イマワノキワ

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アイドルマスターシンデレラガールズ感想 最終回記念外伝 -過去の感想に見る期待と願望- 第16話~第20話

もしくは、灰かぶりノスタルジア

最終回を迎えた立場から振り返る、アイドルマスターシンデレラガールズ感想の感想。

願望の答え合わせとか、終わってからの補足とかを、ちまちまと書いていきます。

怒涛のキャラ個別エピ周回に入る、二期中盤です。

 

第16話

『負けることへの慣れ』を体に刻みこんである安部菜々にとって、ゲームショーステージでのウサミン再降臨は「最後の仕事」でした。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第16話『The light shines in my heart』感想 - イマワノキワ

 今になって見返すと、あのシーンのウサミンは前川の声に答えたらどうなるのか、一瞬で飲み込んだ上でうさ耳をかぶり直している表情をしています。

無論アイドルが酷い目に会い続ける話ではないので、観客はノッてくれるし、CPに取り込まれて活躍の足場を手に入れるし、ナツナナとしてユニット活動も出来る。が、そういう補正は後からかかるものであり、前川のウサミンコールを前にして一瞬だけ眉をしかめる表情は、ここでキャラを貫いたらどうなるのかという予測を、大人らしく立てた上で決断している。自分の行動の結果を予測できない(しない)前川みく15歳とは、似ているようで違うからこそ、『最後の仕事』という言葉も出てくるのだろう。

デレマスはお伽話で、女の子たちの夢が踏みにじられる『現実的』な展開は、僕達がそう望むようにやってこない。ただ、『現実的』な展開への睨みというか、リアリティへの目配せはいつでもしているし、彼女たちの決断と行動の関連が持つ偶有性は、かなり峻厳に維持されていたと思う。全部失う覚悟で、自分をヒーローと見つめる15歳の声援に答えたウサミン星人の気概を考えると、何度でも涙が出てくるエピソードだなぁ。

今回ウサミンという『負けている』存在に『正解』を言わせることで、CPが邁進するアイドル像は天井と底辺の二箇所から光を当てられることになり、勝ち負けを外れた場所で価値を手に入れました

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第16話『The light shines in my heart』感想 - イマワノキワ

 上と下、両方からの照射で立体感を出す作り方は、『挑戦』という価値についても渋谷と島村でやってる作りですね。

 

コンビを結成して、サマーフェスやそれ以降のアイドル活動を一緒にくぐり抜けてきた日々が、前川を信じてあえてステージに行かない李衣菜からは感じ取れます。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第16話『The light shines in my heart』感想 - イマワノキワ

 この後多田の、というか*のエピソードもあるわけですが、そこでは『辛いけど言わない』前川のクッソめんどくさい側面が顔を出す。これは『信じて言わない』多田の楽観主義とは好対照で、コンビとはいえ同じパーソナリティを描写しない演出哲学に沿った描き方だと思う。

前回から演出をまたぐ形で、今回冒頭に提出された"舞踏会"の企画案が許可され、『これさえ通ればお話がうまく行く』というゴールラインの設定がなされました。

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今後、CPメンバーは"舞踏会"が成功するためには何をしたらいいのか考え、答えを見つけていけばいいわけです。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第16話『The light shines in my heart』感想 - イマワノキワ

 実際のところ、ここで見せた対立の構図は第25話ではなく、クローネとの格付けが終わる第21話で解消してしまう。しかしながら、ここで感じた期待感は島村卯月のプレッシャーと一体化し、卯月の内面を掘り下げていく第22話以降のエピソードを支える、強力な基本構造になる。予感を外すことなく、予測を外す技術の使い方が巧いアニメは、心地よい裏切りを伴って飽きが来ない。

素晴らしい。

権力を利して企画を潰すでもなし、CPの理想を頭ごなしに否定するでもなし、常務は話がわかる人です。

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 無印でやった話の取り回しを徹底的に避けるというのは、デレアニ二期でとくに強調された見せ方だと思います。絵に描いたような悪役だった961社長とは違う形の試練を用意すること、物分りの良い『悪役』が持っている『一分の理』を活かして、主人公側の主張をより強化していくこと。常務の煮え切らない描き方が狙っていたのはそこら辺の差別化だと思うのですが、スタッフの想定通りのパフォーマンスを達成するには、単純な描写時間が足らなかったかなぁ。

これを中途半端と見るか、はたまた『単純な悪役』を超えて物語的役割を果たす布石と見るかは、今後の展開次第でしょう。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第16話『The light shines in my heart』感想 - イマワノキワ

 終わった後から見ると、『『単純な悪役』を超えさしたいという意図はありつつ、描写としては中途半端になったが、アイドル個人の物語を徹底的に掘り下げた結果常務が担保するべきテーマには描写が貫通していて、完全に座礁したとは言えない』という評価になる。

