イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プリパラ:第84話『ポップ・ステップ・ぷりぷりぷり!』感想

ヴァーチャルとリアルが交錯するデジタル・アイドル・テイル、今週は反撃の序章。
前回人格の根本的な部分を見せたひびきを一気にトモダチに! とは当然行かず、その前段階として一旦みんなを個人に戻し、いろんなモヤモヤを考えなおす回でした。
まほちゃんのトラウマが出て、ふわりが折れない器量を見せたことで『誰が終わらすか』はだいたい見えたので、『どう終わらすか』の完成度をあげるべく、各キャラの地固めをじっくりやるエピソードと言えます。
この終盤で焦らずどっしり尺を使い、必要な問題を掘り下げていくのは強い運び方だ。

いろんな人が目立っていた回ですが、中心にいるのはまずひびき。
プリパラらしいおせっかいさで皆が差し伸べる手を弾き、唯一側に置いていた安藤も首にしてしまった彼女は、どんどん孤立しています。
が、そもそもひびきは自分以外の存在を必要としない(と思い込んでいる)わけで、自分一人になりたがるのもある意味道理にかなっています。

無論それは本音を押し殺した強がりなので、拒絶されようが嘘を付かれようが迷わずひびきを求め続けるキャラクターが、この捻れを解消するためには必要です。
怪盗ジーニアスによく似た扮装をし、ひびきの偽りを拒絶するのではなく歩み寄る姿勢を、文字通り全身で示したふわりは、そういう立場をどんと任せられる、頼れる存在です。
他人と自分を傷つけることでしか生き続ける術を知らないところまで、ひびきの気持ちはこじれてしまっているし、前回見せつけられた過去はそれも致し方なしな重さを持っていましたが、それら全てを背負い、信じて待つふわりの勇姿が出だしから見れたのは、強い安心感を覚えました。
『まぁ、色々あってもひびふわで落ち着くだろう』という予測を一番最初に与えることで、この後の展開の中でキャラが迷っても視聴者がそれに引きづられない足場が生まれてもいるので、今回アバンでふわりが出た意味は大きかった気がするなぁ。

他のキャラクターもプリパラらしい脳天気さを交えつつ、ひびきの悪行の裏にある人情を丁寧に思い出し、彼女をトモダチにしないと行けない理由を思い出していました。
ひびきの行動にロジックが伴っていて、マイナスの行動もあればプラスの恩恵もあったということは、これまでのエピソードで注意深く積み重ねてきたところです。
ギャグの装いを整えつつ、キャラクターがそのことをしっかり思い出し、行動方針を変える理由を視聴者に再確認させるシーンがちゃんとあるのは、見ている側が迷わない妙手だね。
ここでなお『ひびき=敵』に拘っていると、まほちゃんに同情しつつある視聴者とキャラクターの感情に溝が生まれて、作品から心が離れていくわけで、そういう敏感さが堅調なのはプリパラの強さだと思う。


主人公なのにひびきを拾いきれてないらぁらの姿は、ふわりの安定感と対照的といえます。
らぁらの真っ直ぐな優しさや真摯さは大体の場合いつでも正しくて、大概の事を救ってきたわけですが、なまじっか大人になってしまっているひびきには現状巧く機能していません。
ここら辺は過去にあった、バカさに偽装されギャグとして装飾された、らぁらの無垢さ≒無知さをからかうひびきの描写と背中合わせだと思います。
いろんな理屈をこねくり回し、自分の気持にフタをすることでなんとか生き延びてきたひびきにとって、友達にも家族にも恵まれ、幸福に生きてきたらぁらの真っ直ぐさは、なかなか届かないのでしょう。
そして、それを飛び越えさせるために必要な、他者と共有できるロジックを幼いらぁらはどうやっても獲得できない。
そういう理屈は優等生である南委員長の仕事であり、ここ最近のみれいアゲの傾向は、らあらの天才性/幼児性の影の側面を掘り下げるフォローの意味合いもありそうです。

らぁらが『私だったら』というエゴイズムの延でひびきを救おうとして、『僕は君じゃない』と拒絶されるやり取りには、成長という現象が持ってる根本的な性質を感じます。
自分が無限に延長していくような万能感があればこそ、らぁらは主人公として真っ直ぐに振る舞い、突き進んで物事を解決してきたわけですが、世界の全ては私ではないもので構成されているということも、一つの事実です。
私と君の間にある差異を認識し、肯定し、それを前提に歩みを進めていく方法を見つけること。
ひびきだけではなく、ボーカルドールという絶対的他者性を否応なく抱え込んでいるファルルとの対話の中にも、らぁらが他者性を認識する素地が埋め込まれていたように感じるのです。

