イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第23話『Glass Slippers』感想

島村卯月を巡る冒険、激浪の第23話。
前半は卯月が現在どれだけヤバイのかを作中のキャラクターと視聴者に見せ、後半はヤバさに気付いた凛と未央が卯月とぶつかる構成でした。
話の作りとしては第7話と同じなのですが、プロデューサーも言っていたように、あの時とは状況が違う。
ただ話しあい、自分の気持に整理がついただけでは状況は改善せず、解決のためにはクリスマスステージを待つことになります。


今回のお話は徹底的に卯月のためのエピソードであり、潤沢な尺が島村卯月を描写するために使用されます。
CPから離れ、NGから離れ、養成所という物語の開始前に戻ってやり直そうとする卯月。
「巧く行かなくなったら、巧く行っていた所まで戻ってやり直す」という堅実な歩き方が、優等生の悲哀を感じさせて痛いシーンです。
彼女の孤独な特訓風景は、プロデューサーが扉を開けて島村さんが「ママ〜!!」と言う前の世界そのものです。
これまで語られず想像に任されていたその風景は、ストイックと言うには荒涼としすぎていて、寂しく辛い情景です。

何故このタイミングで物語開始以前の荒野を見せたのかを考えると、今回のお話の目的と関係しているのだと思います。
本田未央が代表して語っていますが、島村卯月は凄く意図的に、何者にも傷つかずずっと笑顔でいてくれる、一種の避難所のような役割を背負ってきました。
最終的に前に進むとはいえ、過酷な試練と重いストレスを少女たちに用意することで成長を促すこのアニメを見ることは、なかなかヘヴィな体験です。
例えば第6話から第7話前半にかけての辛い体験を共有させたあと、事態を好転させたのは島村さんの笑顔でした。
風を引いた島村さんを見舞うあのシーンから露骨に色使いが明るくなり、画面に有機的なアイテムが増え、物語が良い方向に転がりだしたサインが出始める。
他にも様々なシーンで、島村さんは重たい空気、緊張した雰囲気の抜け出し口として、便利に機能してきたわけです。

しかし、このアニメーションの女の子すべてがそうであるように、島村さんだって涙も見せれば血も流す、一個の人間存在です。
笑顔の天使島村卯月がプロデューサーに見いだされる前、物語に参加される前にはこんなに辛い風景があって、そこを乗り越えて頑張っているのだ。
でももう頑張れなくなってしまって、それでも頑張ることしか知らないから、自分を痛めつけるように闇の中で踊り続けているのだ。
伏せていた札を効果的に見せるマジックのように、島村卯月が天使から人間に変わる今回のお話の中で、養成所時代へのタイムスリップは効果的に機能しています。

『何処にも天使はいない』というのはこのアニメのあらゆる瞬間に共通する哲学でして、序盤からプロジェクト全体に目を配り弱い子達の面倒を見ていたきらりにしても、第10話や第12話で折れ曲がる姿を見せている。
第12話でリーダーとして覚醒した新田さんも第13話では空回りの果てにぶっ倒れているし、頼りになる城ヶ崎先輩も第17話で激高しみりあちゃんにすがる姿を見せている。
大人として少女たちの弱さを引き受けるはずのプロデューサーに至っては、一期前半にさんざん情けない姿を晒しているわけです。
このアニメに単純化された完璧な存在はいないし、傷も負の感情もなくただ前向きなだけの女の子など、存在できるはずもない。
今回ようやく表になった島村さんの傷は、そういう文脈の中にある傷でしょう。


卯月はヤバい。
視聴者には第21話(か第13話か、はたまた第1話か。的確にヤバさを埋めつつここまで表にはしてこなかったアニメの演出プランからすると、視聴者個人の感受性によって、『しまむーがヤベェ』と実感するタイミングは異なる気がします)から感じられていた事実に、今回ようやく作中のキャラクターも接近していきます。
この時の対応は、過去の危機と比べてかなり異なる。
渋谷-本田のラインでは何度も相談がかわされていますし、渋谷-島村、本田-島村はこまめに電話で連絡を取り合う。
事態が地獄に地辷りしていくのをただ見ていた第6-7話とは、根本的に異なります。
自発的に情報を集め、対処のための準備を整え、問題解決のための意思を見せるアイドルの成長を見たからこそ、今回プロデューサーはアイドルではなくその上、美城常務に相対する。
その変化はプロデュサーの変化であると同時に、アイドルの変化でもあるわけです。

