イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ガッチャマンクラウズ インサイト:第9話『opt-out』感想

ゆるやかに暖かく変質してきた日常がついに暴力の側面をむき出しにしてきたガッチャマンクラウズ、激変の第9話。
『空様』は少数派を排斥する暴力装置と化し、ゲルサドラ日本は快楽と恐怖の二大原理に支配された中心なき独裁国家の地金をむき出しにした。
少数派のヒーローたるガッチャマンは排斥の対象となり、ゲルサドラを首相に押し上げたジョーはテロルによる解決を望むも、生暖かい空気から飛び出し助けに来た清音もろとも、ゲルサドラの実力に膝を屈する。
『喰う様』の暴力を目の前にしてようやく現実に気付いたツバサは長岡へと下がり、『くう様』の快楽に溺れた累の姿に発奮した理詰夢は脱獄、再びテロルの刃を握る。
はじめの導きにより鋼鉄の創発性を発露した総裁X、今だ同調圧力の夢のなかで微睡む累、賢者のごとく活動的なはじめ。
それぞれのヒーローが動き始める回でした。

今回一番ショッキングだったのは、やはりゲルサドラ日本の醜悪かつ激烈なディストピアっぷり。
これまでの嫌な予感を一気に爆発させ、目の前で人間が消えてもそれは当然であり、死という人間(というか動物)が忌避可能な根本的権利すら『空気を読んで』飲み込まなければいけない、独裁国家の究極系がむき出しになっていました。
生理的嫌悪をもたらす『くう様』の緑色の舌が、当たり前のように人間を消失させていく姿は、秘密警察や処刑機械のようなリアルなアイテムではないからこそ、状況の異常性を際立たせています。
一番恐ろしいのは、無差別に人間が消滅していく状況を当然のように受け入れている、世界の有り様なわけですが。

はじめも言っていましたが、快楽と同意、監視と死で管理されるゲルサドラ日本はあくまで民衆のエコーであり、ゲルサドラの意思が拡大された結果発生するような、人間的独裁社会ではありません。
なので、ジョーさんの闘いは最初から勝ち目がない。
テロルによって中枢を破壊したところで、ゲルサドラというシステムが引き起こした『くう様』という現象が停止する保証はないし、何よりも快楽と監視が支配するディストピアは選挙によって選ばれた、民主的な末路なのですから。
この状況で誰が悪いかといえばみんな悪いわけで、みんなが変わらないともう戻ることは出来ないわけです。

ゲルサドラという人間の規格外の存在があって初めて実現した、理想社会であり絶望郷でもあるあの日本は、多数決主義と無言の察しを極限的に重視した結果、多数が幸せになれる社会として選び取られ捻じ曲げられた、現実の延長線上なわけです。
だから、あそこまで気持ちが悪い。
絵空事ではあるのだけど、あの世界には僕らの社会と地続きの体温があるし、その説得力があるように丁寧に毒針を埋め込みながら、このお話は編まれてきたと思います。
そういうものを生み出すことが出来るのは作画や音声、カット割りにレイアウトといった映像の言語を丁寧に駆使して作った『創作』だけなわけで、フィクションが持っている力を極限的に活かしていると感じます。

今回使われた映像言語で言えば、初めて写った立川国会の舞台裏。
これまで表向きの美しいエデンの園しか映らなかったあの場所の腸は、ダンボールで組み上げたみすぼらしく、醜悪で、しょうもない存在でした。
お話の流れとしても、ツバサが自分の妄想の裏側を知り恐怖する展開と巧く噛み合っていて、良い舞台設定だなと思いました。
今回は絶望的なろくでもなさを適度に匂わせつつも、天国として見せていたゲルサドラ日本の地獄が表に出る回です。
そういうお話の中で、ゲルサドラが作り上げた理想郷の背中が初めて見えるという絵の説得力は、なかなかのパンチ力なんじゃないでしょうか。


状況が反転したので、平穏に暮らしてきたキャラクターたちも一気に立場を変えました。
ツバサは「裏切られた!」とばかりにゲルサドラから離れ、総帥Xは卓越した集計装置から創発性を発揮する機械意思へと変貌し、ジョーさんは理詰夢のテロリズムと同じ道を歩き、清音は生ぬるい夢から醒めて傷付いた。
そして悪意なき機械だったゲルサドラは、ツバサが消失して始めて、人間の価値に点数がつくことを知った。
みんなが変わる中で、灰色のはじめちゃんは真実をいろんな人に伝え、必要な行動を取る。
彼女は哀しいくらいに孤独で正しいなぁ。