渋谷とアナスタシアをPKに入れたのは、常務が持っているロジックを主役に取り込む上で妙手だったと、今なら思うな。それがもたらす波紋の描写、波をよけきれず沈みかけた島村の描写に時間を使ったところも。そういう意味では、常務個人の描写には尺が使われていないが、彼女が担当するべきテーマ性自身はアイドルを通してじっくり描写されているのだな。

346プロが前者の在り方だけを重視し、プロ意識と実力が要求される後者の在り方をないがしろにしていたのであれば、常務の主張はむしろ当然と言えるでしょう。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第16話『The light shines in my heart』感想 - イマワノキワ

 主人公サイドが持っているヤダ味、第25話でプロデューサーが言ってた『自分だけでは手に入れられなかった視点』は凄まじく意識を使って描写された結果、匂わせるだけで終わった印象。『主人公たちを好きになってもらう』という劇作の基本を強く意識した結果、それを損ないかねない描写を切り捨てたとも取れるわけだが、ストレスをかける展開自体は第6-7話にしても第23-25話にしてもやっている。『成人女性がスモックを着る』という絵のエグみがあったので、あそこで担保できているといえばそうなのかなぁ。

個人的には、この『CPの無欠性』はデレアニ全体通して視聴者ごとに意見が別れるポイントの一つだと思う。

かなり無理がある常務の方針ですが、『強すぎない、悪すぎない』という常務の描き方を鑑みると、意図的に明けた穴という気もします。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第16話『The light shines in my heart』感想 - イマワノキワ

 第22話におけるPKの破綻(とそれをレスキューするCPによる、常務とプロデューサーの格付け)を見るだに、意図的に開けた穴だったようで。

誰かアイドルが『常務の言ってることは一理ある』と言うと、グッと分かりやすくなるけど……現状CPにカウンターを当て続けている『悪役』に寄り添うアイドルは『悪役の仲間』になっちゃうわけで、難しいかなぁ。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第16話『The light shines in my heart』感想 - イマワノキワ

 ココらへんに最大限に配慮した結果、クローネの描き方は繊細になった。視聴者の読解力を最大限信用し、『お前ら理解れ、読み解け』というスタンスは前編を貫いているわけだが、クローネと常務の関係もまた、そのラインの上にある。常務を「悪すぎず、強すぎず」という中途半端な描き方にしてまで、アイドルを悪者にしなかったのは、最高級に褒められるポイントだと思う。

アイドル側に悪役を造ってしまうと、『全アイドルの個性を最大の勝ちと信じ、魅力を引き出すことことがプロデューサーの責務』という第25話の主張も瓦解するからなぁ。とにかくアイドルの側の描写を強めて、そこ一本で貫通させることに成功したのは、偉業と言っていいと思う。

 

第17話

プロデュサーが革靴の踵をすり減らして集めたのは、346選りすぐりのニンフェットたちであり、部署の枠組みを超えて協力体制を作っている描写は、前回から継続されています。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第17話『Where does this road lead to?』感想 - イマワノキワ

 これは第25話のエピローグで、みりあちゃんが辿り着いたエンディングを見せるときにも使われる座組。あの時の川崎ラゾーナは、ペド野郎を一網打尽にするべくポリスが多数スタンバっていたと思う。

同時にここまで負荷が強調されると、その負の側面が破裂するための前準備かなと疑いたくもなりますが、この導火線が何処に繋がるかは先を見ないとわからないでしょう。 爆破するなら、同じように長く埋めている伏線である島村さんが不調になるのと、同じタイミングかなぁとかなんとなく思っていますが。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第17話『Where does this road lead to?』感想 - イマワノキワ

 島村の負荷が強すぎたので、Pチャンは大きく破綻することなく、他のキャラクターを下支えする成長を見せるにとどまりました。メインに座って凹む役ってようは主役なので、ただでさえテーマの転換で忙しい二期では、Pちゃんに任せるわけにも行かないしね。その分、主役になって凹むアイドルへのトス上げは印象的に描かれていて、存在感が消えるということはなかったので、バランスの良い描き方だったと思います。

今回のお話の中の『大人/子供』らしさとは、一つのパーソナリティの中に多様な側面が、多様な在り方で存在しうる、複雑な個性です。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第17話『Where does this road lead to?』感想 - イマワノキワ

『 社会的動物としてのアイドル』というテーマは、一期の頃から重要視されていたけども、内面的物語から外面的物語へとシフトチェンジした二期では、何度も繰り返し強調されたテーマだと思う。一見好き勝手やっているように見えて、『個性を乗りこなせ』『社会に適合しろ』というメッセージは幾度も発揮されていて、『社会に適合しない個性は無』ということもまた、第17話で言っている。

