イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd season:第21話『Crown for each』感想

本田未央衝撃のソロ宣言で引いた前回から引き続き、New Generationsそれぞれの王冠と、揺れるCPの姿をとらえたデレアニ21番目。
一足先に可能性を見つけてしまった凛、NGに近すぎる自分を自覚してあえて距離をとった未央、そして空疎さを未だ気づかれない卯月。
第8話、第12話の演出、シーンセット、状況に強く自己言及しつつ、一期とは異なるアイドルの姿を捉えたお話となりました。

今回のお話の軸はおもに2つあって、一つはおんなじのように見えて実はバラバラだったNGの内実確認。
そしてもう一つは、NGとLLにヒビが入ったことで動揺する、CPの姿でした。
二期に特徴的な『外部アイドルとの関わりあい』からあえて距離を取り、美城常務が起こした波紋がCPとNGにどういう影響を及ぼしたのかを見せる、リトマス試験紙みたいな話だったかな。


最初にCP全体の話をすると、無印アイマスアニメ第23話にも似た、アイドルとして花が開いてきたからこそお互いの時間が取れない不自由さが、メンバーを動揺させる展開でした。
あの時の春香さんのように、逃げていく団結を掴みとろうと必死にもがく役が前川なのは、まぁ当然といいますか。
いつも元気な本田未央も、最年長リーダー新田も頼りにならない状況下で突破口を開いたのが蘭子なのは、状況の変化を感じさせます。

神埼蘭子は奇っ怪な熊本弁を鎧にすることで、なんとか外界と交流する『持っていない』アイドルです。
コミュニケーションに弱点を抱えていることが負い目となり、第12話では全体曲を巧く踊ることが出来ません。

合宿ではその穴をフォローする形で新田さんがリーダーとして目覚め、状況を改善していきました。

しかし今回、蘭子は苦手なはずの言葉を的確に使って、『自分たちだって過去に新しい何かに飛び込んできたし、それは胸が踊るような素晴らしい体験だった』ということを思い出させます。
常務がもたらした変化にはネガティブな価値しか見いだせないCPですが、これまで描写されたCP内部の共通体験は受け入れれられるわけで、蘭子が自分の体験を語ることでみんなに『思い出させ』ていたのは、有効かつ重要な手筋だった気がします。

今回のお話はNGとCP両方が今何処にいて、何がしたいのかを巧く把握できていない状態から始まり、何らかの『言葉』を見つけて共有するまでの物語です。
蘭子が『冒険』という『言葉』を与えることで、CPは混乱した状況を整理し、現状をポジティブに向かい入れることが出来る。
第8話ではプロデューサーに辞書を作ってもらって、自分の言語に歩み寄ってもらっていた蘭子が混乱するCPに『言葉』を与える今回の流れは、『負け役』の変化と成長を際立たせる展開でした。


蘭子の『言葉』を受け取って、モヤモヤを抱え込まず具体的な行動に移していく提案をしたのは、同じように第12話でダンスを巧く踊れなかった『負け役』の智恵理です。
苦手なはずの『言葉』を使って状況を変化させた蘭子と同じように、引っ込み思案な智恵理も声を震わせつつ自分の気持を伝え、状況を変化させる所まで来ている。
今回のCP周りの描写は、メンバーの増減や常務からの圧力という外的な変化だけではなく、時間と経験がCPメンバーの『らしさ』を大きく変えつつあるという内的な変化にも充填した演出でした。

とは言うものの人格的強者は変わらず強いわけで、『負け役』決死の提案を拾い上げて話をまとめるのは、杏ちゃんときらりだったりする。
この二人の安定感というか、どっしり座って〆るところ〆る感じは流石です。
子供チームが不安そうにすると即膝を折りたたみ、『みんなの問題なんだから、みんなで解決しよう!』という言葉を即ハグという態度で表すきらりのホスピタリティは、流石といったところ。
要点をパパっとまとめて行動まで引っ張る杏ちゃんの天才性も冴えていて、変わった部分と変わらない部分の対比が鋭い回だと思いました。