人生短距離走なツバサらしく、人死が出ることで状況の深刻さに気づき、ゲルサドラから離れる選択肢をしていました。
『喰様』による捕食というソフト(かつショッキング)な表現になってますが、あそこで起きているのは秘密警察による虐殺と変わりがないわけで、ヒーローとしては衝撃を受けてしかるべきです。
ゲルサドラとの差異に気づくも、ギャップを埋める努力をしたり、心を通わせる足場になった共通点について考えないのは、ツバサらしさというべきところでしょうか。
見えてしまった『違う』ポイントに重視するあまり、確かにあったはずの『同じ』価値を忘れてしまう短絡さが、彼女がすぐには賢くなれない『ガッチャマンらしくないガッチャマン』なんだと教えてくれます。
彼女は徹頭徹尾愚かで身勝手で、間違えまくる主人公なのでしょう。

それでも自分が夢見てきた『一つになる世界』がレールを外れてしまった現状に気付いたのは、より善い結末のための重要な一歩だと思います。
ツバサが求めているのは少数派を排斥するのではなく、対話によって差異を認めていく社会だったわけですが、彼女の知能(それは多分、僕の知能でもあるようにこの話は作られていますが)では間違いには気づけない。
パニックサスペンスの要素を持ってるインサイトにおいて、ツバサは事態を悪化させる愚者の役割も担っているので、この状況でゲルサドラから離れることが出来たのは、むしろ早いといえるかもしれません。
そういう決断が出来るのは、彼女の愚かさの証明であると同時に、ヒーローに必要な決断の速さでもある。
万能の解決策を用意せず、利点の後ろに欠点を、短所の背中に長所を用意しておく描き方は、このアニメに共通のものですね。


ツバサと決別したサドラですが、ジョーさんとの闘いの後孤独を噛み締め、彼女を呼ぶシーンで出番が終わっています。
サドラは宇宙由来の社会改善装置であり、人間の価値に軽重を付け、対応を区別=差別する人間的価値観は持っていなかった。
平等に声を吸い上げ、ただパーセンテージの多さと価値を同室なものとして処理していたからこそ、彼の日本はこうなっているわけです。

しかし、彼はツバサの名前を呼んだ。
それは多分、ツバサと一緒に世直しをする中で彼の中に芽生えた何かが、人間的な価値判断(世界はそれを愛と呼ぶのかもしれませんが)をさせた、ということだと思います。
全てを平等に処理してきた装置に意思が芽生えた時、どのような狂いが社会に生まれるかは、今後の展開を見ないといけませんね。
……あんまいいことは起きない気がする。

状況がここまで悪化して思い返すと、ゲルサドラという個体を異質知性だと考えず、気楽に受け入れた第1話からして、当然の結末なのかもしれません。
自分たちがゴツゴツとぶつかり合う異質な存在で、衝突もすれば争いもしなければいけない醜いカルマの持ち主だという真実に直面するのは、カッツェの悪意を乗り越えた人間には酷だったのかもしれない。
でもゲルサドラが持っている超人間的な能力と、脱人間的な価値観について膝を突き合わせて話し合っていれば、ここまでにはならなかった気もします。
そうする前にミリオネ屋が接触してきて、パイパイが安全宣言出しちゃったけどさ。
ミリオネ屋は今回も見事な悪魔のフィルターっぷりで、このお話がメディアに持ってるポップな悪意は相当なもんだなと思ったりもした。


古き良き孤独なヒーローとして、耳に痛くても正しいことを言うのが仕事なガッチャマン
当然『空様』の虚しいエコーが支配する世界にとっては邪魔な存在で、それは具体的な排斥にまで直結しています。
すぐさま『デビルマン』終盤のデビルマン狩りみたいな状態にはならず、むしろゲバ棒持ちだした過激派が『空気読めない』と喰われていく辺りが、このアニメの独特なリアリティだなと思います。

変質した社会の波がおっ被さってきたことで、ガッチャマンものんきしているわけには行かなくなりました。
パイパイの保育所からは人が減り、清音はハブられ、ジョーさんはテロルの意思を固める。
理詰夢も東大でしたし、あの世界の最高学府には『恐怖政治と社会的自浄作用』とかの講座があるのかしら。