夢物語としてのアイドルフィクションは数あれど、社会性に対してここまでシビアーな目線を持ち、かつ視聴者が覚めない程度に夢を織り交ぜた立ち回りは、デレアニの唯一性として強調されて良いだろう。凄まじくどうしようもなくて、シビアーな事象に激突寸前まで接近して華麗に身をかわす話運び、もっと言えばそのテクニックを極力視聴者に意識させない取り回しは、やっぱりこのアニメ独特のテイストだし、強みでもある。

あんなに嬉しかった『とときら学園』の台本は乱雑にベッドの上に捨て置かれていて、素直に受け入れられない気持ちを表現している

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第17話『Where does this road lead to?』感想 - イマワノキワ

 これは第23話、島村が破綻した時にも共通する描写。

最後の一線を維持し、『頼れる無敵の先輩アイドル』としての自分をギリギリ崩さなかったことが、ストレスの掛かる状況下でも美嘉を信じられる、大事な足場になっています。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第17話『Where does this road lead to?』感想 - イマワノキワ

 『血も涙も流さない、無敵の天使を作らない』というのはこのアニメに共通する演出哲学で、シリーズ全体を使ってそれが最大限発露したのが、島村卯月のエピソードだといえる。ここでの美嘉の神話性の剥奪も、そういう哲学に沿った描写だといえるだろう。

その上で、キャラクターが持っている尊厳に最大限気を配った展開にするところが、このアニメがとても好きな理由である。踏むときは最大限の愛情を持って踏みにじるスタイル。

しかし戦友の不調にいてもたってもいられず、なんとか会話する場所をつくろうとするメンバーの気遣いは『子供』には出来ないわけで、そういう場所を造らなかった結果どんどん事態が悪化した第6-7話の反省を活かしている意味合いも含めて、ケーキを持ち出してきた三人は『大人』でもあります。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第17話『Where does this road lead to?』感想 - イマワノキワ

 第6-7話からの対応改善という意味では、第24話前半の渋谷・本田の動きも共通の描写である。あの話が視聴者に与えたストレスとインパクトは大きいので、そこで行われた不手際は印象的であり、その改善を見せることでそこからの成長もまた、分かりやすい形で演出できる。

『何を着たって自分は自分なんだから、服なんてなんだっていいじゃん』と言い切るきらりは、『他者』からのイメージを気にかけず、天才的な『自己』を押し通すことで社会に居場所を手に入れた、特権的な存在です。 対して『自分の好きなお洋服着ると、心がハッピハッピになるにぃ。それで、自分らしく工夫してオシャレすると、もっともーとハピハピになるんだにぃ』と反論するきらりは、バカでかい身長を可愛い服で覆い隠し、少しでも威圧感を減らすにぃにぃ語法を選びとった、『他者』の気持ちをとても大事にする女の子。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第17話『Where does this road lead to?』感想 - イマワノキワ

二期のエピソードを見ると、『他者/自己の重力が吊り合い、より良い個性の発露が可能な社会的ラグランジェポイントの発見』というのは、クール全体を貫くテーマのように思える。ここであんきらが担当しているのはこのエピソードだけでも、次の話で展開される彼女たち個人の物語だけでもなくて、『他者性を持った自己』の象徴としての杏、『個性を有した社会性』の代表としてのきらりであり、シリーズ全体の落着点を指し示してもいるわけだ。

結果、エピローグでは各員、個別エピソードで『苦手』とされていたジャンルに積極的に飛び込み、バランスの良い個性を発露した姿を手際よく見せて、物語の完成を印象付けている。収まりの良いエンディングの布石として、あんきら問答はかなり重要なシーンだと思う。

ここでの移動が自転車なのは、自分の足を使いつつも、一歩ずつという段階を飛び越えた疾走感を出したかったのかな、などと思いました。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第17話『Where does this road lead to?』感想 - イマワノキワ

 もしくはAKBの代表曲"会いたかった"への目配せか。

♪自転車全力でペダル 漕ぎながら坂を登る♪

"言い訳Maybe"でも自転車に乗っているし、無印だとそのまんま"自転車"っていう曲があったなぁ、そういえば。イメージと引用の網はこのように無限に広がっていってしまうので、どこかで制動をかけないと野放図になってしまう所だと思う。

莉嘉が見つけた答えは、『他者』が押し付けてくる『子供』らしさの象徴を脱ぎ捨てることではなく、それを受け入れた上で『自己』が望む『大人』らしさと融合させ、着こなすことでした。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第17話『Where does this road lead to?』感想 - イマワノキワ

莉嘉は ここでのスモック着こなしを経て、エピローグでは姉と一緒に大人系の仕事に到達している。デレアニに特有の超ロングパスというか、印象的な絵を拾っての収束のさせ方が、そろそろ牙をむき出しにして来る話数である。

