所も気にかけつつ、次回を待ちたいと思います。
こんだけ丁寧に思春期群像劇やってくれてるから、お話が収まらなくてもOKという感じあるけどね、正直。

 

アイカツ!:第138話『素顔の輝き☆』
ユニットカップ後半戦というわけで、ダンディヴァを移しつつもほぼSkipsの強みを描写する回。
神崎美月、星宮いちごに続く三代目主人公たる大空あかりをどういう『アイドルの天井』として描写したいのかは見えてきた。
正直なところを言えば、食い足りない部分もあるけどね。


今回Skips(というか、そのセンターであるあかりちゃん)が見せたアイドルとしての強さは、思わず手を差し伸べたくなる弱さでした。
一切の弱みを見せないままアイカツ!をする機械のように走り続けた神崎美月とも、持ち前の才能と負けを知らないメンタルを武器にして月に追いついた星宮いちごとも、全く異なる武器だと言えます。
アイドルがアスリートともアーティストとも違う存在である以上、この角度の強みを掘り下げるのは三年目の説得力としてはアリだなと、個人的には思いました。

思い返せばあかりちゃんは、その出だしからして落第生であり、春にはブートキャンプ、夏にはスペシャルアピール特訓と、低い所から積み上げてきたキャラクターです。
彼女が中心となるあかりジェネレーションも、各々が持つ欠点を効果的に見せることで、その補填を物語のエンジンとして使いこなすことで前進してきました。
そういう特徴をもっている世代には、『弱いことが強い』というSkipsの強さは、結構しっくり来ると思うわけです。
同時に『強いことが強い』という神崎・星宮型の強さを持つアイドルとして、ダンシングディーヴァを並列して存在させることで、巧く隙間を埋めた感じもあります。


ただ、大空あかりと天羽まどかのユニットとしてのSkipsは、いまいち天辺になる説得力が薄く感じています。
ユニットカップでSkipsが立ち向かう困難は、ドレスの紛失という非人格的なものであり、そこにはアイカツ!の魅力である少女たちの強い感情が見られません。
Skipsであること、アイドルであることに対し何らかの強い感情を喚起するような、より人格のぶつかり合うようなイベントが起こったほうが、ユニットを構成する二人をぶつかり合わせ、彼女たちの間にある気持ちを前面に出せたように思います。

結成の経緯を見ても、まどかからあかりへの気持ちは見えるにしても、あかりからまどかへの感情の変化、情動の起伏は、納得の行く形で描写されていないと、僕は感じています。
引っ込み思案だったスミレちゃんが、これまでのスタイルを捨て去るほど焦がれた黒澤凛との関係。
誰にでもできるようでいて誰にもできない、天才・紅林珠璃唯一の翻訳者というひなきの立場。
地方アイドルという背景を活かし、自分と異なった個性を求め、高め合うあまふわ☆なでしこ。
他ユニットが持つ説得力は濃厚で丁寧な人対人の描写が生み出しており、Skipsの関係には今一歩、そういうシーンが欠けているように、僕には思える。

ユニット編の総決算といえる今回こそ、いまいち距離が感じられるSkipsがユニットである理由、お互いがお互いにとって替えの効かない唯一の存在である説得力を見せるチャンスだったように思うわけですが、事件はかなりゆるっと展開し、ゆるっと解決してしまった。
例えば先輩であるあかりちゃんの失敗をまどかが支えるであるとか、まどかの欠点をあかりちゃんが補うであるとか、ユニットならではの唯一性のある掛け合いが、Skipsのこれまでの描写に食い足りなさを感じていた身としては見たかった。
それこそ、第96&97話で見せたような弱い自分を追い詰める厳しさと、弱さを支える強さ、支えられて乗り越える強さの物語にしてしまっても、個人的には良かったと思いました。

悪意と害意を排除し、優しい世界を維持し守り続けているアイカツ!世界においては、想いの強さこそがあらゆる行動の説得力になります。
『弱さこそが強さ』というSkipsの強さを見せるにしても、そこには二人の感情の濃厚さが付随しなければ説得力は生まれない。
ユニットとしていまいち踏み込めない距離感が、そのまま『弱い事が強い』というSkipsのロジックを飲み込むことを難しくしてしまっているように、思えてならないわけです。


