イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第22話『The best place to see the stars』感想


第20話から始まった秋フェス編もついに本番、変化とハプニングのステージは無事に大成功。
かつて自分たちがそうされたように、先輩としてPKの窮地を救ったCPを見て、美城常務の頑なな心もほぐれ、ついにアイドルと同じ地平に降りてきました。
『敵』が膝を曲げる形で、二期の話の流れに一つの終わりがやって来る展開でした。

それと同時に、ずっと埋められていた島村卯月の爆弾がついに爆発し、時計が十二時を指して魔法が解ける回でもあった。
巧く踊れなかった女の子、苦しみを貯めこむ女の子、頑張る女の子。
卯月のつまづきを解消するのは、来週以降のお話です。

 

過去の再演・再話をすることで話の奥行きを出すのは、このアニメのシリーズ的な特徴ですが、今回の話しで引用されているのは主に第3話と第13話。
城ヶ崎美嘉のバックダンサーを務めた時は、頼れる先輩たちに押し上げてもらってなんとかステージに立った新人たちが、今回はどっしりと構えた貫禄を披露し、大舞台に戸惑うKPに道を示す回になります。
野外フェスだった夏が野戦なら、地下通路が強調される今回は塹壕戦。
頭を低くして緊張の弾丸をやり過ごす後輩に声を掛け、撃たれて伏した鷺沢さんが復活するまで時間を稼ぎ、もはやアイドル候補生でも、なりたてアイドルでもないシンデレラたちが強調されていました。
総じて、CPとしてまとまるまでの一期、まとまりを崩して冒険した二期を総括するような描写が目立った印象です。

初のソロ曲であり新曲でもある"Nebula Sky"を披露し、会場を青と紫に染め上げたアナスタシア。
それを舞台袖で見守る新田さんの姿は、第13話でアクセル踏みすぎてコースアウトしたことへの、一種の意趣返しでしょう。
あの時は医務室の壁越しに無念さを噛み殺して聞いていたわけですが、今回は自分も相方も万全。
CPとPKに別れたことで少し離れたところから相方の魅力を確認し、新田さんの"ヴィーナスシンドローム"も絶好調です。
ていうか、舞台袖で見つめる新田さんの瞳に宿る恋人オーラ、尋常じゃねぇ。

別れても順調なLOVE LAIKA以外にも、CPメンバーに傷はありません。
新しく加わったメンバーも含めて、ユニットごとに円陣を組み、自分たちを奮い立たせる『言葉』をそれぞれ見つけて走りだす姿には、安定感があります。
緊張に縛り付けられていた第3話とも、襲い掛かってくる慮外の出来事に手一杯だった第13話とも違う、緊張やアクシデントすら楽しめる余裕を持ったステージ。
それは、夏フェスまでの道のりを使って描かれたCPの一体感だけではなく、常務の横車によって揺らぎ、変化し(もしくは変化せず)、新しい冒険を受け入れた二期の物語が、CPにもたらした成果でしょう。
秋フェス終了後の地下本陣で見せたくつろいだ姿も引っ括めて、CPがアイドルとして到達した高みを見せる回だったといえます。
だからこそ、あのシーンで卯月が孤立している演出は刺さるし、物語的な意味が強いのですが。


もう一つ決算されているのは、常務と彼女のアイドル、プロジェクトクローネとの関係性です。
『物分りの良い悪役』『悪すぎず強すぎずな存在』として、第14話から物語を撹拌し、一期とは違った物語を用意してきた常務。
『美城という名前に相応しい綺羅びやかさ』という、常務の理想を体現するアイドル、プロジェクトクローネ。
このお話がアイドルのお話である以上、常務の掲げる理屈の実態は、観客を入れた舞台でアイドルたちがパフォーマンスすることでしか見えません。
云わば彼女たちの初陣がこの秋フェスだったわけですが、勝ち負けで言えば『負け』で初戦は決着が付きました。

第21話EDで見せた絡まない視線そのままに、緊張に飲み込まれてお互いを支え合えず、倒れ伏すアイドル。
高貴さを重視するあまり現場の変化に対応できず、混乱を収集できない司令官
KPが今回見せたのは、順調にストレスを乗りこなしていくCPとは対照的な姿でした。
CP解体という『いやなこと』を掲げて登場し、主役たちを地下に追いやった常務とその仲間たちが成功とはいえないパフォーマンスを見せている以上、それは『負け』でしょう。

