イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

攻殻機動隊 新劇場版感想

攻殻機動隊 新劇場版
25周年を迎えた攻殻機動隊、その劇場版を見ました。
感想をネタバレ全開で書きますので、まだ見ていられない方、ネタバレを気にする方はご注意ください。
一言で言うととっても良かったので、攻機好きな奴は今すぐ映画館!!!!

攻機知らない人も、素子は萌えキャラだしアクションイカスし話は盛り上がるしでグッドナイスなので、今すぐ映画館ッッ!!!!!
なお、自分は原作漫画とGIS、SACは見ていて、ARISE周辺を抑えていない立場であります。

 

 

 

 

というわけで、25年目の攻機映画を見てまいりました。
九課結成前夜を舞台と定め、未だ完全なるサイボーグ・アマゾネスとして完成する前の草薙素子の、不器用な成長と決別のお話でした。
人間味の残る少佐を軸に、寄せ集め部隊が一つの場所に集っていくお話は非常にまとまりが良く、100分間を楽しく過ごすことが出来ました。


攻殻機動隊という作品の大きな魅力が、巨大な人格的広がりを持つ稀代のキャラクタ0、草薙素子に依っているのは、論をまたないところだと思います。
戦闘のみならず、謀略や知略、政治や文化などなど、多方面への深い造詣を見せ、各分野のプロフェッショナルを自在に操り事件を制圧する、九課のカリスマ。
最終的には人類進化の可能性すら背負う彼女は、非常に完成した、隙のない存在です。

今回のお話は時間的にもキャラクター描写的にも、その完璧さから勇気ある退却を果たしています。
九課の凄腕たちをパーツと断じ、いらん反感を買う彼女は、これまで描写された草薙素子とは全く異なる、とても不完全な存在です。
彼女を軸に完璧なチームワーク(と言うと、荒巻課長に怒られるんでしょうが)を誇っていた九課も未だ存在せず、法執行者としての後ろ盾がなければ、刑務所送りか背中から刺されるかの食い詰め軍人の群れのままです。

その欠落はしかし、非常に人間臭い魅力にあふれている。
無敵のメスゴリラ様だった過去の素子に比べると、今回の素子はよく負けます。
大使館占拠事件では『もう一人の素子』に綺麗にしてやられ、人質は皆殺しにされ、サイトーは逆狙撃。
クレバーに事件を制圧してきた過去の素子では、考えられないようなミスです。

しかしこのミスがあることで、敵である『もう一人の素子』の強力な力が素直に伝わり、なかなか正体が掴めない敵を地道な捜査で追い詰めていく過程に、グッとのめり込める気がするわけです。
無論、過去作のような凄腕のプロたちが余裕を持って事件を踏み越えていくお話も面白いのですが、それと同じことを仕方がないという認識が、制作スタッフにもあったのかなと感じさせる、かなり大きな転換になっています。
時間軸が過去にあることもあって、素子と彼女の未熟さは、それを克服してより完成度の高い存在になっていくべき、魅力のある欠落になっています。


戦争の時代が終わり、各々の焦げ付きと欠点を抱えたメンバーもまた、完璧とは言いがたい。
バトーは死ぬべき時に死ねなかった後悔が燻っているし、サイトーは殺人嗜好が抜け切れないし、バランスの良いトグサ君は新米で生身です。
どこか甘さの残るメンバーの描写はしかし切れ味鋭く、コンパクトな見せ場を活かして魅力的に描かれています。
素子の遺言を聞いた後、どうにも尻の落ち着かないおじさん三人が、バーでグダグダしゃべっているシーンとかとても好きです。

そして、最初はバラバラで不完全だったメンバーが、素子という未熟ながら確かなヴィジョンを持つ傑物に見せられ、伝説の第九課として成形されていく過程は、オーソドックス、かつ強烈な盛り上がりがあります。
あまりにも危険な事件がメンバーに飛沫を飛ばすことを恐れ、単独で飛び込み蹂躙される素子を、各々の判断で救出しに来る九課メンバーの姿は、どんだけありきたりだのなんだの言われようが、最高にカッコいいし頼りになる。
攻殻機動隊というブランドが持っていたクールでシニカルなストーリー展開をあえて踏襲せず、かなり真っ向勝負の組織モノとしてお話を盛り上げる気概が、後半の展開からは強く感じられました。
ドロの匂いが強くする物語は、自然視聴者を惹きつけ手に汗を握らせる素直な興奮があって、とても良かったです。

無論欠点だけではなく、法闘争の最前線に立つだけの腕前をバンバン発揮するシーンがかっこよく描かれているバランスの良さも、特筆するべきポイントでしょう。
必要なだけ負けて、キメる所はバッチリキメるという気持ちの良さが物語のリズムを生んでいて、テンポ良く見ることが出来ました。
『痛覚が7000倍になるナノマシン』というブラフで情報を聞き出すサイトーだとか、パズのナイフコンバットだとか、ボーマのグレネードさばきとボーマカノンだとか、各キャラ一回は超イカす見せ場があったのは、非常にグッドでした。


不完全な素子の成長を描いていくことの副産物は他にもあって、バラバラだった九課が一つにまとまって行く説得力を出すために、ツンデレとして非常に完成度の高い魅力が素子に宿ったことが上げられます。
仲間を『パーツ』と言い切り、いつでも切り捨てると断言する序盤の素子は、当りがキツく反感を買うように描写されています。
しかし後半、己のオリジン故に事件から撤退しないことを選んだ素子が、しかし仲間のために行った『パーツ』の切り捨ては、同じ素材を使っているがゆえに印象的に心に響く。
『Parts』が気づけば『Partner』になっていたような、そんなベタベタした感傷すら吹き飛ばすような、覚悟を込めた連帯が素子の気概を中心に生まれるこの流れは、スタートポイントが低いからこそ生まれる、物語的な流れでしょう。