過激な手段に出たジョーさんですが、ゲルサドラはカッツェと同じくただ戦って勝てる相手でもなく、当然のように負けます。
個人的な暴力を駆使しても状況は改善しないと見せるためには、ジョーさんの敗北と清音の犠牲が必要だったんでしょう。
アクションシーンはギミックを活かしていて、超カッコよかったのに……『強い=正しい』というバトル・ヒロイズムから、距離のある作品ではあんだけどさ。


これまで8話に渡って女とチャラチャラしていた清音ですが、基地での心情告白、そこからジョーさんを庇う流れがあまりに切れ味良すぎて、今までの悪印象が見事に反転してました。
やっぱ体を張るヤツのことは嫌いになれないし、自分の欲望を素直に認め、悪化する状況の真実をちゃんと認める姿勢は、好感度高い。
空気を読む快楽、空気に包まれる快楽を全否定しない見せ方は、累と同じく清音が真面目一辺倒な男だったからこそ、納得力の高い展開だと思います。

女とカラオケ行ってBBQ食べて、手のひら返されてハブられて。
それでもそれは楽しかったし、それでもその気持ちよさに流されるのは楽しくないと断言し行動できる清音は、やっぱヒーローだなぁと強く感じました。
早く体を直して、事態収束のために走り回ってるはじめを助けてやって欲しいものです。


清音と同じように空気の気持ちよさに流された累には、総帥Xと理詰夢が対峙しました。
ツバサが立ち直る地固めも、累が変化する切っ掛けもはじめが作っている辺り、やっぱりあの子は特別ね。
塁が生み出した機械たるに『アーカイブを掘るのではなく考えろ』と頼むことで、累が理想としていた創発性を誕生させてるのは、凄く面白い。
意思と創造性を手に入れた総帥Xは人類ともガッチャマンともゲルサドラとも異なる知性であり、とんでもないジョーカーになる可能性を秘めていると思います。
累と理詰夢を引き合わせたのが鬼札の仕事なのかもしれませんが、SF好きとしてはもう一枚の活用を期待してしまうなぁ。

理詰夢は憎みつつも憧れた累の現状を見て、余裕の脱獄を果たしていました。
テロやってる頃から『お前るいるい好きすぎだろ』とは思っていましたが、クラウズ廃案を達成し自分を見限っていた男に火が付いたのが、ゲル顔Wピースを直視させられてってのは面白い。
日本という国が腐るのはどうでも良いけど、爾乃美家累という男一人が腐敗するのは座視していられないってのは、やっぱコイツるいるい好きすぎだろ。
その後結局テロリズムに走るしかない辺りも、徹頭徹尾累のシャドウなんだなぁと思いました。
正反対だからこそ、強く惹かれるのか。


そして、すべての状況を是正するべく、ガッツリエンジンが掛ったはじめちゃん。
『喰う様』日本の問題点をガッチャマンと共有し、困惑するツバサに道を示し、総帥Xを助けて累浮上の筋道を立て、理詰夢のテロルに立ち下がるという大立ち回りでした。
状況がここまで悪化したのが物語的必然であるのなら、それをひっくり返すために必要な物語的手続きははじめがガンガン処理していて、ほんと賢いキャラだなと思います。
作中人物でほぼ唯一、敗着打たないからねはじめちゃん。

彼女はおよそ『主人公』として共感を集めるには賢すぎ、正しすぎる存在なのかもしれません。
しかしツバサと話した後、雨の中「ヒーローってなんすかね?」と問いかける彼女には、賢すぎる故の自己嫌悪と寂しさがあったように、僕には思えました。
内田真礼声のデウス・エキス・マキナとも取られがちなはじめですけど、やっぱり彼女には人間らしい(そしてヒーローらしい)悲しみがちゃんとあって、目立たない形だけどしっかり表現されている。
普通人より賢いけれど、普通人のように魂の血を流して、その傷を塞ぎながら立ち上がる子として描かれている。
そういう創作者の愛情が映像の中に塗り込められているからこそ、僕ははじめちゃんがとても好きです。

まるで舞台の表と裏のように、ゲルサドラの平和が隠していた醜い臓物が吹き出、それに相対することでキャラクターたちも動き始めるお話でした。
『空気』という捉えようもなく、殴っても消えてしまわない曖昧なものを相手に、ガッチャマンはどう闘うのか。
理詰夢のテロルに対しはじめはどのような答えを提出し、闘いの中で何が見いだされるのか。
『王様は裸だ!』と肥満したゲルサドラを指弾した梅田の娘さんは、危機を乗り越えられるのか。
失うことで気付いたゲルサドラの人間性は、どのような悪夢を持ってくるのか。
来週がとても楽しみですね。