イマワノキワ

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Go! プリンセスプリキュア:第38話『怪しいワナ…! ひとりぼっちのプリンセス!』感想

春野はるかの魂の旅路をたどるアニメも第38話、カナタ帰還からの総決算となりました。
序盤はわざとらしさすら感じる定番の敵幹部切り崩しエピソードを展開させつつ、一度悪意ある夢への攻撃を弾いてからの、一番大切な人からの善意で主人公のこころと、物語のテーマを挫く。
カナタの記憶喪失も、はるかの成長も、全てがここに集約されるべく積み上げられてきたようなカタルシスのある、夢の終わりでした。

はるかは絵本のプリンセスという非現実に憧れ、現実的な対応によってそれを貶められつつ、カナタという非現実の存在と出会ったことで夢を繋いだキャラクターです。
現実の蹉跌は常にはるかを傷つけてきたわけで、Aパートで黒須くんに好感を抱くのも、それが理由。
逆に言えば、カナタとの思い出がなくなってしまえば支えられないくらいに、はるかの夢はもろくて非現実的な、まさに夢見がちな夢なわけです。

そんな夢はディスダークという非現実的な敵との現実的な戦いを経て、どんどん鍛えられていきました。
頼れるメンターであるみなみやシャムール、同じく夢にむかって走るきららやゆいという仲間もいて、はるかは着実に凡人から貴種へと成長を遂げてきた。
作中の言葉で言えば『グランプリンセス』になる条件は、十分以上に整っていたわけです。
しかしプリプリは、王道が踏破してきた真っ直ぐな話運びだけでは満足せず、ここでカウンターを当てる。

今回はるかはクローズが作り出した孤独も、夢が悪夢になるというロジックも、真正面から打ち破ってみせる。
それはこれまでのお話で彼女が積み上げた成長の証明であり、『愛と勇気の物語』であるプリキュアらしい、真っ直ぐな展開です。
いかにもプリキュアらしい展開を予感させておいて、横殴りで捻じ曲げることでインパクトを生み出すという意味では、先週からの継続だとも言える。
王道をまっすぐに踏破するだけではなく、常に陳腐化と戦う真っ直ぐなお話を再度洗い直し、その価値を再び問う物語展開は、まさにこのアニメにしかできないパワーを持っています。


クローズが論理ではるかを追い詰めることを諦め、実力行使に踏み切った時点で『お約束』としては
障害を乗り越えるお膳立てが整っています。
心の強さこそが真の強さなのであり、正しさが伴わない力は暴力という真実は、少なくともこの作品では、茶化されて良い古びたお題目ではないからです。
その上で、傷付きながらも立ち上がり戦おうとするはるかに、カナタはこう声をかける。

『僕がキミに夢を見せたせいで、キミはこんなにも傷ついてしまっている。夢がキミを殺すなら、もう夢なんて見るな』と。

この言葉は、とても悲しい。
故国再興という夢を追いかけ、レジスタンスとして体を張って傷つき続けたカナタ自身が、記憶を失ってこの言葉を口にしてしまうということも。
はるかのこれまでのあゆみ、傷付きながらも手に入れた成長がキラキラと価値のあるものだとしっかり描写されていたからこそ、それをも否定するような言葉だということも。
叙情的な演出を駆使してロマンチックに描写されてきた、はるかとカナタの運命の出会い自体の価値を投げ捨ててしまう言葉だということも。
全部が悲しくて、あれだけ強かった(強がっていた)はるかが折れ曲がるのに十分だと共感できてしまう、強い展開です。

しかしこの言葉が何より悲しいのは、それが一面の真理を捉えているからです。
夢を歩く過程には必ず痛みが伴うし、それが限度を越えることだってある。
傷ついたはるかはどこかで癒やされなければいけない。
戦いなどに合わない花の王女が殴られ、叩きつけられ、ボロボロになってなお立ち上がる姿は痛ましいから止めてくれ。
そう考えるのは『普通』のことです。
プリキュアではなく、血を流して戦うことも少なく、夢に心折れた経験も少なからず持っているだろう視聴者の本音に、近い意見だと思う。

『異世界人で、プリンスで、戦士』という『普通』からもっとも遠い非現実的存在、白馬の王子カナタは、けして『夢を諦めろ』『戦うのをやめてくれ』とは言えないでしょう。
しかし今のカナタは記憶という人格の根本を失い、亡国の王子という立場もない。
ヴァイオリン職人の居候で、夢がどんなものなのかもよく分からない、『普通』の青年であるカナタを丁寧に描写してきたからこそ、白馬の王子が言うあまりにも『普通』の意見は、説得力と重さがある。
プリキュアの超常的な戦いに怯える様子も、欲しいものがなにもないと誤魔化すように笑う姿も、今回ちゃんと描写されてきました。
13歳の女の子が、記憶に無い自分の言葉に背中を押されて、血を流す現状に傷つく姿には、『ヘタレ』という一面的な非難を引っ込まさせる、強い説得力があった。
カナタの対応はプリキュアという非現実的な物語の中で適切に『マトモ』で、巧く視聴者を前のめりにさせて、物語の中に半身を突っ込ませる誘引作用を、強く持っていたように思います。

