もしくは、灰かぶりノスタルジア
デレアニ振り返り企画、クールまたぎの第3回。
第一期最終回を含めた、11話から15話までの感想を振り返ります。
この辺りから記事が個別に切りだされていき、二期からの新キャラ美城常務への一言が増えていきますね。
第11話
今回パパっと時間を飛ばし、高速でカットが切り替わるシーンが何個かあって、コメディに必要な歯切れの良さを生んでますね。
アニメ感想日記 15/03/30 - イマワノキワ
エピソードごとにジャンルを変え、様々な楽しさを供給できたのは長いシリーズを飽きずに見る上で、かなり重要だったように思える。
メタファーを駆使した感情の上げ下げだけではなく、それを理解した視聴者が語られない部分に過度の読みをドライブさせはじめ、物語の意味を自発的に過読する共犯耐性が確立されたのは、このヴァラエティの豊かさに強く影響している気がする。
事態が好転するに従って雨上がり日が射してくるのは、運命を解りやすく予見してる演出ですね。
アニメ感想日記 15/03/30 - イマワノキワ
『 雨上がり、陽が射す』というモティーフは、この前も後も幾度か使われている。
感情や事態の明暗と天候が直結して変化するところ、実は"ハナヤマタ"に似てると思うんだよね、個人的には。
やや寒めな観客の反応に梨衣名がひるんでも、前川が前に出るのを見て二人で続けられるから、彼女たちは強いのです。
アニメ感想日記 15/03/30 - イマワノキワ
この前川のクソ度胸は、後にウサミン星人を救うことになるのであった。
デビュー当時は周り全員をライバルと思い、周囲の目ばかり気にしていた前川の強さがこういう所で発露するのは、面白い弄り方だ。
それらをしっかり見せることで、今後絶対に来るであろう*の躍進に説得力を持たすのも、今回のエピソードの大事な仕事ですね。
アニメ感想日記 15/03/30 - イマワノキワ
この頃はまだ無印の話運びが念頭にあって、二期またぐタイミングでググッと知名度を上げ、活動のレベルを二段階くらい広げるんじゃなかろうかと思っていた。
しかし終わってみると、一気に国民的アイドルというよりも、着実に階段を上っていく感じの発展を見せた。
ここら辺のレベル・コントロールは、アイドルサクセス・ストーリーという側面よりも、島村卯月を代表とした十代の少女たちの心の揺れに重点したシリーズテーマと響きあうところだ。
高い場所からしかすくい取れないテーマもあれば、じっくりと登ることでしか確認できない題材もあるという意味では、まさに『The best place to see the stars』 である。
作中梨衣名が尋ねるように『余った物同士をくっつけた』と言うよりは、それに対するプロデューサーの返答『相性の良いユニットだと思った』の方が強い気がします。
アニメ感想日記 15/03/30 - イマワノキワ
とは言うものの、*が余り物であること自体は否定出来ない。
むしろ重要なのは、そのネガティブな要素を軽く受け流しつつも、しっかり作中で明言し、抹消するのではなく克服する形で昇華したことにある。
『余りものだけど、既に仕上がった関係にも負けないくらいグッドでしょ?』という見せ方は、アニメで発掘された新しい可能性全てに言えることだろう。
これは無論、デフォルトの関係性に強烈なリスペクトを維持しているから成り立つ見せ方であり、こちらは第18話のあんきら、第19話のだりなつで強調されることになる。
もう一つは『先に行ってる役』です。
アニメ感想日記 15/03/30 - イマワノキワ
*の焦りはここで解消されるわけだけど、島村卯月の物語の中で『先に行かれる』『置いて行かれる』焦りは徹底的に再度描写され、お話が沈み込む強力な重力を生み出すことになる。
前川と多田が一話で解決できた問題を卯月は(メインだけでも)約三話引っ張ったことを考えると、やっぱり島村卯月は特別な女の子だった。
第12話
曲が終わった後のやり取りの中で、卯月はいつもの明るさが失われ、智絵里は失敗に怯え、蘭子はみくの「バラバラ」という言葉に過剰反応する。
