イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ガッチャマンクラウズ インサイト:第4話『2:6:2』感想

性善説で進みつつも性格は悪い、インテリジェントなお伽話、四話目は渋谷テロの影響と胎動ゲルサドラ。
理詰夢が投げ込んだ爆弾が状況を変化させていく様子と、無邪気な神が世界を巻き込んでいく恐ろしさが描かれていました。
子供の如き無垢さと愚かしさを両方持った宇宙人に、普通人であるつばさが善意から捲り込まれていく描写はマジホラー。


理詰夢がVapeを使って引き起こしたクラウズが抱え込む問題の表面化は、あっという間に転がって膨れ上がり、首相の退陣という政治的事件を引き起こしました。
ここら辺の進みはかなり急でしたが、そんだけ渋谷テロ(制御された暴力脅迫をテロというべきか少し悩みますが、むき出しの暴力による恐怖を幻視させて事態を動かしたので、まあテロリズムではあるか)の影響力が大きかったのかな。
青いクラウズが変わった世界でどういう活躍をし、利益をもたらし、善行を積んでるかの描写がやや弱いので、Vapeというカウンターがあたった時世界がどう反応するのか、イマイチ想像しきれないんだよなぁ……。
『労働や医療の現場で役に立っている』と首相に言わせるのなら、そういうシーンは1カットでも描写したら良かったんではないか。
そこら辺は、一期でやったことの延長だから省略したのかな?

さておき、クラウズの創始者でありその思想的根本をほぼ担っていた累くんが意識不明のまま、あっという間に社会の中でクラウズという力の是非を問う状況になってしまいました。
なんで理詰夢が直接的暴力を累くんには使ったのか今一分からなかったんですが、強力な思想的牽引役である累君が眠っている間に、状況が変化していくことが必要だったのかな。
理詰夢も累もクラウズの意味と問題点を直視し、目先の感情や利益によらず行動できるエリート(今回のサブタイトルを変えれば『2:6:2』の上の2)なわけですが、渋谷テロの結果その言説が封じられたままクラウズは性急な社会的判断にかけられた。
菅山首相は傑物だと思いますが、この判断は性急に過ぎたんじゃないかなぁ。

君が代表する完全な自由と、理詰夢が主張する危険性を見越しての完全廃止の間には、免許制度や許可制度による緩やかな束縛があると思います。
クラウズの持っているパワーを取り出した上で、危険性を制御するには一般的かつもしかしたら有効な方法だと思うわけですが、丈さんが指摘したとおり、菅山首相が自分の首とクラウズを両天秤にかけた結果、クラウズは急速に極端な是非を決定しなければいけない問題になった。
論争を深めてゆるやかに社会に受容させる過程をすっ飛ばし、事態をここまで過熱することが理詰夢の狙いだとしたら、大成功ですね。
『国家一種クラウズ取扱免許』なんて、現実に妥協した面白くない答えは、革命家である累くんの臨むもんでもないだろうけど、少なくとも彼が理想を語ることで維持されるバランスが合ったろうに。


過熱する事態にいつものように意識高く論議を重ねるガッチャマンに、しかしつばさは共感できません。
高校生らしい『今・眼の前の・一つだけのこと』を考え続ける思考形態によって、彼女は手軽な善意と正義を求め続ける。
それは愚かでもあるし正しくもある、危うい姿でした。
正直クラウズ見てて『何だオメーら、少数精鋭のエリート部隊気取りか!』と何度か思った……いや、持ってる力と責任考えりゃエリート中のエリートなんだけどさ実際は。

しかめっ面で悩んでいれば正しいというわけでもなく、考えを足元において駆け出せば貴いというわけでもないのは、今回見ていれば判るでしょう。
大事なのはバランスなんでしょうが、翼は持ち前の劣等意識も相まって、どんどんガッチャマンから離れていきます。
ゆるじいという偉人を身近に持っていればこそ、普通の自分にしがみつくしかなくて、偉大さを感じさせる人たちに胸襟を開けないんだろうなぁ。
一言声かければ、やる気満点でゴミ拾いすると思いますけどね、あの人達。

思考と行動のバランスは一期でははじめが取っていたのですが、インサイトにおいては彼女が持つほぼ唯一の欠点、直感を共有しうる言語化能力の不足が足枷になって、つばさの離脱を止められません。
ハチ公を間に挟んだ会話で、つばさとはじめの距離より、ゲルサドラとはじめの距離のほうが近いのが印象的でした。

ガッチャマンから離れたつばさの気持ちは、善意で素直に行動し続ける(ように見える)ゲルサドラに引き寄せられていきます。
彼が口にする幼い理想論はしかし、神の如き力を持った宇宙人にとっては実現不可能な寝言では、けしてない。
実際に人間の気持ちを可視化し、集計し、ベターな答えを導き出してそれを実現可能なゲルサドラは、自分の善意を疑わないつばさにとって、ガッチャマンよりもはるかに気持の良い存在でしょう。