しかしCPとPKが敵対関係になく、実は常務とプロデューサーもまた対立ではなく協調と尊重を選びうるというサインは、今回もたくさん出されていたし、二期が始まった段階から提示されてもいました。
緊張に耐えかねて潰れかける鷺沢さん、ユニットの相棒を巧く支えられない橘、混乱を収集できないKPメンバー、的確な指示を出せない指導者。
その姿は第3話で、第6話で、第12話で、第13話で僕達が見てきたCPの姿そのものであり、同じ経験を乗り越えてきた先輩に手を差し伸べられ、そういう危機と混乱を乗り越える勇姿もまた、過去のCPの物語に存在しています。
二期で『仲間』になった夏樹やウサミン、楓さんが『いつかそうなりたいと思う自分』であるのと全く同じように、今回のKPは『かつてそうであった自分』なのであり、CPのメンバーは強い共感を持ってPKメンバーに声を掛け、緊張をほぐしていく。
かつて気持ちを沈み込ませたり、舞台が失敗しかかったり、プロジェクトが解体寸前まで行ったり、いろんな『負け』を乗り越えてここまで来たCPと同じように『負け』、仲間の支えで『負け』続けないでいられるPKのアイドルたち。
その姿は、『アイドルは勝ち負けではない』『必要なのは対立ではない』という、二期で強調されてきたメッセージの再話と言えるでしょう。


特にトライアドプリムスを巡る描写はKPとCPの間にある溝を埋めるもので、"Trancing Pulse"の鮮烈な印象もあって、融和ムードを強調していました。
渋谷凛を中心にしてCPとPKのちょうど中間点に立つTPは、かなり早い段階からCPと交流し、凛以外のメンバーとも面識を深めていました。
舞台裏での円陣にも参加し、既にCPの『仲間』という印象が強い彼女たちは、今回CPとKPの『架け橋』になる存在です。

奈緒も加蓮も今回が初舞台で、緊張度合いは他のPKメンバーと変わるところはありません。
違うのは、メンバーに渋谷凛がいるということ。
アイドルを目指す女の子の笑顔に胸を刺されて走りだしたり、信じた大人が不甲斐ないのでプロジェクトを飛び出してみたり、合宿がギクシャクして上手く行かなかったり、ライブで予期せぬアクシデントがいっぱいあったり。
夢中になれるものが一つもなかった女の子は、半年間のアイドル生活からたくさんの物を学んで、戸惑う後輩を導き、為すべきことへ立ち向かわせる強さを手に入れています。
凛の毅然とした姿に後押しされるように、『出来る?』という問いに奈緒も加蓮も『出来る』と(ちょっと弱々しく)応える。
神谷奈緒北条加蓮が鷺沢文香にならないのは、CPで経験を積み成長してきた渋谷凛がいるからです。
見知らぬ『敵』ではなく、22話見守ってきた『仲間』がPKにいるということは巧く共感を導き、敵味方の境界線を狙い通りあやふやにしていきます。

地下通路から舞台に飛び出す前の緊張を、掛け声の話題でほぐしにかかる本田さんの姿も、新人二人にとってはありがたいものです。
第3話でガッチガッチだった本田を崩してくれた小日向さんの助言を、立場を変えて再話するシーンだといえます。
自分たちを的確に表現し前に進ませる『言葉』を手に入れるというモチーフは、第3話の『フライドチキン』にしても第20話の秘密の花園にしても、今回の円陣にしても、このアニメでは重視される要素だと思います。

こうして気遣いや仲間意識は受け継がれ、今回新人だったアイドルたちもまた、緊張する仲間の背中を支える日が来るのだと、この繰り返しは言っています。
優しい励ましと助力があれば、アイドル(≒人間)は困難を乗り越えられるし、その体験が今度は誰かを支える立場に変える。
そうやって時間は前向きに進んでいく。
それはアイドルという夢の具現を主人公に据えたこのアニメらしい、とてもっポジティブな時間の捉え方だと思います。