アイドルマスターシンデレラガールズ 12話感想 - イマワノキワ
ここで見せた『負け組』それぞれの負けっぷりは、二期まで引っ張って個別に解消することになる。
萌えキャラのネガティブポイントに対し結構厳しいアニメ、アイドルマスターシンデレラガールズ。
未央が間違えることで新田さんの正しさが強調されるだけではなく、まとめのシーンで自分の誤りに気付き、新しい視座を得る成長の描写も出来るので、大事な描写と言えます。
アイドルマスターシンデレラガールズ 12話感想 - イマワノキワ
後付で言うと、この後凛のTP&PK入りで動揺する仕事が本田には残っているので、ここで完成するわけにはいかなかったということなのかも。
その仕事を終え、島村エピでの我慢を経て、『流れ星キセキ』直前の軽口で完成する本田未央のお話を考えると、未だ道途中なのだな。
あと全体リーダーの仕事を割り分ないと、新田さんの仕事がアーニャの嫁以外無くなるのもあるか。
『笑顔のない所に成功なし』はこのアニメの基本則なので、第10話EDで見せた口角を釣り上げる無理くりな笑みを、新田さんも作ります。
アイドルマスターシンデレラガールズ 12話感想 - イマワノキワ
『無理くり笑顔』は第24話でプロデューサーが効果的に再使用する、使いでのある物語的フェティッシュ。
キュートな仕草を使い倒す貪欲さは、お話しの強さだなぁ。
勝つ楽しさに価値を見出す未央は、彼女『遊び』に夢中にさせる事を狙っている新田さんの掌の上です。
アイドルマスターシンデレラガールズ 12話感想 - イマワノキワ
この『手のひらの上でコロコロ感』はこのエピソードで学習し、第21話や第24話でNGに使う本田得意のテクニック。
試練だけでなく、こういう細かい影響と学習で成長を見せるのはこのアニメの特技だし、結果を出している演出プランだと思う。
智絵里も周囲に頼ることを学習し、自分を『出来ない奴』に放り込んでいた失敗への恐れへ、どう対処するべきなのか判ってきている。
アイドルマスターシンデレラガールズ 12話感想 - イマワノキワ
と思ったんだけど、ここら辺は第18話で再手術し、徹底的に切開摘出する弱点だった。
智絵里の自己評価の低さはこのエピソードで軽く触れた程度では克服できず、1エピソード回すだけの価値がある要素だと思われたんだろうなぁ。
一見自信あるように見える本田や前川だって、コンプレックスの裏返しとして強がっているわけで、このアニメの女の子はみんな自分に自信がないよなぁ。
無根拠な自信家って幸子くらいかと一瞬思ったが、あの子が努力に努力を重ねたうえで『可愛いボク』という看板を無理くり張っているってのは、けして主役になることはないアニメの描写の中でも伝わってくるわけで。
そこら辺の神経質さの描写は徹底していた気がする。
同じく『出来ない奴』だった蘭子も、ソロユニットとしての気後れを解消し、「みんなで心を一つにすれば……」という言葉を口にする所まで来ます。
アイドルマスターシンデレラガールズ 12話感想 - イマワノキワ
独特の感性を持っている 蘭子がCPに馴染んでいく様子は、第13話でラブライカサンドされたり、第21話でCPの混乱を収める嚆矢を担ったりして、丁寧に描写されていた。
逆に言うと、一番浮いてる蘭子をなじませていくことで、CP全体が一つになっていく姿を効率的に見せる役目もあるのだろう。
こういう機能的な描写と、キャラクター個人の成長物語、キャラ描写を同時並列的に処理することで、かなりの時間的・内容的圧縮が可能になっているように感じる。
でも個人的にはあんきらはキャイキャイしていて欲しいわけで、今回久々に身体接触があって、凄く素晴らしかったです。
アイドルマスターシンデレラガールズ 12話感想 - イマワノキワ
おう、第18話ですっげぇの来るから、今のうちトイレ行っておけよ。
全員が同じ衣装を着、同じ方向を見るこの景色は、新田さんがリーダーとして周囲の問題点を認識し、強いモチベーションでメンバーをまとめ上げなければ、到達できなかった風景でしょう。 苦労をしっかり見せた分だけ、到達した場所の高みが感じられる、素晴らしい終わり方と言えます。
