イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

Go! プリンセスプリキュア:第39話『夢の花ひらく時! 舞え、復活のプリンセス!』感想

二週間のご無沙汰、日曜朝のお楽しみ、プリキュアであります。

前回主人公と視聴者をドン曇りさせて溜め込んだストレスを、全てカタルシスに変える勝負回でした。
夢の持っている二面性、少女が独立した大人になる過程、夢を与えられたものが夢を与え返す真心、そして強さと美しさを取り戻したカナタの姿。
ヒーローの物語、成長の物語として語るべきことが全て詰まった、美しい物語だったと思います。
マジプリプリ見てて良かった、マジ。


キャラクターの物語に分け入る前に、まず声を大にして言いたいのは映像のこと。
プリプリは歴代でも作画に恵まれている方ですが、劇場版クラスの作画カロリーと、メセージが明白な演出が相まって、素晴らしい映像が生まれていました。
絵が強いと説得力が違うわけで、この勝負回に全て突っ込んだギャンブルは大成功と言えるでしょう。

出だしの血のように赤い夕陽と、心を反映するような陰り。
今回は色彩のインパクトを巧く使って、ショッキングな状況を飲み込ませる手腕が見事でした。
色彩だけではなく、例えば保護者四人が合流するときの三角形だとか、部外者はるかの視点から見える遠景のプリキュアだとか、レイアウトの妙も光っていた。
今まで当事者として闘っていた戦場が、今はとにかく遠い。
疎外感を強化するあの絵があればこそ、はるか変身不能という非常事態の重さが伝わり、その後の重圧にも共感できる。
あのトゥインクルの小さな姿は、心配りがピリッと効いた素晴らしい演出でした。

アップで見せる情感描写も非常に細かく、自分がはるかを傷つけたと知ったカナタの動揺、何度もプリンセスキーを捻るはるかの焦りと絶望、とても良く伝わってきました。
プリンセスになれないと思いつめた時の涙がグッと胸に詰まるからこそ、ラストの満面の笑みが最高の開放感を与えてくれる。
ぶっ倒れた時の光のない瞳があればこそ、立ち上がった時の決意の表情が映える。
今回の話しが抱えている明暗を、キャラクターたちの表情、仕草は非常によく伝達してくれていて、最高の状態でお話にのめり込めた。
キャラの気持ちが伝わってくる顔を描けているというのは、本当にこのシリーズに力を与えていると思います。

表情という意味ではとにかくクローズさんが気合い入りまくりで、『真殿さんの喉が死んじゃう!!』といらない心配をしていました。
太く荒々しい描線で描かれるクローズは、踏みにじったはずの夢が目の前にやって来る悪夢に怒り、怯え、猛る悪霊そのものであり、プリキュアが立ち向かわなければいけない敵として、非常に説得力のある描写を貰っていました。
このぐらい力強く立ち向かい、憎悪してくる悪役がいればこそ、このヒーローの物語は成立しているのだと、考えを正された演出でした。
いやー第4話でのきららちゃんへの『大した夢じゃあねぇんだろぉ!!?』といい、クローズさんのトス上げやっぱ最高ですわ。


そして戦闘シーンの見事な殺陣。
頭部だけ変身を残した状態からの完全変身から始まり、背動しまくりな復活のリーストルビョン、ロッドを奪われた状態で高空からやって来る仲間たち、弱者を守るために放たれる高空キックと舞い散る花々、逆襲のシャットさんと対峙し一筋の涙を振り払うトワイライトの鮮烈さ、まさかの薔薇バリアと連帯の尊さを見せる。
怒りのクローズとの高速近接バトル、からの友情の超連携攻撃、を凌いでロッドを奪った、と思ったらロッド二本を預けての合体必殺技、の中で展開されるはるかの決意の強さ。
夢の輝きに激怒するクローズ渾身の一撃を、はるかの夢で復活したカナタが受け止める、そこに見える強さと正しさ、愛を確かめ合った二人の結晶として生まれる新たなキーとロイヤルフォーム、放たれる最強の必殺技、致命打をギリギリで避けるクローズの撤退。
興奮のあまり実況調で書いてしまいましたが、スピード感と迫力を維持しつつ、味方も敵も手をつくした緊迫感のある組手を見せ、確認すべき理念を戦闘の興奮とともに届ける構成は、控えめに言ってほんとうに最高でした。
極限まで高まった物語のテンションをそのまま引き継ぎ、むしろ加速させるようなアクションの熱い血潮は、今回のお話が持っている緊張感に一切負けておらず、巧さと熱さが最高のバランスで高め合っていました。

