イマワノキワ

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コンクリート・レボルティオ ~超人幻想~ THE LAST SONG:第17話『デビラとデビロ』感想

人間と超人の間で蠢く幽きエゴイズムのお話、二度目の辻先生脚本になる今回はそういう小さいお話をブッちぎったスケールの大きい話でした。
第9話でも『超人のスケールを超えた超・超人』そして『家族』を描いてきた辻先生でしたが、今回は永遠に伸びる『時間』を人間社会の中で生きる超家族を描いていたのに対し、今回は地底から宇宙まで伸びる『空間』を舞台に、スケール大きく旅立っていく神話の姉弟のお話でした。
蛇身できょうだいつがいの神っつーと、中国神話の伏儀・女禍がモチーフなのかなぁ、あの二人。
となると時間的にも、人類創生以前からの生き残りだな……。

今回は狭いコンクリートジャングルでつまんねー主張を戦わせる『人間的超人のミクロ』と、フツーの真実ばっかり言ってる穏やかな『神的超人のマクロ』の対比が、お話のスケールをぐんと広げるエピソードでした。
メインストーリである會川脚本は『人間的超人のミクロ』にぐっとカメラを寄せて、そこで展開される心の機微を大切に描いており、それはそれで超人幻想を描く上で欠かせないものです。
いくども繰り返されるイノセンスへの憧れ、失われてしまったものへの渇望と、何故か歪んでいく正しきことへの意志。
つまらなくて愚かしいことかもしれないけど、しかし哀しいほどに切実で本物な感情を、アクションやハッタリの効いた設定、巧みなパロディとオマージュを交えつつ面白く描いているからこそ、この嘘っぱちの世界は奇妙なリアリティを持っている。
辻先生の二作品で神化世界は時間的・空間的に大きな飛躍を遂げているわけですが、それが成立するためには、『人間的超人のミクロ』がデフォルトのエピソードの中でしっかり表現されていなければ、対比自体が成り立たないわけです。

同時にあまりに人間的な業に囚われ、時間を超越しようが魔法が使えようが、感情と経験の檻の中から出ることが出来ない『超人たち』のお話には、どこかでスパーっと突き抜けた大きな視点が必要だとも感じます。
誰も間違ってはおらず、しかし絶対的な正義もない中で、何かを求めてもがき続ける爾郎たちの姿は、身近であると同時に答えのない旅でもある。
辻先生の脚本がとんでもないスケールに拡大していくことで、そういう小さく愛おしい悩みを慈しみつつ包み込む、大きな答えがズドンと出てくるのは、キャラクターにとっても視聴者にとっても救いなのかなぁと思います。

マクロなお話はあまりに大きくなりすぎると受け取りづらくなりますが、デビロの神的価値観を『普通でつまんないこと言ってる』と作中でツッコんだり、マクロとミクロを繋げる感情的リンクとして『家族』を的確に使ったりして、上手く身近な場所においていました。
真実というのは往々にして一般的で、だからこそつまらなくもなるんですが、カリスマを持った存在が適切に言うと人を引き寄せるパワーを持つ。(『想像してご覧』を多用してたことからも、第6話に続いてジョンオマージュかな、ここら辺)
しかしその恍惚は忍者が手裏剣上げて車が爆発すると覚めてしまうくらいには弱々しいもので、言葉一本で人間の生き様が変わるほど強いものでもない。
ここら辺のシビアーな描写がしっかり入ることで、デビロは『絶対的に正しい神』ではなく『似通ったこともあるけど理解が難しい、不思議な少年』にとどまっている。

デビロが『不思議な少年』に留まっているのは、視聴者にも分かりやすい『家族』という価値観をとても大事にしている様子を、丁寧に描いていたのも大きいと思います。
お姉さんであるデビラはあんなに巨大スケールなのに弟好きすぎて地上に出てくるし、矮小な人間に望まれていなくても、二人は姉弟であり夫婦でもあるという神話的近親婚を果たし、満足して宇宙に旅立っていく。
例え二人の巨大なスケールと価値観に共感できないとしても、二人の間に流れる『家族』としての親密さは真実のものであり、『普通でつまらないけど大事』な感情として、視聴者の近くに二人を連れてくるわけです。
ここら辺の物語的遠近法の作り方が非常に上手くて、思わず唸らされてしまいました。
デビラ初登場の時、嘘をつかずに身体的スケール感を誤魔化していたのが、非常に良く効いてますね。


神的家族の巨大さを目立たせるためには、人間の小ささを描かなければいけないわけですが、今回は公安忍者部隊がそこら辺を担当していました。
まず『地下を住処とする超人を排除し、空いたスペースを経済利用する』という国家戦略が先にあり、それを追いかけるように『トンネル事故の犯人』という原因を規定してしまう、捻れた認識。
自分の中の結論を再優先し、暴力と圧政で神を従えようとする愚かさ。
忍者部隊の頑なさがあればこそ、それを悠々と受け流すデビロの雄大さが目立つし、デビロの主張に感じ入って一つにまとまる爾郎と超人課の姿も輝いてきます。
厚生省外郭という半端な寄り合い所帯である超人課に対し、公安本局にバッチリ組み込まれ、国家そのものに忠誠を誓って揺るがない忍者たちとでは、そら対応の仕方も違うわな。

