イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイカツ!:第176話『いばらの女王』感想

SLQCも最終日、残り三話のアイドルカツドウは、スミレとひなきの総決算。
人に恵まれて自分の殻を破ってきたひなきと、受け身な自分を変化させ欲望を加速させてきたスミレ。
これまでのふたりの物語を丁寧に集約した、彼女たちの到達点だったと思います。

最終盤に差し掛かってからのアイカツは、あまり特別なことはしていません。
キャラクターの膨らませ方にしても、テーマの展開にしても、これまでの三年半で描いてきたことを再確認しつつ、それを足場にしたからこそ可能な小さな跳躍と、その先にある未来についてずっと語ってきました。
今回ひなきとスミレが歩いた物語もまた、彼女たちの過去と地続きで展開しており、その成功も失敗も一つの必然として、僕は受け止めました。

凡人の物語、具体化された目標不在、身の丈の成長物語。
あかりジェネレーションのストーリーは様々な角度から捉えることが出来ますが、その画角の一つに『出会い』があることは間違いないでしょう。
いちご世代も様々な人々と出会い変化していく、開かれた物語でしたが、あえて才能のスケールを落とし出来ないことが多い存在として描かれていたあかりジェネレーションは、自分にない可能性に出会うことで成長する余地と必然性が、より大きいよう設計されていたと思います。
同じアイドルと、デザイナーと、別業種のプロフェッショナルと出会うことで何かを見つけ、それで変化していくアイドルの、考えて見れば当たり前で普通の成長。
一人ではけして成し遂げられないけど、結局は自分自身に集約する、ワタシとアナタの物語。
あかりちゃんが画面に登場してからの二年間の物語は、出会ったことで変化していく自分を切り取る物語だったと思います。


そして、その恩恵を一番強く受けていたのはひなきです。
第104話で画面に登場した、誰とも出会っていないひなきは、その明るく元気な外側のキャラクターとは裏腹に、賢く、人間関係の視野が広く、自分を押し殺している少女でした。
そんな彼女が友人やライバル、自分を受け止めてくれる大人や先輩と出会うことで、小さく、しかし確実に臆病さを踏み越え、『ここまでは自分を出して良い』というエゴのラインを健全に広げていくことが、この一年半彼女が歩いてきたストーリー。
だから、Aパートで特にひなきに尺が割り振られ、彼女が出会ってきた人々との関係を再確認するのも、SLQCを切り取るスタンスにあった描き方といえます。

まず『お姉さん』であるみくると、『お母さん』であるKAYOKO。
第147話と第169話でそれぞれ、不器用な子供をしっかり受け止め、『お前はお前の望むようにやっていい』というメッセージをひなきにしっかり届けてくれた保護者は、今回も手紙を贈り花を届け、晴れの舞台を見届けに来ていました。
他人の邪魔にならないように、臆病に繊細に『自分』の範囲を規定してしまうひなきを憐れむのではなく、少しだけ前に立って『ここまでは大丈夫』と示してあげる態度は、臆病なひなきに確実に道を教えていたと思います。
今回みくるがひなきとの対戦を楽しみにする描写が入ったことで、『お姉さん』に手を引かれるだけではなく、対等に並び合い高め合う仲間という間柄に発展する可能性が見れたのも、保護者組の描写で嬉しいところでした。

情熱ハラペーニョの相棒である珠璃との描写も、これから戦場に挑むひなきを励ますのではなく、むしろ戦いを終えたはずの珠璃の緊張を、ひなきが解いています。
珠璃ちゃんはエキセントリックで面白いキャラが便利なので、キチった部分が強く描写されてましたが、第109話や第132話を見ても分かる通り、賢くて臆病で優しい部分をもち、かつそれを隠している女の子でもあります。
才能や表現力では大きく異なれど、そういう根っこの部分で共通していたからこそ二人はユニットになり、ひなきは天才・紅林珠璃の翻訳者として、珠璃は引っ込み思案のひなきを引っ張り上げるエンジンとして、相補いあう関係を作った。
今回ひなきが珠璃の緊張を解し、『いつもの珠璃』を取り戻す描写は、前回あった珠璃がひなきを気遣うベンチのシーンと巧く呼応して、二人が手に入れた信頼の深さをよく表していたと思います。