特にはるか復活を魅せつける変身シーンは、ヒーロー物語としてのカタルシスをすべて詰め込んだような凄まじいものでした。
瞑目した状態から決意を込めて瞳を開き、思い出の髪留めを付けてヒーローになる変身のカタルシス、マジすげぇぜ。
このお話は少女たちの成長の物語であると同時に、みんなを守り笑顔にするヒーローの話でもあるので、変身不能という枷をぶち壊して自分の生きざまに戻ってくるこのシーンは、本当に大事。
そういうシーンを最高の仕上がりで見せてくれたスタッフさんたちには、マジで感謝しか無い。
復ッ活! 春野はるか復ッ活!! って感じでした。(ガングロ中国人になりつつ)

 

前回と今回のお話は、春野はるかという主人公が持っているテーマ、つまり作品全体にとってもっとも大きなテーマを掘り下げ、救い上げるお話です。
夢は人を傷つけるけど、それを追いかける意味はあるのか。
夢のために進んでいく力は、どこから湧いてくるのか。
夢にむかって進んでいく主人公とお話が、どうしても立ち向かわなければいけないことに、前回と今回のお話は挑んで、そして勝利したお話だといえます。

はるかの夢は儚く、幼く、脆い夢。
プリンセスになるという形のない夢は、現実の蹉跌に晒されて何度も壊れそうになりました。
それを支えて肯定してくれたのが王子様のカナタであり、だからカナタが言った『夢を追いかけるな、プリンセスになんてなるな』という言葉がはるかをへし折る。
その影響は長く後を引き、Aパート全体を通じてはるかは夢の否定と向かい合います。

回想シーンで『プリンセスになんてなるな』と告げるカナタの姿は冷酷で、取り付くしまのない感じがします。
これを見た時、はるかもまた人間なのだという実感が、強く胸に迫った。
あの言葉を言われたシーンは実際には非常に悲痛で、『記憶ないけど、俺が言った言葉で中学生がボロッボロになってる……』というカナタの痛みが見て取れるシーンでした。
しかし追い詰められたはるかはそのような他人の痛みには気づかず、ただ『自分は冷たく傷つけられた』という印象で事実を塗りつぶしている。
でも、それでいいし、人間はそのようにしか世界を認識できないとも、僕は思う。
ヒーローとして真っ直ぐ夢を目指す女の子でも、自分勝手な認識の世界で他人を身勝手に変化させてしまうし、それを乗り越えて他者の暖かさを思い出すことも出来る。

フツーの世界のフツーの理屈を、大胆かつ勇猛果敢に取り込んでいるこの描写は、希代のヒーロ春野はるかの物語を、絵空事から一歩踏み出した物語として視聴者に届ける、大事な足場だと思うわけです。
そういう描き方はシリーズ全体を通して続けられているし、だからこそこのエピソードではるかが陥った地獄には説得力がある。
細部を疎かにせず、届くと信じて細かいところを描き続ける姿勢が、今回のストレスとカタルシスを生んでいるわけです。
カタナを王子様から普通の青年に一旦下げた前回と合わせて、プリプリのスタイルを強く感じ取れるシーンでした。


夢に迷った結果は変身不能という結果につながり、それが再びはるかを追い詰め、打ち倒す。
暗闇の中で見たのは、夢を支えてくれた王子でもなく、共に戦った仲間でもなく、過去の自分でした。
憧れに導かれて戦い続けた日々には、意味があった。
自分の幼い夢は、確実に何かに辿り着いていた。
はるかが思い出したのは、そういう事実です。
『迷いしヒーローが、初期衝動に立ち戻って自分の生き方を見出す』という類型は基本的かつ強力ですが、詩情と暖かさを込めて描いたこのシーンは、定番以上のパワーを持っています。

はるかが自分で立ち上がった姿に、独善というか『結局自分で立ち上がるのかよ!』というツッコミを入れた人も少なくないでしょう。
しかしはるかが言っているとおり、彼女はみんながいたからこそ夢を抱き続けることが出来た。
回想シーンで流される両親の姿は、娘の脆い理想を尊び、支え、守り続けてきた『フツーの親』の鑑です。
夢の痛みははるかだけではなく、彼女の成長にリアルに金を出す両親にも飛び火する。
三年間でビックリするくらいに太るほど働いたお父さんも、クソ学費高そうなノーブル学園に入学するのを、一瞬ためらう。

