イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

昭和元禄落語心中:第8話感想

芸の魔力と女の魅力、綱引きしたらどっちが強い! てぇわけで、今週も始まりました落噺青春道中。
前回自分の居場所を落語の中に見つけた菊比古は、ようやく落語を楽しめるようになり、本腰を入れてのめり込み始め、師匠の巡業の相方に選ばれるなど手応えを感じだす。
兄弟子助六とも切磋琢磨し相支え合う同士の絆を深め、一方みよ吉との縁は薄くなっていく。
落語と時間という、埋めようのない二つの武器を持たないみよ吉は、菊比古と助六の永遠につづくようなじゃれ合いを、紅の混じった血の涙で睨むのでした。

前回のお話は菊彦という声援が自分の居場所を見つける、非常に充実感のあるエピソードでした。
しかし未来において助六とみよ吉の死が予言されている以上、安心すると同時に落ち着かない、積み上げた塔の足場が不安定な砂場であるかのような巧みな印象操作が光る回でもありました。
今回はそこら辺の印象を拾いつつ、助六と菊比古の間に何があっても切り込めない、みよ吉の悲しい因果を切り取る回だったように思います。


菊彦と助六の濃厚な関係というのは、これまでの物語で丁寧に追いかけられてきたポイントです。
孤児として七代目八雲を親代わりに同日門をくぐり、共に青春を過ごし、落語という同じ道を過ごした、強大とも親友ともライバルとも言える関係。
愛していればこそ追いつきたいと願い、嫉妬もする菊比古の複雑な感情も同時に切り取られ、この二人が尋常の間柄じゃないというのは、視聴者に強く印象付けられています。

今回二人を切り取るカメラもこれをどんどん補強していって、才があればこそ周りとも衝突する助六を、時になだめ時にしかり、時に無邪気にじゃれあう菊比古の表情が、良く切り取られていました。
師匠の前でもみよ吉の前でも、高座の楽屋の中でも菊比古はどこか陰鬱でむっつりした表情を崩さないのですが、助六の前では本当に楽しそうに、自分をさらけ出して笑う。
ここら辺は親に捨てられ、落語の中にも居場所を見つけられなかった自己認識が投影されている所なのでしょう。
周囲に自分を預けられないからこそ、師匠がたの小言も素直に聞いて世間体を整えハメも外さないわけですが、こと助六が絡むと店から追い出されてしまうほどの喧嘩(というかじゃれ合い)をしてしまう。

この無防備さは助六にしても同じで、嫁さんか母親にするように膝枕に頭をあずけ、耳掃除などしてもらう姿は無条件の信頼を感じさせます。
窮屈な師匠がたから離れ二人会をやるなら、八雲が相手というのも、八雲の人格や腕前を信頼してこそ。
男二人、噺家二人の濃厚な関係は、菊比古が落語に自信を持ったことで更に堅牢になっているように見えます。


そんな風に聞く日娘を落語に、噺家助六にのめり込ませる原因は自分の中の『艶』の発見であり、それを導いたみよ吉との交際がどんどん疎遠になっていくのは、なかなかに皮肉です。
落語と巧く付き合えないから女にふらりと迷って、そのことが『隙』となって落語に力を与える。
そうして自信が生まれ居場所を見つけ、落語にのめり込めばのめり込むほど、女と遊んでいる時間も余裕も意欲もなくなっていく。
助六は酒と女に目がない自己破滅型芸人ですが、菊彦も助六とはまた別の形で、まっとうな神経で人間関係を作れない破綻した性格の持ち主なのでしょう。

商売女として菊比古を翻弄していたように見えたみよ吉が、時間を通じる内に切り離せないほどの情を感じ取っていたという捻れも、今回表になったところです。
みよ吉がすがる腕はそっけなく振りほどくのに、助六相手には膝まで貸してしまう菊比古を、愛しつつ憎み、紅の混じった赤い涙を流す姿には、濃厚な情念を感じました。
みよ吉は落語家でもないし、男でもないし、兄弟同然に育ったわけでもない。
菊比古をつなぎ留めておくヨスガが一切ない自分に気付かされたからこそ、今回のラストカットで茫漠と空を睨むしかなかったわけです。

このままみよ吉が助六に負けを認め身を引けば話は終わりですが、そうはならないことは未来の描写が証明しています。
菊比古は性に興味の薄い人格の持ち主で、だからこそ落語が元気になったらみよ吉を袖にできるわけですが、助六は酒も女も楽しむエピキュリアンだということは、たっぷり描写されてきました。
ちょうど良く巡業で菊比古が東京を離れた隙間に、すすっと女の色香が滑り込んで、助六がみよ吉を寝取る……と見せかけて、菊比古から助六を取っちまうっていう算段は、結構容易に思いつきます。
満州に行っている間女に手を出してみて満たされなかった菊比古が、ようやく師匠のお供が出来るようになってみたら色々火種が燻ってるって状況は、面白い対比ですね。


