イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

灰と幻想のグリムガル:第8話『君との思い出に』感想

負け犬たちの凸凹ファンタジーライフアニメ、八回目の今回は最終回。
マナトをぶっ殺したゴブリンパーティーにケジメを付けさせ、雪の降る中もう一度墓参りをして、新しい仲間と心の距離を確認する。
これまでの描写を的確にリフレインさせつつ、どこにも行けなかった彼らがようやく小さな、しかし確かな一歩を刻んだことを、丁寧に確認するお話でした。
ここまで来るのに八話、クライマックスである今回も実質三場面で構成だもんなぁ……ホント、思い切った構成よね。

マナトの喪失に決着をつける意味でも、新しい仲間であるメリイを向かい入れる意味でも、義勇兵という『殺し』を生業とする職業の成長描写としても、今回前半全てをゴブリンとの殺し合いに当てたのは、見応えのある展開でした。
このアニメの『殺し』は安全圏から超強い主人公が無双するのを楽しむものではなく、生々しい痛みといつ殺されるか分からない不安が入り混じった、非常に生々しいものです。
しかしそれでも、というかそれだからこそ、『殺し』の技術を着実に高め、パーティーの有機的役割をしっかり分担し、目標を達成していくパーティーの描写には胸が踊る。
『殺し』が持っている不謹慎なカタルシスからも、『成長』が持っている健全な快楽からも、両方目を背けずごたまぜで描写するところは、このアニメらしいなと思います。

『成長』のカタルシスを今回の戦いに感じるのは、過去の描写からの引用が的確だからでしょう。
これまで丁寧にこのパーティーがどんだけダメダメなのかしっかり描いていたからこそ、リーダー・ハルヒロの決断の元各々が役割を果たす今回の戦闘は気持ちが良いわけですが、同時に過去何があったかを視聴者にそれとなく思い出させる描写も、とても巧い。
マナト殺害の実行犯であるボウガンスナイパーをイノイチで殺したり、モグゾーが頭部にダメージを負うけど兜のおかげで致命傷になっていなかったり、第1話でマナトが注意喚起していた『命のやり取り』という言葉をランタが口にしたり、これまでの8話全てに目が行き届いた描写が、殺し合いのテンポを壊すことなく挿入され、白熱した時間なのに奇妙に懐かしい気持ちになりました。

これは非常にじっくりと青年たちの悪戦苦闘を切り取り、色んな脇道に転がりつつ彼らの生活全てを切り取ってきたこのアニメの歩みと、深く繋がっています。
話が進むアダージョのテンポ、世界を捉えるカメラの微細さがフェティシズムの領域に入っていればこそ、細かい描写を視聴者の記憶に細かく刻み、それを無言で引用しても思い出せる、物語の遠近法が可能になる。
それは無論、微細な描写を間延びせずに見せる手腕の結果であるし、過去を思い出せる描写の差し込み方が巧い、ということでもあるのですが。


そういう過去との立体感だけではなく、今回の戦闘は危機と好機のバランスが上手く組み立てられた、興奮できる戦いだったと思います。
かつて自分たちの足元を救い、マナトの命を奪った油断がゴブリン側にあるのも良いですし、怯えを捨てたモグゾーのパワーファイトが豪快に描かれ、ハルヒロ・ランタの早さ重視の戦いと対比されているのも良い。
やっぱグレソ持ちの重装が全力アタックしたら、床ぐらい抜けないとイカンよな!!
奇襲で戦力を削られつつも、しぶとくパーティーとして機能し、敵たる人間の戦術を熟知した小狡い戦いを展開するゴブリン達も、非常に良い敵役でした。
『よし、勝った』と視聴者も油断するタイミングでメリィが弓で射られ、最悪の結果を思わず想起する起伏とかも素晴らしかったな。

