イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ:第13話『葬列』感想

散る事のないようにという祈りを込めて名付けられた鉄の華も、名残らずに散っていく無常の戯画、今週は生者と死者と葬式。
戦闘自体はアバンで手早く終わらせ、死んだ人たちと生き残った人たち、それぞれの心模様を映すお話となりました。
ここで死人と生者が交錯し分かれていくための儀式に一話を使うのは、シムーン第18話『葬列』でシヴュラ・マミーナの葬式に一話使った岡田麿里らしい展開だ……奇しくも同じタイトルだな。

昌弘もグシオンの人もざっくりと死んで、今回は葬式……という概念を火星鼠に教えこむところから始まって、死者の言葉をどう受け取り生者とどう交わっていくか、というお話でした。
僕らが当然のように甘受している『死を受け止めるためのグリーフケアとしての葬送儀礼』という文化が、火星の最下層民に存在すらしていないという描写は、言われてみれば当然なんだけど、鮮烈に僕らと彼らの差異を示す、良い描写だと思う。
死が特別化していない、していては正気を失なってしまうような状況で、仲間の死だけを特別化する葬送儀礼という文化は、確かに贅沢品だよな。

『葬式は生者のためでもある』という一種プラグマティックな視点も厳しい世界故のものかと思いますが、ただ生きてただ死んでいく世界ではなく、生きることにも死ぬことにも何らかの証明を求めるようになったオルガの道を考えると、むしろロマンティックな発想かも知れません。
英雄として強靭に造られたオルガの強さが、しかし凡人である鉄華団クルーには共有できない可能性を教える所引っくるめて、ステープルトンさんはやはりオルガにとって特別な大人であり、女であります。
世知辛い現実に飲み込まれることに『否』と中指を突き立てたオルガが、それでも発生してしまう理不尽をどう飲み込むのか。
彼の人生学習は、モニタと社会情勢を遠く隔てた僕らにも共通する普遍的な問題でありまして、ここら辺の話の広げ方(と同時に、オルガ・イツカという少年の個人史を掘り下げる窄め方)の巧さは、オルフェンズの強いところです。

名瀬によって『良い大人』が持つポジティブな意味を学習したオルガは、タービンズのヒューマンデブリを救い上げ、鉄華団の一員として世話をする決意をする。
その行為にはかつて救えなかった自分たち自身を救い上げるという、一種の代償行為的側面があることは、ヒューマンデブリであるダンテの反応からも見て取れます。
善意と甘さに満ちた同化を見せるだけではなく、情けが仇となって仲間が死ぬ地獄を事前に見せていることで、オルガの決断が甘くなり過ぎない味付けに仕上がったのは、とても良いと思います。


昌弘との最後の対話、氷の花が彩る葬式を経て、明彦は死んでしまった弟の証明として、弟を殺した機体に乗る。
彼が今回見せた魂の軌跡は、ステープルトンさんや名瀬さんといった『大人』が告げた葬式の効用を示すだけではなく、死者の言葉を生者がどう受け取るのかという描写でもあります。
『ヒューマンデブリは宇宙のゴミ、ただ生きてただ死ぬ』という絶望が、明彦が差し伸べた手を昌弘に払わせた要因なのですが、明彦は最後の対話を通じてそれを否定する意思を手に入れ、葬列に参加することで心を整え、周囲が気遣ったように穏やかな『逃げ』ではなく、痛みを踏破して前に進む『攻め』の選択肢を取る。
それは理不尽を前に背筋を伸ばす立派な態度であると同時に、どう足掻いても殺しの道具(弟の命を奪った道具!)を有効に使わなければいけない苦い宿命を強調してもいて、良い一筋縄でいかなさを感じさせます。

