イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

すべてがFになる -THE PERFECT INSIDER-:第7話『灰色の境界』感想

人倫を超越した天才の名残に分け入っていくインサイド・ミステリー、七話目は英語の対話と過去への旅路。
一度研究所を離れてモチベを確かめた甲斐あって、積極的に探偵役をこなす二人。
犀川先生は英語で真賀田妹と会話をし、萌絵は記憶の海を潜って死人と喋る。
VRやら隠された思い出やら擬似人格やら、どんどん『現実/こちら側』と『非現実/彼岸』の境界線が薄れていく、四季の世界であります。

お話の半分は四季妹と犀川先生の英語でしゃべらナイトでしたが、VR空間でリビドーとトラウマと戯れ合う萌絵に比べると、比較的足場がしっかりしているお話に思える。
とは言うものの話している内容は、殺しのアリバイやトリックを確認するわけではなく、毎度のように真賀田四季にまつわるお話になる。
自分は既読でありこのシーンが秘めている意味も解ってしまっている、いわばアニメを通して小説を再読しているような立場なのだが、なかなか面白いシーンだった。

一見足場があるように思えるこの会話、未来と四季は交流がなく、研究所の殺人事件に直接関わる情報は手に入れようがない。
この対話から分かるのは未来の中の四季だけであり、とある理由からしてこれ以上に真賀田四季に迫る対話もまたない。
仮想化された四季博士と直接接触した萌絵よりも、英語という(視聴者にとって)非直線的な言語で思い出を語り合った、犀川先生の屈折したアプローチのほうが、後々核心に突っ込むネタを大量に孕んでいるのだ。
己が真実の目の前にいると知らないまま、あけっぴろげに言葉を使うことで隠匿された真実に近づいていってしまう、無自覚な探偵。
このお話における犀川創平の特異な立ち位置が、クリアに見えてくるシーンだったと思う。

犀川先生は未来と会話しつつも未来自身についてはほぼ語らず、今ここにいない四季博士についての印象や判断を言葉にし続ける。
犀川自身にとって、そして犀川が唯一気にかけている萌絵にとって、真賀田四季の重力がどれだけ強いのかということ、殺人事件ではなく不在でも(ゆえに?)強烈な存在感を放つ真賀田四季の解明こそがこの話の中心であるということが、その間接的な対話から見えてくる。
未来も犀川を支配する重力を物分りよく理解し、自分の話ではなく姉の話を続けるわけだが、そこにはお話しの都合以上のいかにもミステリ的な理由がちゃんとある。
それを僕は既に知ってしまっているわけで、話題が自分の上を通り過ぎて行くのに不満気な顔ひとつしない未来の不自然がフェアに開示されているかどうかを、本当の意味で判別はできないだろう。
しかしアンフェアな立場からみると、あのシーンが持っている不自然さは、おそらく意図的に不自然に長尺でねじ込まれた英語の会話に覆い隠されつつも、綺麗に強調されていたように思う。
犀川創平のクレバーで浮世離れした、率直で賢い意見を真賀田未来がどう聞いたのか。
犀川創平追想(もしくは空想)に、なぜ真賀田未来は付き合ったのか。
そここそが、あの長い英会話で注視するべきポイントだろう。


萌絵の方は欲望開放装置に振り回されつつ、己のトラウマと向き合っていた。
青すぎて偽物のように見える(実際偽物なのだが)空だとか、虎水着で空を泳ぐビューティフル・ドリーマー萌絵だとか、ブロックとして崩れ再構築されていく世界だとか、VR装置の描写は悪夢めいた楽しさがあって好きだ。
少年のように素直に楽しむ犀川先生が『もえ』のTシャツを着ている辺りに、彼女が屈折した恩師との付き合いに求めるものが象徴化されているように思う。

萌絵に都合のいい遊び場はあっという間に切り崩され、電子化され再構築された真賀田四季の知性が彼女の傷を切開していく。
両親との死別にまつわるトラウマはアニメ版でも示唆されていたところであり、置いてけぼりにされた萌絵が両親に対しコンプレックスを抱いていたというのも、既存の演出ラインに乗っかった情報だ。
わざわざ電子の亡霊が出て来て今回見せたのは、事件現場に犀川創平が居合わせていたという事実だ。

置いてけぼりにされた萌絵は当然両親のもとに行きたいと願ったわけで、つまりそれは死という彼岸への希求なのだが、血を流して萌絵のタナトスを受け止めたのが犀川先生だというのは新しい情報だ。
これが公開されることで視聴者(そして四季の患者である萌絵)に、萌絵が犀川にあそこまで固執する理由、世間知らずのお嬢様然とした自然体からはみ出して、不自然にギクシャクしてしまっている萌絵のキャラクター性に、ある程度納得が行く作りになっている。
いかにもなお嬢様として幸せに過ごしていた幼年期は飛行機事故によって滅茶苦茶に引き裂かれてしまい、血に汚れたドレスを捨てること、両親がいた幼年期と強制的に決別することでしか萌絵は生き残れなかったわけだ。
結果手に入れたのは色を抜いたショートカットと、今時の女子大生を装いつつなりきれていない、ヘンテコで面倒くさい少女の似姿である。

