イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイカツ!:第147話『輝きのルミナス』感想

三年目のクライマックスを控え、トライユニット編が加速するアイカツは、新条ひなきのハイブリッド・レインボウ。
アイカツ8に選ばれなかったひなきのフォロー回でありながら、どれだけあがいても自分のことを信じ切れない凡人の内面を抉りまくった、個人的な回でもありました。
これくらいヘヴィに圧力をかけるのはアイカツアニメでは珍しく、観月さんが倒れた第47話、あかりちゃんがブチ折れかかった第96&97話くらいだと記憶しています。
ひなきの根本的な空疎さに切り込んだ今回は、いわば新条ひなきにとっての『レッツ! あかりサマー!』だったのではないでしょうか。
……そういえば、両方共脚本は山口さんか。


あかりジェネレーションの女の子たちは全員明確な欠点を持ち、それを克服することで物語を生成しています。
ひなきの欠点が誰にもない個性を求めながら型に嵌まってしまう、弾けるような個性の欠如だというのは、これまでも語られたことです。
今回は『アイカツ8に選ばれなかった』という傷から逃げることなく、むしろそれを切開していくことで、ひなきの抱え込む問題点を深化していくお話でした。
あかりジェンレーションの物語は常に欠点とともにあるので、こういうお話をしっかりやることは、キャラクターの人生と向き合い、お話を展開する上で重要になります。

今回切開されたのは、これまで描写された個性の無さよりももっと深い部分、ひなきが抱え込む自分への不信感です。
新条ひなきは、とにかく自分のことが信じられない。
才能の無さ、人を引きつける華の欠如は長い芸歴の中で思い知らされているし、それを補う努力をいくらしても結果は伴わない。
それでも、アイドルを辞めることも出来ない。
そういうカルマを背負い続けていることを、今回の話は見せてくれました。

『綺麗事』としての解決法は、今回かなり早い段階で示されます。
珠璃がおどけた態度で示してくれた気配りに返す言葉の中で、ひなきは『アイカツ8に選ばれなかった自分はコンプレックスを持っているけど、それをバネに頑張らなくちゃ』と明言している。
それはとても前向きで理想的で、ロジカルなコンプレックス解消法です。

しかし彼女の傷は、開始5分で示されたこの『綺麗事』では、全く治癒されません。
言語化して治るような問題なら、お調子者を演じつつアイカツ世界で最も賢い子供であるひなきは、とっとと整理整頓して解決している。
珠璃とのコンビ活動で見えたように、彼女の才覚は状況の認識と言語化にあり、何かをまとめあげ整理する能力は非常に高いわけです。
そんな彼女が、自分自身の非才を整理していないわけがない。
つまり、今回彼女が立ち向かったのは理屈を超えた混乱、何をどうしても突破できないややこしいカルマなわけです。


口ではコンプレックスを認め前向きになったように見えるひなきは、とにかく頑張り続けます。
これまでそうしてきたように、アイドルにとってできる事を全てこなし、自分を高めようと常時努力し続ける。
しかしその努力はアイカツ8という結果には結びつかなかったし、これまでのパットしないアイドル人生のなかで努力はひなきを裏切り続けた。
それでも、真面目に努力し続ける以外の方法論が浮かばないくらいに、新城ひなきは真面目で賢い良い子です。
その生真面目さがまたひなきを追い詰め、あれだけ努力してもなお「少しは努力できてたのかな?」という疑問符付きの台詞を吐かせる流れは、綺麗に残酷でした。
何がどうなろうと、新城ひなきは自分自身を肯定しきれないのです。

アイカツ世界は悪意を排除することを選択した世界なので、自分を憎む気持ちすら表面化したり言語化したりは出来ません。
例えばプリティーリズムAD終盤のりずむちゃんのように、仲間へのコンプレックス全てを吐き出し、受け止めてもらえば、カタルシスによって折れ曲がった心を爆破し、更地に新しい人格を再生することも可能でしょう。
しかしアイカツ世界では夢にむかって突き進む以外の選択肢は許されていないし、誰かを妬んだり憎んだりする感情は存在すらしないし、たまに凹んだり間違えたりすることは許されても、決定的に舞台から降りることは許されない。
このルールが破られたのは第97話で、努力が実を結ばないあかりがいちごと対峙した、その一瞬だけです。