こうして足並みを揃え、ようやく新田さんの顔を直接見に行くわけですが、当事者であるLLのお話は前回既に上向きになっているわけで、一時の離別をポジティブに捉えて頑張っていました。
あそこまで体をいじめ抜く姿には一種の内罰性というか、アーニャが離れていくことを大人らしく笑顔で受け入れつつも、離れていく不甲斐なさを痛みに変換して穴埋めしている被虐趣味を感じなくもないですが、それは捻くれた読みというものでしょう。
智恵理が思いつき杏ちゃんがまとめたように、LLの分断はみんなで直接会いに行けば解決する問題だったわけです。

 

一方NGの問題は、ちょっと複雑です。
TPとの新しい可能性に心躍らせた凛と同じ場所に立つために、未央は演劇という未知の領域に飛び込み、茜や藍子といった新しい仲間と一緒に『何か』を掴んで帰ってきます。
凛が一足先に登った階段を、一歩遅れて未央が登り切り、同じ目線に立つことで一時の離別を受け入れる。
尺はより沢山使っていますが、前回アナスタシアと新田さんが辿った軌跡によく似た、真っ直ぐな遠回りです。

しかし、NGは二人ユニットではない。
島村卯月は凛のように新しい可能性に胸を躍らせることも、未央のように仲間と同じ景色を見るため冒険してみることもしません。
『TPでやってみたい』という凛の決意には先回りして「いいと思います!」と受け止め、一人になった後はプロデューサーの言うとおり小日向さんとのユニットを結成する。
一人置いてけぼりにされた状況も、二人のように『何か』があるわけでもない空疎さを自覚して自分の武器を問いかけて、魔法の言葉である『笑顔』を受け取って満足する。
勝手に前に進んでしまった二人との距離は全く縮んでいないのに、持ち前の優しさと笑顔ですべてを受け入れてしまった結果、時計の針はいつもと同じようにカチリと進みました。
その歪さこそ、今回製作者が最も強調したかったものなのでしょう。


卯月の歪さは未央の歩みが輝くほど暗く浮かび上がるので、今回の未央はとても頼もしく、強い存在として描かれています。
前回省略された泣きダッシュの後のシーン、噴水での語らいは聞き役のプロデューサーの成長もあって、非常にポジティブで前向きなものです。
本田さん自身は「やっぱ何も出来ない、勢いばっかで、だからしぶりんは……」と言いかけていましたが、何も聞かず何も言わずで飛び出した第6話と比べて、状況は大きく変わっている。
自分がNGを通じて感じた気持ち、大切に思っているものはちゃんと言葉にできているし、プロデューサーがNGを信じて黙っていた気持ちを慮る余裕もある。
20話分の経験は本田未央の中にちゃんと蓄積し、変化を引き起こしています。

積み上げた道が歪んでいなければ真っ当なゴールにはたどり着けるわけで、噴水前での会話は前向きに進み、最終的に未央は顔を上げ上を向きます。
このタイミングで既に、先週のアーニャと同じメンタリティにはなっている。

なので後は、演劇という新体験に飛び込み、凛が感じていたトキメキを追体験するだけというところまで、状況は整っています。
凛と卯月が一緒にいるシーンでは画面が暗いのに対し、本田さんのシーンは照明が明るめなのもむべなるかな、といったところです。

TPとの出会いと可能性に心が動いた結果、新ユニット結成という冒険に飛び込んでいく凛ちゃんは『衝動優先主義』なのに対し、まず演劇という未知の領域に自分を追い込んでから、凛ちゃんが経験したはずのトキメキを追体験しようとする未央の『形式優先主義』は、目端の利く優等生らしい動き方だったと思います。
他にも第7話ラストではなく第13話ラストの成功体験がスタートラインなのは、第6話で「全然人少ないじゃん!」とショックを受けた未央らしいなとか、『じゃなきゃ』『いけない』という義務の論法で話を進めるわりに自己評価が低いところとか、今回は本田未央の細かいところが見えてくる回だった気がします。
『いつも元気な本田未央』が完全に仮面だとは言わないけど、前川のネコミミくらいに外付けだよね、本田さん。