デビラとデビロの神的スケールは、マクロ視点でどんだけ暴力を行使しても事態が変わらない、ある種の呑気さを約束してくれます。
忍者が手裏剣投げて大暴れしても、神様は意に介さないし傷つきもしない。
しかし武器を持って追われれば哀しくもなるし、その哀しさを飲み込んでズナマンは地震を起こさず帰って行ってくれたわけです。(熊本で地震の強さが身にしみたタイミングでこの話だったのは、良かったのか悪かったのか)
暴力を用いて政治的状況が変化するならマクロな暴力も有効な手段(レギュラーのお話はそういう視座を確実に持ってる)なんだけど、相手が大きすぎると暴力それ自体ではなく、そこに付随する悪意のほうが他者を有効に傷つけるってのは、中々皮肉な描き方だ。

しかしそんな人間のちっぽけな足掻きを神たちは鷹揚に許し、技術発展が可能にした神域への立ち入りに実力を行使することなく、静かに地球を去っていく。
『裁きを回避した』という意味ではポジティブな結論なんだけど、『神化は裁く価値すらなく神に見捨てられた、コンクリートの荒野なのだ』と言われているようでもいて、素直には喜べない結末でした。
神なき世界で人間の証明を打ち立てていく戦いは、このあと爾郎たちがやらなければいけないミッションでもあります。
そういう意味でも、レギュラーの物語が辿りつけない場所に光を当てつつ、メインテーマをしっかり浮かび上がらせる、良い話運びだったと思います。


暴力が存在しないのではなく無化されていく呑気な話を支えるべく、サブキャラクターのデザインややビジュアルイメージがコミカルで楽しいものだったのは、とても良かったと思います。
元々リアルよりもポップな絵作りを重視している作品ですが、デビラの眷属の異形なんだけど憎めないデザインとか、地球を脱出するときの夢いっぱいな映像とか、今回は特に角が取れて柔らかかった。
ゲストのそういう心遣いを受けて、久々に輝子が『殺さない力』を行使したり、風郎太の変身アクションがコミカルに活躍していたり、神化世界の殺伐加減から上手く外した、超人課の懐かしい顔が見れました。

レギュラーのお話が『世界の残酷さとどう戦うのか』という側面を持っている以上、爾郎の周りには死人が転がり、綺麗な願いは踏みにじられ、過去の過ちは取り返しがつかない方向に加速していく。
そういう残忍さに惹きつけられつつも、僕らが彼らの物語を見たいと思い続けるのは、残酷ではない柔らかな優しさが、細かく挿入されているからだと思います。
まだ超人課がフルメンバーだった時の打ち解けた空気だとか、星の子の初心な恋だとか、神化東京の流行りにミーハーに飛びつく姿だとか、そういう彼らの何てことない姿が愛おしく描かれていればこそ、彼らが思い悩む世界の残酷さは、上っ面の題目ではなく身に迫った課題として、僕らにも感じ取れるのだと。
そう思えるように気を配って彼らの日常は描写されているし、コメディタッチで肩の力のヌケた描写が巧いことは、この作品の大きな魅力でもあるのです。
だから今回、神様が広げてくれた世界の優しさを最大限使って、コミカルで呑気な超人課の姿が久々に見れたのは、僕には嬉しかったなぁ。

今回超人課で一番積極的に動いていたのは笑美で、人間世界から追い出されつつどっこい生きてる同類たちのために、全力で走り回っていました。
二期の鬼笑美はどんどん余裕がなくなって、爾郎無き超人課を必死に維持しようと頑張っていますが、むしろ黒幕ッ面より歯剥き出しの狐顔のほうが可愛らしいと僕は思う。
課長にしてもそうなんだけど、一見単純に悪役をやるように思えて、世界の複雑さを写していろんな事情と感情を背負ったキャラを作っているのは、お話の奥行きを確保するだけではなく、キャラクターを好きになる上でも大きな仕事しているなぁと思う。
余裕綽々の無敵様でも良いんだけど、どっか一点絶対に譲れない必死な所をちゃんと描き、それが生み出す矛盾にまで踏み込むと、キャラクター個人も彼らが動く物語も、ぐっと彫りを深くするように感じますね。
二期に入ってからの笑美の描き方は、そういう魅力がしっかりあるように思うし、このエピソードでも凄くチャーミングだった……死なんで欲しいなぁ……。


と言うわけで、作品世界に奥行きをつけ、ミクロな『人間の物語』を超えたマクロな『人間を超えた物語』に拡大するエピソードでした。
ただ空気入れて話を大きくするのではなく、キャラクターの実感や視聴者の感情をうまく操作し、身近な部分と超越的な部分をしっかり対比させつつお話が進行するのが、とても良かったです。
こういう話があるからミクロでシビアなレギューラーエピソードが輝くし、メインテーマに対するカウンターと脱出口も用意されるわけで、良いタイミングで良い話来てくれたなぁとほっこり。

神の優しさで大災害を免れた東京は、しかし矮小な人間たちの利害とエゴイズムでいっぱい。
それもまた真実の一側面ならば、しっかりと向かい合い自分たちのミクロな終末まで走り抜けることこそ、あまりに人間的な超人たちに求められる誠実さでしょう。
来週以降、神が愛し神を放逐したこの街で、どんな物語が展開するのか。
非常に楽しみです。