イマワノキワ

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アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第16話『The light shines in my heart』感想

プロジェクト外のアイドルたちと交流していく二期、三話目はウサミン星人の崖っぷち。
第5話、第11話に続いて『CPの凡人代表』前川みくが前面に立ち、安部菜々という三重くらいにキャラ作っている先輩に体当りしていくことで、アイドルとキャラクターに切り込んでいく話でした。
もちろんユニットの戦友・多田李衣菜とも絡んでいるし、346の色物軍団全体に光を当てる側面もあって、相変わらずお話が捉えるレンジが広いですね。


今回のお話の軸になっているのは、何と言ってもウサミン星人安部菜々と、猫キャラアイドル前川みくとの交流です。
味付けの濃い『キャラ』という鎧を着こまないとアイドルが出来ない凡人二人ですが、美城常務が打ち出したバラエティ縮小路線を前にして、取る態度は大きく異なります。
素直にうさ耳を外して『安部菜々』に為ってしまうウサミンと、そんなウサミンに噛み付き、『キャラを維持して欲しい』という自分の気持をぶつける前川。
二人の間にはもちろん年齢というギャップがあるのですが、それとはまた別の違いが存在しています。

それは『負けることへの慣れ』です。
今回のお話、『先輩アイドルの立ち居振る舞いを見ることで、今の自分達がやりたいことを見つけていく』という骨子は前回と共通です。
しかしその立場は真逆で、全アイドルの頂点として美城常務に見初められていた高垣楓と、痛々しいウサミン星人安部菜々とでは、天と地ほどの開きがあります。
高垣楓のスマートで勝者然とした態度に比べれば、安部菜々の日常はみすぼらしくて情けない、負け犬の暮らしです。
アイドルの頂点から正解を見せた前回と、アイドルの底辺から正解を見上げた今回は、対象関係にあるエピソードなんだと思います。

今回、安部菜々を捉えるカメラはひどく残酷に、彼女の無様な姿を入れ込んでくる。
10代と同じ運動をすれば体が悲鳴を上げ、住んでる場所は六畳一間のアパート、うさ耳外せば誰も自分だと気付いてくれない、アイドルの負け犬。
これは第5話において前川が追い込まれた状況と似ていますが、安部菜々は『全然仕事が無い、あっても我慢してやらなければいけない仕事』を受け入れ、着実に真剣にこなしています。
安部菜々は(前川とは異なり)、良くも悪くも大人なのです。

『負けることへの慣れ』を体に刻みこんである安部菜々にとって、ゲームショーステージでのウサミン再降臨は「最後の仕事」でした。
しかし前川にとっては「まだまだこれから」であり、「会社が何を言っても、自分のやりたいキャラで行く」ことは無謀な賭けでもなんでもありません。
会社から押し付けられた終わりを表向き素直に受け入れる安部菜々と、他人の決断にずけずけと踏み入り自分の気持を真っ直ぐにぶつけられる前川。
既に幾度も失敗したものと、これから失敗し成功していくものの差は、今回のお話を回す大きなエンジンになります。

無論、差異だけではなく合同も重要な要素であり、自分を曲げてキャラを外すか、会社に逆らって自分を貫くかという悩みは、二人に共通しています。
若さを武器に突進した結果、閉塞した状況をぶち破る前川も、ウサミンと同じように悩み、負けかけている。
プロデューサーの後押しもあって前川は菜々とは違う選択を取るわけですが、キャラを武器にするもの同士、悩む姿は共通し、連続して描写される。
前川にとってウサミンは未来の自分で、安部菜々にとって前川は過去の自分なのです。
とても似ていながら異なる二人が、くっついたり離れたりすることで今回の話は進んでいきます。


相反する要素が重要なのは二人の関係においてだけではなく、キャラ個人の描写においても同じです。
今回のエピソードで描かれるウサミンは負け犬ですが、まだ諦めきっていない輝く負け犬です。
ウサミン星で起床するシーンではトレーニングのための教本がいくつも映っていますし、コーナー撤退を告げられた後も「諦めたくない」と地団駄を踏んでいる。
何回怜悧な現実に夢を蹴飛ばされても、アイドルから撤退しなかった安部菜々の姿も、今回の話はしっかり写していました。

そして、安部菜々のあきらめの悪い部分、バラエティ番組の崖登りのようにギリギリでしがみついている夢の姿を、前川はすごく素直に見つめている。
前川にとって、ウサミン星人は皮肉でもなんでもなく憧れのヒーローで、いつか為りたい未来の自分です。
だからこそ、圧倒的に白々しく浮き上がった空気の中でもミミミン、ウサミンコールをやることが出来る。