未央にとっては『冒険ならなんでもいい』くらいの選択だった演劇ですが、ガッチンガッチンの初稽古からはじまって、どんどん戯曲の魔力に取り憑かれていく様子が今回描かれていました。
本田さんにとって演技という行為、演劇的に歪められた『言葉』がどれだけトキメく出会いだったかというのは、自分の気持を伝えるためにわざわざ即興劇という形体をチョイスしたことからも見て取れます。
蘭子が歪んだ自分の『言葉』を真っ直ぐな他者との『言葉』に変化させることで状況を改善させたのに対し、本田さんは正直な自分の気持ちを、演劇という特殊な『言葉』に乗せることで伝えていきます。
蘭子が過去の冒険を思い出させたのに対し、本田さんは未来への期待を(少なくとも凛には)理解してもらったことと合わせて、2グループの反応は対比的です。

自分とは違う誰かを、今とは違う時間の中で、こことは違う場所で演じていく経験は、しかし奇妙に今ここにいる私そのものを浮き彫りにする。
演劇(に代表されるフィクション)に本気で取り組み、それが持っている不思議な力に気づいたからこそ、未央は凛の追求に対し「はぐらかしてないよ」と真顔で言えたのでしょう。
フィクションの内部でフィクションの力に言及するこの流れは、個人的な好みにビシっとくる良い展開でした。
遊戯性を通じて気持ちの離れた相手を引き込む手腕は、第12話で新田さんが未央と凛を釣り上げた手際を、少しは意識してるのかな。

台本を持ってからの演出はコスモスが過剰に咲き乱れ、夕日がリアルとフィクションの境界をぼやかす、不思議な舞台でした。
こういう風景の幻想性はデレアニの中で時々顔を出して、ズバッと突き刺さります。
高雄監督の印象主義演出、その真骨頂といったところでしょうか。


TPとちょっと音合せしただけで心が弾みだす感性を持った凛ちゃんにとっては、コスモスの舞台は未央が手に入れたものを共有できる、最高のステージでした。
最初はいぶかしんでいるのに、あっという間に未央の気持ちを感応して台本から目を離す辺り、クールな外面には似合わず感受性の強い子だと思います。
だから演劇との出会いで未央が手に入れたもの、"秘密の花園"に仮託せざるを得なかった偽らざる『言葉』はあますところなく伝わって、階段も登り切ることが出来る。
んじゃあ、あれだけ幻想的なステージでも台本から一度も目を切らず、凛と未央が目と目で通じ合う世界から噴水で残酷に隔離された島村さんはどうなの、という話になります。
つまり、凛に届いた未央の『言葉』は、ほんとうの意味では卯月には届いていないのではないか、という話に。

何度も描写されてきたことだし、何度も指摘してきたことなのですが、島村卯月は空疎です。
彼女にとってアイドルになるということはCDデビューして、ラジオに出て、TVに出演することです。
凛ちゃんのように知らない何かに飛び込んで、心が踊る体験を積み重ねていくことではない。
本田さんのように形式重視ではじめてみて、傷を背負いながら大事な中身に気付き直し、行ったり来たりしながら実感していくものでもない。
アイドルになるためにアイドルになって、アイドルになった後はアイドルで在り続けるしかない島村卯月にとって、NGという場所以外は考えつかない。
だから、『小日向美穂とのCuteユニット』というプロデューサーの素敵な提案には、一も二もなく乗るわけです。


このアニメの主人公(と言っても、もう良いでしょう)たるNGは、表面的なキャラクターの裏側のその更に奥、ネガティブで危うい人格の根っこまで描かれています。
未央ならリーダーぶった態度の奥の脆さ、成功体験を過剰に追い求める強欲、低い自己評価と秘めたネガティブさ。
凛なら冷めた態度の奥にある新しいトキメキへの渇望、それを叶えてくれると希望したプロデューサへの身勝手な失望、場を乱してでも可能性に飛び込む勝手さ。

そして島村さんは、笑顔の奥に隠した空疎さと、それを直視しないための防衛行動。
物語がはじまる以前の段階で、候補生たちがみな諦めていく中『頑張り』続け、それでも選ばれなかった島村卯月は、自分がなにもないことを思い知らされているはずです。
それでも自分に『頑張ります』と魔法(もしくは呪い)をかけ、集団の輪を乱さないよう気を使いながら、アイドルになった実感もなくCDを出しラジオに出TVに出た。
それでも、全てを捨てて飛び込みたくなるような心のトキメキを未だ感じない自分に気づかれないように、凛ちゃんの決断を優しさで機転を制した。
言われてしまえば、そのトキメキを未央のように受け止めなければいけないから、先回りして自分を守った。
階段でのやりとりは、僕にはそう見えたのです。
今回キラキラと輝いた本田未央が残酷に照射したのは、これまで仄めかされてきた島村卯月の影であり、それがあまりにもよく出来過ぎていて生中には破綻しないという真実をこそ、今回のお話は見せたかったんじゃないでしょうか。

