イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

のんのんびよりりぴーと:第4話『てるてるぼうずを作った』感想

三話に一度六歳児の成長日記がやって来るアニメ、今回は梅雨。
しっとりとした世界の中ですれ違いJホラーをやったり、れんちょんが命について学んだり、彩り豊かなお話でした。
カラッとした気持の良い笑いが生まれるAパートと、れんげが死と生について腰を落ち着けて学ぶBパートの落差と統一感が素晴らしく、やっぱり良いアニメだ、これ。


れんちょんの天才性と、それが生み出す奇妙なズレが面白い前半。
『動物・子供・死』という感動モノ核弾頭を3つ全部積んだ後半。
一見別のアニメのようにも見えますが、両方のお話はれんげというキャラクターと、彼女を取り巻く環境が無ければ成立しておらず、あくまでれんげの人生を切り取った二つの側面だと言えます。

この統一感を生んでいるのは、一つは宮内れんげという人物の強烈なキャラクターです。
彼女はまぎれもなく天才で、それが六歳という神の時代に由来するのかはたまた彼女自身の天性によるものなのかは、繰り返す時間の中では判別の付かないところですが、良く発達した知性と感性が時には常識とのすれ違いの中で笑いを呼び、時にズレた状況を的確にツッコんで話しをふくらませ、時には物事の真実をまっすぐに見抜き感動を呼びます。
愛情込めて世話していたカブトエビが死んで気を使ってくれる学友に、しっかり『ありがとう』と言える素直さと賢さが、『自分自身がてるてる坊主になればもっと晴れる』という発想も生んでいるのは、今回の話を見れば分かります。
話数ごとにジャンルを変えて色々な膨らませ方をするこのアニメですが、様々な状況に対応可能な賢さを持ったれんげが主人公だからこそ、そのような冒険が可能になっている気もします。

絵にしても分析力にしても多彩なれんげですが、才というものが持つエグみ、こちらに突き刺さってるいやらしさというのは丁寧に取り除かれ、視聴者が『ヘンテコな子だが見守りたい』という気持ちになるよう、気を使って演出されています。
それはやはり、彼女があくまで『こども』であり、少し年が上のお姉さんたちが気づかないことに目を向けつつも、痛みを我慢しきれない弱さを兼ね備えている描写が、しっかりとされている体と思います。
一期4話も別れを経験して傷を受ける話でしたが、今回Bパートもまた、生命との死別を知って悲しむ展開。
天才だからといって人生のありふれた、しかし回避不可能で痛みを伴う出来事から無縁ではないという描写があればこそ、れんげのエキセントリックさはポジティブに受け入れられているような気がするわけです。
『ひらたいらさん』の墓をじっと見つめるれんげにカメラを据え、彼女の傷を徹底的に見せたシーンには、そういう心遣いが煮詰まっているように感じました。

このアニメが挟持を持っているなと思うのは、天才を親しませる効果を持つ弱さを、直線的には描写しないことです。
今回れんげは幾度も泣きますが、それは直接的には描写されません。
埋葬した時も、日記を書いている時も、卵が孵った時も、彼女の涙は画面には映らず、一回クッションされて描かれています。
これはカブトエビの死骸を直接写さなかったような、過度のショックを避ける戦術であると同時に、超幼児であるれんげのプライドを大切にしている証でもあると思います。
同時に、喜怒哀楽の表現を穏やかな世界に溶けこむように描き、激しい感情が浮かび上がりすぎないように調整している部分も大きいでしょう。
霧が覆い田畑が青々と茂る田舎では、れんげが大泣きするシーンは熱くなりすぎるという判断を、今回の涙の描写には感じたわけです。

すごい勢いで普通から外れていって、それが面白いれんちょんも、一生懸命命を世話し、それゆえその喪失と回復に涙するれんちょんも、同じ小学一年生の宮内れんげ。
そう思えるようにこのアニメはたくさんの工夫をしているし、それに成功した結果、れんちょんはすごく複雑な要素を兼ね備えた、ヘンテコで生き生きしたキャラになっていると、僕は感じます。
色んな顔を持っていて、たくさん面白いことをしてくれて、優しくて可愛いヤツってのは、そいつのお話がどんどん見たくなるし、好きになっていくものです。
そういう主人公がお話の中にいるってのは、良いことだなと今回つくづく思いました。


『こども』であるれんげは、今回色んな存在に守られ続けていました。
前回バカキャラとして株をガン下げしたなっつんは、カブトエビの卵を孵すことで死を生に変え、年上としての気遣いを見せていました。
怪奇てるてる仮面に泣かされたこまちゃんは、れんげが楽しみにしていた自転車の練習に付き合ってあげます。
ほたるもこまちゃん捕食者(プレデター)として相合傘などもしてましてけど、沈み込むれんげを気にかけた仕草を見せている。

これが特別なことではなく、お互いがお互いを思いやっている日常の一コマだというさりげなさが、彼女たちの優しさを際立たせています。
みんなで自転車に乗って色んな所に行って、夕方になるまで遊ぶ風景。
一見本筋と関係ないあのシーンが、彼女たちがどんな空気の中で暮らしていて、それがあればこそれんげを救う心遣いが生まれているという説得力になっています。
この作品においてはシリアスとギャグは排他ではなく、相補の関係にある。
それは豊かなことだと思います。


れんげを気遣っているのは人間だけではなく、彼女を取り巻く自然と人工物もまた、柔らかく彼女を見守っています。
美術が飛び抜けて素晴らしいアニメであるのは今更なんですが、今回は特に雨の表現、霧の表現が柔らかく、瑞瑞しかった。
BGM含めた音響も良い効果を出していて、これは奇祭パートのホラー感を出すのにも一役買っていました。

一見憂鬱な雨を柔らかく描きつつ、その中にある草や蛙を鮮やかな緑で描き出していたのも、とても良かったです。
れんちょんが発見した死と生のサイクルはずっと彼女を取り巻いていて、当然のものとしてそこにあるものです。
だから蛙はれんちょんがカブトエビを飼う前と後、彼女が生と死のサイクルを学習する段階の外側で、画面に映る。
れんげがそれに気づこうと気づかなかろうと命は息づいているけど、しかしれんげがそれに気づけたこと、気づけるようにれんげの周囲の人々が思いを測ったことは、とんでもなく貴重で大事なことだと、脈動する鮮やかな緑は無言で教えているわけです。

テーマをこれ見よがしに語らない良さという意味では、ほたるの「梅雨もいいものですよ」というセリフが印象に残ります。
雨のさなかに起こったてるてる仮面の珍事件、晴れ間に乗った自転車の楽しさ。命を育む楽しさと死の哀しさ、そして再誕の喜び。
これらは全て一見憂鬱に思えるものの中に輝く喜びの表現で、まさに「梅雨もいいもの」なのですが、これを今回の話では終始脇役だったほたるが言っているのは、抑圧の効いたいい見せ方だなと思います。
このアニメは美術・音響を含めた言外の表現力がとても高いので、直接的に表現しても伝わるだろう! という思い切りの良い演出が適切に配置され、そのとおりの効果を出している。
その結果、グッと胸に迫るお話になっていると思うわけです。


賑やかさと落ち着き、陽気さと寂しさ、躁の気配と陰鬱な空気。
相反する要素を穏やかにまとめ上げ、多層的な『こども』の生活を切り出してきた、良いアニメーションでした。
やっぱ俺このアニメ、好きだなぁ……。