『なんたって私は、カリスマJC・城ヶ崎莉嘉の姉だからね』という言葉は、『自分』が認識する『自分』を大事にするだけではなく、妹という『他者』が誇りに思う『自分』を自己認識の核とした発言であり、ずっと悩まされてきた『他者/自己』の対立が美嘉の中で解消したことを示しています。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第17話『Where does this road lead to?』感想 - イマワノキワ

 この『他者の視線に映る自分』の究極系がファンの目線だと思うのだが、デレアニではファンを主役にした話はなく、その視座やエゴイズムに切り込んだ話もなかったように思う。卯月が立ち上がる時、信じて見守ったアイドルの姿は描かれていても、ファンの印象は薄い。その残酷な切り分けがあればこそ、女の子個人の真理に分け入って全てを突破していく加速度もまた、獲得できたのだ。

だから自分は、デレアニのファン描写の『軽視』を強く支持する。一点集中の結果として、ファンを掬いあげるに足る加速度を、このお話しのアイドルたちは手に入れていると思うから。(そもだにあくまで比較論であって、ファンを一切書いていないほど非社会的な物語ではなく、むしろ社会性が重視される関係上、他者としてのファンの姿は多い。一人称的な自我を持って描かれる尺がほぼない、ということである)無印第17話がアイマス世界での『ファンとアイドル』の関係性にほぼ完璧な答えを出しているので、カウンターを当てる意味を見出せなかったというのもあるだろうが。

 

第18話

単純に一人の女の子がうまく前に進めないことに苛立っていたのもありますが、このアニメの良い所である多角的な描写が、智恵理を素通りすることで徹底を失い、描写の一貫性に傷がついてしまうように感じたからです。

アイドルマスターシンデレラガールズ -2nd Season-:第18話『A little bit of courage shows your way』感想 - イマワノキワ

 ここでギャンギャン言っているのは、今思い返してみると『常務にもそういう感じで頼むよまじでさー』という未練が透けて見える。

『負け役』である智恵理、『普通の子』であるかな子が持っている強さというのは、むしろその不器用さにあるのではないか。 そして素直さと優しさがあればこそ、様々な人の助力を素直に受け入れ、肩の力を抜いて新しい成功をつかむことが出来たのではないか。 彼女たちの奮闘を追いかけた今回の描写を見ていると、そういう気持ちになってくるのです

アイドルマスターシンデレラガールズ -2nd Season-:第18話『A little bit of courage shows your way』感想 - イマワノキワ

 智絵里&かな子の成功の鍵が『視野を広げる』ことだったことに対し、卯月の成功の鍵が『徹底的に自己を掘り下げていく』という縦横の対比は、個人的に面白いと思っている。これがキャラクター性の違いによる手段の違いなのか、同じ手段を二回使わないというでレアにらしさの発露なのかは、ちょっと知りたいところ。

きらりに対する思いやりの返礼として貰った飴が、かな子の窮地を救う真心のリレーは凄く胸に響く描写ですが、それはさておき二人への助言に共通しているのは強張りを脱すること、形式に囚われず目的に立ち戻ること、自分らしさに立ち戻ることでしょう。

アイドルマスターシンデレラガールズ -2nd Season-:第18話『A little bit of courage shows your way』感想 - イマワノキワ

 『自分らしさの喪失と再発見』はこの後、卯月のエピソードでも再演される。やってる事自体は同じなんだが、一話で上げ下げが完結するのと、4倍以上の時間を使って上げたり下げたり壊したり直したりするのは、やっぱり火力が違う。

わざとらしく表に出る『仕掛け人』とのやり取りや、アイドル情報誌の紙面を上手く使いながら、CPが使える武器の危うさを巧く表面化していたと思います。

アイドルマスターシンデレラガールズ -2nd Season-:第18話『A little bit of courage shows your way』感想 - イマワノキワ

 この『ヤダ味』はこの後掘り下げられることなく、しかし棘のように的確に刺さって残る描写だった。この描写があればこそ、第25話の常務とPの問答がギリギリ説明ではなく描写になっているというか、題目一歩手前でギリギリセーフというか。

あそこの受け取り方は人によって相当変わるとは思うが、自分としてはこういう目配せを破綻ギリギリを攻めつつ入れたからこそ、『アイドルの物語』から『アイドル論の物語』にフェイズ・シフトするあのシーンは成立しているように思う。

これが以前言っていた『美城というブランドに相応しい、カリスマ性を持った高嶺の花』の具現だと思うのですが、たしかに衣装や照明はキリッとした印象を与え、自分たちの強みを理解している印象があります。