ここら辺は、これまで『強さこそ強さ』というアーティスト/アスリート的価値観(スポ根的価値観)を是としてきたアイカツ! が、Skipsの持つ『弱さこそが強さ』というアイドル的価値観を分かりやすい形で見せることが出来ていないことにも、理由があると思いますが。
観月さんは負けないから強い、いちごちゃんは才能に溢れているから強いというロジックは、強者が強者として勝ち続ける、いわば順接の理論です。
原因と結果がストレートに結ばれるそれは、アイカツ!がもっているわかり易さや親しみやすさにも繋がっており、この作品の強みでもあった。

しかし映画版において神崎美月の物語に完全に終止符を打ち、第125話で星宮いちごが辿りついた境地を見せてしまったアイカツ! は、『強いから強い』という理論で物語を回転させることをいったん手放しました。
そこで物語の中心を担うのが凡人・大空あかりなのですが、彼女が持つ強さのロジック『弱いから強い』とは原因と結果がねじれるロジック、逆説の論理に他なりません。

アイドルという現象はそういう不可思議さを強く持っているものであり、アイカツ!がアイドルカツドウである以上、そこに触れていくのは自然だとも思います。
しかし、原因と結果がさかしまに繋がる『弱いから強い』という理論は、『強いから強い』という順接のロジックよりも直感的ではなく、素直には受け取れない。
だからこそもう一手、アイドルという存在は弱いからこそ勝つことがあるのだという具体的な描写を、今回の勝利の前に一つ入れておいても良かった気はします。

無論、あかりジェネレーションは弱者の世代です。
あかりちゃんは才能のない凡人だし、スミレちゃんはコミュ障だったし、ひなきは普通だし、珠璃ちゃんはエキセントリックすぎる上にマザーコンプレックスの権化でした。
僕達と同じように欠点を抱えた彼女たちは、自身の欠点を克服したり別の乗りこなし方を見せたり、様々なやり方で前に進んできた。
その物語は身近で、親近感を抱ける、とても良い物語だったと僕は思っています。
だからこそ、それがある意味で結実する今回、Skipsの勝利を素直に飲み込めるような説得力を、エピソードの中で見せて欲しかったというのが、僕の素直な感想になります。


余談になりますが、神崎・星宮が象徴する『強いから強い』というロジックに対し、別の形の強さを見せていたキャラクターがいます。
先代スターライトクイーン、有栖川おとめです。
神崎時代は一般に閉ざされていたSLQの宮殿を開放し、トップ自らぽわぽわプリリンという『隙間産業』を担っていたおとめのロジックは、ある意味あかりジェネレーションとSkipsを先取りしていたとも言えます。
無論、おとめの地頭は常に鋭く、ふわっとした態度の中に強い熱意を秘めている、別の形の強者ではあるので、そのまま『弱いから強い』とはいえないわけですが。

彼女がSLQという勝者の地位に辿り着くまでの物語は、いちごが渡米していたあいだの空白の一年に位置し、具体的な描写は多くありません。
第71話で、あおいの回想として描かれたくらいでしょうか。
今回のSkipsの勝利は、二年目に省略された『強いから強い』というロジックの外側を、これから再話するということなのかもしれません。


ユニット編の総決算としても、Skipsの一応のエンドマークとしても、不完全燃焼感が残るエピソードとなりました。
おそらくこれから勝者の一角として描かれるであろうあかりとまどかに、どう説得力を継ぎ足し、物語を魅力的にしていくのか。
楽しみでもあるし、不安でもあります。

いちごちゃん世代とは違う場所を目指している三年目のアイカツ!が、何処にたどり着くのか。
『弱いから強い』逆説のロジックを背負うSkipsと『強いから強い』順接のロジックを担当するダンシングディーヴァの対比は面白いので、ユニットを今回で終わりにするのではなく、感情のこもったエピソードがもう一つ欲しい所ですね。
まぁアイカツ!がどう流れるかはBANDAI様のお心次第という、部分があるので、落ち着いて次を待ちたいと思います。