イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

のんのんびより りぴーと:第十一話『甘えんぼうになった』感想

年は巡って改まる田舎の暮らし、のんのんびより二期第十一話はお正月の話。
こまちゃんとれんちょん&ひかねぇ、ほたるんをそれぞれ主役にした3つのエピソードを繋げたもので、ギャグ成分多め。
のんのんのセカンドシーズンは、三幕構成多いねぇ。

小動物っぷりが強調されてるこまちゃんですが、今回もよく負けてました。
電波にもわさびにも自分のジャンプにも負けるという、きんモザの綾くらいの弱さだった。
年上のこのみはさておき、年下のほたるからも子供扱いであやされてるのってどうなんだ、中学二年生。
……まさか三幕目でほたるんの子供っぽさを出すので、ここで面倒見のいいところを演出しておこうという狙いから、こまちゃんが駄々っ子になっていたわけでは……。

のんのんの笑い全体的にそうなんですが、今回もウケるまでの無言の間が良く機能していました。
駄菓子屋がメールを受け取ってから数秒間の静止で、トンチキなおかしみが膨らんで意味を成す。
視聴者が笑いを膨らませるまでの沈黙の使い方は、実は感動的なシーンのタメと同じ作り方になっていて、共通の文法だと思います。
作品の印象を制作側でずっと持ちっぱなしにするのではなく、一回視聴者を信頼して預ける感じというか。
その姿勢が独特の時間感覚に繋がっていて、かつ有効に機能しているのは凄いなぁと思います。
間合いが独特ってことは、滑ってもおかしくないってことなんで。


そこら辺引き継いでの二幕目は、セットを宮内家居間に据えた姉妹漫才。
狭い空間、少ない人数でもって掛け合い軸に回していくコントも、二期に特徴的な表現だと思う。
舞台になってるコタツは前回駄菓子屋がウトウトしていた場所。
同じ場所を同じ構図で切り取ることで、コメディと感動が共存している作品全体の魅力が無言で際立っていて、面白いなと思います。

コメディエンヌとしてれんちょんを見た時、やっぱり年齢にそぐわぬ天才性と独特の感性は美味しいネタでして、今回もそれで押し切るお話。
突然北斗百烈拳を撃っても、猿が羊になっちゃっても納得できる強さが、れんげにはある気がする。
そすんさーする時の無意味な勢いとか、非常に素晴らしい。

ひかねぇは一期ではゲストキャラ扱いだったけど、二期ではちょくちょく顔を出し存在感がある。
福圓さんの怪演もあって、既存キャラのだれとも違う意地悪な可愛げがあって、好きなキャラだ。
実は宮内姉妹が対面で掛け合うのも珍しいのだが、なんだかんだトンチキな妹のことを気に入っていて、良くイジり仲良く遊んでいる様子が見れて良かった。
声高に愛を叫ぶわけじゃないんだが、みんながみんなを好きな様子が伝わってくるのは、のんのんの良い所だね。


三幕目は蛍の話で、しっかりものの彼女がお母さんに甘えるだけのダダ甘な流れ。
二期のほたるんは露骨に描き方の変わったキャラで、こまキチサイコレズ成分は最小限に抑えられ、よく出来た小学五年生の部分が強調されている。
一期の頃は鶏小屋に閉じ込められた時とか、非常時以外には出てこなかった身の丈がグイと前に出ている印象だ。

今回れんげと手をつなぎ道を帰っている姿を二期二話と比べると、一年の時間が過ぎて、頑なだった蛍が田舎とのつきあい方を覚えた様子が見て取れる。
旭丘分校で唯一年下(こまちゃんは実質年下みたいなもんだが、あくまで実質)のれんげに、蛍は相当気を配っていて、手を繋ぐシーンも多い。
こういうお姉さんっぽい所も、家での甘えた姿も、両方蛍なんだというのが今回の軸なんだろう。

無論、ねこまり鉛筆立ての狂気も引っ括めてな!!
暖かな家庭の団欒からの自室のクレイジーさの落差は、グッピーなら死んでるくらいのショックだった。
クレイジーサイコレズ成分を消し去るのではなく、要所要所の毒として使ってくる二期の見せ方は、結構好き。


稲刈りも終わった田舎の風景を映しつつ、各家庭の正月をじわっと見せる回でした。
移り変わる季節と人々の繋がり、品のいい笑いと優しさ。
のんのんの良いところ出た回だったなぁ、今回も。
……来週最終回!?