とは言うものの、アイドルを支える立場にあるプロデュサーが一番最初に危機に気付き、決定的な手を打つのは当然ともいえます。
暗闇の中一人で踊り続ける卯月の姿を、プロデューサーはじっと見つめる。
ライブという具体的なリミットを切らないと、鍛錬という名前の逃避に首まで浸かっている島村さんは帰ってきません。
手早く会場を抑えて強制力を発揮してしまう手際は、第18話で智絵里とかな子に見せた善意ある強要を思い出させます。
一期では『アイドルを運ぶ車輪』を自認していた彼が、かつて失った『魔法使い』としての輝きを取り戻しつつある描写でしょうか。

独断と言っていいくらい積極的に動きつつも、今回のプロデューサーは情報交換を密に、客員の意向を確かめつつ前に進んでいます。
ここらへんの相手の顔色を見ながら進む姿は、凛と未央の描写と共通するところです。
第6-7話の危機の当事者であり、その時はお互いの心情を確認しなかったからこそ事態が悪化していったのを考えると、成長のわかりやすい描写だといえます。

プロダクションに顔を出すアイドルだけではなく、島村さんにもプロデューサーは積極的にコンタクトを図っています。
第7話で自分を救ってくれた甘いモノを用意し、なんとか事態が改善するよう祈るプロデューサーさんですが、二人の間には埋まらない隙間があり、事態を解決する取っ掛かりは見つけられない。
それを掴むのは渋谷凛の独善的な衝動であり、本田未央の優しい仮面だからでしょう。
プロデューサーはアイドルではなく、つまり自分の力で光り輝く星ではない。
今回星にかかる雲を晴らす(ためのステージに、島村さんが上がる道筋を立てる)のは、アイドルの仕事になるわけです。


連絡は密にしている、相手のやりたいことも確認している、お互いを思いやる気持ちもある。
必要なパーツが揃っているはずなのに好転しない状況を変化させるのは、渋谷凛の衝動です。
思い返せば彼女は常に衝動の人で、第1話で島村卯月とプロデューサーに出会って感じたアイドルへのトキメキには迷わず飛び込むし、第7話で不甲斐ない姿を見せたプロデューサーには迷わず幻滅して会社に来なくなる。
『敵』のはずのPKやTPに可能性を感じて、CPやNGがギクシャクするのもお構い無しで新しい世界を開拓していく彼女に用意されたのが、『Trancing Pulse』という曲なののは、むしろ当然と言えるでしょう。

今回はしまむーが好き過ぎる気持ちが暴走し、TPのレッスンにも気が乗らない描写がありました。
走りだした衝動を世間体や常識で抑えこんで、何となくいい感じに丸め込むことが良くも悪くもできない子なのです。
……第1話のつまんなそうな日常描写を見ると、プロデューサーとアイドルに出会うことで、抑えないことを覚えたというのが正確かな?

衝動の赴くままにプロデューサーの元に押しかけ、養成所のアドレスを入手した凛ちゃんは、おんなじように走り回っていた未央と合流します。
つまらなそうに自分をいじめ抜く島村さんは、これより前に未央が直接会おうとすることを拒絶しています。
例えば第21話、PKとしての活動を凛が切り出すよりも早く、先取りして「いいと思います!」と言った時のように。
凛ちゃんはTP、本田は演劇と新しい衝動を見つける中取り残された時、小日向さんとのユニットを提案されてすぐさま受容したように。
島村さんは致命的な事態を先取りして回避する嗅覚に優れていて、NGとの直接対面をことさら避けていたのも、その延長線上にある対応だと言えます。
無意識のうちに卯月が張り巡らせている、優しさのバリアー。
これを突破できる熱量は、やっぱり凛ちゃんの人格的特性である衝動にしかないという展開です。

この後の問答を見ていると判るのですが、凛ちゃんの衝動主義は時にキツい。
怖くて傷付いて泣いている島村さんにも、自分が感じている正しさを抜身で叩きつけてしまう危うさがあります。
涙と動揺を飲み込んで『いつも笑顔の本田未央』を演じ、島村さんを受け止めた本田の人間力がなければ、どうなってたかわかりゃしません。
本田がそこに到達するために一期があり、今回のエピソードで島村さんのために二期があったとわかったわけですが、凛ちゃんはまだ自分の特性、衝動の赴くままに走り回ってしまう性向の危うさを自覚できていません。
本田が自分のええかっこしいでお調子者な部分を、島村さんが己の空虚さを理解するために、豊かなエピソードの組み立てを必要としたことを考えると、凛ちゃんの物語はまだ始まっていない、ということが出来るのかもしれません。
残された時間は二話で、そのうち一話は島村卯月の復活に使うことを考えると、渋谷凛の物語は映画で始まるのかなぁ。

