イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

コンクリート・レボルティオ ~超人幻想~:第13話『新宿擾乱』感想

第2クールは決定したし、落ち着かせる方向でクールを〆る……とでも思ったか!
これまで出演した超人と人間総ざらいでお送りする、運命の結節点新宿を舞台にしたメタフィジカルオペラ、一応の最終章です。
混乱が加速すると同時に、既に見せられた未来に繋がるピースもまた多数埋め込まれた、良い折り返しだったと思います。

いろんな事が起きた新宿擾乱ですが、軸になるのはやはり爾郎とクロードの兄弟戦争。
クロードが爾郎の影であることが作中でも明言された結果、不倶戴天の宿命がより強調された結果となりました。
ラスト衝撃のゼロアワーを見るだに、クロードは運命に愛されなかったリトルボーイなんだな……。

広告代理店に担ぎだされた『高い値段の付いたフンドシ』であるクロードが口にする『正義/自由/平和』は口先だけのキャッチコピーであると同時に、全超人(ということは、視聴者も含めた全人類ってことですが)に共通する矛盾をえぐりだす、優れた批評言語でもあります。
世界全てを救済できる魔法を求めつつも、自意識の檻に閉じ込められている以上個々のエゴは衝突し、自由が平和を侵害し、正義が自由を束縛するような修羅場が立ち現われてくる。
そこにおいて選ばれる『正義』は結局暴力の最大値でしかなく、爾郎にもクロードにもおそらく等しくあった幾ばくかの正当性は横に置くとして、原爆という最大の暴力を擬人化した爾郎は勝利し、クロードは借り物のの力を過信してモノ言わぬ鉄骨と化す。

何者かの暴力によって無残な姿を晒したアースちゃんも含めて、今回は死のニヒリズムが支配するお話のように思えますが、僕としてはむしろ暴力の内側にある幾ばくかの情念を見せたい話なのではないかと思いました。
爾郎の代理品として犠牲の上に製造され、望まず手に入れた異能によって死ぬクロードが求めた『正義』。
天弓ナイトに救われ、憧れた黄金の日々を取り戻そうと、輝子が憧れで見つめる背筋を伸ばし続けようと、自分でも夢物語だと解っている幻想にすがる爾郎。
今回血を流し暴走した二人の青年は結局修羅界のルールによって悲しく選別されてしまったわけだけども、そこにはちゃんと思いと正当性があって、生き死にと勝敗とは別に、もしくはそれらが無情に決まってしまうからこそ、ハードコアな社会的外殻の内側にある柔らかなイノセンスを見つめたい。
この作品がずっと持っていた画角が、より強調された回だったように思うわけです。
そういうアングルから見ると、自分なりにイノセンスへのあこがれを踏破し、『二流でも良い』『怪獣が死んだ世の中でも良い』と己の足場をしっかり定めて歩いているマウンテンホースと早川少年(もはや青年か)の姿が捉えられていたのは、多角的な見せ方だと思います。


爾郎とクロードが持っている柔らかな内面は無論他の人間にも存在していて、爾郎が関わってきた超人が協力し合いエクウスのシートから彼を出産させるシーンは、その集大成とも言えます。
クロードが幻想と切り捨てようとした爾郎の憧れは、ジュダスやS遊星人をはじめとする様々な人に届いていて、その結果爾郎は死なず、クロードは死ぬ。
そこにはソリッドな生き死にのルールだけではなく、爾郎の幻想が何かに到達しうる可能性(無論、それは危うい幻想でもあるわけですが)をも見せていると思います。
それを希望と言ってしまうと、ヒロイズムの奈落に落ちないよう踏ん張っているこのアニメの批評的営為を貶めることになってしまうので、安易な発言は慎まなければいけませんが。
その危うさと貴重さ両方を含めて、やはり幻想というべきなのでしょうね。

怒れる子供代表である超常キッカーと拳を交え、子供の味方である風郎太に邪魔をされた時、怒ると同時に納得する表情を見せた柴警部(後の無差別テロリスト)。
破壊王の憤怒を新宿に撒き散らす爾郎を、慄きつつ穏やかな父の表情で見守る博士。
新宿擾乱というカオスの舞台を整えることで、様々な人がカメラに映り、色んな表情を見せる回になっていたのは、バラエティ豊かな作品だったこのお話の一つの終わりとして、とても良かったです。

無論柔らかな内面だけで修羅の巷を歩いていけるわけでもないので、よりハードコアな選択により己の理想を守る決断も、至る所で行われている。
課長は政治家を取り殺して成り代わる『正義のための不正』を覚悟して行うし(質の悪いウルトラ兄弟だなアイツ)、弓彦少年は柔らかい自我を守るために『政府の正義』を、その不正義を知りつつも選びとる。
過酷な世界で生存し幻想を現実に書き換えるために、超人たちが行った不正義の決断もまた、今回描かれていました。
この決断がこれまで断片的に見せられてきた未来に繋がり、感情のつじつまが合っていくわけですから、大事な描写といえます。