アイドルマスターシンデレラガールズ -2nd Season-:第18話『A little bit of courage shows your way』感想 - イマワノキワ

それにしたって、 常務は目元のクールなキレイめ系女子好き過ぎだと思うマジ。俺も好きだよ。

それは『出来る』ヤツ『出来ない』ヤツ、『負け役』に『天才』に『普通の子』と、色々揃って個性があるCI、CPと重ね合わされてんじゃないかなぁと、僕は思うわけです。

アイドルマスターシンデレラガールズ -2nd Season-:第18話『A little bit of courage shows your way』感想 - イマワノキワ

 『負け役』含めた個性の許容に関しては、第25話の問答でもPが足場にするテーゼなので、ここで軸に据えて掘り下げるのは必要かつ大事だと思う。あの問答って一般ファンとコンテンツホルダー両者の立場を代弁させた上で、止揚した結論にふたりとも上がるってことなのかなとか、今は考えていたりする。

 

第19話

CPが外部につながらなくてはならない状況は、常務によるプロジェクト一新が起因となっていますが、実はCPメンバーが直接にその圧力を受けることは少なく、ゲスト・アイドルが常務の圧力を受け、CPメンバーがそこから抜け出す手助けをする構図が多いように思えます。

アイドルマスターシンデレラガールズ:第19話『If you're lost, let's sing aloud!』感想 - イマワノキワ

 この19話でゲストアイドルを軸にした流れは終わり、常務の圧力をCPが直接引っ被る秋フェス編に入る。逆に言うと、ここまで常務とアイドルとの直接的コンタクトはほぼ無かったわけで、『アイドルの話』であるこのアニメにおいて、『このオバサン、アイドルとも絡まんしなんでおるの?』という疑問が生まれるのもしょうがない。

そしてその疑問を払うためには常務をアイドル級の扱いをするしかなく、とすれば話のバランスが崩れ、アイドルの見せ場が減る。傷を最小限に抑えるためには、常務を装置化しつつ話ごとに必要な動きをさせる流れが、やっぱベストだった気がする。

これを一貫性のないキャラクター描写のブレと受け取るか、各話ごとの役割に合わせた描写をしていると受け取るかは意見の別れるところですが、毎回課題を与え乗り越えるべき障壁を演じる『単純な悪役』という描かれ方をしていないのは、こうして並べてみると歴然としています。

アイドルマスターシンデレラガールズ:第19話『If you're lost, let's sing aloud!』感想 - イマワノキワ

 この予感自体はあたっているのだが、それが結実するのは作中というよりも、色々要素をつなげていった視聴者の『読み』の中である。『読み』は原テキストがなければ発生し得ないし、『読み』を発生させないテキストもまた存在し得ないわけだが、同時に個別の『読み』はあくまで個別であり、共同体験として広く展開される原テキストとの際はまた、実際的に優位に存在している。

視聴者各員の『読み』を可能にした、過剰な印象主義を是とするか、否とするか。そこら辺が、デレアニの評価にかなり直結する判断ポイントのような気がする。自分は大きく是認派であるが、視聴者の『読む』能力に信頼を置きすぎているとか、難しく作りすぎているとか、意味を過剰に持ち込みすぎているという批判もまた、一理以上の理があると思う。

本田未央の脱退未遂であるとか、*としての活動であるとか、CP全員が一丸となった夏フェスであるとか、様々な経験を経て李衣菜も成長し、いつまでもにわかでいてはいけない、自分が選んだ『それ』に対し『本気にならなければいけない』と、強く感じるようになりました。

アイドルマスターシンデレラガールズ:第19話『If you're lost, let's sing aloud!』感想 - イマワノキワ

 やっぱデレアニ内部の多田は、二歳下の前川より子どもとして描かれていて、ここら辺の実年齢と精神年齢の逆転は例えば凸レーションや第17話での描写とも共通するところ。

まるで恋する少女のように夏樹を見つめる李衣菜にとっては、一切瑕疵のない完璧な存在に見える夏樹も、彼女の目に見えない部分では悩んだり怯えたりしています。

アイドルマスターシンデレラガールズ:第19話『If you're lost, let's sing aloud!』感想 - イマワノキワ

 これは相棒前川のウサミン星人への視線と共有するところだが、傷も負わない、涙も流さないヒーローへの無邪気な視線が、ヒーローを死地に追いやりかねない危険性を常に持っているという視点が、二期の*エピには必ず埋め込まれている。

夏樹は覚悟を決めて常務の誘いを蹴ったのであり、『*Withナツナナ』という形でCPに入り込めなかった場合、一匹狼として冷たい風に吹かれる覚悟、もしくはアイドルを辞める覚悟を、解散ライブの時にしていたと思う。これはウサミンコールを受け取った安部菜々の一瞬の逡巡、一瞬の覚悟と、全く同じものである。そして無邪気な多田李衣菜は、前川みくを選んだ己の決断がそういう択一性を孕んでいる可能性を考えもしないし、結局そういう峻厳な選択は作中なされない。お話は視聴者が望むままに安らかな場所に落ち着いていく。

