イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

僕だけがいない街:第3話『痣』感想

人生リセット型ミステリだけど地味で辛いことばかりなアニメの第三話は、雛月攻略大作戦。
『29歳の記憶と意識を持っていることが、必ずしもプラスとは限らない』というルールをドラマの中で示してくるのは、説得力と緊張感があってとても良かったです。
雛月の虐待シーンは心に痛かったですが、それを直視することが藤沼くん(と彼に共感する視聴者)のモチベーションにも繋がるわけで、痛みを込めて映さないといけないところですよね。
犯人候補の顔をさらったり、懐旧が匂う小学五年生の暮らしを心地よく流しつつも、いろんな事を盛り込んだエピソードでした。

異世界召喚モノにしてもタイムリープモノにしても、『ここではないどこかに、今のボクのまま』という欲望を背景にした作品には、一種のチート願望みたいなものがつきまとうと思います。
脳内にこびりついた過去の記憶と知識を武器にして、新天地で関係をリセットし一旗揚げたいという願いを充足する機能があるというか、地味な努力を飛び越えて夢想したい願望を叶えるというか。
しかしこのお話はそもそも時間を飛び越えた理由が『母親の死』の克服という重たく不愉快なモチベーションですし、『リバイバル』という能力もせいぜいマイナスをゼロに持って行くくらいの、地道な結果しか引っ張れない力です。

ここら辺の抑えた設定が浜田とのスケート・レースには良く出ていて、『努力している相手を、ズルで追い抜きたくない』という『大人』の判断は必ずしも浜田を喜ばすことにはつながらない。
思い出と懐かしさで繋がった場所だけど、18年前の現実には子供特有のロジックと立場があり、藤沼くんが未来から持ち込んだ唯一の武器、価値観と精神は有利にも働けば不利にも転がる、不安定なアイテムなわけです。
『母親を死の運命から救う』『ユウキさんの冤罪を晴らす』『雛月を虐待から助ける』という、真っ当な正義感から生まれた目的は必ずしも藤沼くんの不安定な立ち回りを支えてくれるわけではないし、子供の肉体と社会的立場に大人の精神を詰め込んだアンバランスさは、周囲からの警戒という形で足を払ってくるかもしれない。

この不都合な状態を乗り切るためには、不安定な状況を正面から見据え、驕らず真剣に子供の生活を生き続けるという『真摯さ』が必要になってきます。
高い倫理的な欲求を持ち、人命のために奔走する藤沼くんはいかに冴えないアラサー漫画家であってもヒーローなのであって、そこに一本ぶっとい背骨を通すのが『真摯さ』なのだと思います。
不安定な足場にめげず、綺麗事を本気でやりぬく藤沼くんの姿を見ればこそ、視聴者は彼の尊い願いが叶って欲しいと思うわけだし、彼が見ている風景、彼の痛みに共感もする。
手を抜かず、自分に出来ることを必死にやっている妥協のない姿を、時に失敗もしつつしっかり捉えていることで、主人公を好きになれていること。
これはどんな作品にも通じる強みだし、殺人という非倫理的行為に挑む際必要な『真摯さ』を作品に宿す上でも、凄く大事なことだと思います。


いくら題目を唱えてもこういうシリアスさは作品には宿らないわけで、大事なのはキャラクターが遭遇するショッキングな、もしくは穏やかでなんでもない事件を印象的に見せれるか、という劇作的リアリティになってきます。
今回作中で起きたイベントはどれもリアルな肌触りがあり、イベントとして見過ごせない緊張感がありました。
浜田とのレースもそうですし、雛月の虐待と雪の中の逢瀬、給食費を巡る学級会の嫌な空気などなど、『29歳が転がり落ちた、10歳の現実』を物語にする上で必要十分な生々しさとショックに満ちていたと思います。