死者の言葉に縛られているのはミカヅキも同じで、クダルが残した『お前は人殺しを楽しんでいる』という呪いに強い衝撃を受けた彼は、壊れたロボットのようにロールモデルを探し求め、『良い大人』である名瀬の行動を規範として、クーデリアを相手に人間らしさを行使する。
突飛なキスを何故しなければいけなかったを考えると、『お前は人殺しを楽しんでいる』という言葉がミカヅキに与えた衝撃、『コイツは殺してもいいやつ』という残忍な峻別を無表情に行っているように見えるミカが抱え込んだ震えの大きさが、良く見えてくる気がします。
オルガすら気づかなかったその振動に真っ先に気づく辺り、お嬢は闘う以外の強さをしっかり持っている人だと思うね。

キスの呼び水になったクーデリアの抱擁はフミタンの行動を受けてのものですし、フミタンが見せた人間味は鉄華団の少年が押さえ込んだ死の怯えへのリアクションです。
このアニメの面白さは群像がお互いに影響し合い変化しあう、有機的な反応の仮定をいきいきと描いていることにあると思いますが、今回は特に相互の影響がよく見える、ビリヤードのような脚本でした。
クーデリアを抱え込むことで動き出した鉄華団の運命、ただ生きてただ死ぬレールから外れたミカヅキの振動が到達した一つのポケットとして、今回の唐突なキスは良いイベントだったなぁ……こういうインパクトの使い方は、凄く岡田麿里的だと思う。
その直後に飯作ってるアトラを映す性格の悪さも引っくるめてな!!
ヒロインレースに汲々とする話でもないんだけど、厳しい世界での恋と性をとても大事にしている話でもあるので、ミカとアトラとクーデリアの関係がどうなっていくのかは、とても気になる所です……頑張れアトラ、負けるなアトラ。


葬式と対比するように、チョコの人と九歳児の婚約パーティーが展開していました。
ギャラルホルンの綺麗なお城は、一皮むけばベットリとした欲得と嫉妬が渦を巻く蛇の巣であり、魂の兄弟が銃を向けてくる宇宙の地獄とはまた別の地獄です。
マクギリスはその地獄を、使えるものは全て利用して洗い直そうとしているのかなぁなどと、今週の立ち居振る舞いを見て思いました。
いや、心の底から悩める九歳児を大事に思っている紳士なのかもしれんけど、やっぱ見せ方が凄い胡散臭くて……なんもかんも櫻井ボイスが悪い。
『これからどんな悲しいことが起こっても』って発言の裏は、今後見えてくるんでしょうねぇ。

新しい関係を築くはずの婚約発表がネガティブに、死という穢にまつわる葬式がポジティブに描かれているのは、このアニメらしい転倒です。
死が避けられない世界だからこそ、死を偶像化することも無意味化することも避け、葬送儀礼によって尊厳を持って死と指切りし明日に歩き出すという今回の描き方は、お話しの土台を支える説得力がありました。
お城の中の舞踏会は葬式会場よりも暖かいはずなのに、そこに込められているものの対比から真逆の印象が立ち上がってくる所も、鉄華団とマクギリスが闘う地獄の違いをよく見せていて、面白かったです。
交わらない場所として描かれている二つの地獄が相通じるとしたら、社会革命家の顔を持つクーデリアこそが肝になるわけで、マクギリスの紳士的な、しかし冷たい恋が描かれた今回、彼女の胸の高鳴りが描写されたことは興味深い。
葬送という儀礼を扱う今回は、真ん中に捕まえた生と死の図式だけではなく、様々な対立項が丁寧に複雑に描かれ、今後テーマを発展させていく足場をひっそりと、着実に準備する回だったと思います。
こういう仕事を目立たないようにこなしている着実さは、確実にこのアニメの力だと思うのよね。

というわけで、葬送の儀式を映すことで鉄華団の現状と成長、様々な人々の間にある差異とそれを乗り越える働きかけをショウアップする、面白い回でした。
全体的なムードとしては葬式なのに前向きなんだけど、ミカの震えをしっかり映すことで不安を忘れず描いていくという、オルフェンズらしいバランスの取れた描き方だったと思います。
死んだものとこれからも生きていくもの、変わっていくものと変わらずにあり続けるもの。
様々な対比が渦を巻き、一つのうねりと化して物語を押し出していくこのアニメは、やっぱりとても面白いですね。