イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

灰と幻想のグリムガル:第2話『見習い義勇兵の長い一日』感想

きっと何者にもなれない義勇兵に告げる! 魔王を倒し勇者になるのだ!! と背中を押してくれるプリンセスも出てきやしねぇ、何処にもいけない僕達のファンタジー・ライフ第2話。
起こったことは『ようやくゴブリンぶっ殺して。疲れきった心身を癒す』という単純なお話ですが、アダージョっていうかレントで進む事態の細やかさがスンゴイことになってて、独特の視聴感がある。
最近のアニメはアレグロで進むことが多いので、このマニアックな時間の分解には新規性を感じる……んだが、そろそろ話が転がってもいい頃合い。
そこら辺は、露骨なフラグを立てまくってるマナトくんが贄になるのか、ならないのか。

『中世ベースの異世界』はオタクカルチャーの中で手垢が付いている割に、徹底して細やかな分解能を用いて描かれたことは案外なく、『なんか中世っぽい感じ』という共通認識に任せて描かれることが多いです。
これは既に出来上がっている認識を利用することで時間を節約し、その分別の要素(キャラとかドラマとか)に時間を使うっていう戦術でもあるんですが、このアニメは偏執狂的なほど『中世ベースの異世界』に呼び出された、記憶喪失の冴えない現代人の『長い一日』にクローズアップし、時間を使って描いていきます。
マッチやライターなどなく、魔法式でもない弓切り式火おこし器の微細な描画。
持ち手を一体成型で仕上げるしかないので過剰に熱くなり、持ち棒で引き上げるポット。
アバンの段階で『こいつアタマオカシイ(褒め言葉)んじゃないの?』と言いたくなる、グッと近寄った描写が展開されました。

このマニアックな接写主義はアクションシーンでも発揮され、ゴブリンという知的生命体を殺す厄介さ、不愉快さがこれでもかと展開されていました。
殺す前段階でも、殺してる最中でも、殺した後でも、ズッシリとした疲労と狂気を必要とする『殺し』を見て、単純にスカッとする人はあまりいないと思います。
重々しく面倒な『殺し』はカロリーも時間も使うので、結構な決意がないと描けない方法論だと思いますが、それをあえて描くことで飽和気味な『異世界召喚ファンタジー』との差異化を図っているのか、はたまたとにかくズッシリドッシリ描写したいのか、製作者の意図を感じるシーンでした。

テンポを落としてお話を流すことで、細やかな仕草と幻想的な美術が強調されるのはとてもありがたいことです。
素人が剣を握らされ行う初めての『殺し』のドタドタした空気は、やっぱ普通の異世界ファンタジーとは力点が違うレアさを感じ取れて、珍しいもん見たなぁ、って感じです。
良い感じのお歌とともに展開される『殺し』の後のクールダウンタイムにしても、大剣に付いた泥をこそげ落とし、繕い物をするという冒険者生活の裏側にカメラが寄せられ、なかなか見れないモノを見ている感じはあります。


しかし珍しい物が即座に楽しいかといえばなかなか難しい訳で、僕はどちらかと言えばトンチキな創作物を好むタイプなのですが、他の作品で見られない『長い一日』は正直、一度見せれば十分かな、という気がします。
この平穏な日々がデフォルトで、それこそゆる系四コマファンタジー版みたいな進み方をするのであれば、ラルゴのテンポもしっくり来るでしょう。
しかしこれは異世界版"ARIA"ではなく、『殺し』が生活の基盤になり、敵も味方も血を流す(シーンに力を入れて描写されている)アニメなわけです。
生々しい殺しとまったりした日常を両立させるという、なかなか難しい挑戦に真っ向から挑んだ『殺伐冒険者日常系コメディ』なのかもしれませんが、それにしては主人公の鬱屈が大量に描写されており、話が転がる予感は強い。
マナトくんは露骨なフラグを隙あらば立てるし……女と仲良くなるのはヤバイ、マジヤバイ。