これらは一歩間違えれば退屈さと白々しさに変わってしまうものなのですが、冬の寒々しさが感じられる色彩とライティング、各種レンズ効果を巧く使った絵の作り方を効果的に使って、ほしい反応を巧く引っ張りだしていたと思います。
扉の奥の悪意と悲劇を予感して歪んでいく、虐待発見シーンの歪んだレンズ効果や、そこを踏まえたからこそきらめく雪山などなど、劇的なるものをちゃんと劇的に見せるよう、絵と音がしっかり考えられているのが素晴らしかったです。
やはり適切な意図に導かれ、適切な手法で製造された映像は時間を忘れさせる効果を出すなぁと、今回のエピソードを見ていて思った次第です。


パワーが有るのは映像だけではなく、雛月というヒロインの存在感もやはり凄い。
悠木碧さんの演技が冴えていて、呆れた時も喜んだ時も顔を出す『バカなの?』の表情の違いであるとか、必死に堪え仮面を被って諦めようとしていた『虐待される可哀想な自分』を藤沼くんに見られた時の嗚咽の悲痛さなど、素晴らしかったです。
雛月が悲惨な目にあって『これは起きてほしくないぞ』と視聴者が思えば思うほど、それを回避するべく動く藤沼くんへの肩入れは強くなっていくわけで、虐待はショッキングに描かれなくてはいけないんですが……それにしたって辛い。
家庭という檻が持っている堅牢さとどうしようもない腐敗が、母親というキャラクターに代表されてしっかり描かれているのも、上手いと同時に辛くて、辛く感じさせる巧さだなぁと思いました。

辛いといえば学級会のいたたまれない空気もいい塩梅に描写されていて、人を傷つけることの意味も知らないまま突っ走る小学五年生の身勝手さとか、後先考えず『貧乏』という当人にはどうしようもないことを当てこする分別のなさとか、しんどいシーンになってました。
29歳の知識と精神のまま10歳に戻るって聞けば、楽園に逃げ出すような話を想定してしまうわけですが、やっぱり10歳の世界にも10歳なりの地獄というものがあって、別にそこは無邪気の楽園というわけじゃない。
あのシーンのどうにも尻の座りの悪い空気と、それを打破した29歳の一喝が必ずしも全てを解決しない感じとかは、この作品が無邪気さというものをどう捉えているのか、良く見えるシーンだったと思います。

ミステリ的な要素の強化も今回の重要な要素でして、冤罪をぶっ掛けられ藤沼くんのモチベーションの一つになっているユウキさんの描写とか、あからさまに怪しいけど行動自体は前のように見えて、疑うと罪悪感が高まっていく八代先生とか、サスペクツの肖像を見せるシーンが多数ありました。
この話主人公が罪を被せられその潔白を求める"逃亡者"的な側面もあって、境遇を同じくするユウキさんがまんま犯人ってことはまぁ無いんでしょうが、それではその冤罪をどう晴らし、それを仕組んだ犯人にどう近づいていくのか。
ユウキさん周りの描写はこういう部分に繋がってくるので、29歳視点の情報整理がちょくちょく挟まるのは、推理が混乱せずにありがたい所です。

現在出ているキャラクターを消去法で整理していくと、犯人候補筆頭として浮かんでくる先生ですが、視野も広くて雛月関係でも頼りになる、助力者としての側面が表に出ています。
色んなミステリを埋め込んでいるこのお話でも、『誰が真犯人か』は相当な大ネタなので、彼に抱いた疑いが正しいかどうか判るのは、結構後のほうだと思いますが、まぁ現状怪しい。
怪しいんだけど描写としては善人で、ともすれば疑った自分が間違っている気持ちになるよう描写を作っているのは、彼が犯人であるにせよないにせよ、いい具合に視聴者を振り回しているなぁと思います。
先生という立場故に、未来の被害者の情報が集まりまくるのがどうにもなぁ……。


というわけで、29歳の精神が10歳の環境に放り出された時、一体どんな齟齬が生まれるのかよく考えられたエピソードでした。
無敵の武器にはならないけれど、完全な無力というわけではない藤沼くんのアラサー意識が、今後どんな奮闘を見せてくれるのか。
悪意が渦を巻く世界の中で、ヒーローは少しずつ善を成していけるのか。
正義の対価として支払われる犠牲は、一体どんなものなのか。
ミステリであると同時に正義の話でもあるこのお話が、どんなものをカメラに捉えていくつもりなのかかなり見えてくる、いいお話だったと思います。