イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

スーパー・コンプリケーション

『スーパー・コンプリケーション -伝説の時計が産まれるまで-』(ステイシー・パーマン著、武藤陽生・黒木章人訳、太田出版)読了。

1000万ドル-約10億円-の値を付けた超複雑時計と、それに魅せられた二人のミリオネアの人生を中心に、超高級時計の世界に切り込んでいくルポタージュ。

この話は1910年台から1930年台、狂騒のジャズエイジが主な舞台となる。
教会と王家がスポンサーとなって生まれた高級時計の母国ヨーロッパが没落し、世界中の富があらたなる王者アメリカの下に集積した時代。
その収集に魅了された二人の人物が、主要な人物となる。
この見せ方が良い。

かなた、ジェームズ・ウォード・パッカード。
電気と内燃機関の天才であり、自動車産業の創成期からのし上がった自動車王。高級車という概念を作り上げた、立志伝中の男。
こなた、ヘンリー・グレーヴス二世。
独立戦争以来の名門の後継者。貴族のいない国の貴族。生まれついての極め付きの富豪。

生まれも育ちも能力も異なる彼らは、国でも指折りの大金持ちであることと、優秀な審美眼と情熱を持ち合わせ、それを超高級時計につぎ込む趣向で一致していた。
キャラの立った二人のライバル描写は、『高級時計業界』という聞きなれぬテーマに読者を引き込むのに十分な熱を持っている。


彼らを通して語られるのは、一つには『時計』というフェティッシュに人類が捧げてきた時間と情熱、歴史だ。
当時の(そして現在の)高級時計を取り巻く状況だけではなく、時計そのもの生誕と発展、技術史と文化史についても必要十分に掘り下げ、その価値を伝えてくれる
もう一つはいわゆるミリオネアである彼らが身をおいた時代の空気、『華麗なるギャツビー』の世界の優秀なレポートだ。
電球や自動車が発明され一般化していく新進の時代、産業の発達に伴い蓄積される富、社交界の駆け引きと蕩尽。
彼らが高級時計を追い求めた時代の空気が、よく切り取られている。

様々な角度からテーマを照らしだす筆致は、しかし軽妙でウィットに富んでいる。
ジャズエイジを経て大恐慌に至る富豪たちの栄枯盛衰や、病に家族の不幸。
山あり谷ありの人生を丁寧に描写しつつ、富豪たちの異常な情熱はいつしか他人ごとではなく、真に迫った迫力を帯びてくる。活き活きしているのだ

この迫真性は、スーパー・コンプリケーションを巡る追跡が二人の富豪の死でとどまらず、現代にまで貫通する現在進行形の事態として描かれていることとも、無関係ではないだろう。
クウォーツによって機械式時計が没落したり、死後散逸したコレクションが発掘される経緯も、しっかりとした筆で描かれる。
サザビーズのオークションで1000万ドルの値段がつく第一章から始まり、時間をさかのぼって機械式時計に魂を捧げた二人の人生、死後も続く紆余曲折を描写していく様は、一種の時間遡行のような趣がある。
現代に入っても筆は衰えず、オークション会場の緊張感あふれる駆け引きは迫真かつ秀逸だ。
超高級機械式時計が辿った荒波を追体験することで、読み始めた時は「え、こんなに?」と思ったスーパー・コンプリケーションの値打ちを、読み終えた時にはある程度納得できるような気分になっているのは、なかなか面白い読書体験だと思う。
『歴史も引っ括めて値段』という主張が体に入るのだ。


無論、機械時計というフェティッシュ自体に対する精密な記述が、本文に漂う熱気の大きな源流なのは間違いない。
工芸と芸術と技術と学問が渾然一体となった、複雑怪奇なステータスシンボルに向ける筆者の熱い視線こそが、この分厚い本の土台だというのは当然だし健全でもある。
各種の記述はよく資料を発掘した上で整理されたものであり、専門的な領域に立ち入りつつも読みやすい。

スマートな知性とスムーズな読書体験、紙に封じ込められたコレクターの狂熱と、機械式時計の魔性。
様々なものを一気一身に受け取ることの出来る、面白い本だった。