世界を真っ青に染め上げる"Trancing Pulse"は出だしのハーモニーの異質性がよく効いて、常務の言う『別格の物語性』を持った舞台でした。
個人的な考えなんですが、凛はCPにいたままでこのステージを捕まえられたか、少し疑問です。
アイドルになるなんて思っていなかった凛ちゃんは、自分がなにをしたいのかという強いイメージを持っていませんでした。
NGという仲間、第6話の危機を共有したからこそ全てを分かり合える、安心できる場所にい続けても、受け身体質な凛ちゃんが"Trancing Pulse"にたどり着いたかは、怪しいところでしょう。
常務の持つ強権的とも言える強烈なイメージと、親しみやすいCPとNGにはない鮮烈さがあってこそ、『敵』の懐に飛び込んだからこそ、『新しい冒険』に飛び込んだからこそ、渋谷凛はTPと"Trancing Pulse"にたどり着いた。
激動の夏フェスを経ても『楽しかった……と思う』としか言えなかった渋谷凛がようやく見つけた『やりたいこと』は、まさにあの舞台にあったのではないか。
僕はそう思いますし、そういう説得力をステージが持っているってのは、アイドルのアニメとして強くて良いことだとも思います。

夢なき主人公だった凛ちゃんが真っ直ぐ前だけを向いて走るレールは、結果としてプロデューサーではなく常務が敷きました。
ある意味到達点とも言える"Trancing Pulse"に飛び出していく直前、しかしプロデューサーは一声かける。
『待ってて』という凛ちゃんの願いに対し、『あなたの、プロデューサーですから』と。
『あんたが私のプロデューサー?』という第1話で発せられた言葉(というか渋谷凛という存在そのもの)に対する、短勁で真正面からのアンサーが出てきたことを考えてても、第13話では終わらなかった渋谷凛の物語は、今回一つの区切りにたどり着いた印象を受けました。


CPの成長に渋谷凛の到達と、描くべきものがたくさんある今回。
PKサイドの描写はやや控えめでしたが、ありすの名前呼びを核に使って関係の変化をコンパクトに描いていました。
相方を支えきれなかったありすですが、この失敗を糧にして、LOVE LAIKAやCandy Islandのような強い絆を育んでいくのでしょう……LLの湿度は見習うと危ないけど。
プロジェクト全体のライフヒストリーだけではなく、ユニット単位でのエピソードの蓄積もいれこむことで、『CPと同じように色々あって上手くいくんだろうな』という方向に想像力を誘導できているのは、尺の省略として巧いところです。

第21話EDでの不安が的中する形で巧く戦場を泳ぎきれないKPのアイドル達ですが、TPの舞台でブリッジを架けた後はCPとの交流も深まり、上手く緊張をほぐしていきます。
鷺沢さんがぶっ倒れる前に手を差し伸べてしまうと、問題と緊張が即座に解決してしまうわけで、"Trancing Pulse"のカタルシスを強める意味でも、CPとPKの終戦はあのタイミングがベストなんでしょうね。
まんじゅうみたいな顔してる杏ちゃんが、異常に頼もしい。

正面から優劣を競うのではなく、PKが陥ったピンチをCPが救出することでどっちが格上なのかを見せる決着方法は、アイドルを悪役にすることのないソフトな決着でした。
CPに対する存在として常務が描写されていた以上、その『仲間』であるPKはどっかで正しくないことの証明として『負け』無いといけないわけですが、今回の『負け』方はNGやCP全体が一度は通った道。
それは『勝ち』にも繋がっている道であり、今回頼もしい所を見せたNGのように、成長の果てにいつかは乗り越えられるという意味で、『負け』ではない『負け』です。
そもそもアイドルは勝ち負けではないと明に暗に言い続けてきたアニメなわけで、常務の『正しくなさ』にケリを付けて話に一応のまとまりを生む上で、ベストな着陸方法だったと思います。