この『大人』な表情はヒーローに憧れる『子供』たる*の側からは見えないし、見えてはいけないし、見えることをヒーローも望まないだろう。やせ我慢をしたまま破滅に真っ向から向き合う姿勢はしかし、あくまでシンデレラ・ストーリーであってカタストロフィフィクションではないデレアニに於いては、予想される破滅に結実しない。

アイドルの現実的な破綻を予感させておいて救済する方舟として、二期のCPは機能している。

二者択一を突きつけられた李衣菜はここでようやく、自分がロックに熱中するあまり事態が悪化していたことや、一期(特に第11話)で積み上げてきた絆が切れかかっていることに気づき、*を選びとります。 夏樹が目覚めさせてくれた『それ』への本気を尊重しつつも、相方として選びとり一緒に歩いてきた前川みくと一緒にロックすることを、李衣菜は選択したわけです。

アイドルマスターシンデレラガールズ:第19話『If you're lost, let's sing aloud!』感想 - イマワノキワ

 結局夏樹は覚悟していたように『アイドルの物語』からはじき出されることなく、李衣菜ともバンドを続けることができている。例え作中の展開がそうなったとしても、あの一瞬(たとえそれに自覚的でなかったとしても)前川を選択し夏樹を選ばなかった李衣菜の決断は、キャラクター的にもストーリー的にもシリーズ構成的にも大きな意味がある。

これまで『決断』と『変化』をほぼ無条件に選択してきた二期のストーリーテリングが、ここで『今までどおり』を選択する。このチョイスがあって初めて、『決断』と『変化』が無批判に称揚される脳天気さから二期は逃れられるのであって、それが*の内部であったことにもまた、大きな価値が有るだろう。

例えば青一色塗った世界の中で『青さ』は確認できないように、価値には必ず対比物が必要になる。『挑戦』と『変化』が二期において(そしてそれが終わりのエピソードを含む以上、作品全体において)確認するべき『青さ』だったとしても、それに意味を持たせるためには一期で構築した関係性に立ちもどるという『白さ』が絶対に必要だったのだ。だからこのエピソードは、物語構造体としてのデレアニを特に高く評価する僕にとって、非常に特別な意味を持つ。

『頼れる仲間を集めて、悪辣で強大な常務を倒せ!』というクエストは、個別のキャラクターとゲスト・アイドルとの物語を緩やかに繋ぐ、大きな縦糸です。(常務の描写がソフトに過ぎて、悪辣にも強大にも感じられないというのは、また別のお話です)

アイドルマスターシンデレラガールズ:第19話『If you're lost, let's sing aloud!』感想 - イマワノキワ

 終わってみてからみると、『悪の常務を倒せ』は相当意図的に印象付けられたクエストであり、敵と思えた常務(とその配下であるPK)と、味方と思えたプロデューサー(とその配下であるCP連合)の対立路線を軽々と越えていくアイドルの力を、より印象づける道具立てだったのだろう。

その構図が常務の描写の踏み込みの甘さで機能しかねているってのは過去の自分の指摘のとおりだが、同時に一箇所機能不全に陥っても、メインエンジンであるアイドルの描写一本でぶっちぎる強さがこのアニメにあったのもまた、おそらくは事実。

常務側のロジックと実力を見せる意味でも『宮本フレデリカ&塩見周子&速水奏』の描写って大事だと思いますが、何しろ彼女たちのユニット名も明瞭ではない状況なので、あんまり掘り下げることはないんでしょうかね。

アイドルマスターシンデレラガールズ:第19話『If you're lost, let's sing aloud!』感想 - イマワノキワ

 舌の根も乾かぬ20話で常務側のアイドルであるPKが描写され、そこに一人称的視点を持つアナスタシアと凛ちゃんが取り込まれることで、PK(とその後ろにいる常務)に親しみを持たせるエピソードが展開されるわけだが。

ここでダラっと愚痴っているのは、常務のお話が動き出しそうで動かないまま、五話ほどお預けを食らった苛立ちの現れのように思う。要するに一目惚れだったのであり、『推しの出番がこねーぞ死ね!』という厄介の寝言である。コバヤシくんホンマ常務好きやな。

もしトライアドプリムスが凛ちゃんに『何か』を与えるのなら、それは貴重な出会いを作った常務の行動がポジティブな意味も持つという証明になり、彼女が『ただの悪役』ではない描写を強化することになると思うのですが……さてはて。 正直な話、常務の多面的な描写が演出のブレなのか、狙った多面性なのか、嫌われる悪役を押し付けない臆病さの現れなのか、イマイチ確信が持てなくなってきているので、実際の描写を待ちたいところです。

