イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ:第18話『声』感想

コロニーを舞台にした一つのドラマが終わり、新しい局面に入ったオルフェンズ。
フミタンの死を背負ってクーデリアは革命へと変わり、地球へ向かう彼女に対し様々な勢力が動き始める。
一方『家族』である鉄華団も否応なく政治的なステージに引っ張りあげられつつ、未だそこには人間の残り香が薫っていた。
鉄血名物『戦闘しない代わりにキャラクターが沢山出てきて、それぞれの人生の切断面を晒す』お話だったなぁ……群像劇の地固めになるこの話が面白いのが、鉄血の強いところだと思う。


色々キャラクターは出てきましたが、真ん中に座っていたのはクーデリアだと思います。
フミタンが残した祝福と呪いを受けて、ギャラルホルンの大軍団を言葉で追い返す偉業をなした彼女は、もう引き返せない革命への道に進み始めました。
それは人間らしい弱さとか、情けなさとか、涙とかを受け入れる余地のない厳しい戦いであり、賢い彼女はそこを理解し、自分を追い込んでいく。
彼女はこれからどんどん、クーデリア・藍那・バーンスタインという個人ではなく、フミタンがずっと見上げていた綺麗すぎる希望、革命の乙女という概念に変わっていくのでしょう。

彼女の決断を一番素直に受け止めているのが三日月でして、殺ししか知らない人間凶器だからこそ、殺しでは解決しない問題をメディアを利して制圧したクーデリアに憧れ、背筋を伸ばして誰かの為に戦う彼女を『凄い』と言い切る。
三日月が殺ししか知らない自分(達)に違和感を覚えつつ、それ以外の方法を見つけられない少年だというのはこれまでもちゃんと描写されてきたわけで、今回クーデリアを綺麗な希望として見上げる視線には納得がいきます。
彼がなんとか人間になろうと足掻いているのは、名瀬から誤った学習をしてクーデリアの唇を奪ったり、今回アトラに言われるままに女を抱擁し、『男の役割』を果たそうと頑張った不器用な姿を見ても、得心が行くところです。

しかしフミタンがすでに示しているように、概念としてのクーデリアを見上げるだけの道は、沢山の犠牲で舗装された危険で孤独な道でもあります。
この危うさに一番気を配り、人間としてのクーデリア・藍那・バーンスタインを『家族』として受け止めようと動いたのがアトラなのは、なかなか面白いところです。
クーデリアは鉄華団の血縁主義とは距離をおいた、距離をおいても生き延びられる恵まれた立場にいたキャラクターです。
一種お客さん的な立場にいればこそ、『虐げられる側』が何に苦しみ、何をするべきで、どうすれば世界が変わる(かもしれない)という希望を、俯瞰で見ることが出来る。
彼女のよそよそしさは、同時に彼女が『虐げられる側』を救い上げるために絶対必要な足場でもあります。

そしてアトラ(が代表する『虐げられる側』)は『家族』というシェルターを第一に置かなければ生き延びられないほど、経済的に、社会的に、精神的にシビアーな環境にいました。
そんなアトラにとって、クーデリアが震える足を隠しながら救おうとした『虐げられる側』は非常に遠い存在で、それよりも危機を共有し同じ釜の飯を食った『家族』の方が気にかかる。
フミタンや三日月がクーデリアを見上げる視線によって、彼女は概念へと追放されつつあるのですが、それを人間に引き戻す主観的で小さな見方(もしくは味方)を、アトラが代表しているといえます。

三日月が代表する、革命の乙女によって救済される『垂直の視線』と、アトラが代表する家族として、人間クーデリアに寄り添う『水平の視線』。
この2つの視線が交じり合う場所が、おそらくラストの抱擁だったのではないかと、僕は思います。
それは概念と人間、個人的感情と崇高な理想がギリギリ両立する場所で、そういうすごく大事な結節点をしっかり絵にできていたのは、とても良いなと思います。

あそこで抱き合っていた三人全てが『孤児』であるという事実は、個人的には注目に値します。
そもそも両親の庇護を得られていない三日月とアトラ、フミタンの視線に押し流される形で家族に捨てられたクーデリアは、ひどく不器用に出会って、しかしとても人間的に大事なことを確認しあう。
親が自分たちを見守ってくれないのであれば、自分たちで温もりを用意し、共有するしかない孤児たちの絆は、即ちギャラルホルンの圧政に押し潰される『虐げられる側』にどういう革命を指示するのかという、今後のクーデリアと鉄華団にも関係する描写だったと思います。
"鉄血のオルフェンズ"というタイトルが、鉄華団とクーデリアを大きく飛び越え、運命のうねりに押し流されながら彼らが開放しようとしている『虐げられる側』に広がりつつあるということを、なんとなく感じました。