というかむしろ、この落とし方をするために常務を敵としては中途半端な描き方をしてきたまである。
この話はアイドルの話であってプロデューサーの話ではないので、常務のやり方を(それが『正しくない』という結論でも)証明するためにはアイドルが出張らないといけません。
この時常務が明確な瑕疵のある『敵』だった場合、それに乗っかったアイドルは『敵』に共感したか騙されたか、どちらにせよ『仲間』と見るには難しい立場に追い込まれます。
常務のアッパーレイヤーな価値観や高圧的な方法論にも一分の理があって、全てを否定しきれないというどっちつかずの(もしくは中庸的な)描き方を続けた結果、今回PKのアイドルたちがCPに支えられ、導かれる展開はすっと入ってくる。
ちひろが言っていたように、『どの部署でも、アイドルたちの活躍は嬉しい』という気持ちがファンにはあるわけで、融和の可能性が一切ない『敵』(正確には『敵』の味方)として描かれていたら、今回の決着はなかなか難しかったと思います。

一応態度としてはツンツンした姿勢を崩さないものの、今回常務はかなりCPプロデューサーの方法論を学習しています。
部長と一緒に高い場所から見下ろしていた前半から、現場で問題が起きCPの協力で乗り越えた中盤を経て、常務はようやくアイドルのいる場所に降りてきました。
アイドルの横で、アイドルの顔を見ながら進んでいくCPのやり方が、けして悪くはないのだと学習したからこそ、秋フェスが終わった後撮影現場にも顔を出す。
混乱した時にPKが常務を探していたり、撮影現場で凛ちゃんと気さくに話していた所を見ると、常務は思いの外アイドルとの交流はしているのかもしれません。

TPがPKとCPの架け橋になっていたように、常務とプロデューサー両方の方法論を評価し、どうにかお互いの良い所を学習できないか気をもんでいるのが、部長になります。
『お前は常務のお父さんか』とツッコミたくなるくらい、今回も状況を詩的な言葉で取りまとめ、常務の頑なな態度を崩すべく努力していました。
その登場時から融和の種がまかれていたとはいえ、対立構造がなければ今回の和解もないわけで、プロデューサー自身が常務に寄り添っていく展開は難しい。
しかし着地点は勝ち負けや敵味方を超えた場所にあるわけで、常務のキツい態度をなだめて、視聴者とCPサイドに翻訳する立場が二期には必要です。
一気に比べ部長が積極的に動き、常務専属PCとして活発化しているのには、そういう事情があったのかな、などと思いました。
いや、プロデューサーのPLが『一期キャンペーンは自分の話し持ちすぎて、アイドルに見せ場渡せなかった。登場回数を抑えめにするんで、常務を拾っているリソースが多分無いです。部長PLさんのシナリオコネ、常務に固定してくれませんかね』とか二期始まるときに言ったのかもしんないけどさ。(TRPG脳)

 

こうして秋フェスはCPの『勝ち』に終わり、中間考査は無事突破、物語の大トリたる冬の舞踏会への道が開けました。
良かった良かった、大団円だ……とならないのがデレアニであり、これまで丁寧に何度も何度も描写してきた島村卯月の空虚が、ようやく爆発しました。
秋フェスが終わってもNGが復活しないという現実に心が切れたのか、頑張りすぎて『頑張ります!』という魔法が効かなくなったのか、ともかく心身のバランスを崩した状況であり、しかもCPメンバーがその深刻さを真の意味では理解していない。
危険な状態のまま、来週へとお話は続きます。

順調に進んでいく秋フェスの中でも卯月の危うさは幾度か描写されていて、例えばTPを見送った後の浮かない表情だとか、それに気づいてハグしてきた未央を抱きしめきれない描写だとか、秋フェスを成功させた後の円陣で一人一歩引いている姿だとか、最後の助走は十分という感じでした。
それが破裂するのが、自分たちのお城たる地下プロジェクトルームでの離人描写になります。
みんなが一歩踏み出し成長する中で、取り残された自分。
それは前回、TPに可能性を感じて迷う凛と、彼女を理解するべく、自分からNGの外側に飛び出した未央との間に産まれた共感から取り残された描写を引き継いでいます。

あのプロジェクトルームで、卯月は何から取り残されたのか。
それはおそらく、アイドルマスターシンデレラガールズ二期、それ自体です。
凛と卯月とプロデューサーが出会うところから始まり、NGというユニット、CPというプロジェクトが一つのチームとしてまとまって行き、ユニットデビューを果たし、夏フェスというクライマックスを迎えるまでの物語から、卯月が出れていないからです。