そんな風に色々な人と出会った結果、ひなきちゃんは変わった。
人間関係の視野の広さやスマートさはそのままに、『ここまでは大丈夫』という範囲をしっかり見定め、自分を出して表現し切る怖さを乗り越えられるようになった。
第169話でみくるに教えられた『勝ち負けより、やり切ることが大事』という気持ちそのままに、今の自分に出来る最大をぶつけたステージは、結果的に珠璃を上回り暫定一位という座に彼女を押し上げる。
その成長はこれまでの個別エピソードを的確に踏まえていて、既にステージを終えた他の女の子達と同じく、無理くりな飛躍のないコンパクトで確かなものでした。

ひなきにはSAフィーバーアピールという天才の証明が出ないのは、巧い苦さだなと思います。
結局、ひなきは賢すぎる子供であり、その賢さで見定めてしまった枠から出ることなく、自分のステージを終える。
それでも彼女はここまで来たし、成し遂げたことが無価値なわけでも、その賢さが無価値なわけではない。
臆病で賢すぎる女の子が、一歩ずつ進んで辿り着いた場所として、暫定一位は妥当ではなく、誠実な結果だと思います。


ひなきの物語が一歩ずつ積み重ねた果ての成功だとすれば、スミレちゃんの物語は挑戦と挫折に勇気を持って飛び込んでいく物語だといえます。
可愛いアイカツの女の子達の中でも、別格の『美人感』をまとって作中に現れた彼女は、その美貌ゆえに求めずとも与えられ、自分を強く主張しなくても生きていられる、『持ってる』アイドルでした。
最初のステージで既に大失敗しているあかりや、他人が楽しいと思える自分をうまく提出できないひなきに比べると、最初から武器を持っているキャラクターといえるのですが、しかしそのことが彼女から積極性を奪い、受け身の態度を取らせてもいる。
アイカツ世界は意志を重視し、流されるだけの綺麗なお人形が活躍できる世界ではないので、
第102話でカメラに写って以降、スミレの物語は常に『ワタシは何がしたいのか』という欲望の物語でした。

主張せず、求めず、ただ座っているだけで周囲が愛してくれる彼女の姿は例えば第117話を見ていると判るのですが、同時に彼女はそこで自分の望みと向かい合い、『歌』という答えにたどり着く。
これは第166話でもう一度確認される彼女の望みであり、『モデル』でも『ダンサー』でもなく『歌手』をこそ求めるという強い思いは、スミレちゃんがお人形からアイドルに変わる大事な足場です。
他人と出会うことで自分を作り直してきたひなきと、自分の欲望と向かい合うことで変化してきたスミレの対比を考えると、Aパートで描かれるものの違いには結構納得がいきます……勿論尺の都合もあるんだろうけど。

しかしスミレちゃんが他者を求めないかといえばそんなことはけしてなく、第130話で控えめな姿勢を一転させ、凛ちゃんにグイグイ迫って即モノにした衝撃は、未だに新しいところです。
スミレちゃん自身が口にしていましたが、凛ちゃんが持つ『ダンス』という可能性を自分の中に取り入れることで、スミレちゃんはまた一つ大きく変わることが出来たし、何よりも具体的な『誰か』をスミレちゃんが強く求めるというのは、良い変化だったと思います。
おすまし顔で変化する状況に順応するのではなく、自分が中心となって求め、挑み、手に入れる積極性。
スミレに足らなかったものが明確になり、それを乗り越える象徴として、ダンシングディーヴァの結成は大きかったわけです。

今回描写された凛ちゃんとの関り合いは、二人の間にある絆を確認するだけではなく、最後の選択に繋がるスミレの変化を明確にする上でも、大事な演出だったのでしょう。
凛ちゃんを求め手に入れたように、自分の限界の先にある可能性に、あえて挑む。
"タルト・タタン"では座って恋を占っているだけだった少女が、"LOVE GAME"では積極的に恋の戦いを仕掛け、"いばらの女王"では玉座に座る覚悟を見せる。
楽曲の中にも秘められているスミレの変化と成長は、常に一緒にいたソレイユの仲間ではなく、自ら望んで手に入れた凛ちゃんとの関係の中にこそ、凝縮されていると思います。
そしてそれは奪うだけの一方的で不毛な関係ではけしてなく、他のユニットと同じように暖かく優しい空気が漂う、豊かなものでもあるとしっかり切り取ってくれたのは、非常にありがたいですね。

(ユニットカップのメンバーを描写する流れで挟まれた天羽とあかりちゃんのシーンは、天羽のズルさが活かされていてとても良かったです。
しかしあかりちゃんの視線がどーしても瀬名さんに注がれがちな関係上、天羽とは『お前だけッ!』という濃厚な間柄を巧く表現することが出来ず、もどかしい感じも未だある。
天羽の人格的な強さもあって、よりかかり過ぎない心地よい乾きがあるのは好きなんだが、もう少し湿り気漂わせても良かったのよあかりちゃん……天羽は結構あかりちゃんに『お前だけッ!』なんだがなぁ……瀬名さんいるしなぁ……)