鉄血の赤い姉妹たちはそんな感じでしたが、他にも色んなキャラクターが色んな顔を見せていました。
謎の仮面男はスパっと正体を見抜かれ、本心(の一部)を鉄華団と視聴者に開示したり、手詰まりの状況に助け舟を出したりした。
どう見てもバレバレなマクギリスの正体をミカが見抜き、不要なミステリを抱え込まずサクサク進めたのは、見ていて気持ちが良かったですね。

マクギリスがギャラルホルンの改革を推し進めようとしているのは事実でしょうし、膿を出さなければならない組織だという説得力もこれまでの話でしっかり積み上げました。
しかしわざわざ仮面と別会社を用意し、軍を欺きながら世直しを計る胡散臭さには、将来的な激突を予感させる不安さが残ります。
クーデリアを革命の乙女として成就させたい利害関係は一致しているわけですが、まだまだ彼が抱え込んでいるエゴが見えてこないので、仮面を外しても先の読めない男だといえます。
ちゃっかりトドも抱え込んでるしな……わざわざ禄を食ませて衣装を与えている辺り、結構優秀なのかなトドさん……。

マクギリスの暗躍を知ってか知らずか、ガエリオはアインくんと絆を深めていた。
阿頼耶識への生理的嫌悪に代表される潔癖意識は、単純な環境の違いというか、アッパークラスで暮らしすぎて泥まみれの下界を見たこともなかった結果なのかなぁ。
坊っちゃん気質は真っ直ぐな行動に繋がっていて良い側面もあるんだけど、マクギリスが暗躍しすぎて、いつか足元掬われるんじゃないかと不安だ。
アインくんは優しくしてくれるとすぐ股を開くタイプの忠犬キャラなんだけど、これでガエリオさんが死んで死神キャラが定着しないといいですね!

そしてどしどし出てくる地球側の新キャラ。
高貴な人かと思ったら脳筋クソバカオーラがムンムンと匂う、麻呂眉おばさんが当座の敵なのだろうか。
とりあえず難しいこと考えず鉄華団を殴りに来てくれる感じがモリモリするので、色々と期待が持てる。
政治劇も楽しいけどMS戦闘も楽しいアニメなので、こういう戦闘担当のゲストは大事だ。
インパクトが有って面白いとなおグッドだ。

一方、クーデリアの決意と比例するように、お話のレイヤーが複雑でハイソになってきてる感じもします。
クーデリアという新興政治勢力に利害関係の一致から力を貸しているのが、武器商人のノブリス、木星ヤクザのバリストン親分、アーブラウの蒔苗、ギャラルホルンのマクギリス。
これに対しギャラルホルン本流と、その代表のイズナリオ親父、蒔笛と対立するフリュウおばさんが潰しにかかっている。
鉄華団以外は『家族』的な信頼を一切置けず、利害だけで繋がっているこの状況をどう泳ぐかってのも、今後期になるところですね。


魑魅魍魎が化かし合いをする中で、オルガもボーッとしてもいられないわけで、鉄華団の長という立場から一歩踏み出した成長が待ってるタイミングではあると思う。
アトラ-三日月-クーデリアの孤児同盟に巧く入れなかったステープルトンさんが、おそらくオルガの成長の鍵を握るとは思うんだが……俺結構ステープルトンさん好きなんで、死ぬことで成長するのはしんどいなぁ。
ED入りでちゃんとフミタンがガキどもに慕われていた描写を入れたり、殺したあと傷を広げる描写の巧いアニメなんでね……でも、ああいうシーンちゃんと入れてくれるのありがたい。
俺もフミタン好きだし。

他のメンバーも適切にスケッチされていて、1MS乗りの気楽さと責任感を楽しむシノだとか、ラフタとのフラグを感じさせる明宏・ザ・ガチムチとか、妹のことを切りだされてビビるビスケとか、鉄華団のガキどもは今日も元気だった。
『虐げられた側』からクーデリアに共感し彼女を支える仕事は三日月とアトラで十分なんだけど、他のメンバーをただの戦闘要員にせず、それぞれの小さな成長と変化、人生のイベントをしっかり追いかけてくれるのは、彼らが好きな身としてはありがたい。
お軽い側面が強調されてきたシノの、彼なりの責任感と重圧をちゃんと描いてくれたのは良かったな。

そんなわけで、引き返せない流れに子どもたちが引きこまれつつ、それを取り巻く人々の思惑が渦を巻く回でした。
お嬢は人間をやめ革命の概念となることを選択してしまったわけですが、それでも痛みも震えもあるし、一緒に涙を流してくれる『家族』もいる。
そんな暖かい風景とは一切関係なく、クーデリアの行動と才覚は大きなものを巻き込んでいくし、それは変化をもたらす。
今後待ち構えるだろう激変の予兆と、歴史の大渦を前にした様々な人をしっかり描いた、良いエピソードだったと思います。