イマワノキワ

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Go! プリンセスプリキュア:第48話『迫る絶望・・・! 絶体絶命のプリンセス!』感想

敵BOSSの本拠地進軍に正体バレと、ヒーロー物語最終版の定番イベントをどんどんこなすプリプリ最終決戦、今回はプリンセス以外の人々の総決算。
これまで選ばれた主役に注ぐのと同じ優しさと強さで、選ばれない人たち、敵対する人達の物語をしっかり描いてきたこのアニメらしい、最高の『プリキュア以外』のお話でした。
変身できるからプリキュア、王族だからプリンセス、主役だから夢を見て守れる。
そういう形式論を全て吹っ飛ばし、老若男女万人のための物語として突き進んできたお話が、絶対にやらなければいけないクライマックスを、しっかりここに持ってくる。
本当に強く、正しく、美しいアニメだと想います。

ディスピアが現実世界に進行してきたことで、『秘密の戦士プリキュアが、人知れず世界を守る』というこれまでの構図が崩れるのは、まさに最終決戦に相応しいセッティングです。
これによりプリキュアが日常を守るために隠してきた秘密を、日常に足場を置く人たちが共有し、プリキュアが戦ってきた戦場に守られた人々が足を踏み入れるという、境目のない状況が生まれます。
今回展開された戦いが『プリキュア以外』がいかに戦うか、という問題を取り扱う上で、このフラットな状況は大事です。
プリキュアは特別で、秘密で、主役』という切り分けがなければ、このお話はここまではっきりした物語的構図と、それが生み出す猛烈な運動を生み出してはいないわけですが、後3話でこの物語は終わります。
全てを決算するタイミングが近づいている以上、はるか達が誰を、何のために守ってきたのか、作中のキャラクターに公開することは、平等性からも真実性からも大事でしょう。

既に自分の物語を走り終え、夢のために戦う決意を固めたプリキュアたちは、今回一切の迷いを見せません。
日常の象徴であるノーブル学園関係者の前でも恐れず変身し、戦士の装束に身を包んで前に進む。
毅然たるその姿は彼女らが自分の夢をしっかり形にした強さをよく表していますが、急に光と闇の果てしないバトルに巻き込まれた一般人には、当惑させられる姿でもあります。
どんどん前に進み、復活したロックまで一気に到達するプリキュアと、避難する様子もなくうろたえる日常の象徴たちの対比は、夢への戦いへの覚悟の違いを反映したものでもあるのでしょう。


今回の決戦では、二つの前線が展開されます。
一つは復活したロックとプリキュアが対峙する肉体的戦場であり、もう一つはその後方にある日常を狙った、精神的戦場です。
夢を絶望に染め上げて力を吸い上げるディスダークと戦ってきた以上、これまでの戦いも精神的な戦いではあったのですが、何しろプリキュアはロックと闘うので手一杯で、闇に囚われた人たちを救済する余裕が無い。
その状況を打破する主人公こそが、『プリキュアの語り部』としてはるか達の戦いを見守り、4回ほど絶望に巻き込まれたルームメイト、七瀬ゆいです。

クラスメイトや教師、両親や家族といった『プリキュア以外』をとても大事に描いてきたわけですが、プリキュアの正体を知っている(≒今回学園の一般人が巻き込まれた状況の先輩)ゆいちゃんは特に、力を入れて描写されてきました。
はるかのルームメイトとして学園の日常を彩るだけではなく、第11話ではクローズとの決戦の鍵を握る働きをし、第28話では戦えない自分に悩み戦わない自分なりの夢を見つけていました。
『プロの避難誘導員』などと揶揄されつつもプリキュアの戦いを影から支え、第41話では最終章突入の先陣を切って専用エピソードをもらって、初期衝動に立ち返り自分らしい最高の『佳作』を手に入れるという、彼女だけの物語がしっかり展開されてきました。

プリキュアがディスダークと闘う具体的な力を持っているのに対し、ゆいちゃんは変身も出来ず、絶望の檻に何度も囚われる、無力な犠牲者とも一見取れる立場にいます。
しかしこれまで彼女の物語を捕まえてきたカメラは、超常的な絶望の力に対し、徐々に対抗する意思と手段を手に入れてきたゆいちゃんの姿をしっかり捉えてきました。
今回『悪役の無力化手段を無力化する』という、プリキュアの特権性を略奪するような横紙破りをやってのけて『良くやった、待ってました!』という気持ちになれるのは、プリキュアになれないゆいちゃんの焦りと無力、そこに甘んじない勇気と決意を、しっかり描いてきた証明でしょう。