素子とメンバーの関係変化を非常に印象的に表しているのが、素子が人間の飯を食うシーンです。
どこかギクシャクした関係を改善しようと、トグサが差し出したサンドウィッチをモグモグ食べる素子には、欠点も過去もある今回の素子だからこそ持てる可愛げのようなものが、強く感じ取れました。
そういう可愛げを『俺達と同じ飯を食う』という皮膚感覚的な演出に乗っけて見せるこのシーンは、この映画の中でも大事な転換点であり、そこを印象的に見せていたのは、良く効いていたと思います。

素子の弱さに引っ張られるように、依頼人的立場にある藤本補佐官もどんどん弱くなっていきます。
完璧な政治的機械のようであった彼は秘められていた父親への情愛を露わにし、暗殺のための道具として扱われた過去に耐えかね、弱々しく素子にすがる。
過去と親に対するアンビバレントな気持ちも含めて、今回の素子に通じる要素多く持った、非常に良いゲストだったと思います。
声優さんも柔らかくていい演技するなぁと思ったら、本職ではなくてEXILEの方だと知りびっくり。
さすが、六本木地獄城で大暴れしたグループだけはある。(エグザムライは戦国より無印の方が好きマン)


ホラー映画の怪物はコミュニケーション不全だからこそ不死身だというお話がありますが、草薙素子もまた、過去を殆ど語られない、超人格的なスーパーヒーローとして存在してきました。
しかし今回の映画では完璧なアマゾネスではなく、瑕疵のある一人の人間が前に進む物語を展開しているので、過去を見せることはマイナスにはなりません。
むしろ過去の犯罪によって奪われた両親や、愛憎なかばする故郷としての501機関への愛着などを掘り下げることで、素子が何を何故重要と感じているのか、しっかりと切り込むことができています。

『0歳児時点からの義体エリート』という素子の設定はハッタリが超効いていて、単品でも良い仕事だと思いますが、その原因となった事件を両親の喪失、そして今回の事件と関連させることで、ただの仕事や義務を超えた強い感情を生み出していたのは、映画の熱量によく貢献していました。
両親の過去に関しては、素子はあくまで行動だけで示し、声高に自分の気持を叫ばない抑えた演出が、完璧なプロフェッショナルを目指して走って行く今回の彼女によく似合っていて、とても良かったです。
押さえ込んだ彼女の気持ちを他のキャラクターが代弁したり、推理することで素子に接近していく力学も生まれており、非常に巧い組み立てになっていました。

今回の敵役である501部隊はどこか時代小説の忍者軍団めいた風格があって、とても魅力的な存在でした。
組織を離れた素子を抜け忍のように敵視するライゾー、穏やかな態度を保ちつつもオーラのあるイバチ教官。
素子によく似ていながら、それ故企業への接近という反対方向の道を選んだクルツ。
敵対しつつも、かつて楽園で共に生き延びた記憶を忘れず、素子を守って死んでしまう501機関の面々は、今回のウェットな素子を強く引き立てる、立派な影役でした。。

そして近未来を舞台にしたからこそ出せる、異形の電脳瞳術使いツムギ。
僕は今回、沢山いる魅力的なキャラクターの中で、彼女たちが一番好きです。
彼女たちはその外見もインパクトがありますが、生存のために幼い少女の姿を捨て、紅いシャム双生児に変化したという事実の見せ方が、人間の領分を踏み越えてしまう時代をよく反映していて、とても良かったと思います。
あの純愛っぷりは、むしろ圧倒的に醜いその外見(何しろ声も男性声優になるくらいの変貌だ)あればこそ、完全に百合だった気がする。

変化したという意味では、サイボーグそれ自体、サイボーグが象徴する科学技術への立ち向かい方も、これまでの攻殻機動隊とは大きく変化しました。
バトーが言うように、今作での全身義体は『戦争で死んだ結果なってしまう』ものであり、テクノロジーや産業構造の変化によって自分の意志とは関係なく生き腐れてしまう、経済的・科学技術的身体として描写されています。
かつては夢の新技術としてフェティッシュに捉えられていたサイボーグは、生物のような柔軟性も持たず、機械のような自己完結性も追求されていない、優秀だけど中途半端なアイテムとして、今作では捉えられているわけです。
それを印象的に見せているのが、軍人名簿管理役の男が自分の腸を見せるシーンだと思います。


まとめて言えば、25年前攻殻機動隊が見せた『未来』を再確認しつつ、25年目の今に焦点を合わせた、非常に見事な調整の映画でした。
これまで攻殻機動隊という物語が掘っていなかった部分と積極的に取り組み、ドラマとしての盛り上がりをしっかり作って、キャラクターの魅力も存分に伝わってくるのが、とても嬉しかったです。
事件が一段落してからの『光学迷彩起動して落下する素子』『不意打ちによる暗殺』『桜の24時間監視』という原作で見たシーンのラッシュを見るだに、25年分の蓄積に対する強いリスペクト故に生まれた、見事な新章だったと思います。
長く命脈を保ってきた物語が、こういう鮮やかな切り返しを見せると、嬉しくなると同時に頼もしく、羨ましく思えてくる。
そんな映画でした。
いいアニメーションを見ることが出来て、ありがとうございました。