思い返せば一年目、ファルルの『死』を主人公サイドは認識しておらず(認識してしまえば、女児向けコメディとしては重たすぎるムードが発生してしまうのでそれは正しい)、保護者であるユニコンだけが『死』に憤り、否定し、悲嘆の果てに受け入れいました。
対話の可能性を永遠に奪い、他者を交流不可能な完璧な他者に変えてしまう『死』というイベントを認識することなく、らぁらは奇跡を導いてファルルを復活させ、お話を大団円に導いたわけですが、それは同時にらぁらが他者性の壁に突き当たり、『私だったら』というエゴイズムでは解決できない問題に正面から突き当たること、成長の機会を摘み取る展開でもあった。
『二年目もキャラ続投で続くんだから、早々簡単に成長させてキャラの要素を奪うわけにも行かない』という実務的な理由もあったんでしょうが、『死』という言い訳も逃げ道もないイベントを叩きつけると、らぁらが女児アニメの主人公としては成長しすぎてしまうという判断が、もしかしたらあったのかも知れません。

翻ってひびきですが、ボーカルドール化という一種の自殺を見据えながらも、彼女はまだ死んでいないし、完全に対話を拒んでもいない。
語尾に苦しみつつもみれいの提案はしっかり聞き入れ、彼女のステージも見届けようとする辺り、ひびきは『私だったら』が通じない他者でありながら、同時に『みんなトモダチ』という理想に一緒にたどり着けるかもしれない、対話可能性を捨て切ってはいないのです。
ファルルは逆に『みんなトモダチ』でありながら、ボーカルドール故の寂しさや価値観の違いをこれまで認識してこなかった、『私に近い他者』だといえます。
ひびきの過去を知り、敵ではなくトモダチ候補として認識を新たにしたらぁらが今回、単純な突破口を手に入れられなかったのは、一年目に果たし得なかったソフトな成長の兆しとして、むしろ喜ぶべきなんじゃないかと思います。
……ここで穏やかに他者性を是認し、真っ直ぐな天才性だけではなく論理的な方法論まで手に入れちゃうと、三年目どういう成長の余地≒お話が転がる余地が残るのか気にもなるけどな。


らぁらがあまり突破口として機能しない中、主人公の立場を背負ったのがみれいでした。
大きな挫折を経験し、ガァルルというがむしゃらさの化身に励まされ、才能の無さを認めた上で初期衝動を取り戻したみれいは、ふわりと並んで揺らぐことのない、頼もしい女の子です。
新曲・新衣装でのソロステージをしっかり演じきり、念願のゴールドエアリーに到達したのも、納得がいく流れ。
きっちり凹ませて大きく飛び立つ、非常に正しい成長物語をみれいは歩いていて、今回一つの成果として良いステージを完成させていたのは、楽しいと同時に報われてありがたいところだ。

迷走期にみれいを支配していた『ひびきに勝たないといけない』という強迫観念は、今回かなり鳴りを潜めてます。
まずアイドルとして、自分が楽しい舞台をして、それが結果的にひびきと向かい合う足場に変わるという、健全な因果関係がみれいの内で再構築されていました。
ガァルルが見せた『ただ、自分が楽しいと思うから』というひたむきさで、折れた心を繋ぎ直したキャラクターとして、過去を無駄にしない凄く前向きな成長なのは、今回の舞台がソロなことからも見て取れます。

絆を無理くり強調して、『私だったら』という根本的な気持ちを無視するやり方ではなく、まず自分の楽しみからスタートする一種の身勝手さが、チームでは到達できなかった金色の翼をみれいに与えたという流れは、綺麗だし納得もいきます。
ステージを終えたみれいにらぁらが駆け寄る姿をしっかり映すことで、『私だったら』というエゴイズムから始まりつつも、それだけで閉じない健全性や発展性をちゃんと肯定しているのも、素晴らしいステージでした。
精神的なバランスの良さという意味では、みれいは今一番安定したキャラクターかもな。

そんなみれいの姿を見てそふぃとシオンという二人の天才は、自分のエゴイズムを反省したりしていた。
みれいは『結局一人で強くなるしかないが、一人では絶対強くなれない』という矛盾する真実(プリプリでもこの結論だったなぁ)を体現したので、二人が自分の身勝手さを嘆く必要はないとオッサンは思うけど、そこで足を止めて自分を振り返る賢さと優しさがあるからあの子らは生きたキャラクター足りえているのだろう。
ひびきと会話している時のシオンの語尾殺しを見ても、凡人と天才の関係はやっぱ健在で麗しいものだと確信できるので、落ち着く所に落ち着くだろうという信頼感がありますね。
あのシーンホント濃厚なシオみれだったなぁ……ギャグと百合、同時に撃ちぬいてくるからプリパラマジこええ。


そんなわけで、いろいろな人が己を鑑み、あるいは暴走するエピソードでした。
ここで一気に『ひびきもトモダチ!』という最終結論に飛びつくのではなく、各キャラクターが抱えている問題点や論理のねじれ、心理的わだかまりや未成熟さを確認し、丁寧にほぐす話が用意されているのは、それを足場にして飛び越えてくれるだろうクライマックスの高みを予感させ、とても楽しみです。
キャラクターが魅力的なので、細かい心理を掘り下げ描写を豊かにしてくれる回があるのは、単純に嬉しいしね。
長期シリーズの中で積み上げてきたテーマ性やキャラクターの要素があればこそ、多角的に掘り下げられるものがあると、声高ではなく、あくまで穏やかに楽しく告げてくるような、静かな靭やかさがあるお話だったと思います。
いやー、ほんとここ最近のプリパラは強いな。