プリキュア(≒ヒーローフィクション)が語る夢、プリキュアを通して語られる物語は、当然絵空事の綺麗事であると同時に、それを視聴する少女(や僕のようないい年コイた大人)のリアルで平凡でつまらない、だからこそ大変で価値のある生き方に、少し重なり合わせるべく語られていると思います。
はるかとカナタが時にすれ違い時に傷つけ合いながら夢を見つけた道のり、きららが二つの夢を両天秤にかけながら進んできた歩み、優等生のみなみが本当の夢を見つけるまでの過程、トワが奪われた祖国と過去を取り戻すために憎悪を乗り越える戦い。
彼女たちの物語は全て、変身ができるから特別なプリキュアとしての、血筋が王族だからプリンセスとして選ばれた存在だけの特別な物語ではなく、『どこにもいないけど、どこかにいるかもしれない、どこかにいてほしい』存在の、ありふれて特別な夢の物語として、僕達に向けて語られてきた。
そこに説得力を持たせるためには、やはり特別な彼女たちの物語を描く情熱と同じアツさで、特別ではない人達の物語に、しっかり取り組む必要があるわけです。

今回ついに絶望の檻を打ち破り、一般人の心の力を目覚めさせたゆいちゃんはまさに、特別ではない人の代表として絶望に立ち向かい、夢のために立ち上がった代表者です。
しかし彼女だけが立ち上がったわけではなく、檻から脱出した人はみな自分の夢を『思い出して』開放されています。
彼ら全てが一度はプリキュアに自分の夢を守られている事実が、プリキュアのこれまでの苦闘が無駄ではなかったと教えていますし、同時にあくまで『自分の夢を守れる最後の味方は自分だけ』というテーマを貫く描き方だったことも、作品の一貫性を保証しています。
加えて言えば、砕けたロッドの破片が瞼にあたったことでまどろみから目覚めるシーンを見れば、如何にもプリキュアなファンタジックな力を否定することなく、人が夢を守るための幻想の価値をしっかり認めた上で、七瀬ゆいが遂にヒーローとして完成する後押しをさせている。
ゆいちゃんの檻砕きはまさに、『夢を守る最後の切り札は自分』だけど、『絶望に負けず夢を守るためには、必ず誰かの助けが必要』という、一見矛盾する真理をしっかり見据え、物語の中で両立し止揚してきたこのアニメらしい描き方だったと思います。

シリーズ一番最初のED"ゲッチュウ! らぶらぶぅ?!"の中で『チョコパフェとかイケメンとか』に代表され、『けして失くしたくない』と歌われる『ごく普通の日常』。
プリキュアシリーズの企画書に『女の子だって暴れたい!』と描かれていたことは有名ですが、しかし同時に戦士としての非日常のために、ティーンエージャーとしての日常を犠牲にしないこと、『地球のため みんなのため それもいいけど忘れちゃいけないこと』があるという認識は、このシリーズの真ん中に常に存在していました。
だから帰るべき場所としての日常は常に大事であり、物語の最終版では敵の暴威に晒され危機に陥ることが一種の定番となっていたわけです。
しかし今回、変身もしない一少女が、スペシャルな存在であるプリキュアに許された権能を一部剥奪し、地力で戯画化された絶望から立ち上がったこと、その勇気を他人に分け与えたことは、そこから一歩踏み出した強力なメッセージを感じるわけです。
ゆいちゃん自身も明確に言葉にしていましたが、『プリキュアに守ってもらうばかりではなく、自分も闘う』という決意。
変身が出来るとか、妖精に選ばれたとかのスペシャルな出来事に選別されなくても、立ち上がって勝利することは出来るという、一種アンチ=ヒーローでありながらこれ以上ないほどヒーローの価値を称揚する展開が、今回のエピソードにはあったと、僕は思います。

それは同時に、プリキュアだけが絶望と闘えばいいというわけではなく、永遠に続く夢追いの旅に、変身できないゆいちゃん(が代表する作中の凡人、そしてその延長線上にいる凡庸な僕達)も立ち向かわなければならないという、シビアな認識でもあります。
ディスダークという形を取らなくても絶望は生きる道の上にありふれているし、それに心を閉ざされることは嫌になるほど普通にありふれている。
しかしその戦いは勝ち目のない戦いではないし、特別な資質が必要な戦いでもないという、綺麗すぎるほどの綺麗事が、今回ゆいちゃんが見せた自立には込められている気がします。
しかしその綺麗事は誰かが声を大にして、胸を張って堂々と宣言しなきゃいけない綺麗事だし、それが変身できるスペシャルなヒーロだけのものであってもいけない。
そういうヒーロ・フィクションに要求される厳しい条件を、今回七瀬ゆいという少女を英雄として完成させたことで、この作品は満たしたと僕は思うのです。

 