ゴブリンリーダーが指しているチェスが凄く印象的に使われていて、相手の陣に攻め込み駒を削っていく今回の戦闘の暗喩にもなっているし、第1話から強調されてきたゴブリンの人間性、それを踏み越えて『殺す』覚悟の強調にもなっていました。
仲間もいれば知恵もある、自分たちとよく似た生き物を『殺す』ヤダ味は第1話からしっかり描写されてきて、それは第8話である今回も変わりがない。
しかし良くも悪くも、沢山の対価を払い経験を積んだ結果、主人公達は『殺す』覚悟を決め、人殺し稼業を効率的に執行できる一人前の義勇兵になってしまったわけで、もうそこに躊躇いはしないわけです。
戦闘終わった後にマリイが確認してたけど、マナトの仇討という暗い感情があまり表に出ず、あくまで『ダメダメだった主人公達の、色々あった結果の小さな成長』として処理していたのは、『殺し』の暗さに引きずられ過ぎないいい塩梅だった。

今回の話しが一つのクライマックスとして機能しているのは、一つには戦闘シーンが油断も力不足もない、精一杯の成長を披露する発表の場として作られていること。
もう一つは、ゴブリン達が『悪い主人公達』として描かれ、乗り越えることに物語的必然性が強くあることが、理由だと思います。
ハルヒロのダガーを奪い、マナトの命を奪ったゴブリンスナイパーが一番わかり易いですが、モグゾーと対峙した巨漢のゴブリンにしても、ゴブリンなりの絆を感じさせるPT描写にしても、彼らはずっと主人公達の影として描かれてました。
自分に似ているが認められない存在を、和解するなり克服するなりして成長を見せる手法は、非常に基本的かつ強力な物語の手管であり、マナト殺しという一大試練を生み出したゴブリンのパーティーは、主人公たちの前に立ちふさがる障害として、乗り越えるべき過去の汚点として、大きな存在感を持っています。

しかしゴブリンである以上対話は出来ないし、『殺し』というコミュニケーションの結果マナトは殺されてるしで、影を認め和解する展開は、義勇兵という主人公達の立場からもありえません。
義勇兵は『殺し』をする』という世界のルールを呑み込んだという意味合いからも、捻れた自分たちの影を『殺す』ことでハルヒロたちの成長は完了するのであり、そういう意味でもゴブリンパーティーの連携の描写はいい仕事をしていました。
単純に、役割分担をして有機的に戦術を組み立ててくる強敵のほうが、相手しててドキドキするしね。


『『殺し』をしてハイおしまい』ではなく、残りの時間をマナトの墓参りと、ハルヒロとマリイとの心の間合いに使っていたのは、凄くこのアニメらしい贅沢さだと思いました。
第5話で呆然としている間に終わってしまった葬式と対比された墓参は、彼らがマナトの喪失を立派に埋め、前に進む足場をようやく手に入れたという事実を絵で見せる、非常に良いシーンでした。
まるで灰のように降り積もる雪がすごく印象的で、悲しみのように降り積もりつつも、いつか溶ける希望の象徴として、助演男優賞モノだったなぁと。

思い返すと第4話からの展開は、常にマナトの喪失をどう受け止めるかという、グリーフケアのお話だった気がします。
マナトを失ってからの八方塞がりの展開と、ユメを相手に感情をぶつけたこと、マナトの喪失が自分たちにつけた傷を認めることで話が動く対比。(あの時は雪ではなく雨が降ってました。時間経過の表現としても秀逸だなこれ)
マナトの喪失にケリを付けるより早くパーティーに入り込んだマリイという異物が、実は自分たちと同じ喪失を経験していたという発見。
歩み寄りの結果マリイとの距離はじっくりと縮まり、運命共同体としてのパーティーが機能した結果、ゴブリンたちを殺し、各々のトラウマに決着がつく。
マナトの喪失(マリイにとってはそれ以前に起こった、三人の仲間の喪失)をどう認め、どう埋める、どう旅立つのかという問題、『死』に対する普遍的な問題を丁寧に追いかけたのが、ここ5話ほどのグリムガルだったと思います。