 

ともあれ、島村さんが必死に守り続けた柔らかい部分に土足で乗り込んだ凛ちゃんは、ガンッガン前に出ます。
単刀直入に本題を切り出すことで事態は加速し、島村さんはどんどん危うい地金をさらけ出していく。
『自信がない』『アイドルやるのに十分じゃない』『早かった』『舞踏会に出る資格が無い』
ぽんぽんと口をつくネガティブな言葉が二人の想定外であり、天使である島村卯月から出てくる台詞だとは信じたくないという気持ちが、本田の素のリアクションからよく分かります。
制作スタッフが意図的に張り巡らしてきた『大丈夫』『頑張ります』のバリアーが壊されていく瞬間なので、ここにはキャラクターへのショックからはみ出した、視聴者への負のカタルシスがありますね。
……あんま感じたくなかったカタルシスだけど、劣等感が島村さんの根本にあるんだから、ここで爆破しなきゃどうしようもねぇわな……。

本田がどうしても踏み越えられない距離を「誤魔化さないでよ!」という絶叫とともに踏み越えたのは、やっぱり衝動の女・渋谷凛でした。
凛ちゃんが持っている感情の昂ぶりと苛烈な正しさがなければこの距離は超えられなかっただろうし、練習場という『物語が始まる前の場所』から公園という『物語が始まる場所』にシーンが映ることもなかった。
同時に島村さんはズルズルと後退して、傷付いた気持ちを抱え込んだまま頑張って、頑張って、頑張って、多分ダメになっていた。
尖りすぎて当たりのキツいところはありますが、渋谷凛の衝動主義は停滞した状況を打ち破る強さを持っているのは、間違いないところです。

同時に心の底から湧き出る「本当」を第一に考える渋谷さんの衝動主義は、もう頑張れない島村さんには劇薬です。
逃げようとする度凛ちゃんは「逃げないでよ!」と叫び、自分がこの公園で感じた衝動の価値を語り、そんな貴重な体験を与えてくれた卯月の意味を取り戻そうとする。
アイドルという夢の中身を考えるのであれば、凛ちゃんの言っていることは正論です。
日常の中では感じられない新しい衝動、それに飛び込む勇気を与えてくれる存在は特別で、アイドルになるのに相応しい資質を持っている。
最高の笑顔を持ったアイドル・島村卯月二人目のファンとして、黙っていられない局面なのでしょう。
『TPに参加する渋谷凛を認めてくれた』『渋谷凛がアイドルになる切っ掛けを作ってくれた』
公園での凛ちゃんの発言をよく聞くと、全ての主語が自分自身であることに気付きます。
迸る猛烈な衝動と自我が状況を変化させているのですが、同時にそれは身勝手て自己中心的でもある。
『何処にも天使はいない』という演出哲学は凛ちゃんにも向いていて、結果として凄く思いやりの言葉の刃を、凛ちゃんは振り回すことになります。


そしてそれは、根拠の無い自身で劣等感を覆い隠し、アイドルの実感が無いままアイドルにたどり着いて頑張れなくなってしまった今の卯月には、鋭すぎる刃です。
それに切開される形で、島村卯月すら気づいていなかった島村卯月の地金が、どんどん曝け出されていく。

凛ちゃんが「嘘の言葉」といった時、島村さんはふるふると弱々しく首を横に振ります。
それは別に演技でも逃げでもなくて、本心から今でも笑顔でいられていると勘違いしていたからでしょう。
ずっと良い子で、ずっと頑張ってきて、ずっと天使だった島村卯月は、自分が抱え込んだ傷や痛み、劣等感というネガティブな感情への対処法を知らないままここまで来てしまった。
知っていて偽るのならば『嘘』ですが、卯月は天使のように純真に、自分のマイナスを認識できていないわけです。
養成所からアイドルとして選ばれるでもなく、同期のように諦めるでもなく、ずっと踊り続ける中で当然溜まったストレスがどんなものであるかすら、島村卯月は分かっていない。
第5話の前川、第6話の本田のように爆発したり、第13話の新田のように倒れたり、第19話の多田のように悩んだり出来なかった島村卯月が、己の影と向かい合い方法は『頑張る』ことしかなかった。
それが限界に達したことを、凛ちゃんの残忍な正しさが切り裂いていくことで、卯月はどんどん自分を知っていきます。
限界に達し、プロデューサーに認められた唯一の武器であるはずの『笑顔』すら作れなくなっている自分を。