アイドルマスターシンデレラガールズ 12話感想 - イマワノキワ
バラバラの仲間たちが集い、いろいろ試練に合いつつ、自分たちの個性を発露し、一つにまとまっていく。
一期の物語全体を見つめると、ここで同じ衣装を着て同じ舞台に立つことは『団結』のフェティッシュとしてすごく重要なのだな。
『個性』を価値として重要視する二期の展開も考えると、価値ある『個性』とは個人の性質の発露というだけではなく、それがユニット・プロジェクトとしてまとまり『個性の総和』以上のシナジーを発揮することでもあるのだ、という止揚をここと第13話でやっておくのは必要かつ重要だ。
今後との繋がりを考えると、島村卯月があまりにも頑張ってしまうことの強調と、そのことに感じる不安は、今後(もしかすると次回)生きてくるところかと思います。
アイドルマスターシンデレラガールズ 12話感想 - イマワノキワ
ここで対ショック姿勢をとっていたので、一期ラストで島村地雷が炸裂しなかったのは肩すかしであり、ありがたくもあった。
二期で心全部をふっ飛ばされるレベルの炸裂が待っているとは、もちろんこの時考えていないのであった。
また、各キャラクター美点だけではなく欠点をしっかり見せることで、まだまだ成長途中であること、成長の余地がありそれを埋めていく物語として、このアニメが設計されていることを意識させることも、今回の狙いかなと感じました。
アイドルマスターシンデレラガールズ 12話感想 - イマワノキワ
キャラのマイナス点を丁寧に取り除き、管理できる範囲でネガティブな要素を表に出して成長を描く(それはもしかすると成長物語としては『不純』な姿なのかもしれない)劇作は、ここ5年ほどのアイドルフィクションの中で一つのスタンダードである気がする。
ストレスによってコースアウトするギリギリで、失敗や不出来のコーナーを曲がっていくこのアニメのスタイルは、野放図故に危険な『純粋』な成長物語と、よく制御されているがゆえに嘘が時々露出する『不純』な成長物語の間の、細い演出ラインをこのアニメは拾い続ける。
そういう意味では、キャラが走るままに任せてコースアウト寸前まで圧力を上げたプリリズRLって、色んな意味でデレアニと対比的なのかもしれねぇな。
第13話
莉嘉の手際の良い立ち回りは、ベテラン兵士の頼もしさと同時に、有能でなければ生き残れない戦場のハードさを示すものでもあるのでしょう
アイドルマスターシンデレラガールズ 第13話感想 - イマワノキワ
この描写を踏まえて、第22話でのPKの混乱と、それを支えるCPの対比がある。
あの話で二期全体を引っ張ったクローネ・常務との対立路線が綺麗に収まっているのは、やっぱり第13話で丁寧に新兵描写をやり、それを乗り越えてベテランとしてPKを支える描写が活きるからだろう。
思い返してみれば、シンデレラガールズ第一期は本田未央の物語であったように思います。
アイドルマスターシンデレラガールズ 第13話感想 - イマワノキワ
まだ終わっちゃいない!!(ジョン・ランボーッ面)
心の取りようによって『失敗』を『成功』に、もしくは同じステージにたったラブライカがそうであったように『失敗』を『成功』に変化させる事ができるこのアニメは、多分に心因的というか、心の問題を克服することで全てが快方に向かっていくベクトルを有しています。
アイドルマスターシンデレラガールズ 第13話感想 - イマワノキワ
第一期までは心的問題の解決=問題の解決というロジックで進むのだが、常務という外部装置が問題を発生させる二期では、心的問題の外側、社会的なり人間関係なりの問題を解決する必要が強調されていく。
成長と成長の物語が持つダイナミズムを効果的に見せるための画角が一期と二期ではかなり変わっているわけだが、第13話はデレアニ一期的な心的要素中心主義が最大限発揮され、終わるエピソードといえるかもしれない。