でも、自分の娘だから、愛しているから。
痛みを伴う夢の応援を、両親は止めなかった。
はるかが夢の痛みを肯定したように、結局は自分の愛の為に、両親ははるかを尊び、痛みを共有することを選択したわけです。
その『自分勝手』なお節介を尊んでいるからこそ、はるかはずっと花の髪留めを付けている。
それが自分を支えてくれる、家族の愛情の象徴だから。

はるかに導かれてプリキュアという戦士になった二人も同じで、前回のはるかと同じようにボロボロになりつつ、世界を守るために戦っている。
でもその痛みを、二人ははるかのせいにはしない。
自分が選んで戦っているのだから、痛みは当然とばかりに戦いの中に飛び込んでいく。
はるかが『自分勝手』なように、はるかを守り愛する人達も、常に決断の果てに痛みを選びとっているわけです。
そう考えると、支えるという行為は他人のためのようでいて、自分が選びとって支えている自発的な行為でもあるわけです。

身勝手な人たちが、自分の夢のために痛みをわかちあい、『身勝手』に支え合う状況。
今回の話しが浮かび上がらせているのは、『支える』という行為の隠された自発性と、それが繋ぎ合う人間の姿そのものに思えます。
他人と痛みを共有する自発性はつまり『優しさ』であり、自分が選んだのだから痛みに立ち向かう姿勢は『正しさ』と『強さ』を含んでいる。
自分に立ち返り、選んだ夢の尊さを確認したはるかの姿は、グランプリンセスが求める全てを兼ね備えていたと思います。

保護者プリキュア二人がはるかを一人にしたことを詫びていましたが、はるかはその孤独を前向きに受け止めます。
庇護され導かれる立場だったはるかが、みなみときららの暖かい傘から出る強さを手に入れる。
これはドンガメはるかが、親代わりの二人が差し出してくれる暖かい傘から出て、夢の厳しさに立ち向かう強さを手に入れたということで、成長の描写として素晴らしいと思います。
迷いと傷を経て、子供は大人になる。
プリキュアはヒーローの物語であると同時に、成長の物語でもあるわけです。


カナタに夢を与えられたからではなく、みんなに支えられたからではなく、ただ憧れたから。
幼い初期衝動に立ち戻った時、はるかが取り戻したのは自発性でした。
自分が絵本のプリンセスに憧れて、小さくて確かな足取りで前に進んできた事実は、どれだけ他人が支援してくれたとしても、はるかのモノでしか無い。
だあkら、はるかが再発見した夢は『みんなの』そして『わたしの』夢を両方守るという、欲張りなものになります。
他人と繋がって支えてもらわなければ絶対に存在できないものだけども、同時に個人個人が一人で抱えるしか無い孤独なもの。
夢に付きまとうアンビバレンツを的確に指摘しつつ、あくまではるか個人の『自分勝手』さを足場に立ち上がらせた今回のお話は、クローズが指摘する夢のマイナスポイントから逃げず、真っ向から答えを出した回だったと思います。

初期衝動を確認した後のはるかが見るのは、しかし自分の姿ではありません。
これまで支えてくれた家族、夢のお城であるノーブル学園で出会った人たち、プリキュアとして戦い、救えたもの。
『自分勝手』に歩いていても、どうしても関係してしまう様々な人達と、そこで達成した何かを思い出しながら、はるかは立ち上がる。
自分一人であり、同時にけして自分一人ではありえないという矛盾を前向きに受け止めて、『グランプリンセスになる』という夢を、自分のものとして真っ直ぐに受け止める。
この肯定があればこそ、前回は押されていたクローズに立ち向かい、圧倒し返すパワーに説得力が生まれる。
前回と今回の戦いにある差はすなわち、他者の手助けの有無であり、そういう意味でもお話のテーマに直結した戦闘でした。
そりゃ気合も入れる。