親友に「今のアンタを信じられない」という言葉の刃を突きつけられた島村さんの視線の先に、本田がいたのは僥倖だといえます。
愛すべきしまむーがいきなり超ネガティブな台詞を垂れ流し、『私舞踏会やめる!』とかつての自分みたいなことを言い出したショックから、本田はなんとか抜けだし、NGのリーダー、『いつも笑顔の本田未央』の役割を取り戻している。
この社会的役割への強い意識は、『リーダーなんだから頑張らなくちゃ!』という空回りを(第12話のように)持ってくることもありますが、今回のようにキッツい状況を折れずに改善させていく原動力になることもある。
『個性は個性であって、それがプラスに働く局面もあれば、マイナスに動く状況もある』という捉え方は、作品全体を貫通するところです。

「なんでも言ってよ、しまむー!」という本田の言葉(これを『普通』に言うのに必要な自制心を考えると、本田の人間力マジすげぇなって感じですが)に促され、島村さんは凛ちゃんの言葉で切開された自分を吐露していく。
頑張っているはずの自分、笑顔になれていない自分、舞踏会で常務の方針を撤回させNGを再興させるために頑張ってきたはずの自分、『みんな』みたいにキラキラ出来ていない自分、『私の中のキラキラするもの』が何なのか分からない自分。
先読みで致命打を避け、頑張って追いついてきた島村卯月の仮面は告白の中でどんどん剥がれていって、汚くてグチャグチャな自分、天使などではない島村卯月にようやくたどり着きます。
凛ちゃんの苛烈な情熱も、プロデューサーの穏やかな配慮も、本田のギリギリの優しさも、この瞬間のためにある。
島村卯月から天使の羽をもいで、人間にするこの瞬間のために。

卯月は言います。
「このままだったらどうしよう……このまま時間が来ちゃったら……怖いよ。もし、私だけなんにも見つからなかったら……どうしよう……怖いよ。プロデューサーさんは私のいいところは笑顔だって……だけど、だけど、笑顔なんて、笑うなんて誰にもできるもん! なんにもない、私にはなんにも!!」
それは人間だったら誰でも当然持っているはずの不安と恐怖であり、島村さんが天使ではないということの証明です。
CPの女の子はこれまでの物語の中でみんなこれと向き合い、時に飲み込まれながら、仲間の助けと少しの勇気で乗り越えて、一歩先に進んできた。
物語の本流から意図的に外された島村卯月は、この人間的な感情の泥と格闘する時間を与えられなかった結果、これだけの痛みを溜め込んでいたわけです。
それは『頑張って=我慢して』いれば物事は良くなるという、島村さん式の成功経験が呼び込んだものなのかもしれません。
暖かく幸せな家庭に恵まれ、自分のネガティブな側面と対峙する試練(≒エピソード)が与えられなかった結果かもしれません。
どちらにしても、凛ちゃんの追い込みと本田の包容力に助けられて、卯月はようやくここに辿り着いた。
自分が苦しくて、不安で、『みんな』のようにキラキラしていないという事実に、ようやく向かい合えたのです。

人間なら当然持っているはずのマイナスの感情と、卯月は巧く付き合った経験がなかったのかもしれないと、彼女の泣き顔を見ながら思いました。
誰かを妬んだり、憎んだり、羨ましく思う気持ちというのは、島村卯月から一番遠いように思えるし、そう思えるように作中の描写は組み上げられてきた。
しかし感情の泥は確かに卯月の中にもあって、それは切開され表面化されてしまった。
だからある意味、あの泣き声は産声でもあるのでしょう。
ポジティブな感情も、ネガティブな気持ちも両方兼ね備えた、普通で当然の人間・島村卯月の産褥は、奇しくもアイドル・渋谷凛のスタートポイントであり、一度逃げ出した本田未央が再起した場所でもある。
映像と構成が噛み合った、非常に巧く出来たリフレインです。


島村さんが震えながら絞り出した叫びを前に、凛ちゃんはあくまで自分の衝動、自分の正しさ、自分の気持ちを叩きつけます。
その苛烈さを切り取るカメラは情け容赦がなく、渋谷凛という人物の根本をさらけ出しています。
多分ここでの最適解は第17話でみりあが美嘉にしたように、傷付いた子供を抱きしめてあげることなんでしょうが、凛ちゃんは当然として本田もそれはできない。
『信じて笑顔で待つ』という答えから、さらに踏み出した『震えている子供を抱きしめる』という答えを実行するには、二人共色んなモノが足りないわけです。
人生の試練を一気に片付けるのではなく、段階に分けて描写する繊細さが感じ取れて、このシーンの臆病さはとても好きです。
最年少のみりあこそがその答えに辿り着いているっていう逆転も、面白いところですね。(こういうのを『バブみ』というジャーゴンにまとめて押し流してしまうと、色々細かいところを取りこぼす気がするので、新しい言語に飛びつくのは難しいなぁ、などと思います)