それが現実になるかは来週を見なければ分かりませんが、一見濃厚な絆で結ばれているように見える助六と菊比古にも、たっぷりと火種は埋まっています。
客を見過ぎる故に先輩噺家との関係を大切に出来ない助六もそうですし、そこまで自分のことを信じられない菊比古との距離感もまた、丁寧に描写されていました。
冒頭の銭湯は大したサービスシーンでしたが、裸の付き合いで同じ湯をもらっていても、二人の間には壁があります。
同じ部屋にいてもあくまで対面で配置され、柱や畳の縁といった境界線が、慎重に配置されている。
そこを乗り越えて二人が横に並ぶのは、助六が正体をなくした後の膝枕だけです。

落語に居場所を見つけてもなお、捨てられた子供としての自分を認められない菊比古としては、助六ほど後ろを振り向かず前のめりに歩くことは出来ないのでしょう。
一見まともに師匠がたと付き合っているように見えて、その品行方正さは自信の無さの裏返しなわけです。
このまま無鉄砲に走り続けていると色々危ういということが、今回何度も先輩噺家と衝突する助六の姿で暗示されていたわけですが、菊比古は自意識の境界線を乗り越えて助六の手を取り、一緒に破滅してやるほどの勇気がないのではないか。
そういう危うさが、菊彦と助六の間の線引から感じ取れます。

これは噺家としてのスタイルにも関係する話で、稽古なしでも客をどっと掴む天才型の助六と、毎日毎日真面目に稽古詰めに仕上げる秀才型の菊比古では、そもそも落語家としての立ち居振る舞いが根っこから違うわけです。
菊比古がクッソ面倒くさいプライドの塊だというのはしっかり描写されてきましたから、ようやく掴みかけた自分だけのやり方、『型』を手放してまで天才破滅型の助六と同じスタイルに変われるかってのは、無理な相談です。
一見子猫の兄弟のように仲睦まじく微笑ましい二人ですが、その奥には噺家としての、男としての、人間としてのプライドが渦を巻いているわけで、なかなか敷居が超えられないってことなのでしょう。

これと対応する形で、菊比古が超えられない敷居をひょいと乗り越え、本気でいがみ合えるみよ吉の姿も描かれていました。
女が入り込まない少年時代をずっと続けているような二人に、降って湧いた闖入者はしかし同時に、菊比古がどうしても手を取り得ない助六の魂と取っ組み合える理解者でもあるような、面白い絵面でした。
みよ吉は血の涙を流すほど二人の絆に、自分が持っていないモノに苦悩しているわけだけど、近く見える菊比古の方が助六を受け止めきれない要素があるのかもなぁと疑えるのは、三人の魂が描く巴模様を際立たせていて、深みのある演出でした。

勢いで先行してきた助六の背中を見続けることが、菊比古のコンプレックスの原因にもなっているわけですが、ようやく自分の武器と居場所を見つけて横に並んだ現在、助六の前途が少し危うくなってきています。
野放図な助六が兄貴分で旦那、目端の利く菊比古が弟分で女房役という役割分担は今回強調されていたわけですが、そこら辺が崩れる前兆も、ジワジワと感じ取れます。
女の嫉妬にしろ、男のプライドにしろ、自分ではどうしようもない情念が一見安定した関係をかき回していく過程が丁寧に描かれていて、つくづくグイッと引き込まれる重力のあるお話ですね。


菊比古の落語狂いと女への冷たさ、助六の破滅型人生、みよ吉の愛情と嫉妬。
色んなモノが咬み合って、何やら嵐が来そうな気配が巧く漂っていました。
菊比古と助六のじゃれ合いが軽妙で魅力的であればあるほど、二人会の約束が果たされない気がしてきて、どうにも切ない気持ちになります。
それをおそらくぶち壊しにするだろうみよ吉も、ただの嫌な女というわけではなく、情が深くて可愛げのあるいい女だと納得できる描写になっていて、だからこそ赤い涙が痛い。

みんな面白くていいやつなのに、どうしようもなく気持ちは荒れ狂って、黄金時代を薙ぎ払っていってしまう。
そんな予感と慄きに満ちた、嵐の前の静けさの回でした。
いやー、面白い。
最高に面白いんだが、自分の親父とお袋と義父の三角関係ノロケを、当代随一の噺家の話芸で延々聞かされてる小夏さんは、どういう気持なんだろう。(そういえばもう七話も過去編やってることに今更気づくマン)