アイドルマスターシンデレラガールズ:第19話『If you're lost, let's sing aloud!』感想 - イマワノキワ

 ここでの読みはだいたい正解なのだが、凛ちゃんが『出会いの機会を作ってくれた』常務に直接礼を言うシーンがないため、『出会いの場所に飛び込むことを許してくれた』CP、NG、プロデューサーのお値段だけが跳ね上がる結果になった気がする。まぁ凛ちゃん衝動的な生き方をしているので、自分が到達できた場所の背景や、その後ろにある何かに目を向け感謝するのが苦手ってのは、のちのち描かれるところでもある。

常務と凛ちゃんの絡み自体は第22話で一瞬描写されているし、このアニメを過剰に『読む』ことに慣れた視聴者であればそこに感謝の念を感じ取ることも出来るわけだが、それは一般的な視聴態度として期待するにはあまりに熱心で貴重なスタンスのような気もする。なお、僕は勝手に読み取る岸にい続けたわけだけど、これは能力というよりもスタンスの問題だと思う。『デレアニは共感能力と文脈推察能力が必要な、高度なアニメ』みたいな寝言を垂れ流しにして、『出来る視聴者としての俺、出来ないゴミヲタとしてのお前ら』みたいな距離感を作りたいだけの発言は、そんなわけで価値も妥当性もない。

これで二期でユニット単位でのエピソードがないのがLOVE LAIKAとRosenburg Engelになりましたが、あと二話基本フォーマットを踏まえた変奏に使うのか、はたまたここらで大きな波風を起こすのか。

アイドルマスターシンデレラガールズ:第19話『If you're lost, let's sing aloud!』感想 - イマワノキワ

結果としては 大きな波風が起き、LLはアーニャが引きぬかれて離別、REは小梅ちゃんが追加されて二人体制と、かなり揺れることになる。小梅ちゃんは個別エピで辛味がないまま、気付けばCPの核心に滑り込んでいた、相当珍しい立場にいると思う。ウサミンと夏樹はそれぞれ、個別エピで絡んでるし。

個人的にはやや影の薄いアナスタシアにスポットを当てて欲しいところですが、どうなるんでしょうかね。

アイドルマスターシンデレラガールズ:第19話『If you're lost, let's sing aloud!』感想 - イマワノキワ

 当たる当たる、次の話の主役はやっぱアナスタシアだよ、どう考えても。

 

 

第20話

今回圧力がかかったのはアーニャと凛ちゃんなので、現状そこまで卯月は追い込まれていませんが、これまでの描写を見るにとことんまで煮込む問題なのは間違いがなく、そうなった時プロデューサーはどういう対応をするのか。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第20話『Which way should I go to get to the castle?』感想 - イマワノキワ

 結局答えは『徹底的に島村卯月の内部に潜る』だったわけですが。

これまで結構外部的というか、気持ちが前向きになったらOKそこまで! という感じの解決策が多かったわけで、何度も『お、上がるか?』と思わせておいて踏み切らない卯月の料理の仕方は、最後の最後でルールに追加状況を足してきた感じがして、意外性もあったし好きでもある。『普通』だからこそ最後には『自分』に立ち戻るしか無いというのは、やっぱ生々しい。

凛ちゃんが自分の中の衝動/Pulseに従うカルマを背負っている以上、未央がどれだけ傷つこうが、自分の気持を明言することは避けても、否定はできないわけです。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第20話『Which way should I go to get to the castle?』感想 - イマワノキワ

 この他人の痛みよりも自分の衝動を優先する特性は、第23話で卯月を問い詰めた時にも炸裂する。見れば見るほど、キャラクターの人格が急に生えてくるわけでなく、特定のモデルをシーン毎、必要なだけ露出しているアニメだと思う。キャラはブレているわけではなく、多角的な人格の何処が露出するのか、場面ごとに変わっているのだ。少なくとも、アイドルにおいては。

どれだけ『頑張って』も選ばれなかった第1話前夜は、いつも笑顔で明るい島村卯月の中で、未だ癒えていない傷なのかもなぁと、探しても探しても答えが見つからない彼女を見ながら思いました。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第20話『Which way should I go to get to the castle?』感想 - イマワノキワ

 この予感は第23話で実現し、僕を苛むことになる。あのシーンは本当に、性格が悪くて的確で素晴らしい。

しかし余計な推測をするだに、常務を敵視する姿勢を改め、常務の影響下でTPをはじめる凛ちゃんを認めるよう、話し合いを持ったのではないでしょうか。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第20話『Which way should I go to get to the castle?』感想 - イマワノキワ