死んでしまったマナトの思い出と正面から対峙し、もう戻らない過去に思いを馳せ、しかしそこで足を止めるでなく各々歩き出す二度目の墓参は、そういう歩みをまとめ上げる優れたエンディングでした。
ただ『死んだ奴は帰ってこない。前向きに進もう』という綺麗事で片付けるのではなく、そこにたどり着くまでの長い迷い路や衝突を、一切省略無しで丁寧に描いたからこそ、この旅立ちに受ける感慨はとても大きい。
このアニメが一般的な劇作よりも遅いテンポを選びとったことの意味が、がっちりと凝縮したシーンでした。


墓参がパーティー全体のエンディングだとすれば、気付けば世界を真っ白に染め上げた雪の中で、マリイとハルヒロが言葉少なく語り合うシーンは、二人の気持ちをまとめ上げるシーンになります。
沈黙やため息にもじっくりと尺を使い、細かい芝居も余すことなく捉えた情感の作り方は、やはり実写映画的で異質であり、このアニメが大事にしている細やかさが炸裂する見事な見せ場でもある。
前半の戦闘シーンがこのアニメの『動』の集大成だとすると、ただ二人が街を歩き、心の一番奥のことを話し合う展開は『静』の集大成といえるかもしれません。

マナトの死があまりに印象的でしたし、このお話はハルヒロの一人称で展開するわけで、マリイの気持ちは視聴者にはよく見えないというか、あくまで部外者みたいな違和感が拭えないキャラクターだったと思います。
それは凄く意図的なもので、マリイのことがよく解らない、仲間とは思えない感覚は劇の外側にいる視聴者のものであると同時に、主人公たるハルヒロのものでもある。
このシンクロニシティを握りこんでいるからこそ、マリイがハルヒロを名前で呼び、己の痛みを告白し、三人の仲間のトラウマを克服するまでのじっくりとした流れが、ハルヒロだけではなく視聴者にも素直に入ってくる。
長いそぞろ歩きはハルヒロがマリイを真実仲間だと認めると同時に、視聴者もまた、マリイの物語を自分の物語だと認めるために必要な、最後のピースなのでしょう。
異質な表現方法を恐れず最適に使いこなし、きっちり必要なエモーションを生み出した製作者は、やっぱり凄い。

マリイとハルヒロが話を閉めるのは、無論彼らの関係が持っている希望(もしかしたら恋)がこのお話の終わりにふさわしいというのもあるんですが、マナトの死という『過去』を精算し、闖入者であるマリイとの『未来』に足場を移す、お話全体の構図に関係しているように思えます。
プラスの側面だけ集めたマナトが死に、マイナスの塊だったマリイがその穴を埋め、マリイの過去を知り歩み寄ることで彼女のプラスを知ることが出来た。
いがみ合いや失敗は悪いことばかりではないし、異質なものと分かり合うことも時にはできるけど、もう死んでしまったマナトとそういう魂の交流をしたくても、絶対にできない。
巻き戻ることのない『過去』を認めて、新しい可能性の手をとって『未来』に進んでいくことは大事だけど、『過去』を認めるためにはこんなに沢山の感情と努力が必要だった。
このアニメがゆっくりと捉えてきた色んなモノが、雪の中前に歩いて行く二人にはしっかり込められている気がして、僕はとても豊かな気持ちになりました。


というわけで、マナトが死んで以降の物語(3話までを『マナトが死ぬまでのお膳立て』と考えると物語全体)を包括する、素晴らしいエピソードでした。
あまりに達成感と完成度が高いので、なんかシリーズ全体が終わっちゃった感覚も受けますが、話数はまだまだ続く。
『過去』と指切りした彼らの『未来』がどうなっていくのか。
新しい物語に、期待大ですね。