再び"ゲッチュウ! らぶらぶぅ?!"に戻れば、プリキュアは敵を殺すだけの戦士ではありません。
今作で言えばクローズ、初代で言えばキリヤくんのように理想と異なる結末に流れ着くとしても、『ストレスよりロマンス』『戦うより抱き合いたい』という夢を抱きながら、彼女たちは殴ったり殴られたりしてきた。
そんな系譜の上に位置している以上、一種のゾンビーとして自己を捻じ曲げて復活させられたロックを憐れみ、なんとかして救済できないかと考えることは、自然な流れだといえます。
以前同じ慈悲の気持ちを受けたシャットさんが颯爽と復活し、これまでの失点を一気に回復するような熱い成長を見せたことも。

シャットさんもゆいちゃんと同様、丁寧にエピソードを積み重ねたキャラです。
クローズの(一時)退場後ロックにお株を奪われ、セミをディスダークにしてみたり、川流れしてみたり、トワイライトに執着してみたり、美しさに惹かれる自分に戸惑ってみたり、敵側にいるくせに非常に人間臭い遍歴を辿っています。
第33話で教師・シャムールと出会って自己実現の方法を知り、第46話でどん底まで堕ちた上で矜持とマフラーを手に入れた彼は今回、ゆいちゃんと同じように『他人の助けは借りつつも、最後には自分の力で』夢を掴みます。
より美しく、強く、自分に変わるということ、ディスピアに良いように操られるのではなく、自分が感じたままに生きるという決意は、敵味方の境界線を超えて真実をあるがままに認識する正しさでもあります。
ホントにね、このアニメはシリーズ全体でテーマを設定し、それを各話ごとにふさわしい形で表現して一貫性を出し続けることが、巧すぎるし好きすぎる。

第35話から第39話にかけてのカナタ記憶喪失編を見ても分かるように、『夢は人に力を与えもすれば、失われれば不思議な力を奪われもする』というのが、この作品の中でのパワーを巡る基本的なロジックです。
あれほどズタボロで、化け物の姿になってすら弱かったシャットさんが、隙のない悪の幹部であるクローズをワンパンでぶっ飛ばせる成長も、『夢を手に入れた故の強さ』という作品内のロジックを抑えれば、非常に納得できる。
BANDAI様から下賜され神聖にして侵すべからぬレガリアだったはずのロッドを砕くほど、強力で強大だった復活ロックにプリキュアは押し込まれるわけですが、それを撃破する決定打が凡人・七瀬ゆいと敵将・シャットの決心と覚醒だというのは、このおはナシがプリキュア以外、選ばれた存在以外の物語を、けして軽視していない証明だと思うわけです。

僕はシャットさんがとても好きなので、今回長い長い迷妄を振り払い、超カッコいい姿を見せてくれたのは大満足と大感謝としか言いようがありません。
第46話ではちょっと可愛い感じだった肉球マフラーが、今回はシャープなヒーローの象徴になっているところも最高だし、悪を演じていた時代の矜持と、悪なれど捨てきれなかった友情を表に出してロックを叱咤するところも、彼らしさが表に出た良いシーンだったと思います。
クルルが意味ありげにボロ雑巾を拾っていたところを見ると、来週ロックの力を借りたクルルが奮起し、弱虫妖精の汚名返上って流れかなぁ……。
第31話でまさかの復活を果たし、甘えと隙を消し去った大幹部として立ちふさがってるクローズさんも含めて、悪役まで良い役割、良い見せ場を与えられるシリーズだよなぁ、プリプリ。

見せ場といえば頼れる防御役・カナタ兄様はまぁ想定の範囲内として、暴力まで修身しているロイヤル家庭教師、ミス・シャムールの善戦も、彼女の大ファンとしては嬉しかった。
お話しの収まりどころが見えてきてから一気に存在感をましたらんこ先輩の『トップアイドルになりそこなるところだったわ!』という名台詞といい、本当に今回は『プリキュア以外』の総決算という趣がありました。
変身できる特別な存在だけで閉じるのではなく、ありふれた絶望が待ち構えている開かれた社会に少女たちが身を浸し、夢の残酷さと美しさとかけがえのなさに向かい合うお話として展開してからこそ、残り3話というこのタイミングであえて真ん中からカメラを外すお話の作りが、これ以上ない程しっくり来る。
豊かなアニメだと思います。

残り2話、来週は今回触らなかった『プリキュア』の総決算が行われると思います。
存在感とカリスマのある悪意の権化として、お話しの屋台骨を支えてきたディスピア様との決戦が、一体どうなるのか。
そしてそれを超えた先、戦いの果てにある物語を見せる余裕を残している事実が、期待を非常に煽ります。
プリキュアというシリーズ、ヒーロー・フィクションというジャンルをしっかりと洗い直し、問い直し、語り直したこのアニメが、一体どこにたどり着き、何を達成するのか。
僕は本当に、心から楽しみなのです。