とすれば、第1話第2話両方を使って見せた『何処にもいけない僕達の、何も変わらない毎日』は変わることを前提に見せた、一種のモデルケースだという予測が立ちます。
これは期待でもあって、人間の感情の起伏にしても、社会的な立場の変化にしても、ドラマが起きることを作品の是として設定したのであれば、動きはあって欲しいと僕は思うわけです。
第2話までで強調されたマニアックな微視へのこだわりはこのアニメの特殊性であり、巧く使えば鋭い武器になり得ると思うわけですが、それはあくまでドラマの展開という基本的で強烈な物語的土台でこそ活きる武器でしょう。
何度も言いますが、主人公たちが送る『何処にもいけない僕達の、何も変わらない毎日』に込められた抑圧と退屈、丁寧な日常感はそれが破綻し、もしくは変化の後に価値を再確認するべく埋め込まれている伏線だと、僕は読んでいるわけです。

一般的なアングルとは別の角度から、『中世ベースの異世界』をじっくり書く。
この狙い(だと視聴者である僕が勝手に製作者の意図を読んでいるもの)は実は『長い一日』という別角度の描写からだけではなかなか視聴者に届かず、ドラマやキャラクターの変化という、劇的で一般的な『長くない一日』を対比することで意味を持ってくると思います。
合計2話という話数を使って『このアニメは普通にやらない』という態度表明をすまし、その仕上がりのマニアックさである程度の手応えを得たこのタイミング、僕としては是非にも『何か』を起こし、話を転がして欲しいと思いました。

そういう欲求が生まれてくるのはつまり、この2話で流された異世界の風景、そこに追い込まれた何者でもない青年たちの肖像は特殊で面白く、魅力的だと僕は感じた、ということでもあるのですが。
何らかの事件(メンバーの喪失、離別、追加。社会的立場の変化。強敵の出現。因縁、秘められた真実の出現などなど、『ありふれて』『普通』になるくらい効果的なので、お話を転がす上で大多数が使うイベント)が起きた後なら、『長い一日』をもう一度描写したとしても、それは全く変わったものとして、視聴者にもキャラクターにも見えてくると思います。
それは多分このアニメのテンポとアングルでしか切り取れない風景であり、僕はそれをこそ見てみたい気もするわけです。

ぶっちゃけた話をすれば『普通じゃないことをやる』という製作者の意欲と腕前は十分感じたので、今度は『普通のこともやれる』という実力を見せて欲しいと、僕は思っているわけです。
『普通のこと』は大抵急速に一般化し陳腐化してしまうわけですが、その背景には『普通のこと』が沢山の視聴者を楽しませ、惹きつける磁力を持っているからこそ、こぞって使われるという事実があると思います。
見慣れたように思える『普通のこと』は実は必ずしも悪いことでも陳腐なことでもなくて、製作者の個性が結構出る、料理の仕方次第で面白さが全く変わってくる、大事な土台だとも思います。
『普通じゃないこと』にはフレッシュな喜びが詰まっており、創作には絶対必要なものなのですが、それ『だけ』を追求し過ぎると、新しすぎて皮膚感覚的な気持ちよさが感じられないという結果につながりかねません。
この作品が流行りのアニメらしからぬ超スローテンポで切り取った『普通じゃないこと』に僕は新鮮さとパワーを感じたわけですが、それが『普通のこと』と結び合ってドラマを転がした時の速度と威力も見てみたい。
そう思いました。

『まだ二話程度でギャーギャー言うな』というご意見もあると思いますが、『映像作品』ではなく『1クールのシリーズアニメ』という枠の中で放送されている以上、個人的な価値観では48分という時間はドラマがかけ出す前の足踏みの時間としてはギリギリです。
しかしその足踏みは凄くトンチキな砂煙を出していて、『走りだしたら早そうだ』という期待感を煽ってくれる、マニアックで技術のある足踏みだったわけです。
来週以降この足踏みを活かした疾走(もしくはすごく不思議な歩き方)を見せてくれるのか、はたまた理解の難しい奇っ怪な歩みを始めるのか。
正直全然読めませんが、何かが起きそうな予感もあります。
楽しみです。