 結論から言ってしまうと、そういう側面がないわけじゃないけど、どっちかって言うと本田の気持ちを落ち着ける方向に展開した説得だった。美嘉が思いの外大事な仕事をしていて、『相棒っ面もそこまで来ると立派だなッ!』って感じだ。美嘉なので許す、超許す。

未央が決意を込めて、少し軽い調子を演じながら言ったソロデビューの中に、どういう感情が込められているのか。 それは来週以降のお話になりますが、不安と期待を感じさせるいいヒキだったと思います。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第20話『Which way should I go to get to the castle?』感想 - イマワノキワ

 この宣言に込めた感情は視聴者にとっても謎のままで、それが演劇の言語を借りてNG(というか凛ちゃん)に開示される運動自体が、21話を引っ張っていくことになる。本田は仮面をかぶるのが巧いので、ずっとわからない状況が続く座りの悪さというか、落ち着かなさが持続するのは一種の賭けな気もするが、自分たちが描いてきた本田未央を信じたからこその描き方なのだろう。

物語的燃料が少し少なくなった二期では、一期では取り上げられなかった要素や、一度は是としたポイントを別角度から掘り下げ、埋もれていた問題点に光を当てたりしつつ、プロジェクトを白紙に戻しCPを地下に追いやった常務を『敵』に設定することで、お話が回転していた部分がありました。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第20話『Which way should I go to get to the castle?』感想 - イマワノキワ

 これは間違いない。基本的に束で個別エピソードをやっつけていった結果、二期はかなり時間敵余裕ができてんじゃあ何すんの、と言ったら一期の到達点を変奏し、拾いきれなかったところを掘り下げ、別の結論に至る転がし方をする必要がある。ただ夏フェスでの達成感を引きずって、恵まれたまま話を転がしても切迫感はない。ので、『敵』はテーマの転がし、少女たちの新たな挑戦を茶番にしない意味でも必要だった。そういう意味で、常務の存在は重要な軸。

顔の見えない『敵』だったはずの常務のアイドルは、自分たちと同じように笑って泣いて喜んでしていそうな、素敵なアイドルだったという発見。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第20話『Which way should I go to get to the castle?』感想 - イマワノキワ

 「目を見てはダメ、目を見ては殺せない」というのは"シムーン"作中の台詞ですが、『敵』として存在してもらうということは人間らしい内面を掘り下げず、共感を弾いてキャラのお話を回すということでもあり、このタイミングまで常務が何を考え何を価値としているのか、描写できないという作話の技法はよく分かる。

PKにCPのアイドルが入ることで、CPを主人公≒作品に自分が入り込むための足場として見ている視聴者もまた、PKと常務サイドに入っていく回なのだろう。それはアイドルたちが好きにならなければ成功しない運動だし、狙い通り成功していたとも思う。

これまで全く喋らなかったKPメンバーが今回、自分の言葉と体温を持って動き出したことで、彼女たちの個性もまた、今後の物語の中で輝き出すのかなと期待してしまいます。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第20話『Which way should I go to get to the castle?』感想 - イマワノキワ

 まぁ第二のCPを掘り下げていく余裕が有るはずもなく、クローズアップされるのはありふみくらいで他のメンバーはそんなに目立たないわけですがね! 惜しいところだと思うが、同時に卯月周りの伏線の埋め方を考えると終盤を卯月に捧げるのは既定路線であり、となればPKの掘り下げに回す余裕が無いというのもよく分かる。このアニメらしい目配せの良さで、存在感のある脇役として美味しいポジションは確保できていたし、みんな可愛かったし(重要)、願いどおりではないがベストな取り回しに為った気がする。

今回プロデューサーが常務の持つ一分の理を知ったように、常務もまたプロデューサーの理念が有する利点を学んで、お互い認め合うようになる(というか、ならざるを得ない)んじゃないかというのが、今回の描写を見て思わず巡らした妄想です。

アイドルマスターシンデレラガールズ 2nd Season:第20話『Which way should I go to get to the castle?』感想 - イマワノキワ

 常務はツンツンな上にポエム言語を使いこなすのでいまいち真意が分かりにくいのですが、頑なに上から(物理)だったポジション取りを止め、アイドルの目線まで降りてきていることを考えると、やっぱプロデューサーの影響は大きく受けて、生き方も変えている。

(というか、ならざるを得ない)』ための事件は文香がぶっ倒れることで発生し、PクンとCPが颯爽と救ったことで解決するわけだが、これに恩義を感じて『(Pクンの言ってることも一理あるかも~)』とか考え現場に出てくる辺り、常務は話のわかるやつだ。しまむーの涙見たら一発だし。……やっぱこの人、悪の魔王とかやるには人間柔らかすぎる人だったってマジ!!