一期でインナーな物語のアングルを語り終え、二期でアウターな視点を導入していく潮目の変え方というのは、物語全体の風通しの良さを担保していてやっぱり良いなと、折り返し点を終点から見ながら思う。
あの時アイドルを辞めなかったからこそ手に入れられた、観客のいるリスタートは大きな力を持って、雨が上がり曲が進行するに従って、まばらだった客席は埋まっていく。 NGが笑顔でやり切ったステージは、人を引きつける魅力を持って世界を変革していく。 それは、心の外側の世界です。
アイドルマスターシンデレラガールズ 第13話感想 - イマワノキワ
そういう意味で、第25話での二回のステージに幾度も観客席のカットが挟まるのは象徴的。
勿論、作画的なカロリー消費が限界だったってのもあるだろうけども、観客がいて初めてステージ足りえるという無言の主張は、あくまでアイドルに主眼を当てつつもしっかり存在していたと思う。
彼の美点であり個性でもある誠実さ、堅実さを損なうことなく、むしろそれを活かしてこのラストシーンに辿り着く事こそが、プロデューサーを主人公とした場合のこのアニメの(一応の)終着点となります。
アイドルマスターシンデレラガールズ 第13話感想 - イマワノキワ
終着点というのはそこまで間違っていなくて、二期からはプロデューサーがアイドルを支えるシーンは目に見えて減っていく。
その分常務にマッチアップするシーンが増える……というわけではなく、成長支持率を始めたアイドルの姿をより重点することで、『CP卒業』という最終的な結論に説得力を積んでいく流れになる。
その上で第18話や第24話など、キメどころでは一期よりもキメているシーンをちゃんと入れることで、彼の存在感と頼もしさは損なわれていない。
6話の間宙吊りにされていた、本当の意味での失地回復はNGのステージと、あのファンレターで達成されるわけです。
アイドルマスターシンデレラガールズ 第13話感想 - イマワノキワ
なので、『Goin'』の仕上がりはそのまま、第1話冒頭では何者でもなかった彼女たちが、顔と名前を手に入れてアイドルとして自分を表現する物語全体の仕上がりを反映します。 表現者たる彼女たちの物語的身体は女の形の中にではなく、ステージ上で躍動する運動それ自体にあるべきだからです。
アイドルマスターシンデレラガールズ 第13話感想 - イマワノキワ
お調子者の本田が自意識に閉じこもらず、ファンに目を開くことで完成したのとは対比的に、良い子すぎる島村は、自意識を徹底的に掘り下げることで完成する。
CP内部に重点した一期で本田が、CP外部の視点を入れた二期で島村が、それぞれそのように描かれているのはなかなか面白いところだ。
その二人が『救われる』最終地点が、プライベートな公園ではなく、共通してパブリックなステージであるってのは、このアニメがアイドルアニメだという証明だろう。
アイドルの土壇場はステージにしか無い。
しかしその姿勢はやはりまだまだ余裕を残していて、渋谷凛の物語は(本田未央の物語とは違って)これからなんだなぁ、という印象を受けます。
アイドルマスターシンデレラガールズ 第13話感想 - イマワノキワ
いろいろと補足はあるが、一期で本田が、二期で島村が見せたような完成は渋谷凛には未だ訪れていない印象がある。
僕が身勝手にも感じているこの不完全燃焼性が、狙ってやっているのか、それとも語り損ないなのか、未だに判別はつきかねる。
映画が見たい、映画が見たいよー!(ちょぼらうにょぽみ作画になりつつ)
新田美波の喪失と回復を、NG二度目の初舞台を、『Goin'』の達成感を経てなお、彼女にとってのアイドルは『アイドルみたいです』というものです。 それが、島村卯月がアイドルに抱いている巨大過ぎる理想から生まれるのか、アイドルという夢に辿り着くには小さすぎる自己評価から生まれるのか、それとも別の理由があるのか。 匂わされつつも、一期でそれに切り込むことはありませんでした。 二期では、痛みを伴いつつそこに飛び込んでいくのではないかなと、勝手に考えています。
アイドルマスターシンデレラガールズ 第13話感想 - イマワノキワ
飛び込むよ!
痛いよすっげー!!!!