そうやって前川に届いているのなら、たとえ安部菜々本人がウサミンを信じきれなくても、ウサミン星人のキャラは本物なのでしょう。
前回楓さんがNG(とCP)に『お客さんを大事にアイドルやっていい』という『正解』を見せたように、今回ウサミン星人はその無様に輝く姿を前川に見せることで、『キャラ付けてアイドルやっていい』という『正解』を届けたわけです。
楓さんというアイドルの頂点、『勝っている』ものだけが正しいのなら、それは常務が346のアイドルを追い込んでいる理論と同じ戦場にあります。
今回ウサミンという『負けている』存在に『正解』を言わせることで、CPが邁進するアイドル像は天井と底辺の二箇所から光を当てられることになり、勝ち負けを外れた場所で価値を手に入れました。
そういう意味で、第15話と第16話は対照的でありながら相補的でもある、二つでひとつの話が気がします。


そして、両面的なのは前川も同じです。
前川は自信満々を装っている割に臆病者で、その癖大胆な行動に出る気持ちの強さがある、多面的なキャラクターです。
その不安定さが良くない方向に発露するとカフェを占拠するわけですが、今回は第5話とは対照的に、プロデューサーが先手先手を打って状況をリードし、より良い方向への発露へと導いていきます。

お話の中盤『猫キャラじゃなくなったみく』を想像し、『論外論外』と切り捨てた迷える前川に、プロデューサーが電話をかけてきます。
ウサミンが安部菜々として立たざるを得ないステージ、ウサミンが『負ける』場所を見学するよう誘う電話が呼び水になって、前川は迷いを振りきって物語に帰還します。
第5話では状況を混乱させていた濃厚な感情のエネルギーが、今回はあの時迷惑をかけたウサミンを奮い立たせる起因になっているわけです。
これは、前川が持っているカルマが変化したわけではなく、そのカルマをどう活かすか、他者であるプロデューサーが考え、手を差し伸べ状況を変化させた結果だと言えます。

自分勝手に突撃し続けているように見えて、前川はずっと迷って、ずっと悩んでいる。
冷えた観客席に飛び込んでウサミンコールをする時、前川は猫耳をつけています。
弱気な自分をキャラ付けでけしかけている前川にとって、猫耳がただの装飾具ではなく、アイドルを続けるために絶対必要な鎧であり武器であるというのは、一期でこれでもかと描写されていました。
今回のエピソードでも、プロデューサーが会社の方針を伝えた時、猫耳が落ちている。
弱気な気持ちを猫耳で蹴っ飛ばして、完全にアウェイな空気に一人飛び込んで、あこがれのヒーローに声援を届ける勇気を絞り出した結果が、あのウサミンコールなのでしょう。

そして、傷を受けることを恐れない、もしかしたらかつての自分に似ているかもしれない女の子からの声援を受けて、安部菜々はウサミンに変わる。
前川があの声援に込めた気持ち、前川を後押しした人たちの願いを間違えない優しさも、安部菜々の強さです。
結果、誰にも認識されなかった『安部菜々』はみんなを笑顔にする『ウサミン』としてステージを成功させ、お話は良い方校に向かいます。
『キャラを付けることはいいこと』という『正解』を見せて前川(とCPとそこに合流したバラエティ軍団)を奮い立たせる結末ですが、同時に『ウサミン』ではない『安部菜々』をファンが見てくれない状況はそうそう変わりません。
そういう残酷な二面性を無言で織り込んでいるのは、結構好きな終わり方でした。

 

話の主軸は兎と猫でしたが、この二人を支えるサブキャラクターが二名います。
一人はCPの内部ユニット*の戦友、多田李衣菜
断固キャラを維持する前川に対し、多田さんは第11話のように激しくぶつかるのではなく、信じて待つという態度を取ります。
そこには、約4話の時間を経て変化した、二人の関係性が見て取れる。

*を結成したばかりの二人であれば、やれネコミミ外せ外さないと、元気にやりあっていたでしょう。
しかし今回多田さんにとって重要なのは、前川がキャラを外すか否かではなく、だから以前のような頭ごなしの否定はしない。
常務の方針に逆らうことで前川と自分がが傷を受けること、それに対し前川が覚悟が出来てるか否かということこそが、多田さんにとっては大事なのです。
前川が自分を曲げずに猫耳を続けるのであれば、もしくは決意を持って外すのであれば、どちらの選択も李衣菜にとっては価値のあるものです。

付ける付けないではなく、そこに込められた覚悟を問題にする関係性は、信頼がなければ生まれません。
コンビを結成して、サマーフェスやそれ以降のアイドル活動を一緒にくぐり抜けてきた日々が、前川を信じてあえてステージに行かない李衣菜からは感じ取れます。
あそこで李衣菜まで場面に出ていたら、お話がスッキリとまとまらないという事情も引っ括めて、今回の多田さんの描写はスマートかつ説得力があり、良いものでした。