しかし、ゲルサドラは宇宙人です。
人間が空気なしでは生きられないように、周囲を善意で満たさなければ生物的不快感を感じる彼が行う善意の蔓延は、はたしてつばさが理想化する『今・眼の前の・一つのことだけを』解決していく素直な性善説と、同じ背景を持っているんでしょうか。
どう足掻いても他人の気持ちを理解できないからこそ、失敗まみれになりつつ色んなコミュニケーションを積み重ねてきた人間種のカルマと、心を読んで書き換えることの出来る幼い神様の前提は、危うい亀裂を含んでいるんじゃないでしょうか。
そんなことを、今回二人が接近していく様子を見ながら考えました。

『一人ひとりが別個の価値観と意志を持っていて、それでも集団として一定の範囲で意志を統一し、かつ個別の意志を尊重しなければいけない』という、地球人の基本的設計。
宇宙人であるゲルサドラは、『人間ってそういうもの』であることを理解していないのではないかと、僕は疑っています。
もしそうなら『人間ってそういうもの』であると真摯に伝える人が必要なのですが、幼い外見と言動をしたゲルサドラを真摯に受け止める人がいないのは、ミリオネ屋でのやりとりを見ていると分かります。
可能性があるならつばさなんでしょうが、彼女自身が人間の持ってるカルマと、それにクラウズやガッチャマン、宇宙人が及ぼす影響を考えない(考えることを拒絶している)ので、このルートは潰れます。
ていうか、むっちゃオルグされてるわ。

結果、ワイドショーの軽いノリで語られる人間の状況を判断材料に、ゲルサドラは外見を変化させ首相公選に立候補する。
素直な無垢さでメディアを掌中に手に入れたゲルサドラは凄まじく危うい存在ですが、作中人物はカッツェを除き、そのヤバさに向かい合っていません。
気楽な流れの中であっという間に事態が取り返しの付かない状況になっていく様子は、クライシスパニック映画を見ているような気持ちになりました。


『ゲルサドラが言って/やっていることは、本当は一期でカッツェがやったくらい気持ち悪くてヤバイよ』という説得力を出すために、花澤さん声の美ショタが杉田声のにーちゃんになる性格の悪さは、いかにも中村監督っぽくて好きです。
ざーさんの演技を事細かに分析し、完全に寄せてきた杉田さんの役者力は、さすがとしか言えねぇ。

少年ゲルサドラと青年ゲルサドラは、その行動を規定する価値観や知識において変化はありません。
大人に見える/聞こえる外見になっても、無邪気で幼く善性の……ように人類は判断する人格を持っています。
しかし見た目が変われば評価を変えてしまうのが人間というもので、一部の賢人(それこそ『2:6:2の上の2』)以外は青年ゲルサドラは政治的立場を担うのに相応しい内面に『成長』したと期待・判断するでしょう。
異質知性を人間の常識で判断する危うさは一期で散々やったと思うのですが、何回も繰り返す辺りに製作者が人間の業を甘く見ていない様子が見て取れ、その表現もパンチ力があります。
『青年ゲルサドラの描写見て『なにつばさちゃんにネトネト触ってんだクソ杉田!!』と沸騰すればするほど、意識高いつもりでこのアニメ見てる視聴者の皆さんは理詰夢やゲルサドラやミリオに流される、『愚かしくて無責任な善意の大衆』と似た顔してますよ』とつきつけられるような、最高に悪趣味で効果的な描き方ですよね、アレ。
ええ、僕は沸騰しました。


ガッチャマンクラウズが持っているエリート性の差別意識を内部告発しつつ、そのエリート性を排除した善意があっという間に危機に近づいていく様子を描いた、危機への序章でした。
『選良も衆愚も、どっちもゴミクズだな!』と描いたのは、止揚の果てにある細い道に繋がる流れと信じたいのですが、この2つの対立物は人類がその歴史をかけて取り組んで、今なお答えの出ない難問です。
別に万能の処方箋が創作物で出てくる必要はないですが、少なくとも説得力を持った描写で終えてほしくはある。
同時に難しいことに娯楽性を維持したまま挑むこのアニメの姿勢は僕はとても好きだし、期待もします。

対立は未だ癒やされず、変化は危うく、火種は満載。
変わったはずの世界に埋まっていた問題点が牙を向き始める、嵐の予感に満ちた第四話でした。
風がどっちに吹いていくのか、さっぱり分かりませんが胸踊らせつつ待ちたいと思います。
……って、来週サブタイトル光背効果かよ……どんな長所が強調されて、欠点が見落とされるんだ?