今回ひなきは言葉にした建前を守るように、前向きに努力し明るく振舞続ける。
でも、言葉とは裏腹にその表情はとても危うく、脆いものです。
言語や態度はアイカツの世界律を遵守しつつ、今回演出された表情や仕草は常に、もろくて汚いひなきの内面を切り取り続けました。

アイカツ8の二人からルミナス結成の打診を受けた時の、一瞬の遅れ。
珠璃の気遣いを目ざとく感じ取った時の、力のない笑み。
KAYOKOから再撮影の報を受けた時の、自分を責めるような表情。
街でVKの広告に起用された自分を見上げる、信じられないような目。
そしてKAYOKOから『アタシのミューズ』という言葉を受け取った時の、意外そうな顔。
『負けても立ち上がって、前向きに走ろう!』という表向きのストーリーラインのそこかしこに、繊細で脆弱な人間の心が、丁寧に差し込まれていました。

ひなきの迷いや自己評価の低さは絵で示されるだけで、ひなきの言葉によって明示はされません。
彼女の言葉を聞き、表情を見て『口ではああ言ってるけど、実は……』と推測することは出来ても、確固とした台詞を論拠に明言することは出来ない。
今回そのように屈折した演出法が取られたのは、もちろん間接的表現の多様で物語の横幅を広げる意味合いもあるのでしょうが、ひなきの抱え込んでいる問題がアイカツ世界のルールを破綻させる危険性を持っているからです。


ひなきがたちあがれそうなタイミングは、今回何度もあります。
珠璃に本心を話して努力をはじめた時。
KAYOKOとの一回目の撮影。
街で広告を見つけた時。
今回のお話が(それこそ典型的な"教訓含みの女児向けアニメ"のように)『綺麗事』で進むなら、ひなきはそれらのイベントを足場に自己評価を改め、嫌いな自分を好きになれていたでしょう。

しかし、幾度もある自己再生のチャンスを受け止めきれず、ひなきは今回何度も迷い続ける。
最終的にKAYOKOさんがひなき個人を無条件に認めてくれたことで、彼女はなんとかルミナスでのトリオ活動に向かい合う事が出来ますが、実は鬱屈を生み出す自己評価の低さは一度も明言されず、解決もしていない。
今回起きたのは『新条ひなきに価値を認めてくれる人との出会い』であり、『新条ひなき自身を、無条件に新条ひなきが肯定する』事件ではないのです。
もしかしたらそれは、自分への憎悪を表面化出来ないアイカツ世界では、ずっと解決しないのかもしれません。

そういう制約の中でも、ひなきが自分を信じ切れない賢い子供で、それをどうにかするべくあがき続けている姿をしっかり描いていたのは、アイカツらしい真摯さだったと思います。
けっきょくひなきのパーソナリティを根本的には変化させず、小さな変化の予感に留める終わり方も、彼女が積み重ねてきた挫折と失望に敬意を払った、尊厳のあるまとめ方でしょう。
新条ひなきはそのおどけた外見には一切似合わず、全アイカツキャラクターの中で一番面倒くさくて、複雑な内面を抱え込んだ子供です。
そんな子供が、自分を肯定できそうな材料を一つ見つけた今回の話は、ひなきにとってとても大事な話だったのではないか。
僕はそう思います。

 

悪意が存在できないことはアイカツ世界の欠点なのかもしれませんが、善意に満ちていることは、間違いなくアイカツ世界の利点でしょう。
死ぬほど面倒くさいひなきに報いるべく、今回は色んな人が支えに来てくれました。
メインサポーターがこれからユニットを組むスミレとあかりではなく、活動を縮小する情ハラの珠璃と、デザイナーという比較的遠い位置にいるKAYOKOだったのは、なかなか面白い配置です。
いや、あかりも街頭広告をひなきに教えて、自己肯定のチャンスを積み足してたりすんだけどさ。

珠璃も母親との複雑な関係を抱え込んでいたわけですが、ひなきほど引っ張ることなく、登場話である第109話でほとんど解消した、いわば面倒くささの先輩といえるキャラです。
コンプレックスを解消した後は持ち前のセンスを爆発させ、おもしろ天才キャラとしておいしい位置にいる珠璃ですが、彼女の天才性を翻訳するひなきとの相性は第132話で描写されたとおりです。
自己評価の低いひなきの才能に助けられ、支えられる立場の珠璃としては、親友にして戦友である彼女のピンチは見ていられないのか、そこかしこで救いの手を伸ばしています。