そうして迎えたステージ、スミレちゃんはSAフィーバーアピールに挑み、失敗します。
物語が一応の終局を迎えるこのタイミングでスミレに失敗を与えたのは、僕個人としては良い話運びだと思いました。
求めずとも与えられ、求めればなおさら手に入る『持っている』アイドルが、その天性だけでは届かない場所があると思い知る意味でも、ひなきが背負っていた『自分を出しきる』というテーマの別の側面(暗黒面ではけして無い)を照らす意味でも、今回の挑戦と敗北には大きな意味があると思います。

アイカツ世界は優しい世界ですが、失敗や敗北が存在しないわけではない。
むしろレアケースだからこそ失敗や痛みは重大事として捉えられ、物語の勘所に配置されてきました。
例えば第17話でいちごちゃんが失敗した三度目のスペシャルアピールや、第71話であおい姐さんが向かい合ったSLQCでの敗北、第96-97話にてあかりちゃんが立ち向かった特訓など、挑戦の果てにある負けに対し、アイカツはその距離を慎重に図りながらも、排除したことはなかった。
無論周囲の優しい人々の支えだとか、自分自身の可能性だとか、難局を乗り切る(もしくは敗北の別の価値を知る)手助けはそこかしこに用意されているし、女の子達の人生が捻じ曲がることはないわけですが。

アイカツ四年半の物語が終わるこのタイミングで、あえてスミレに失敗を与えた製作者は、おそらくアイカツの物語を甘いだけの物語として終えたくなかったのだと思います。
勝ち負けを超えて自分を出すことは何よりも大事だし、妥協のない姿勢だけが結果に繋がるものだけど、それと並走しつつ交わらない位置に、冷厳と勝ち負けが存在する。
どれだけ気持ちを込めても結果が出ないことはあるし、しかしだからといって挑戦する気持ちが無駄なわけではない。
常に前に進み続ける物語に説得力を生む意味で、けして逃げてはいけない場所に最後に飛び込んだこと、そしてそれが、綺麗なお人形が欲望を手に入れるスミレの物語に大きな意味を持っていること。
今回の失敗はキャラクター個別の物語と、その入れ物になるシリーズ全体の物語、両方にとって大きな意味を持つ失敗だったと、僕は思います。

挑んで負けたスミレを蔑する視線がアイカツ世界に存在していないのは、例えばすぐさま立ち上がりステージを演じきるスミレちゃんの表情だとか、「スミレちゃん良かったよー!」という声援がすぐさま届く客層を見ても、良く分かります。
採点含めて、スミレちゃんが歩いてきた物語の到達点たる挑戦と失敗を、アイカツ世界がどう評価し、どうケアするのかは、来週非常に大事なところだと思います。
特にルミナスの仲間でもあり、ルームメイトでもあり、最終演技者でもあるあかりちゃんがスミレにどう向かい合うかは、非常に大事でしょう。
最終局面であえて失敗を描いたことの意味、それで手に入れようとしたものの意味は、それをあかりちゃんがどう受け止めどう活かすかにかかっているわけで、来週がとても楽しみです。
……あかりの物語がスターライト受験失敗を『これも、いい経験でした!』と称揚することから始まったことを考えると、この失敗がスミレとあかりの物語の結節点になり得るんだな。
一つの終わり、一つの始まりとして、やっぱここでスミレを負けさせたのは凄く大きな意味があると思う。


と言うわけで、一つの成功と一つの失敗のエピソードでした。
物語が始まる前に子役時代の失敗を抱え、周囲に迷惑をかけない『元気で陽気なワタシ』を規定することから始まったひなきの物語は、『敗北の物語』です。
美貌故に求めずとも与えられてきたスミレの『成功の物語』と、お互い影響を及ぼし合いながらここまで辿り着いた結果、ひなきは勝ち、スミレは負けた。
これまで自分たちが展開してきた物語を信じ、そのすべてを注ぎ込んだ二つの勝ち負けを一つのエピソードで映すことで、SLQCの持っている価値と、その先にあるモノがしっかり見えた気がします。

次回は遂にあかりちゃんがトリのステージを務め、SLQCが決まります。
ルミナスの仲間がそれぞれの物語をまとめ上げた今、凡人として、『出会い』の物語の中心にいた存在として、あかりちゃんは何を達成するのか。
残り二話。
楽しみです。