イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ゆるゆり さん☆ハイ:第6話『見えない顔は、其処にある。』感想

永遠に幼き夢幻境の物語、六話目は部室とあかりの部屋を舞台にした据え付け漫才。
これまで定番をあえて外した展開も多かったゆるゆり三期ですが、今回はどっしりとごらく部メインでお送りします。
場面の動きが抑えられたおかげか、落ち着いたコメディとしての側面の強いお話でした。

基本的に同じ場所で進行し、絵的な変化の弱い今回。
三期の特徴である『画面に映し出された感情・物語の起伏に、合わせて跳ねる音楽演出』が強く感じられたのは、そこを補強する意味合いがあるのでしょうか。
背景をかき回すことが出来ないので、音楽をかき回して動きを作るというか。
もともとビームが出たり人が死んだりとかはない、とても穏やかなお話な上に、三期は全体的にシック。
その中で視聴者の興味ゲージを削らない演出ということで、そこら辺が飛び出したのかなとか思っております。

娯楽部の四人で回すってところも共通でしたが、やっぱり京子が道化になって場が盛り上がる形も共通でして、ウザがったり面倒くさがったりしつつも、彼女の頭の良さに乗っかっている感じ。
果たして京子は一人になっても戯けるのかというのは気になるところですが、出血を装った時のリアクションを鑑みるに、結衣とあかりが一人にしないだろうな、とも思う。
弱虫泣き虫の向かいの自分を引っ張ってくれた結衣の幻影を追いかけてこうなったと考えると、ウザ絡みでも結衣に構ってもらおうとすることも、一人遊びが巧くて本読むのが異常に速いのも、少し納得が行く。

後半は『あかりは本当のことを言っているのに、暗いので誰も確認できない』という状況で、少し間違えるとあかりイビリに滑って行きそうなシチュエーション。
なのだが半信半疑のまま進んでいき、明かりがついて京子のやり過ぎが明るみに出る。
あかりイビリで笑いを取るのをやめた、三期っぽい展開だと思う。
ネタが割れた後のウケが非常に静かで、視聴者に膨らませる感じの見せ方なのも、三期の特徴だと思う。
余韻を活かす笑いで、僕はとても好きです。

というわけで、いつもの四人の楽しい毎日でした。
僕は三期の感想を書く時思わず彼女らの日々の『影』の部分、止まったまま進む時計だとか、京子にかかる負担とそれを望む京子だとか、結衣と京子の相互依存だとかに思わずクローズアップしてしまうわけですが、常に仲良く楽しくかけがえなく過ごしている『日向』の部分があればこそ、そこを見る余力も生まれるのだなと思う回になりました。
やっぱり彼女らの永遠につづく思春期は柔らかく美しく暖かく、見ていて楽しい。
そういうところを一番大事に造ってくれた上で、その永遠に続く一瞬をよりきめ細かく描くために影に目を向けている。
三期のシックな色調は、そんな感想を強くいだかせるわけです。