エキセントリックな珠璃ですが、アイカツの女の子らしく感受性と優しさが発達していて、ひなきの凹みっぷりには敏感な描写が、とても良い。
ひなきが『頑張』らなくても既に手に入れている、言語化能力と伝達力の高さが情ハラでは最大限生きていると思うので、ルミナスが結成されてもユニット活動(というか珠璃との濃いめの交流)は続けたほうが良いだろなぁとか、見ながら思ってしまいました。
というか、ひなきが作ってる敷居を突進してぶち抜くパワーは珠璃しか持ってないので、手を離しちゃダメだなありゃ。


あくまで陰ながらの支えに徹していた珠璃に比べ、KAYOKOは二人目の主役と言っても良い、活発な支援を行っていました。
アイカツ世界の大人はジョニーを筆頭に、折れそうな子供を放っておかない、よく出来た人格の持ち主です。
怪しげな業界用語を操るケバいオバさんながら、KAYOKOもその系譜にガッチリ配置された人物であり、14歳の大人ぶった子供を守り通す、責任のある動きをしていました。

学園長に頼まれる以前から、ひなきの持っている危うさと、それを振り払うような努力に気付いているKAYOKO。
彼女がひなきに向ける視線はしかし、折れそうになりながら頑張っている可哀想な子への同情ではなく、あくまで自分の専門分野であるファッションに刺激を与え、想像力を加速させてくれるモデルとしての評価です。
対等なビジネスパートナーとしてまず認めるKAYOKOの視線は、今回ひなきが追い込まれている袋小路から上手く湿り気を取り除き、より肯定的な結論に近づく大事な要素でしょう。
少しでも憐れめば、賢い(賢すぎる)ひなきは即座に気づくだろうしね。

二度目の呼び出しにしても、ひなきは『ダメだったからやり直す』というネガティブな捉え方をしているのに対し、それを弾き飛ばすように『完璧だから欲が出た』という真実を伝えています。
それがひなきを元気づけるための嘘でないと示すために、わざわざ新作のドレスを作り上げる手間を埋め込んだのは、デザイナーというKAYOKOのキャラを活かした、良い流れだったと思います。
助手の人たちもひなきを肯定し、褒める言葉を積極的に伝えていて、アイカツ世界マジあったけぇ……ってなりました。

こんだけされても自分を肯定しきれないのがひなきなので、KAYOKOはちゃんとルミナスお披露目ライブにも足を運び、『新条ひなきは他人に愛されるに足りる能力を持っていて、素晴らしい存在なんだ』と言葉と態度でしっかり示します。
『アタシのミューズ』というデザイナーがモデルに与えることが出来る最高の言葉をもらって、ひなきはようやく『少しだけでも頑張れたかな』と自分を肯定する。
109を全面使った広告に起用されるような社会的成功も、顔も知れないファンが自分に憧れているという事実も、ひばきの自己不信を満たすには一歩足らない描写が事前に挟まれているので、このシーンでの個人的な魂の交流は重要です。
そこには、新条ひなきが持っている複雑で貪欲で面倒くさい心象と、それを受け入れて必要と思えるものを惜しげなく与えるKAYOKOという大人との関係が、理想的な角度で切り取られているからです。
それは多分、悪意が存在できないアイカツ世界で、ひなきに与えられる現状最高の処方箋なんでしょう。


持ち前の物分かりの良さからワリを食う立場の多かったひなきが、徹底的に掘り下げられたエピソードとなりました。
同時にアイカツ世界が維持されるための限界点、表現可能な悪意のリミットも感じ取れる、綱渡りのように危うく複雑なお話でもあった気がします。
長く続き大きくなった故に、様々な軋みを抱えるアイカツが、今何処まで行けて何を表現できるのか。
それが見えてくるようなお話でしたね。

そしてなにより、新条ひなきという面倒くさくて賢くて素晴らしい子供に、真っ向から向い合ってくれたお話でもありました。
不完全故に魅力のあるあかりジェネレーションらしい、名エピソードだと思います。
10月の三年目フィナーレに向け、期待が高まりますね。
……来週ぽわプリエピ……だと?(ガタッ)