第14話
ここから二期。
出だしで特徴的な演出技法が出てくると、シリーズとしての強みを忘れていない感じを強く受け、信頼感が高まりますね。
アイドルマスター・シンデレラガールズ 2nd SEASON:第14話『Who is the lady in the castle?』感想 - イマワノキワ
14話も付き合うと視聴者も高雄イズムに慣れてくるというか、シーンの中に多重的に埋め込まれた暗号の解読法を、手中に収め始める。
それを逆手に取って、より過激により過密に象徴を埋め込み、異常なまでに可読的な映像空間を叩きつけてくる方向性にシフトし始めるのが、ちょうどこの辺りのような気がする。
視聴者の物語的IQを信じているからこその描写というか、その二発目というか。
どちらにしても、このアニメは自分たちの演出文法に自覚的だったし、その文法が視聴者に届くことに確信的でもあった。
それは稀有で強い態度だ。
怜悧で優秀、プロデューサーのネクタイを直すシーンからして独善というわけではないけど、苛烈に状況を変えていくことを恐れない女。
アイドルマスター・シンデレラガールズ 2nd SEASON:第14話『Who is the lady in the castle?』感想 - イマワノキワ
というには周囲の反発が強く、主人公サイドの正しさを強調するべく、間違えるべく間違えている舞台装置という見せ方になっちゃってる側面は、終わった後の見方だと否定しきれない。
この願いが叶うと、アイドルの『変化』と『挑戦』の物語を語り切った第二期の語り口は勿論不可能になるので、叶わなくてよかった願いなのかもしれない。
でも見たいよー、常務に思う存分重点したヴァージョンのデレアニみたいよー俺常務好きなんだよー。(駄々っ子再誕)
このアニメは『灰かぶり』を本歌取りしているわけですが、プロデューサーが馬車の車輪と魔法使い(もしかすると王子)を兼任しているように、シンデレラに試練を与える継母たちの役目を重ね合わされている印象も受けます。 彼女が意地悪な継母であると同時に、シンデレラに魔法をかけるフェアリー・ゴッドマザーであるか否かは、今後の展開を待たねばならないでしょうけども。
アイドルマスター・シンデレラガールズ 2nd SEASON:第14話『Who is the lady in the castle?』感想 - イマワノキワ
出番を与えられずくすぶってた橘のことを考えると、KPにとって常務が魔法使いなのは間違いないところ。
とは言うものの、それが語られたのは番外編である"マジックアワー"だったり、アニメ本編だけで語りきれない要素が常務、部長、プロデューサーという『アイドル以外』のメンバーには多い。
そこで満足できないのは、逆説的に本編の映像的満足度の高さ、『この話を声、音、タイミングのついた映像で見たかった』という欲望の強さを証明している気がする。
プロデューサーが王子なのは、同じく"マジックアワー"で『チャーミング』という形容詞が使われていることや、島村さんをレスキューした時の動きを見ても確かだろう。
TPとPKで新たなる衝動に出会った凛ちゃんだけ見ても、常務が魔法使いなのは間違いないか。
もし彼女たちが破壊と再構築の余地もない完璧な存在に到達しているのなら、舞台裏を見せるにしてもより緊張感のある見せ方をしていると思うので、今回のどこか緩んだ空気は結構意図的なのかな、などと思っています。
アイドルマスター・シンデレラガールズ 2nd SEASON:第14話『Who is the lady in the castle?』感想 - イマワノキワ
ここは難しい。
第18話のヤダ味満載のバラエティ描写を見るだに、『CPも完全ってわけではなくて、襟を正して常務から学ぶことはあるでしょ?』ということは主張しているものの、明確にセリフやドラマの中でカウンターを当てられることはほぼ無かった。
古典的で分かりやすい衝突をアイドルとCPが直接かぶる展開というのは、でレアにでは巧妙に避けていたように思う。
それは古臭さを避けると同時に、最新鋭のストレスコントロールとして主役≒視聴者の感情移入対象が否定されるシーンを雑味として取り除くテクニックでもあった気がする。
その結果、最終話での常プロ問答でセリフ化されたシリーズ全体の総括がいまいち実感が無いというか、それを支える描写に微妙に欠けるように感じる結果になっている(と僕個人が感じている)のは、二期の弱さでもあるだろう。
突っ込めば傷は避けれないシビアなポイントでもあると思うので、あくまで暗喩にとどめた判断は英断だとも思う。
学園祭のゲストステージをこなし、プロデューサーの周囲に蠢く怪しい影で盛り上がれる現在は大事だけれども、その穏やかな幸せの先にある風景、アイドルとして見る/見せる事のできるより高い到達点を目指していくのが、2ndSEASONの一つの狙いだと、安定感と影の同居する今回の描写は言っていたように、僕は思うのです。