一期の物語の中で手に入れた喜び、連帯感、仲間意識を二期では様々に拡大し、変化させ、成長させてきました。
楓さんに現状を肯定してもらったり、ウサミンにキャラを貫く大切さを見せてもらったり、意にそぐわない他人の視点を乗りこなす方法を子供二人と美嘉で手に入れたり、杏べったりのユニットだったCIの関係性が少し変化したり、李衣菜がロックの神様ではなく前川みくとの現状維持を選択したり、悩んだ末に一度握った相方の手を離す選択に跳び込んだり。
最終的に変化したりしなかったり色々ありますが、常務が巻き起こした変化の波紋は否応なくCPにも届いて、島村卯月を除くアイドルたちは、一期のままではいられなかった。
結果としてこれまでと同じ形を選ぶにせよ、別の形に変化するにせよ、新しい人と出会い、話し、刺激を受けて変化、成長するというのが、二期のおおまかな流れです。

そんな中で、卯月だけが変わらない。
「新しいことを考えるのが苦手」と第20話で言っていた彼女は、変化の物語の外に意図的に放置されてきました。
それは安定を愛し変化を嫌う彼女の気質もあるだろうし、そんな彼女がいればこそCPの仲間が冒険に飛び込めるという、チーム内の役割的な部分もあるでしょう。
第21話で話を先読みし、相手の望む言葉を自分から切り出して致命打を避けていた姿を見るだに、島村さんは共感能力が図抜けて高い。
波風が立って誰かが傷つくのを避けるためなら、無意識的巧妙さで冒険を避け続ける目の良さが、彼女にはあったのでしょう。

しかし卯月がどれだけ一期のCPを望んでも、時間は残酷かつ身勝手に先に進む。
望むと望まざると常務はCP白紙を宣言し、それに対応するべくメンバーはプロジェクト外のアイドルと交流し、もしくは既存のユニットの関係性を再考し、己を変えていく。
アイドルという夢も叶った、素敵な仲間もいる、毎日笑顔で仲良くやれている。
ずっと今が続けばいいという卯月の願いとは裏腹に、二期は一期で達成した物語に鋤を入れ、CPの成長物語の影になって見えなかった部分をもう一度掘り返すお話として、どんどん進んでいきました。
アナスタシアと凛のCP引き抜きという介入を乗り越えることで、冒険と変化という二期の物語的潮流はCPメンバー全員を飲み込み終わり、第22話がやってきます。
島村卯月だけを置き去りにして。


無論、未央が離れてみて見えたNGへの愛を今回語ったように、一期で手にいれたものがあってこその二期の変化なのは間違いありません。
しかし帰るべき場所があることと、どれだけ望んでも時が進んでしまうこと、それに対応するためには変化が必要であることは別次元の問題であり、だからこそCPは今回わだかまりなくPKを支え、『勝つ』事ができた。
今回事態を平和裏に収めたロジックが、卯月にとっては逆しまに凶器になるのは、皮肉としか言いようがありません。

島村卯月は素敵な笑顔を持っていて、みんなに優しく、愚痴や悪口を言わない天使のような子です。
それを逆に言えば、どんなに追いつめられてもネガティブな気持ちを表に出せず、溜め込み続ける性質を持っているということです。
カフェを占拠した前川や「全然お客さんいないじゃん!」と叫んで逃げ出した未央、裏切られたという思い込みをプロデューサーにぶつけた凛に、城ヶ崎姉妹の喧嘩。
これまでのお話しを思い返すと、貯めこんだストレスを爆発させ周囲を傷つけるアイドルの姿は、結構な数います。
卯月はそういう形で気持ちを吐き出すことは出来ませんし、おんなじように抱え込む子もまた、智恵理を筆頭にたくさんいる。
しかしそんな智恵理も一度失敗してから立ち上がり、切子職人さんの笑顔という報酬を手に入れているわけで、卯月ほどネガティブな気持ちを抱え込み続けるアイドルは、CPにはいない。

いつも笑顔な島村さんがしかし、傷つきも凹みもしない天使ではないということは、彼女の危うさと一緒に沢山描写されてきました。
美嘉のバックダンサーをやる時には強く緊張していたし、未央が抜けたストレスでぶっ倒れてるし、血も流せば涙も流す普通の女の子なのだというサインは、これまでのエピソードの中にみっしり詰まっている。
しかしそれを表に出すことで場が乱れることを恐れる卯月は、笑顔の仮面の下に傷を隠してしまう。
別に狙って演じているわけではなく、もはや人格の一分を成しているという意味で、島村卯月の笑顔は前川みく猫耳よりも、諸星きらりのにょわにょわ語に近いのでしょう。