単純にカナタが記憶を取り戻し、完璧な白馬の王子に戻れば全てが解決するわけではないということは、第35話で既に宣言しています。
記憶を失い『マトモ』で『普通』になってしまったカナタに寄り添い、そこから始めなおそうという決意は、はるか自身が既にしている。
だから、ただただ頑張って夢を追いかけて叶えるという、古臭いガッツストーリーもまた、今回否定されなければいけなかった。
『死んでしまうような痛みを前に、頑張ることなんて無い。だから逃げよう、生き延びよう』というカナタの提案が出てきたのは、レジスタンスの戦士としてまさにそのロジックの逆を生き続けたカナタが言えばこそ、そしてその言葉がはるかの痛ましい姿に説得力を与えらればこそ、メインテーマが持つ胡散臭さへの、的確なカウンターになり得る。

夢が見れなくなった時代という背景を踏まえつつも、今回カナタがはるかの夢をへし折ったのはもっと広くて強靭なもの、傷つくはるかを見ていられないという『愛』そのものだというのも、カナタの行動を否定しきれない重要なポイントです。
『強く、優しく、美しく』というこのアニメの基準からすれば、夢も記憶もなく戦えない今のカナタは強くもなければ、美しくもない。
ただ、自らに実感を持てない過去を真剣に受け止め、強い罪悪感を感じてはるかに共感する姿は、少なくとも優しい。
とすれば、カナタはその優しさに強さと美しさをもう一度、取り戻さなければいけない。
この話は古臭いガッツストーリーを批判的に再演しつつも、それが持っている根本的な力を信じていればこそ、これまで丁寧に成長の物語として進んできたわけだから。

アーキタイプが持っている機能不全の再検討という意味では、カナタの記憶を奪い『普通』の青年にしたことは、大きな意味を持っていると思います。
血も流さず苦悩もせず、ただ故国再興の理想のために邁進する、白馬の王子。
それは頼もしいけど、同時にあまりにも完璧すぎて、彼が持っている理想も、それに引き寄せられて夢を育てたはるかの存在も、どこか疑わしくなるような完璧さだったのではないか。
そこにヒビを入れ、傷つきやすく不完全なカナタという人間そのものを再検討するためには、第21話以降の展開が必要だったのだと、僕は思うわけです。
カナタの完璧さを奪うことは、そこに自分の夢を仮託し、危うい夢を夢見続けてきた主人公はるかの価値をも、再検討することに繋がるわけですし。
そういう意味で、今回の絶望はよりテーマ性を深め、作品が取り上げたいものを明確にするために絶対必要な、批評的外科手術だったとも言えるのではないでしょうか。

夢も記憶も、強さも美しさも失ってしまい、戦う理由が見つからないカナタは、今回はるかに絶望を与えた。
しかしそれは、お話しの都合が見て見ぬふりをしてきた要素を表面化させ、批評のまな板に載せる荒療治でもある。
第35話ではるかが決意した新しい出発は、結果このような激突に辿り着いたわけですが、そこで終わるわけではないということもまた、これまでこのアニメを見てきた視聴者には確信できるところです。
白馬の王子でなくなったカナタと、プリンセスである理由を失ったはるかとの、新しい関係、新しい可能性の構築は、再来週に持ち越されることになります。
見事な結論が出ることを期待しますし、それは叶えられるでしょう。


あまりにもはるかとカナタの物語が激動したので色々吹っ飛んでますが、他の部分も良かったです。
アバンでバンダイ様の販促ノルマをソッコーふっ飛ばしに行く手際とか、そこを飽きさせないよう脂っこいロボ作画を当ててくる所とか、黒須くんの胡散臭いギャルゲー主人公っぷりだとか、元悪の幹部らしく邪悪の気配に敏感なトワ様とか。
物理的に距離を離して切り崩し戦術をほぼ成功させたけていた所とか、長い間仕込んできた絶望の種子を狙い通り発露させてる所とか、1ON1では絶対に負けない物理戦闘の強さとか、コメディ・リリーフをやりつつ強キャラ感を失わないあたり、クローズさんの扱いはとくに良かった。
彼が強く圧力をかけてヒビを入れたからこそ、味方からの一撃が威力を出したってのはありますからね。

『記憶喪失』というありふれた設定を丁寧に使い、カナタの根本が揺らいでいることを描写し続けた意味が全て結実するような、見事なエピソードでした。
失ってしまえば後は取り戻すだけなので、素敵な二人がもう一度夢を取り戻す姿が、早く見たいところです。
え、来週は駅伝で放送がない!?
……そうか……そうか……(地面を割って生えてくる絶望の茨)
マリみてっぽい話だからって、レイニー止めまで再現せんでもええんでないかな、ウン。