アイドルマスター・シンデレラガールズ 2nd SEASON:第14話『Who is the lady in the castle?』感想 - イマワノキワ
これはCP全体というか、それを構成するメンバー個人の変化や成長で担保した到達のような気がする。
少女の人生に切開していくこのアニメの手法は余りにも鋭かったので、テーマそれ自体を直接タッチするのではなく、それと触れ合いながらキャラクター自体の人生を生きている少女個別の物語を展開させていくうちに、テーマそれ自体を飲み込ませてしまう説得力は生み出し得たと思う。
むしろ大上段でテーマを説教せず、キャラ一人一人に接近せざるを得ない間合いを維持し続けたからこそ、非常に身近で受け入れやすい形で『CP卒業』という終わり方は受け入れられたのだろう。
局地戦の積み重ねで総力戦に勝ってしまう辺り、やっぱ規格外のアニメだなこれ。
彼女たちの出会いは確実に今後話を動かす軸になるわけで、双方印象的に描けていたのはとても良かったと思います。
アイドルマスター・シンデレラガールズ 2nd SEASON:第14話『Who is the lady in the castle?』感想 - イマワノキワ
『とにかく女の子が可愛い』ってのは、あまりに当たり前すぎて見過ごされがちだけど、デレアニ最強の武器だったと思う。
ドラマの中で活きる人格の強さだけではなく、パット見の印象、キャラクターデザインでゴリッとフックする背筋の強さは特筆するべきだろう。
そうなるように、ファーストエピソードを効果的、かつ短勁に使いこなしている巧さは、ここでの夏樹とTPの見せ方が一番わかり易いかも知れん。
明確な目標や憧れを持たない彼女が、気づけば神谷さんや北条さんを惹きつけ、憧れる存在になっているという出会いの構図は、13話分進んだ物語が渋谷さんを運んできた場所の高さをよく見せていて面白い。
アイドルマスター・シンデレラガールズ 2nd SEASON:第14話『Who is the lady in the castle?』感想 - イマワノキワ
とは言うもののそれはあくまで外部的な視座であって、すでに憧れになってしまっている渋谷凛に、渋谷凛自身が気づくことは作中ではなかった。
しかし、神谷さんは太眉で可愛いな。
アイドルマスター・シンデレラガールズ 2nd SEASON:第14話『Who is the lady in the castle?』感想 - イマワノキワ
可愛いよね。
まさに一目惚れってかんじですけど、前川お前大丈夫? ギター引けないけど勝てるの? 大丈夫? という気持ちになる。 木村さんサラッとカッコイイことこなすし器も大きそうだし、前川にも優しいんだろうなぁ……そんな木村さんとの差に前川が悩んだりするんだろうなぁ……頑張れ前川!!(妄想で期待高まりまくり前川大好きおじさん)
アイドルマスター・シンデレラガールズ 2nd SEASON:第14話『Who is the lady in the castle?』感想 - イマワノキワ
大丈夫ではないけど、勝ちました。
前川が悩むというよりは、梨衣菜がフラフラしていたというか、それを前川が気に病んだというか、にわかロッカーの卒業話としてはその落とし方がベストというか。
どーも前川過ぎすぎて、多田の話でも前川主役にさせたくてしょうがない欲望がスケスケ之助で見える記述だ。
第15話
『笑顔』を大事にし続けたプロデューサーの言葉、アイドルがいて、スタッフがいて、ファンがいる人間重視のアイドル活動は、けして間違いではないという正解を。
アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第15話『When the spell is broken...』感想 - イマワノキワ
そう、間違いではない。正解である。
こっちサイドを強調しすぎて、もう一方の常務のロジックが持ってる正しさは、やっぱり描写しきれなかったように感じる。
描けていないかといえばそんなことはないのだが、物語的な眼と耳の良さは人によって異なるし、自分が感じ取れたことが一般的に通用する強さを持った描写だと言い切るのはエゴが肥大しすぎた発言だろう。
自分は常務が好きすぎるので、彼女のロジックを過度に読み過ぎる部分も強いしね。
そういうのを可能な限り切り離したうえで、そして個人の感覚と感想を完全に切り離して『客観的』になることは不可能だと分かったうえで、Web上に乗っかる言葉は発言しないといけないとか感じています。