凛ちゃんの正しさは卯月の涙を止めず、涙を拭って『いつも笑顔』の仮面をかぶり直した本田の一歩が、この場を収める鍵になる。
ここで本田が言う言葉は、本田自身の気持ちであると同時に、追い込まれ笑顔をなくし、自分をいじめ抜くように踊る島村さんの姿を見た僕達の感情でもある。
島村さんが抱え込み、この映像を作るスタッフたちが非常に巧妙に隠し(そして見せて)きた泥と痛みに気づかなかった気持ちを、本田は僕達に変わって代弁してくれているわけです。
第11話でのアスタリスク結成を「余り物同士で適当に組んだのか!」と激高したみくのように。
もしくは細かく細かく、凛ちゃんが代弁する主人公として色々言ってきたように。
視聴者の気持ちをキャラクターが肩代わりするシーンが上手いこのアニメですが、本田の告白はその最たるものだと思います。
ありがとう、本田未央

自分の感じた衝動にとらわれ、卯月に歩み寄れない凛の手を未央が取り、三人はもう一度友だちになります。
第7話でも、頑なにプロデューサーを拒絶する凛の手をとったのは未央でした。
あの時の決死の表情とは違って、柔らかく優しい口調を今の本田未央は作れている。
リフレインは運命的な繰り返しを強調すると同時に、変化と成長を分かりやすく見せるためのものでもあると、つくづく感じるシーンです。

気づけば日も暮れて、三人は一度別れる。
最後まで笑顔を維持している本田の自制心も凄いですが、最後の最後で自分の衝動ではなく、卯月の顔を見て「待ってるから」と言えた凛ちゃんにも、心を動かされます。
この後の帰り道、本田間違いなく一生真顔だよなぁ……頑張った。
クリスマスライブというリミットに向かい進んでいく時間、信じて待つ仲間、そして運命の土壇場から逃げなかった島村さんを写し、今回のお話は終わります。
第7話と違って、もう彼女たちはアイドルです。
自分を肯定できる瞬間、愛情を実感する場所は誰も見ていない公園ではなく、ステージの上ということなのでしょうか。

島村卯月が23話分(もしかするとそれ以前から)溜め込んだ泥を切開し、吐き出させ、震える彼女を受け止める愛情が凛と未央、プロデューサーをはじめとする仲間たちにちゃんとあるのだと、確認するお話でした。
これで卯月の溜め込んだ泥は全て出た……と思いたい所ですが、もしかしたら未だあるのかなぁ。
未央が自分の地金をさらけ出すのにかけたより、更に時間を使ってここまで来たので、いまいち自信を持って『問題点は全部出たし、それを受け止める土台はあるし、全然オッケーです!』と言えないのが正直な所。
でも、多分大丈夫でしょう。
このお話の女の子たちはみんな、優しくて強くて弱くて、綺麗な女の子たちですから。
クリスマスライブ、楽しみですね。

 

ついでに常務の話をしておくと、今回はすごーくわかりやすい悪役をやってくれました。
あの状況の島村さんを「切り捨てろ」と言われると思わずガタッ(椅子から立ち上がる音)って感じですけども、『敵』ならばむしろ感情の壁役として必要な言葉。
むしろこれまで、なんでこういうたぐいのキッツいセリフを言わせなかったのか、疑問に思う所でもあります。

クローネとの格付けが一応前回終わったのもあって、今常務が明確な『敵』役をやっても、そこまで迷惑がかからないってのが理由なのかなぁ、とか思いました。
前回よりも早い段階で「切り捨てろ」と言われてたら、常務についていくクローネが『そんな薄情な女についていくの? おかしくね?』と思われちゃうからなぁ。
色んな意味で、常務は難しい立場のキャラだなぁと再確認する感じでした。
しかしまぁ、やっぱ『敵』が分かりやすく『味方』を否定する立場に立ってくれると、『味方』の正しさは分かりやすくなって良いのも事実よね。

あと秋ライブの経験が彼女を変えたのか、現場に降りてきてレッスン見ているのは良かった。
そのままジャージに着替えて、一緒に踊れば面白かったのに。(常務アイドル説をまだ支持するガイ)
こういうところも、『敵』と『味方』を行ったり来たりする複雑な(もしくは中途半端な)乱入者、美城常務の魅力だと思います。
なんだかんだ、僕は常務好きなんだなぁ。
舞踏会でどうデレるのか楽しみだ。