卯月が笑顔の下に隠しているのは傷と涙だけではなく、劣等感も押し込められていると思います。
第1話の養成所での描写、第12話で知恵りや蘭子と同じく『負け役』を担当していたことから見ても、卯月はパフォーマーとしての才能がある子ではありません。
何度も繰り返し同じ練習を積み重ねることでしか、『頑張る』ことでしか夢に近づけない子なのでしょう。
地下室で置いて行かれたのは変化と冒険にだけではなく、『頑張る』こと、自分に負荷をかけ続けることでなんとか仲間に追いついていく卯月のスタイル、それ自体の破綻でもあるのでしょう。

それでも僕は、第20話において混迷するCPが現状を肯定する切っ掛けを、第12話で『負け役』だった蘭子と智恵理が造ったように、卯月も『負け役』ばっかりじゃないと証明して欲しい。
だって島村さんが生み出してきたもの、達成してきたことは、とっても立派なのだから。
凛ちゃんをアイドルの道に進ませたのも、崩壊しかけた未央と凛が戻ってくるきっかけを作ったのも、プロジェクトルームがいつも朗らかで明るいのも、このアニメが楽しいのも、みんな島村さんがやってきたことだから。
出来ない自分への評価が低いことも、『頑張る』ことしか自分にないと思っていることも、それが崩れてしまって他の方法が思いつかないことも、それでも立ち止まる事が出来ないことも、良く分かります。
それでも。
それでも僕は、島村卯月が世界と自分に『勝つ』瞬間を、どうしても見たい。
そうじゃなきゃ、あんないい子が報われないなんて、哀しいじゃないですか。

そしてそれは多分、作中のアイドルたちも同じ気持だと思います。
ここまで一緒に物語を走ってきた仲間なのだから。
特にようやく『やりたいこと』を見つけて走り始めた凛は、スタートラインまで手を引いてきてくれた卯月に恩返しをするチャンスです。
一期でさんざん迷走したけど、今回パーフェクトコミュニケーションを連発する所まで来たプロデューサーも同じのはず。
今だ笑顔の仮面の下にある卯月の傷と涙、そしてその下にある本当の笑顔を彼と彼女たちが取り戻してくれるのを、僕はとても楽しみにしています。

 


付記としてとっても気持ち悪いことを描いておきます。
自分は物語の構造やその感性というのに強い興味を持っていて、キャラ個人がひどい目にあっていても、お話の完成に寄与するのであれば『まぁしょうがねぇな』となる質です。
島村さんの爆弾は丁寧に、本当に丁寧に描写されてきたのもあって、当然こうなるべき展開です。
溜め込んで溜め込んで、毎回『こんだけ貯めこんでますよ、今回は導火線に火がつきましたよ!』とサインを出していた展開が結実したのだから、喜ばないまでも納得はするべき出来事でしょう。

そう思いながら一回見て、この文章を書きながらもう一度見直して、しかし全然喜べない。
丁寧に作り上げた物語的構造物が、必然のピースを手に入れたのに全然嬉しくない。
『こんなことになるなら、伏線全部ひっくり返しても良いし、成長もしなくていいから島村さんずっと笑顔で良いよマジ!』とか思っている。
それなりの時間になった物語との付き合いの中でも、なかなか珍しい感情の動きでした。
『俺、こんなにしまむー好きだったんだな……』って感じです。

こういう状態になってなお「しまむーが辛そうだからデレアニはクソアニメ! くたばれ製作者!!」とならないのは、個人的な振る舞いの好みもありますが、この爆発に至るまでの旅路と全く同じように、求められる当然の帰結にこのスタッフならたどり着いてくれるという信頼があるからです。
辛いけど身を委ねようと思える創作物は、僕の狭い経験の中だとあんまりない。
ありがたいことだと思います。
ガッツンと下げるまで下げて、そこからしか飛び上がれない高みに島村さんを押し上げてやって欲しいと、強く願っています。