自分の奥底から生まれた本物の夢以外は、痛みを伴う夢への道を歩く動機にはならないこと。
夢への道は厳しすぎて、他者からの暖かい支えがなければ歩き続けられないこと。
一見矛盾する二つの真実ははるかの迷いの中で混ざり合い、『他人の掛け替えのない支えを胸に、真っ直ぐに自分だけの自分の夢を進む』という強い答えにたどり着きました。
ヒーローとして、大人になる子どもとして、とても立派な答えだと思います。

 

お姫様はこのように夢に立ち戻ったわけですが、今回長く続いたカナタ王子の旅路もまた、一つの決着を見ます。
良かれと思ってはるかに叩きつけた『夢を見るな』という言葉が、なによりもはるかを傷つけたということ。
絶望と痛みから守ろういう願いが、春野はるかには呪いになってしまうということ。
記憶も夢もないはずのカナタはしかし、自分が冒してしまったミスに敏感ですし、すぐさまはるかに謝罪に走る誠実さも持っている。
『戦いに傷ついて失われたものはあっても、根本的な部分に一握り、残ったものがある』という部分は、はるかと強く響きあうぶぶんです。

自分の夢の根源を取り戻してもすぐに立てないはるかの髪飾りを、痛みとともに握りしめて届けてくれたのはカナタでした。
回想シーンの後にあのシーンが来ることで、視聴者にもあの髪飾りが母親から受け継いだ夢の象徴だということ、それをカナタがはるかに届けることの意味がわかる。
結局一人で立ち上がらなければいけないという真実に辿り着いても、一人では立ち上がりきれないという事実がある。
だからこそ、カナタがあそこに間に合い、伏したはるかに手を差し伸べる意味が強くあるわけです。

『たとえ王子様がやめろと言っても、お姫様を目指すのは夢は捨てられない』という、はるかの強い決意をカナタは拒絶ではなく、新しい夢として受け取ります。
『夢がわからない』と嘆いていた青年はただ記憶を取り戻すのではなく、はるかの毅然とした笑顔に導かれて、新しい夢を手に入れる。
かつて王子に支えられて脆い夢を貫こうと誓った少女は、巡り巡って全てを失った王子に笑顔を与え、記憶を取り戻し新しい夢を手に入れさせた。
ただ守られ、愛されるだけの女の子ではなく、王子様を引っ張っていくような古くて新しいお姫様像に、相応しい帰結だと思います。
泣きじゃくるはるかを救ったカナタの真心が、はるかをプリンセスに育て上げ、その笑顔が青年カナタを王子に戻す。
このまごころの円環はカナタが記憶喪失になった時からずっと望んでいたものだったので、僕としては万感胸を打つ気持ちです。

『夢は、キミのすべてなんだね』『僕は、キミの夢を守りたい』
作中で発せられたカナタの言葉を追いかけて行くと、はるかとカナタの関係が今回のエピソードで完全に変化したことが分かります。
かつて妹を失い、夢を見失いかけていた時見つけた異世界の少女は、あくまで自分の中の失われた妹の代理という側面があった。
再び出会った時も、罪悪感に押しつぶされそうになりながら、あくまで救国の戦士キュアフローラとしての顔を主に見ていた。
しかし今回、『キミの全て』である『夢』を守りたいと強く願いカナタの瞳には、春野はるかでありキュアフローラでありグランプリンセスでもある女の子全てが写っている。
そして、それを守りたいという強い思いがある。
僕の好きな歌のタイトルを借りるなら、"世界はそれを愛と呼ぶんだぜ"ということです。


そんなわけで、春野はるかの夢と愛、カナタ王子の夢と愛をめぐるお話は最高の締めくくりを迎えました。
第1話からここまでの旅路を計算していたわけではないでしょうが、振り返ってみれば丁寧にお話しの要素を積み重ね、幾度も魂の交流を果たし、時には心を砕くような仕打ちを叩きつけたからこそ、辿りつけた高みだと思います。
ずっと誰かに導かれてプリンセスを目指してきた子供は、ただ自分のために、そしてみんなのために夢の痛みを受け入れる女の子になりました。
故国のために、家族のために、王族としての誇りと義務のために戦い続けて傷ついた王子は、新しい夢を手に入れました。
真正面から愛と夢、強さと正しさと美しさについて語ってきたお話しの一つの結論として、本当に素晴らしいお話だったと思います。

そして、このアニメにはまだまだ先がある。
来週以降の物語に、期待が高まらずにいられません。
Go! プリンセスプリキュア
最高のアニメです。