今回のようにネガティブな面(もしくはその予感)が強調されると忘れてしまいがちなのですが、島村さんの笑顔と優しさは色んなものを助けてきました。
衝動主義の凛ちゃんがアイドルに飛び込んだのも、島村さんの笑顔にキュンと来たからですし、NGとCPが空中分解しそうになった時にプロデューサーに力を与えたのも、島村さんです。
借り物な上にそれしか持っていなくて、ひどく危うい『笑顔』と『頑張り』だけど、それはもう歴史の教科書に乗るくらい立派なことを十分成し遂げている。
島村さんの笑顔が危機を乗り越えさせたからこそ、その奥にある空疎さに踏み込む順番がやって来たのであって、虚ろな彼女がやって来たことや、何かが生まれているのであればそれはもう空疎ではないという事実は、忘れたくないところです。
空っぽな彼女の感性が揺れ、動き、トキメキに出会って階段を登る日は絶対にくるし、こなければならないと、僕は思っています。

今回蘭子が冒険の価値を『思い出させ』たことを考えると、島村さんの美点もまた、いつか必ず『思い出』されるんでしょうね。


メインアクターは上記のようなお話しを辿ったわけですが、それを脇から支えるプロデューサーは、見守る立場で堪えていました。
二人三脚で前に進んだり、転んだりしてきた一期に比べると、アイドルの足腰が強くなった二期は、こういう立場が多い気もします。
無論ただ見守るのではなく、自分の気持をしっかりと『言葉』にして伝え、CP全体がより良い方向に進めるよう努力する姿は、本田さんと同じような成長を感じさせる。
そういう状況でなお、プロデューサーが方向性を提案しなきゃならないことが、島村さんの異質さを物語っているわけですが。

美嘉は第17話で見せた弱い部分を綺麗に引っ込め、頼りになる先輩としてプロデューサーをさせたり、本田さんの隣りに座ったり、CPメンバーを抑えたりの大車輪。
ここら辺は、部外者だからこそ出来る動きだと思います。
ある意味、物語の初期配置に近い立ち位置に戻ったというか、便利屋の面目躍如というか。
いろんなエピソードを積み上げてきたので、こうして色んな仕事をこなしてもキャラがぶれているという印象よりも、いろんな側面がある人格なのだなという気持ちのほうが強いのは、良いドラマになっている証明な気がしますね。

今回常務とクローネの出番はほぼなかったですが、相変わらず窓ガラスや鏡に反射されて画面に写ったり、会議はしかめっ面だったり、無言の絵面で状況説明をしていました。
PVやEDの楽屋映像ではお互いの視線が一切絡まない(おまけに照明も冷たくて暗い)PKですが、NO MAKEやマジックアワーを聞くだに、CPと同じくらいちゃんと交流してんのよね。
今回の冷たい印象が『常務=敵』という、これまでの二期を貫通するイメージに沿ったものなのか、はたまた別の意味合いがあるかは、秋ライブで分かってくるでしょう。


試金石となる秋ライブに向けて、冒険を受け入れる素地をしっかり作る回でした。
同時にCP最大の核地雷である卯月の空疎さが、どれだけ根深くどれだけ危険かを、しっかり見せる回でもある。
全ての情報を手に入れ統合しうる視聴者=神の目線だとその危うさに気づけるけど、バラバラの体験しか持たない当事者は絶対状況に気づけないという意味では、島村さん周りはサスペンス的な描写ですよね。
そこら辺の視聴者とキャラクターの情報格差がすんなりと飲み込め、『なんでこんなことに気づかないの? バカなの?』と思わないように描写を汲み上げているのは、情緒的であると同時に非常に計算高くもある、このアニメらしいところだと思います。

手に入れたもの、今まで持っていたもの、まだすくいきれないもの。
沢山の手がかりを抱えて、ついに来週は秋ライブ。
対比と相似の奇妙なダンスを踊るCPとPKがはじめて並び立つ舞台でもあるので、新しい化学反応がかならずあるでしょう。
楽しみです。