萌絵は忘れていたが、彼女にとって彼岸へ行き着くことは恐ろしいことであると同時に(もしくは故に)魅力的でもある行動で、相反する欲望に引っ張られかけた危うい萌絵を知っていればこそ、犀川真賀田四季の重力に轢き殺されそうになっている萌絵の手を握り、不器用にこちらの岸に止めようと頑張る。
自分のトラウマとリビドーを自覚しない萌絵は、いわば戦うべき怪物の顔を見もしない戦士であり、勝ち目がない。
真賀田四季という彼岸に引き寄せられる彼女をこちらの岸に繋ぎ止められるのは、事故当時既に大人であり記憶も保持している犀川だけだった。
真賀田四季の荒療治で萌絵は己のトラウマを思い出し、戦うべき(もしくは飼いならすべき)怪物の顔をようやく正面から見たわけだが、この経験がなければ萌絵は真賀田四季を『犀川先生を掻っ攫う泥棒猫』として嫌悪し、同時に『父母と同じように彼岸に行ってしまった魅力的な人物』として愛着する矛盾した気持ちに気づくことが出来ない。
このお話が殺人事件ではなく、真賀田四季を巡る冒険であることは既に明白なわけだが、自分と真賀田四季の間にある重力を認識することは、萌絵が事件を解決すること(≒お話が終わること)にとって決定的に重要だ。


なぜ真賀田四季は、己の分身を事件現場に慰留してまで、萌絵の精神を切開したのか。
13歳の真賀田四季と19歳の西之園萌絵が重ね合わせで描写されているというのは、アニメ版に特徴的な描き方だ。
これまでは四季の年に似合わぬ異常性や、萌絵の年に似合わぬ幼さを強調する側面が目立っていたが、この重ね合わせは差異の強調だけではなく、共通点の強調をも狙って演出されている。
両親/愛するべきもの/憎むべきものの血と死に彩られたドレスを、今回幼い萌絵も幼い四季も両方着ている。
二人はとても良く似た経験をして、側には年長の、当事者にとっては頼れるけど一般的なマッチョイメージからはズレている男がいて、しかしそこからの結論は真逆だ。
犀川創平は傷つけられても引かずに萌絵をこちらの岸につなぎ留め、新藤清二は言われるままに殺人者の汚名を四季に引っかぶせて、彼女を閉じ込める白い檻の王様として君臨する。

似通っていて違うものとして描写されてきた二人の女の力関係は、今回一つの秘密が暴露されたことで綺麗に反転している。
歳の割に賢く妖しく男を操っていた真賀田四季は望みのまま世界から切断され、歳の割に幼く暴走していた西之園萌絵は己の傷と向かい合った。
自分のために傷つき、生き残り向い合って喋ってくれる男を手に入れた萌絵に対し、四季の男は日記という間接的な言葉しか持たず、一緒に血も流してくれない死人だ。
これまであからさまに四季優位として描かれていた回想の価値観は、今回逆転している。

とすれば、真賀田四季の重力に萌絵が引き寄せられるように、真賀田四季もまた自分に似た、しかし異なっている小娘に魅力を感じ、引き寄せられているのではないか。
今回の反転が流れ着くのはそういう推測であり、ここに辿り着くことで、四季の異質性・天才性に引き寄せられる犀川と萌絵が、お互いを引っ張り合う人格的綱引きというこれまでの構図もまた変化する。
白い異界の外側に位置し、殺人と自己隔離で一度否定した『こちら側』に居続けながら、自分と似た経験をして真逆の立場にある二人。
彼等を切り捨てつつ引き寄せられるアンビバレントな感情の綱引きを、超越者のはずの真賀田四季もまた演じている可能性に、今回話しは踏み込んだわけだ。

犀川先生が大人の女に取られちゃう』という萌絵の幼い主観に過剰に接近し、時に苛立たしいほど萌絵の空回りと無力さを切り取ってきたアニメの演出が、ここで生きてくるように思う。
あのように幼く危うかった萌絵から見て真賀田四季は、それこそ母親のように完璧で超越的な存在だったわけだが、しかし同時に真賀田四季もまた、異質なる同種に引き寄せられる重力から無縁な、無感情で完璧な天才というわけではない。
今回四季の物語の末路と、萌絵が隠していた過去が同時に開示されたことで、真賀田四季もまた西園寺萌絵の危うさと幼さを、もちろんその発露自体は別の形をとっていたけれども、共有していたのではないかという疑念が湧いてくる。
一方的だと思っていた関係が実は双方向的だったという驚きは鮮烈だし、これは"四季"と"すべててがFになる"を混ぜあわせ再構築した、アニメ特有の構成が最大限に生きているポイントだろう。


圧倒的な存在感を持つ真賀田四季に引きずり込まれないように、萌絵が犀川を、犀川が萌絵をそれぞれ引っ張り合う綱引きのように思えた物語は、気付けば別の形を見せてきた。
自分に似た犀川と萌絵の重力に引きずられないよう、『こちら側』の岸にたぐり寄せられないよう、抗いながら接触を試みざるを得ないもう一つの綱引きが、この研究所の中にあったのではないか。
今回のお話が見せるのは、多分そういう構図だ。

『こちら側』に上がってしまえば『近親相姦を犯した殺人者』という、面白くもなんともないレッテルを貼られキャラクター性を失ってしまうのだから、四季は簡単に二人を認める訳にはいかない。
電子化されたカウンセラーとして、存在しない亡霊として、妹の記憶を反射板に語り合う超越者として、足場を確保しながら立ちまわることになる。
その狡猾な語りのテクニックは、実は倫理と常識を超越した『彼岸』に魅せられながら抗う、犀川と萌絵の運動と全く同じなのだ。
これまでただ、真賀田四季という巨大な謎を追いかけてきた探偵二人が実は、被害者にして黒幕と同じ位置にいたという暴露は今回、かなり的確に決まっていたように思う。


『こちら側』と『彼岸』に相対しながら、お互いを引っ張り合う感情の綱引きとして、真賀田四季の物語を再構築する。
13歳のショッキングなエロスと殺人を餌に話を進めてきたアニメ版の構図は、ここに来て何気なく埋め込まれてきた演出の再燃も効果的に決まり、かなり成功しているのではないか。
今回のエピソードを見て、そう思った。
来週も楽しみである。