もう一人の裏方は、アイドルの頼れる味方プロデューサーです。
控えめな出番の中でキャラを印象的に見せていた李衣菜とは異なり、プロデューサーは物語の大きなうねりを導きつつ、前川へのアシストを決めるという目立つ立場にいます。

二期全体のお話は、美城常務が打ち出してきた路線にプロデューサーが対向することで進んでいます。
前回から演出をまたぐ形で、今回冒頭に提出された"舞踏会"の企画案が許可され、『これさえ通ればお話がうまく行く』というゴールラインの設定がなされました。
『取り敢えず、自分たちにできる事』を合言葉に部屋の掃除などしていたCPメンバーですが、この描写がなされたことで、一つの方向性を得ます。
今後、CPメンバーは"舞踏会"が成功するためには何をしたらいいのか考え、答えを見つけていけばいいわけです。
今回前川が見つけた『アイドルがキャラ付けするのはいいことだ』という答えも、この方向性の中にあります。

前川発案の『ヴァラエティ軍団取り込み』が成功したことで、CPは人数が増え、"舞踏会"を成功させれそうな気配は濃くなりました。
梁山泊というか戦略SLG的というか、辺境に気骨のある異才たちが集っていく展開は、やはり胸が踊ります。
そういう空気が漂うのも、冒頭で企画を通し『"舞踏会"の成功』という(ひとまずの)物語的終着点を設定したことが、強く影響しているでしょう。


このようにお話全体の調整では主役を張っているプロデューサーですが、エピソード全体を貫く感情の物語では、あくまで脇役に回ります。
ウサミンに憧れるのも、前川に勇気をもらうのも、あくまでアイドルであり、裏方であるプロデューサーではありません。

立ち位置をしっかり弁えた上で、彼女たちの気持ちが的確に伝わるよう場所を用意したり、輝く舞台をドンピシャのタイミングで整えたり、トス上げ役としての手腕は鮮烈で見事でした。
第7話で渋谷さんが『迷った時に、誰を頼ればいいか判んないなんて、そういうのもう、イヤなんだよ』と言っていましたが、アイドルにとって何がより良く、より輝ける選択菜の香を的確に(そして控えめに)示すプロデューサーの姿は、あのどん底から這い上がって辿り着いた境地を感じさせてくれました。
二期のプロデューサーは一期の経験を的確に活かし、自身と熱意と誠実さを持って動いていて、やっぱ凄く好きですね。

 

追い込まれつつも道を見つけたアイドルたちに立ちふさがっているのが、美城常務です。
今回もヴァラエティ部門の縮小を打ち出し、スター性の確立を目指して方向を転換させました。
誇りを持ってキャラを貫くウサミンと前川に対立する、意地悪な存在。
本当にそうでしょうか。

『単純な悪役』とするには常務が物分りが良すぎる、というのは、第14話からずっと続く一つの問題です。
『正しい』主人公側に敵対し、障害を用意し、嫌な気分にさせた後スカッとぶっ飛ばされる『単純な悪役』の仕事をするには、常務は理性的で懐が広い。
勝っても負けても自分に利がある所を強調しつつも、プロデューサーの企画を承認し、CPが『勝つ』ゴールへの線引をしてくれました。
権力を利して企画を潰すでもなし、CPの理想を頭ごなしに否定するでもなし、常務は話がわかる人です。

かといってCPの理想に共感するでもなく、彼女は彼女の考えを強権に押し通します。
『私には私の考えがある』と言いつつも、それを的確に表現できない彼女の行動は、振り回されるアイドルだけではなく、命令を受けて振り回す社員の側にも共感されていません。
ヴァラエティ軍団に首切り通告に来た社員たちも、彼女たちから離れればメガネを外してため息を付き、『嫌な仕事』だと吐き捨てる。
常務の方針に逆らうウサミン復活も、現場ではノリノリで受け入れられ、ベストなタイミングで演出が入ります。
つまり、美城常務は『単純な悪役』を努められるほど、強くもないし悪くもないのです。

これを中途半端と見るか、はたまた『単純な悪役』を超えて物語的役割を果たす布石と見るかは、今後の展開次第でしょう。
どうしても常務に目が惹きつけられて、『このキャラクターの話がもっと見たい』と思ってしまう自分としては、後者のほうが面白いですが。
また、『単純な悪役』が立ちふさがる展開は無印の13話以降で961プロが担当していたので、毛色を変えた物語を作りたいのかもしれません。