そういう意味では、爾郎の超人課出奔の原因が、壮大な痴話喧嘩だったと解ったのは面白い。
笑美さんは女の情念を煮こごりにしたようなキャラですが、美しいイノセンスを押し付けてくる若い女に嫉妬し、『殺してしまいたいほど』憎んでいる内側が見れたことで、更にキャラクター描写の彫りが深くなったように思います。
爾郎を支配したいというパワーの原理と同時に、理想を叶えようと邁進し傷つく爾郎を守りたいという庇護の理論が存在している複雑さは、今回爾郎とクロードが表面化させた世界の複雑性と、綺麗にマッチしています。
それを両立させるために輝子を追い出す算段をつけたのに、結局爾郎が出て行く形で収まってしまうのは、爾郎の中の高潔さを見誤った結果であり、自分の中の現実性を過剰に敷衍してしまった故のミスチョイスだといえるでしょう。
輝子は自分の理想の爾郎に失望して暴走したけど、笑美もまた自分と同じように泥にまみれてくれる爾郎を想定し、裏切られる。
この三角関係に勝者は誰も居ないなぁ……もともとそういう話なんだけど。

今回一応のゼロアワー、爾郎が離反する極点が描かれたわけですが、その原因は笑美との取引という外部的なものでした。
第9話で見せた笑美のリアクションが柔らかいものだったことも、この地滑り的離脱を見ると納得がいきます。
しかし僕らがこれまで見てきた『未来編』での爾郎は、もっと決定的に超人課の『正義』と対立していたし、怒りと諦めと決意を以って軍勢を率いる、公共の敵NO1だった。
そこには確実に爾郎の内部性、誰かのためではなく自分のために怒り諦め決意する強さがあるわけで、今回の顛末はそれを保証しません。
新宿擾乱によって爾郎が超人課を離れた後に、より決定的な『何か』が起きたのではないか。(柴警部が鋼鉄探偵ライトに変わるのも、その瞬間なのではないか)
1クール目を〆る今回のお話は、ザッピング形式で加速した疑問に応えるだけではなく、より大きな疑問を加速させたといえます。
思えば第11話から続くクロード三部作はそんな傾向が強いお話であり、里見顧問の言うとおり、まさにクロードは『実在的疑問』としてお話をかき回したのでしょう。


ジャガーさんは立ちふさがる超常キッカーに『戦争』([名](スル) 軍隊と軍隊とが兵器を用いて争うこと。"大辞泉"より)という言葉を使う。
しかしこの『擾乱』([名](スル)入り乱れて騒ぐこと。また、秩序をかき乱すこと。騒乱。"大辞泉"より)に軍隊(そもそも神化日本の軍事体制がどういうものなのか、系統だって説明はされていませんが)は顔を出さないし、戦っているのは不満分子超人と警視庁の忍者部隊です。
米軍の象徴たるマスターウルティマが、ビルの上から特権的に擾乱を見下すカットは、ジャガーさんの認識(それはこの擾乱に参加した超人に共通する認識だと思いますが)とは別に、それが内戦ですらない、ただの刑事事件であることを冷静に示しています。
そこにはフィクション内部のイベントを表現すると同時に、神化ではなく昭和において同じように起こった事件、ガス弾と放水が荒れ狂った新宿が覆い焼きされているのは、説を待たないでしょう。

フィクショナルなものを借りて現実を切断し、その断面を見つめる行為は(望むと望まざると)創作行為に必ず混じりこむ目線ですが、わざわざザッピング形式を選択し、神化という偽史を設定し、冷戦と冷戦以降の世界を規定した核の力を主人公に擬人化したこの話は、その切断を強く意識している。
それが成功しているか否か、成立しているか否かは最終話を見なければ判断しかねるところですが、一応のまとめともなる今回は、特にそういう視線が強かったように思います。
何故若者があの時怒ったかをカツオが語るシーンは、この話にしては結構珍しい、現役そのままの昭和批評でした。
切断行為自体に酔っ払って『面白いお話』を語ることを疎かにすると、そういう批評は一切届かなくなってしまう(なにしろ、僕はアニメーションを見に来ているのだから)わけですが、今回のお話とこれまでのお話を見る限り、そういう自体には陥っていないように思います。

超人幻想に仮託して昭和史を語り直す批評と、ごちゃまぜで楽しい神化世界を想像する行為、そしてイノセンスと現実の摩擦を語り続ける創作。
色んなモノが入り混じり、そこに熱意と愛情という燃料がたっぷりつぎ込まれているからこそ、この話は面白い。
そんなことを再確認できる、良い1クール目最終話でした。
三ヶ月後が、非常に楽しみです。