それは未央の「あんな酷いこと」という言い回しからも推測できる。 この時未央は、美城常務の白紙宣言によって実際に事業が効率化し、何かより良い物が生まれる可能性に気づいていない。 テンパった島村さんを見て、第6話ラストのように感情に振り回されかけた我が身を省み、落ち着く余裕はあっても、『酷いことをする敵』として認識した常務の行動の裏にある理に思いはいかない。 ここら辺の過剰な思い入れは、プロデューサーとも共通するところでしょう。 なので、今回楓さんから示されるのはあくまで『CPの過去は間違っていない』という後ろを確認する答えであり、『CPの未来を間違えないためにはどうすればいいか』という問いは与えられません。 現在のNGに、その問は過大すぎるからでしょう。
アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第15話『When the spell is broken...』感想 - イマワノキワ
この視野の狭さがアイドルだけではなく、全体の管理をするプロデューサーにもあったという描写は、もう少し太く強調されても良かったかなと思う。
アイドルを庇い立てするプロデューサーの描写は無私で心地よい描写で、そこの裏にある頑なさとか瑕疵の強さを感じ取らせるには、プロデューサーは『俺たち』になりすぎた。
一期の物語が成功しすぎたゆえの、贅沢がすぎる悩みだと思う。
"アイカツ!"において星宮いちごが完成されすぎていたため発生した、星宮いちご以降の物語の問題に通じる悩み。
たった一人でレッスンに耐え再チャレンジのチャンスを掴んだ島村さんは、とにかく『頑張ります!』しか言わない、言うことが出来ない女の子でした。
アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第15話『When the spell is broken...』感想 - イマワノキワ
この段階では、描写されていない島村卯月の地獄、一人でレッスンを続けた時代の痛みと、それが卯月の心に引き起こした歪みには、想像力が及んでいなかったのだった。
そういう生ぬるいイマジネーションを殴り飛ばす上で、第23話の残忍なトレーニング描写は絶対必要だし、あれくらいしないと視聴者も本田の懺悔にもシンクロできないだろう。
アイドルを愛でてたら罪悪感を煽られたってのは、なかなか狂った話運びだと思う。
そして、アイドルを消費していく構造に明言せずとも視野に入れているこのアニメにおいては、それは絶対に切り取らなければいけない感覚だとも。
楽しいムードで嫌な気持ちを食わせる手腕が、ほんと鋭いアニメね、デレアニ。
渋谷さんのキャラクター性を、この二人がどう深めていくのかはまだまだ分かりませんが、CPの枠が一度壊れなければ出会い以上の関係にならないことも引っ括めて、様々な予感を与える組み合わせではあります。
アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第15話『When the spell is broken...』感想 - イマワノキワ
こうして見返してみると、かなり無意識的だけど、CPにヒビが入るのを予見している記述だ。
安定しているなら崩さないとお話は回らんわけで、オーソドックスな読みだとも言えるが。
ともかく、衝動の人渋谷凛はTPとPKの可能性に夢中になって、ブンブンと全力でCPを振り回すのであった。
アイドルの反対側に立つ(ように現状思える)常務にとって、アイドルに向けられた『答え』は自分にとっての『間違い』の指摘なのです。
アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第15話『When the spell is broken...』感想 - イマワノキワ
このタイミングでは、 アイドルが好きすぎて頭おかしいタイプの女だと気付いていない記述。
城重視という常務の立脚点が判るの、こっから更に話数使ってからだしねぇ。
かなりのアイドル好き好き病だというのは、更に先。
つまり、今回楓さんがアイドルの『正解』を見せたように、常務側の行動にも『正解』が含まれているのではないかと、僕は感じたのです。
アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第15話『When the spell is broken...』感想 - イマワノキワ
感じたことそれ自体は正しかったんだが、作品全体で要求されるレベルで切迫感と説得力を持って常務の『正解』を見せられたかというと、やっぱり悩ましい。
第25話の問答を見るだにそれを軸にしていたのは間違いないんだが、CPを徹底して悪役にしなかった以上、常務が持っている『一部の理』に必要な重みがあったのかというと、足らないと言わざるをえないだろう。