一期を考えると、プロデュサーの見せかけの誠実さが反転し、臆病さと不信感に変わったのが六話です。
無論『何かを達成するまで』のお話だった一期と、『何かを達成した後』のお話である二期は、同じ尺の使い方を当てはめられないでしょう。
しかしこれだけ多数のキャラクターを扱うこのアニメで、常務の動き回る尺を簡単には用意できないのも事実。
そろそろ美城常務が何を考え、何を大事に思っているのかハッキリと明言する形で知りたいですけど……彼女がどんなキャラクターなのかは、もう少し腰を据えてみないとわからないのかもしれません。


彼女が打ち出した『アイドルへの幻想を復活させる』路線は、自分的にはいいカウンターだなと思います。
CP目線(もしくはプロデュサーの一人称)では楽しく親しく明るいアイドル活動が至上のものとして描かれていますが、それとは別の視線、高嶺の花として君臨し、憧れの視線を集めるアイドルというのも、価値のある在り方のはずです。
346プロが前者の在り方だけを重視し、プロ意識と実力が要求される後者の在り方をないがしろにしていたのであれば、常務の主張はむしろ当然と言えるでしょう。
作中の状況として実際どうなのかは、客観的な視点での描写が少ないので判別しきれませんが。

その上で、『高嶺の花』以外のアイドルを切り捨ててしまうことは、『首を切られるアイドルたちがかわいそう』という感情論以外にも、多少問題があると思います。
このアニメが遠景にしている現在のアイドル界は、『バラドル』という言葉が死語になるほど、アイドルが卑近な笑いを担当することが当たり前になり、親しみが持てないアイドルは支持を得にくい世界です。
アイドルが『高嶺の花』だった時代から多くの時間(小泉今日子の『なんてったってアイドル』を軸にするなら30年、山口百恵の引退を軸にするなら35年、歌番組とヴァラエティーの融合体である『ザ・ベストテン』を軸にするなら37年)が過ぎ去り、ただステージに出てきて素敵な歌と圧倒的な踊りを披露するだけで、アイドルがアイドルとして受け入れられる時代は遠くにあります。
アイドルも人間(的)で、ファンと同じように汗し涙する人間なんだと知ってしまった視聴者にとって、完璧な幻想はもう抱けないでしょう。
良かれ悪しかれ、過剰に情報を供給することが基本戦術となっている現在、情報という水を制限することで成り立つ『高嶺の花』は、育てることがとても困難なアイドルだと言えます。
あり得る姿はアーティスト系アイドルとして、パフォーマンスの完成度を一つの『キャラ』にする形(例えばPerfume……とは言うものの、彼女らも親しみやすさは前面に出してるしな)か、世界観を完全に作りこんで『高嶺の花』という幻想を共犯的に共有していくか(例えばBABYMETAL……両方アミューズだな)、どちらにしても相当な印象操作と世界観構築が必要な、『難しいアイドル』だと思います。

また『キャラが付いたアイドルが見たい』というニーズがあればこそ、現実でも作中でも様々なキャラ付けのアイドルがいるわけで、常務の方針は顧客の要望を切り捨てた、企業主導が過ぎる施策だとも言えます。
かなり無理がある常務の方針ですが、『強すぎない、悪すぎない』という常務の描き方を鑑みると、意図的に明けた穴という気もします。
地下に追いやられたCPが、そこを突いて『勝つ』こと前提の弱点といいますか。
どっちにしても、前回楓さんが『ファンと一緒に進むアイドルは正しい』、今回ウサミンが『キャラのついてるアイドルは正しい』と出した『正解』に反する動きをしているので、立場的には悪役……なんだろうなぁ。


個人的な好みを言えば、美城常務の描写はもう少し濃厚にしてくれたほうが、物語的立ち位置がはっきりと見えてありがたいです。
無論『原作にいねーキャラの描写太らすなら、アイドルの出番一秒でも増やせ』という主張もあるでしょうし、さじ加減はとても難しいでしょう。

しかし彼女が(プロデューサーと同じように、僕にとっては)視線を引き付けられる引力のあるキャラであり、物語的にも要の位置にいるように見えるのは、確かなことだと思います。
その存在感に相応しい、ある程度の妥当性や内面を、そろそろ見たいなぁと僕は思います。
誰かアイドルが『常務の言ってることは一理ある』と言うと、グッと分かりやすくなるけど……現状CPにカウンターを当て続けている『悪役』に寄り添うアイドルは『悪役の仲間』になっちゃうわけで、難しいかなぁ。

 

主役、脇役、敵役。
様々な立場の人達が入り乱れつつ、アイドルとキャラの問題に一つの答えを出し、前川みく安部菜々の絆を描写し、彼女たちを支える人々の肖像を切り取った、多層的なエピソードとなりました。
これでアイドルの頂上と底辺、両方からの描写が出来たわけですが、これに続くエピソードとして何を用意してくるのか。
気になるところです。