『アイドルの話』を徹底して貫くことで『アイドル論の話』まで飛び抜けたいという方法論は、やっぱり少しだけ威力が足らなかった。
様々な局面で見せた器用さでもって、最終話にまとめて展開された『アイドル論の話』を分割して配置していれば……というのは、まぁ高望みだよね。
彼女のロジックは、登場した今の段階ですでに瑕疵があるものとして描かれている。
アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第15話『When the spell is broken...』感想 - イマワノキワ
瑕疵が目立ちすぎてツッコミどころになってたのは、バランス悪いポイントだよな。
その上で、僕個人としては彼女が代表している社会性の正しさ、人間が生み出した共同体のルールの中で適切な行動を取る意味を、ないがしろにしてほしくはないです。 ただ感情を滾らせるだけでも、それを押し殺して過剰な正しさを押し付けるのでもなく、二つの立場のバランスを的確に取ることで素晴らしい結果が生まれるというのは、これまでこのアニメが描いてきた沢山のエピソードに共通する、一つの真理でしょう。 ならば、表面化した彼女の瑕疵を彼女自身が認識し、今回楓さんが出しNGが目撃した『答え』、『笑顔を大事にすることは間違いではない』という事実に、少しづつ歩み寄って欲しいなと、僕は思うわけです。
アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第15話『When the spell is broken...』感想 - イマワノキワ
コバヤシくん、常務好き過ぎ。
『相矛盾するように見える要素の止揚』がこのアニメ全体を貫く、強烈な物語のダイナミズムであるのは間違いがない。
『団結』あればこそ『挑戦』には価値があるとか、蘭子の言葉に集約される『個性』と『社会性』のバランスだとか、『キャラ』と『素』の扱いだとか。
対比物の見せ方とそのせめぎ合いの過程、何が生み出されどういう価値を持っているかという結末のショウアップ含めて、対立の扱いは凄く巧いわけで、その長所を常務にも活かしてくんねーかなーという欲求がよく見える意見だ。
僕が常務の扱いにこれだけこだわっているのは、無論一目惚れした推しが不遇に見えるっていうファン心理もあるけども、長所の振り回し方が徹底されていない惜しさが、軸にあるのだろう。
ココらへんも、作中の映像をどう受け取るかという個人差に強く左右されるポイントであり、その個人差こそが価値と意味のあるポイントでもある。
ここで妄想したテーマ性への読み自体はズレていないんだが、それに説得力を持たせる記述が足らないように感じるのは、他の部分を扱った映像があまりにも過剰な意味性を有しているというのも理由か。
結局、僕はシンデレラガールズのアニメが好きなのだ。
ただ、これまでこのアニメがかなり効果的、かつ意図的に要素を配置し、適切な意思を込めて画面と物語をコントロールしてきた以上、今回散見された『答え』と『間違い』が今後の物語の中で意味を持ってくると、僕は期待します だって、色んな女の子の複雑な魅力をしっかり伝えてくれてきたこのアニメがせっかく投入したキャラクターが、一面的なキャラだとは思えないし、思いたくもないじゃないですか。
アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第15話『When the spell is broken...』感想 - イマワノキワ
常務が一面的なキャラクターかというと、そういうことはないと思う。
ただこのアニメは視聴者の読みの能力を過大に信頼したアニメでもあって、『フツーそんなとこまで判んねぇよ!』という過剰な読みを、視聴者たちの過剰な熱量で実現させるむちゃくちゃな文法で構成されているわけだ。
なので、一手間違えると『フツーそんなとこまで判んねぇよ!』という結論に落ちてしまい、常務の描写は『フツー』は第25話で示されたテーマ性まで踏み込めない、弱い記述だった、となってしまうだろう。
のだが、僕自身が常務が好きすぎて頭おかしい視聴者であり、彼女の物語を過剰に読んだ結果、彼女に込められたテーマ性が大体分かってしまう(気になったと独善的に考えている)くらいには見て取れた。
映像は映像でしかない、客観的なマテリアルなのだが、それが持っている想像力の喚起性、『フツーどこまで判るのか』という問題をジャッジするものさしは、その実個人的な感想と感覚の範囲を絶対に出ない。
読みは半自動的に、個人的にならざるをえないのだ。
だからこそ客観性と公共性を睨みながら、個人的な読みを『フツー』にすり合わせていく努力は無駄ではないし必要でもあるのだろう。
それと同時に、個人の中に滾っている熱情をバカにし過ぎない、一種の愛情みたいなものもまた。